第23話 才能の使い道


 満月に照らされる夜。すでに子供達は寝静まっていて、ホーホーとフクロウの声だけが聞こえる。屋根に登れるようかけられた梯子を登り、屋根に座るとブルーさんは夜空を見上げながら話し始めた。


「君の存在についてはアリーゼさんから聞いていたから知っていたよ。でも、そこまで思い悩んでいたなんてね」

「え、僕のこと知ってたんですか?」

「うん。凄まじい才能を持った生徒がいて、その子は戦うことが嫌いだってくらいはね。まぁ、性別は知らなかったけど」

「取り立てて話すことでもないですしね」


 できれば伝えて欲しかったと思いつつ、ブルーさんの隣に座って会話を再開する。


「でも、なんでわざわざあなたに僕のことを教えたんですかね」

「あぁ、それは僕が前のお気に入りだからだよ」

「えっ、それってまさか……」

「僕も昔、アリーゼさんに理想を託されたんだ」


 それを聞いて僕は電流が走ったかのような衝撃を受けた。僕がブルーさんに話を聞きにきた理由は、彼が力ある者であり、その力を戦い以外で使っている人だからだ。まさか、僕と同じアリーゼさんの理想を伝えられた人だとは思わなかった。


「じゃあなんで今はこんな山奥で孤児院をやってるんですか」


 そうなると僕の次の質問はこれ以外になかった。僕は学園長の呪縛から逃れる方法を知りたかった。すると、急に食いついた僕を見て意図を察したのか、真っ直ぐ僕の目を見て優しく、しかし覇気のある声でこう言った。


「それは、僕が自分の理想を見つけたからだよ」

「自分の理想……」

「君にはないのかい?」


 僕はその質問に返答できなかった。僕には力相応の立派な理想なんてない。争いのない平和な世界のために命を賭ける覚悟なんてないし、学園長や憲兵団団長のような地位にも興味はない。……こう思い返してみると、僕はなんて無責任な人間なのだろうか。何かしなければという自覚はある。しかし、それは結局僕の望む道じゃないっていうのも分かっている。


 自分の望みも分からない空っぽな人間、できる事を嫌だからと拒絶する我儘な人間。考えれば考えるほど自分が嫌いになっていく。


「……少し、僕の話をしようか」


 黙ったまま何も話さなくなった僕を見かねてブルーさんが話し始めた。


「僕らは戦争孤児だったんだ」

「えっ」


 衝撃の一言だった。僕ら、と言っていることからシアンも孤児だったということだろう。僕にはそれが信じられなかった。だって、シアンもブルーさんも今があまりにも幸せそうだったから。


「僕の両親は西国大戦の時に死んで、そこから何年も地獄みたいな場所で生きてきた」

「ちょ、ちょっと待ってください。西国大戦は二十五年前の戦争ですよ。そこであなたの両親が死んだってことは……」

「うん。僕とシアンは血の繋がった兄弟じゃない」


 ここに来てから驚きの連続だ。一応三年の付き合いがあるシアンのこんな重要な情報を知らなかったなんて。もしかしたら、彼が力を使うことを躊躇わないのは育った環境のせいなのかもしれない。まぁ、素行に問題があるのには変わりないけど。


「僕にはもう一人弟がいてね、ラピスって名前なんだけど知ってるかな」

「あっ、はい。図書館にはよく行くのでラピス先生にはお世話になっています」


 ラピス先生は学園の大図書館の館長であり、ありとあらゆる魔法に精通した教授でもある。ぶっきらぼうで視線が鋭いから怖がる生徒も多いけど、話してみると意外と面倒見が良くて優しい先生だ。


「彼が赤子だったシアンを拾ってきて、シアンと名付け、育て上げた。ラピスはシアンの兄であり、親なんだ」

「そうだったんですか……どうりでシアンが懐いてるわけだ」


 シアンは学園の先生達まで舐め腐っていて、基本的に言うことを聞かないし、授業もまともに受けていない。彼曰く、レベルが低すぎるそうだ。しかし、ラピス先生に対してだけは別だ。彼が授業をすれば遅刻せずに毎回来るし、授業だって真面目に受ける。この前、魔法の実技テストの時なんかは頼まれてもいないのに最上位の魔法を使って褒められようとしていた。


「でも、血が繋がっていない兄弟ってどういう感じなんですか?」

「どうって」

「その、違和感といいますか……」

「うーん、そういうのは無いかな。というか、僕らは血の繋がりっていうのから縁遠いんだよね。シアンなんかは自分を産んだ人の顔すら知らないし」


 自分の孤独を昔の思い出話のように楽しそうに語る彼を見て、この人の人生には後悔なんてないように感じた。この前後悔に塗れたタイラーさんを見たからよくわかる。昔話をする時の表情の柔らかさが段違いだ。


