第22話 魔王と勇者 #1

ある夜。


ルナの部屋には、四人――アイとミーシャとオシリス、そしてルナ――が、折り重なるようにして眠っていた。

あたりにはお菓子や飲み物が散乱している。近頃はレストランの営業が終わると、ルナの部屋を拠点にして四人で力尽きるまで遊び、雑魚寝で朝を迎えることが多くなっていた。まるで修学旅行の夜だ。


その日のルナは、足元で誰かが動く気配を察知してふと目を覚ました。見ると、ルナの足を枕にして寝ていたはずのアイが起き上がって、部屋から出ていくところだった。


(……? トイレかな?)


アイは音も立てずに、後ろ手で扉を閉める。

その横顔を見た瞬間、さあっ、と冷水を浴びせられたように、ルナの頭が冷えた。


――


その鋭い眼は、初めて出会った日のアイが見せた【勇者】のそれであった。

ルナは身体を起こして、部屋を見渡す。剣がない。アイは、いつも持ち歩いている剣を手にして、部屋からひとり静かに立ち去ったようだった。


(……)


胸騒ぎを感じて、ルナは部屋を抜け出した。





ルナは勘付かれないように距離を取りながら、アイの後を付けた。

剣を手にした【勇者】は迷いのない足取りで、街の外れにある森の中に入っていった。

街の人々の暮らしは森の恵みを存分に享受して成り立っていることを、ルナは既に知っている。だから、森に入ること自体はそう珍しいことではない。

ただし――


(……どこまで行くの……?)


森の中とはいえど、山菜や動物を狩るのも、あくまで街から近い場所に限られる。森の深部には決して近付かないようにと、街の住人は口を酸っぱくして警告していた。

アイはその警告ラインをやすやすと超えて、森の奥に向かって歩き続けていた。そうして道なき道を進んでいるうちに、気が付けば、ルナはアイを見失っていたのだった。


――ルナは月の光も届かない、深い森を歩いている。


「アイは、こんなとこまで来て、何を……」


ルナはアイを探しながら、地面にも注意を向けて慎重に進む。そうしないと、影に隠された木の根に足を取られてしまうのだ。既に何度も転んだルナは、服を土で汚したまま、それでもアイを探して彷徨っていた。

小さな頃から近所の山に入っていたルナは、こういった場所に慣れている。そのルナから見ても、アイの足取りの迷いのなさは異常だった。

まるで、暗闇の中でもすべて鮮明に見えているかのようだ。


真っ暗な森を進んでいくうちに、ルナは、じわりと忍び寄る恐怖の気配を感じていた。


(だめだ……もうそろそろ、街に戻って――)


と、ルナがアイの追跡を諦めかけたその時。

ルナは森の奥から、悲鳴らしき音を聞いた。


「……な、何? いまのは――」


ルナがとっさにその「音」が何なのか判断できなかったのは、それが人間の声ではないように思えたからだ。

だが、それは確かに誰かの――何かの「悲鳴」に属するものだと、直感的に理解した。


すぅ、と冴えていく思考に導かれるように。

ルナは小さな【魔法】を発動して、ランプ代わりの火の玉を浮かべる。火の玉が照らす森の中を、ルナは先程の「悲鳴」に向かって駆けていく。





深い森のなかに、突如、開けた空間が現れた。

その広場は月の光が大地に届き、スポットライトの中のように明るく照らされている。

足を踏み入れたルナは、眼の前に広がる光景に息を呑み、

次の瞬間――叫ぶ。


「――アイ!」


勇者アイは、

その姿勢で静止して、ルナに視線を向ける。


アイは抑揚のない声で呟いた。


「……ルナ。来たんだ」


アイが斬りかかろうとしていたのは――豚の頭にヒトの身体を持つ魔族、オークの母子であった。

母オークは子を庇うように抱きかかえている。アイの傍らには、父親と思われるオークの亡骸が転がっていた。


ルナは、魔王城を警備していた兵隊オークを思い出す。

もちろん、あの時に視線を交わしたオーク兵、その本人ではないだろう。

でも――


(――やっぱり、アイはまだ魔族を敵視していた――)


