第18話 結界と秘密結社

 結界の調査結果は、国境から馬を飛ばしてきた師匠のパスカルさんとその奥さまのアドリーヌさんによってもたらされた。

 二人とは応接間で会った。座り心地のよい一人がけの椅子が円を描くように何脚も置かれた落ち着いた部屋で、壁には大きな絵画が飾られている。


「ツチグロトカゲと戦ったんだってな。二人とも、無事でよかった」


 いつもどことなくくたびれた雰囲気をまとっている黒髪のパスカルさんは、今年で三十九歳。今日は仕事のためにこちらを訪れたからか無精髭も剃っており、若々しく見える。

 赤毛に青い瞳のアドリーヌさんは今年二十九歳で、おっとりとした美しさは健在だ。


「イリヤとオデットさんの婚約式以来ね。元気そうで安心したわ」


 二人に椅子を勧めながら、イリヤさんも笑顔になる。


「よく来てくれた。こちらはなんとかそれなりにやっている」


「本当に、今回はカリストのために無理なお仕事をお引き受けいただいて、ありがとうございます」


 わたしが挨拶すると、アドリーヌさんは微笑した。


「オデットさんも、すっかり領主さまの奥方ねえ」


「そ、そんな……」


 照れるわたしをパスカルさんとアドリーヌさんは、ほほえましそうに見守っている。着席したイリヤさんが使用人にお茶を頼む。

 お茶が運ばれてきた。使用人が下がったのを見届けたイリヤさんが「それで、報告の件だが」と話を切り出すと、パスカルさんとアドリーヌさんは笑みを消し、真面目な表情になった。

 パスカルさんが代表して口を開く。


「なぜ、ツチグロトカゲのような強力な魔物が領内に侵入できたかだが──その前に一応、断っておくと、国内で同様の現象は起こっていないということだ」


 イリヤさんは頷く。


「そのようだな。それで?」


「ということは、カリスト領に沿った結界──つまり、北の国境を覆う結界だけが破損したということになる。そこで、俺たちは結界を構成する魔法陣を徹底的に調査した。ツチグロトカゲが侵入したと思われる、北の結界近くの魔法陣をな。すると、その一部に魔力が通っていなかったことが判明した」


「魔力が通っていなかった……?」


 あまりのことにわたしは思わず呟いてしまったが、予想の範囲内だったのかイリヤさんは腕を組み、目顔で続きを促しただけだ。パスカルさんが言葉を継ぐ。


「今度は王都に戻って調査したが、もちろん、カリスト領だけ魔力を流し損ねた、なんて不手際はなかった。……ったく、下手すりゃ国王の怠慢を責めてると受け取られかねん。こんな繊細な問題、お前の名を出さなきゃ、文字通りこっちの首が飛んでたところだ」


「苦労させたな。その分、礼金は弾む」


「絶対だぞ」


 アドリーヌさんがパスカルさんの肩に触れる。


「あなた、話の腰を折らないで」


「ああ、そうだったな。俺たち調査団の出した結論はこうだ。何者かが誰にも気づかれんように、北の国境沿いに描かれた魔法陣の魔力の通り道から、魔力が漏れるように細工をしたんだ。細い袋から水が漏れるみたいにな。少しずつ漏れるようにすれば、今回のように人から気づかれにくいし、発見にも時間がかかる」


 パスカルさんの授業を受けていた時の癖で、わたしはつい質問してしまう。


「そんなことができるのですか?」


「ああ。魔法陣と魔導具に関する専門的な知識と技術が必要だけどな。魔力が漏れていけば、魔法陣が無効化されて強力な魔物が侵入しやすくなる、というわけだ」


 なるほど、と納得したわたしの横の椅子に座るイリヤさんが視線を鋭くする。


「理屈は分かった。次の問題は、誰がどんな目的でそんなことをしたか、だな」


「そうだな。分かってるのは、今回の件を企んだ奴ら──単独犯かもしれんが──が常軌を逸してるってことだな。故意による結界の破損や損壊は、やむをえない場合を除けば、極刑に処されるくらいの重罪だからな。ま、北のマーンツがリュピテールの弱体化を狙ったのもしれんが」