「もし、人生での選択を一つだけ変えられるとしたら、変えたいところってありますか」

「……うん。僕の人生に後悔なんて一つもないよ」

「ハハ、分かりますか」

「そんな遠回しに聞かなくたっていいのに」

「次はそうします。でも、孤児だったのに後悔ない人生って言い切れるなんてすごいですね」

「大切な人に出逢えたからね」


 彼はそう言うと優しいまで僕を見て柔らかく微笑んだ。君はどうか。そう聞かれている気がした。


「僕は……よく分かりません」

「そうかい」


 彼はそれだけ言うと懐からペンダントを取り出して開けた。そこには、幸せそうに笑っているブルーさん達が写っていた。月光に照らされるそれを後押しそうに眺めながら、彼は話を続けた。


「もし僕が孤児になっていなかったら、みんなに出会えなかった。そう思うと、辛かったはずのあの場所での記憶が不思議といいものだって感じるようになるんだ」

「そんなに大事に思ってるんですね」

「あぁ。だって、僕はみんなのおかげで自分の理想を見つけることができたんだから」


 理想。その言葉にピクリと反応する。僕にはない、未だ形すら見えてこないそれを彼がどうやって見つけたのか、そして彼の理想は何なのか。それを知るために僕はここに来たんだ。反射的に僕はこう言った。


「あなたの理想は何なんですか」


 すると彼はペンダントをギュッと握り締め、夜空に浮かぶ月に目を向け、優しく寄り添うような声でこう言った。


「大切な人に幸せになってもらう。それが僕の理想だよ」


 その答えに唖然とした。あまりにも単純で、理想と言うにはあまりにも小さな願い。学園長に認められるほどの力を持ちながら、そんなものを理想としながら、彼は人生に後悔はないと言ってのけたのが信じられなかった。


「そんな事で……そんなので良いわけがない!」


 思わず声を荒げると、先程まで静かだった夜が、大岩が落ちた湖の水面のように乱れた。タイラーさんも、学園長も、力相応の大きな理想を持っていた。強大な力には相応の責任が伴うはずだ。なのにこの人は、その責任を全て放棄してこんな山奥でのうのうと生きている。力をどうするかで苦悩している僕にとって、それはどうしても許せなかった。


「いいわけない、か。……僕も昔はそう思っていたよ。こんな力を持って生まれたからには責任が伴う。学園長みたいになにか大きな事をしなければならないってね」

「ならなんで考えが変わったんですか」

「僕がアイリスに恋したからさ」

「は……?」


 何を言っているのか分からなかった。恋?恋をしたからなんだと言うんだ。そんな僕の困惑と苛つきを放って彼は話を続けた。


「僕はアイリスを愛している。そう気づいた瞬間、この世界のどんな事よりもアイリスが大切だと思うようになった。アイリスの幸せのためなら僕は国だって滅ぼせる。まぁ、アイリスがそんな事望むわけないんだけどね」

「だからって責任を放り出して良いわけがない」

「うん。責任を放り出すことは悪い事だ。でもね、僕はそもそも責任なんてないと思ってる」

「責任がない……?こんな力を持ってるのに?」

「あぁ。だって、僕の持つ力は僕が望んで手に入れたものじゃないけど、この理想は僕が望んだものだ。僕がどっちを優先すべきかは火を見るより明らかでしょ」


 僕を諭すようにゆったりとした声色で彼が告げる言葉は、僕の価値観を大きく揺さぶった。力に責任なんてない、本当に優先すべきは自分の望み。そして、その望みの大きさは力相応のものでなくてもよい。そんな言葉誰にも言われた事なかった。僕自身も考えた事なかった。そんな時、ザックに言われた言葉が脳裏によぎった。


『お前は神様じゃねぇ。人間なんだよ』

『だから、無理すんな』


 間違えちゃいけなかったんだ。僕は人間だ。


「ザックに言われたんです。無理するなって。結局、僕達はどんなに強大な力を持っていても人間なんですね。一人だと簡単に壊れてしまう。だから、一人で世界をどうこうなんてできない」

「そうだね。だから、君は無理せず、力なんかに囚われず自由に理想を探せばいい。人を形作るのは経験だ。いろんな場所に行って、いろんな人と交流して、いろんな経験を積むといい」


 ブルーさんの言葉で心に安らぎが訪れた。しかし、次の瞬間僕の心は空のドラム缶に石を放り込んだ時のような乾いた音がした。あぁそうだった。僕は空っぽな人間だった。形だけの平和主義、何をしたいのかも分からない人間。ブルーさんの言うような経験が足りないのかもしれない。だけど、形すら見えないままだと不安だった。だから、これだけ聞くことにした。


「僕は強くなるべきだと思いますか」


 勉強を始めて僕はさらに自分の才能への確信を深めた。高難度と書かれている魔法でも習得するのに数分かからないし、自分がより強くなるためのビジョンが明確に見える。強くなっているという確かな実感がある。でも、戦いが嫌なことには変わりなくて、自分の理想を見つけたブルーさんは学園史上最強の魔法使いと呼ばれるくらいの力を持っている。この乖離が僕の判断を鈍らせていた。


