第3話 憧れを追って

 街1番の武道場から熱意と闘志の声があふれている。


「面!」

「一本! 勝者、白!」


 防具を着てそれぞれの剣技を競う高校生達。地区の代表者を決める剣道の大会だ。


 外出を嫌がっていた風成だが、乃琉の活躍をその目で見たいと勇気を振り絞り来ていた。


 乃琉は次々に相手を打ち破っていき、見事全国大会の出場権を手に入れた。


 閉会式とミーティングを終えた乃琉は風成の元へ駆けつけた。


「風成ちゃん、どうだった?」

「すごかった! お兄ちゃん強いね! 優勝おめでとう! みんなもとてもかっこよかった!」


 風成は宝石のような瞳を乃琉に向けながら興奮気味に話した。まだ大会の余韻が残っているのである。


「ハハッ! そりゃどうもだな!」


 乃琉の大きな手が、風成の小さな頭を優しく撫でる。


 いつもの優しい触れ合いに、心が満たされる風成。そんな中、ふと疑問がわく。


「⋯⋯お兄ちゃん、なんで剣道を始めたの?」


 乃琉はすこし目線を逸らしたが、すぐさま風成の瞳を見て話し始めた。


「長くなるけどいいか?」

「うん!」


 乃琉は荷物を下ろすと、その中を探りながら話し始めた。


「俺も昔、いじめられていたわけ」


 衝撃の告白に風成は小さな声をあげる。辛い話をさせてるのではないかと不安になる。


「お、お兄ちゃん」

「あぁ、心配するな。これは素敵な本との出会いでもあるんだぜ」


 すると、荷物の中からよく読みこまれた本が出てきた。


「【安倶水あぐみ記】。これが俺の支えとなったんだ」


 風成はその本をまじまじと見る。普段読んでいる絵本とは違うので興味がわいた。


「あぐみ⋯⋯?」

「そう、奇伝⋯⋯ちょっと不思議なお話しの本だぜ」

「どんな本なの?」

「説明が難しいが⋯⋯そうだな。いじめられていた男の子が頑張って、やがて立派な人になる話だ」


 乃琉は、丁寧にその本をめくる。


「どんな辛いことも、少しの光を糧に乗り越えていく主人公がいい。俺も泣いてばかりの自分が嫌で強くなりたいと願うようになった。憧れるようになった。ってことで剣道を始めてみた」

「フウも読みたい!」


 乃琉は古文で書かれているその本を見て、少し考え事をしたのち、決めた。


「風成ちゃん、一緒に読んでいこう」

「うん!」


 二人はゆびきりげんまんをした。赤い夕焼けがちょうど二人の体を包み込んだ。



 あぐらをかいた乃琉のうえに、風成はぽすっと座った。大きな体に背を預け、一緒に本を開いて読む。乃琉が繰り返し丁寧に解説してくれるため、幼い風成も【安倶水記】の内容を理解していく。


「【安倶水記】は平安時代⋯⋯いまから1000年以上も前にあるお坊さんが書いたものだ」

「このお坊さんと思い出を話しているのが安倶水あぐみの 海初うみぞめ、だったよね?」

「そうだ。今も続いているあの財閥『安倶水家』の先祖だ」

「うん。昔は『五郎』だったのよね?」

「あぁ、ざっくり言うと、地方貴族⋯⋯お偉いさんとして暮らしていた時は五郎、武士⋯⋯戦う人として暮らしてからは海初、だな」


 当時の様子も、しきたりも解説した上で物語に没頭させる乃琉の読み聞かせ。一層、風成をこの伝記の世界に引き込んだ。


「読むぞ。『五郎おれは、兄達の策略により、海辺に置き去りにされた』」

「ふむふむ! ひどい!」

「『そんな時だ⋯⋯』」



 真っ暗闇の海辺で一人、泣いてるだけの五郎。


 その彼の元に、松明を向ける二人の影。


「その服装からして、たいそうな身分の子でしょう?」


 死人のような白い肌に海色の髪と目が目立つ、人ならざる美しい小柄の女性が五郎を覗き込む。


「どうされた? 従者らはいないのか?」


 しゃがんでも五郎の倍はある背丈、雑にまとめた長い茶髪、鋼のような肉体を誇る男があたりを見渡す。


「みんな僕を置いていったんだ。帰らないとまた父上に怒られる」


 二人は顔を見合わせ、互いに微笑むと男が五郎に話しかける。


「お名前を教えてくだされ、お屋敷まで護衛いたします」

「⋯⋯安倶水」

「おぉ、あそこ! 承知」


 きっと何か考えがあっての親切だ。五郎は2人を疑いの目で見ていた。


 変わらぬ笑顔のまま、女は五郎に話しかける。


「うん、着くまでかなり時間がかかります。そうですね、普段はどうお過ごしになられてて?」

「えっと。皆、和歌や蹴鞠で⋯⋯」

「違いますよ、あなたについて知りたいのです。表情が硬い。まだこんなにも幼いのに」


 その瞳は、五郎が過ごしてきた日々を見透かしてるようで。幼子の心に何かが刺さったような痛みが走る。同時に嬉しさも込み上げてくる。今まで『自分の話を聞きたい』と言ってくれた人がいたであろうか。



「『当時の五郎おれは涙した。2人はしまったという様子だったが、俺にとっては輝かしい明日の幕開けとなった』」

「その、2人のお名前は?」

「今日はここまでだ。まぁ、この2人は五郎の師匠となる人物だ」


 本を閉じた乃琉は自分の住処に戻るため、帰りの支度を始めた。


 風成も恩を少しでも返すため片付けを手伝う。本当はもっといて欲しいが、明日も来てくれると知ってるからぐっと心に押さえ込む。


「お兄ちゃん」

「どうした?」

「五郎は“2人”に出会って変わろうとしたんだよね?」

「あぁ」

「フウも、そうする」

「ん?」

「頑張る。怖いけど頑張る」

「おぉ⋯⋯?」

「フウにとってね、“2人”は、乃琉お兄ちゃんなんだよ!」

「‼︎」


 風成は、己を奮い立たせる“理由”があった。自身を助けてくれた人に追いつくため、一緒に歩むため、なにより──愛してもらっている。それに応えたいと、まだ綺麗に言葉にすることはできないが考えるようになった。


 決意のこもった顔を、乃琉は大いに喜んだ。


「成長したな! 風成ちゃん」

「えへへ」


 風成の頭をわしゃわしゃと撫でる大きな手。

 彼女はいつかこの手と対等になれる日を望んだ。


 その日、帰ってきた両親に剣道をさせてくれと風成は頼んだ。まだ5歳の子にはキツイのではないかと言われたが、彼女の意志が揺らぐことはなかった。


 早速風成は指導の筋がいいと評判の剣道教室に通うようになった。


 まだ全て読んではいないから詳しくはわからない。それでも、【安倶水記】の五郎が海初となり、立派になったように自分もなるんだと意気込んだ。

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