ルナは歯を食いしばり、苦い声色でアイに問う。


「……こんなこと、ずっとやっていたの?」

「こんなことって?」


アイは冷たく答える。掲げた剣から、血とも脂ともつかない液体が滴り落ちた。


「とぼけないでよ」


きっとアイは、毎晩のように魔族を狩っていたのだ。

皆が寝静まった後にこうして「狩り」に出かけていれば、朝早くに起きられるはずもない。


アイはため息をついて、振り上げた剣を下ろす。

こびりついた体液を払うように剣を振ると、飛び散った血が子供オークの顔に降りかかった。子供は恐怖に目を見開いたまま、アイを見上げて動かない。


「……森の最深部に、巨大な魔力の源があるらしいんだ。それに釣られて、弱った奴らが集まってくる。こうやって開けた場所に誘い込めば、ボクひとりで充分に――」

「そういうことじゃない!」


ルナの声は、ルナ自身が思ったよりも激しい怒りに彩られていた。


「どうして無抵抗の魔族を傷付けるの? それが勇者のやること?」

「……へぇ。ボクがやってること、んだ」

「何を……言ってるの?」


ルナの疑問に、アイは答えない。

その代わり無造作に剣を構え直すと、母オークの首を目掛け、躊躇なく横薙ぎに――


――瞬間、ルナの瞳が紫色に輝く。

鋭く練り上げられた風魔法は、甲高い音を立ててアイの剣を弾いた。


「――逃げて!」と、ルナは叫ぶ。


母オークは、びくりと身体を震わせると、子供を抱え、跳ねるように駆け出した。


「――チッ」


舌打ちして追撃しようとするアイの脚は、目の前に着弾する火炎球に阻まれる。

ルナはオークの母子を守るように進み出ると、アイの前に立ちはだかった。


火は広場の草に燃え移り、二人の間に炎の壁が立ち上る。生草の焼ける青い香り。

炎越しに、アイはルナを睨み付ける。


「ルナ……なんで邪魔するんだ」

「さっきのオーク、子供を連れてた」

「――だから何?」嘲笑うような、拒絶の声色。「子供だからこそ殺すんだろ。あいつらは際限なく増えやがる」


アイは、ルナに向かって剣を突き付けた。


「どけよ、ルナ」

「どかない」

「……」


アイは、オークの母子が逃げた方向に視線を向ける。

既に勇者の獲物たちは、後ろ姿すら見えなくなっていた。


「お願い、アイ。約束して。魔族を……見境なく、殺さないって」

「――できない」

「……」


アイの苛立ちを乗せた剣の切っ先は、まっすぐに、ルナの眼へと向けられている。


「世間知らずにも程があるだろ。そんなにちゃんと魔族のことを認識できるんなら……なんでわからない? ボクがミーシャを守らなきゃ。こうやって魔族を狩るのが、たったひとつの、ボクの存在意義なんだから」


――違う。

存在意義なんて示さなくても、きっとミーシャはアイを受け容れる。

ルナは首を振って、アイのかたくなな瞳に訴えかけた。


「ううん……魔族を狩る必要なんてないの。だって――」


だって、あなたが憎むものたちの王は――他ならぬ、あたしなのだから。

その事実を告げようと、肺に空気を送り込む。


だがそれよりも先に、吐き捨てるアイの言葉がルナを遮った。


「――もういいよ」

「……アイ?」


アイは剣を構える。

炎に照らされた【勇者】の顔に、暗い笑みが浮かびあがった。


「力尽くでもわからせる。――

「……ッ!」


深い深い森の奥。

月の光に照らされて――ルナとアイは、睨み合ったまま動かない。


草木を食らって燃え盛る炎が、ぱち、と音を立てたとき。

それを合図として、【魔王】と【勇者】は激突する。

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