「なればいいよ」


 その返答はあまりにも呆気なくて、頭の中が一瞬真っ白になった。この質問はもっと重いものだと思っていた。しかし、ブルーさんはそんなこと微塵も思ってないようで世間話と遜色ない軽さで答えた。彼はポカンとしている僕を見て笑い、手の平を広げてそこから黒い魔力の塊を出した。


「残酷だけどさ、この世界は強くなきゃできないことの方がよっぽど多いんだよ。もし僕が弱かったらアイリスを守れる自信なんてないし、今のこの生活も僕が強くなかったら成立しない」

「でも、怖いんです。もし力があったら争いに呑まれてしまうんじゃないかって」

「それは力があるからじゃなくて、力の使い方を決めてないからじゃないのかい?」


 射抜くような視線を僕に向ける。彼のこの言葉にさっきのような軽さはなく、チクチクと胸が刺されるような感覚に陥る。ここが本題なんだと理解した。


「どういうことですか」

「力そのものに罪なんてない。その力が罪を背負うのは、君が力の使い方を誤った時だ。そして、君は力を得て何したいか分からないから、何が正しくて何が間違いなのかわからない。君が力を恐れるのはそのせいだよ」


 ズキズキと胸の痛みが深くなる。彼の言葉は僕が今まで抱いていた悩みを解消していくと同時に、隠していた傷を的確に抉ってくる。僕の弱さがだんだんと浮き彫りになっていく。


「全然ダメだな、僕」


 胸の奥に詰まっていた弱音を吐き出す。すると、ブルーさんはそっと僕の頭を撫でた。その手つきが心地よくて、心がふわりと軽くなる。


「いいんだよ。僕も君くらいの歳の頃はまだ自分の理想がわからなかった。分からないのが当たり前なんだよ。自分の理想も正しさも、長い人生の中で少しづつ形作っていくものだからさ。君はダメな人間なんかじゃない。むしろ、今から真剣に考えてる分優秀だよ」


 ブルーさんの優しさが心のスーッと染み渡る。僕の面倒な相談を真剣に聞いてくれて、僕の抱える悩みに的確な助言をしてくれて、僕の弱さを肯定してくれた。一瞬でもこんないい人の理想を否定してしまったことが申し訳ない。


「そういえば君には大切な人っているのかな」

「えっ」


 唐突にされたその質問に僕は戸惑った。質問の内容にではなく、その質問をされた瞬間に僕の脳裏に一人の人物が思い浮かんだことに戸惑った。


「……メアリ」


 確かにメアリは大切な友達だ。だけど、僕には他にも友達がいて、家族もいる。それなのに大切な人と聞かれて真っ先にメアリだけが思い浮かんだ。つまり、僕はメアリにだけ特別強い感情を抱いていて……えっと、それってつまり。


「へぇ、それが君の好きな子の名前なんだ」

「す、好きな人って!そんなのじゃ……」

「でも、顔赤いよ?」


 ブルーさんが僕の頬をツンとつつくと、異様に冷たく感じるその指先がめりこんできた。そして意味深に微笑むとこう言った。


「こんなに暗くてもわかるくらいね」


 そう言われて初めて自覚した。ブルーさんの指が冷たいんじゃなくて、僕の顔が熱いんだ。反射的に顔を隠そうと両手で覆うと、その熱が伝わってきて余計に冷静さを失う。そして、メアリの笑顔が頭に浮かんできて、ボンッと思考回路がショートしてしまった。


 どうやら僕も恋に落ちてしまったらしい。


 そう自覚して、改めてブルーさんに言われたことを思い返す。でも、ブルーさんみたいに好きな人のためならなんでもできるみたいな万能感はなかった。メアリのために人を殺せるかと聞かれたらきっと迷うし、メアリが僕の理想になってくれるかもよく分からない。今はただ、初めて感じたこの恋心を整理するのに精一杯だった。


 しばらくしてなんとか心を落ち着かせた。もう十分話せたし、なんか変な感じになっちゃったからそろそろ話を切り上げようとブルーさんの方を向いた。


「ここに来て、あなたと話せて本当に良かったです」

「うん。僕も君のことを知れてよかった」


 月光に照らされた屋根の上で僕らは笑い合った。


 僕の理想はまだ分からない。だけど、今日得られたものはたくさんあった。ブルーさんが教えてくれた理想のあり方は僕の選択肢を広げてくれたし、ブルーさんの人生はいろんな教訓を教えてくれた。そして、初めて抱いた恋心はなんで言えばいいは分からないけど、ともかく悪い気はしなかった。


 今までは影も掴めなかった自分という存在がどんどん形のあるものになっていくようで、それが僕の迷い込んだ森の出口への道標となってくれる気がした。


 僕はこれからいろんな経験をしていくだろう。そう思いながら見上げた星空は、今まで見たどんな景色よりもキラキラと輝いていた。

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