 言われてみれば、確かに異常だ。そんなことをして、犯人たちになんの益があるというのだろう。となると、犯人はマーンツの手先なのだろうか。

 イリヤさんは茶碗を片手に頷く。


「まったくだ。だが、単独犯という線は薄いな。マーンツでもないだろう」


「どうして、そう思う?」


 パスカルさんの問いに、イリヤさんはお茶を少し飲んでから答えた。


「考えてもみろ。これだけ周到に計画を立て、国境で砦の兵や周辺の住民に気づかれずに結界の破損を成し遂げたとなると、必ず数人以上の知恵と労力が必要になる。単独犯なら、もっと計画も実行も杜撰だったはずだ。マーンツなら、こんな回りくどいことはしないだろう。結界を破損させ、魔物によってカリストを弱体化させるよりも、軍を率いて攻め込むほうが遥かに手っ取り早い。カーシズ川に遮られているとはいえ、準備さえすれば渡河は可能だ」


「なるほどな。犯人どもに心当たりはあるのか?」


「あるといえば、ある」


「もったいぶるなよ」


「すまんな。ただ今のところ、あくまでひとつの可能性でしかないんだ。だが、あえて候補を挙げるならば──」


 イリヤさんはお茶を一口飲むと、研ぎ澄まされた刃のような目をして言葉を発した。


「獣族排斥派組織『至高の血』だ」


「至高の血」──聞いたことがある。リュピテール国内において「獣族は人ではないばかりか異教徒でもある。即刻排斥すべし」という信条のもとに集まった、いわゆる狂信者のような集団のことだ。

 組織名である「至高の血」とは、魔力を持つ非常に優れた血族──つまり、人族のことを指すらしい。


 もちろん、いくら獣族への差別が残るこの国でも、その存在は公なものとはならず、秘密結社として地下に潜っているのだという。

 現在は、国王陛下が獣族の血を引くイリヤさんを正式に孫としても王族としても認めたことで、組織の縮小、消滅は必至だとも言われていた。


 堂々とリュピテールの王族として振る舞い、結果的に自分たちを虫の息にしたイリヤさんを失墜させるために、結界を破損させたというのだろうか。

 もし、そうだとしたら──。


「許せない」


 思わず口からそんな言葉が出た。みながわたしのほうを向く。わたしは込み上げる怒りに突き動かされるように続けた。


「結界を破損させて、イリヤさんが強力な魔物の侵入を許したように細工したことも許せません。でも、一番許せないのはカリストの民を傷つけたことです」


 ツチグロトカゲによって傷つけられ、苦しんでいた領民の顔が頭をよぎる。それに、あのツチグロトカゲだって、誤って結界の中に入らなければ、人を傷つけることもなかったし、あんな風に死なずに済んだ。

 先ほどまでとは打って変わり、イリヤさんは優しい表情でわたしを見た。


「そうだな。まだ確実に犯人が『至高の血』だと決まったわけじゃないが、犯人は必ず見つけ出して、それ相応の報いは受けさせる。……お前がともに領地を治める妃でよかった」


「え、ええ……!?」


 いくらパスカルさんとアドリーヌさんの前とはいえ、まだ結婚していないのに人前で恥ずかしすぎる。いや、手を握ったりはしていないから、イリヤさんなりに自重したのかもしれないけれど。


 さっそく、アドリーヌさんが「まあ、イリヤったら」と感慨深げにしているし。

 守銭奴であることを除けば、実は結構常識人なパスカルさんが、こほん、と咳払いをした。


「……まあ、それはともかくとしてだ。犯人の目星がついたところで、次は結界を完全に修復しないとな。イリヤ、オデットさんを貸してくれないか」


「え、わたし、ですか?」


 わたしは自分を指差したまま、間抜けな声を上げた。

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