第35話 対峙
過去と向き合う。その決心は確かについた。
けれど、未だに行動を起こせずにいる。
いや、厳密には一度あいつの家を訪れたのだが――
「…………ふぅ」
「あのね、仙堂君。人の顔見ながらため息つくのはどうかと思う」
自然と出た生理現象に、正面から非難の声が飛んできた。
見ると、声の主はしかめっ面で腕組み。不機嫌さを、前面に押し出している。
「ああ、悪い。別に、おたくのせいじゃあ」
「そうじゃなくっても、気になるよ。――なんかあった?」
相手はちょっと身を乗り出して、顔を近づけてきた。
思わぬ至近距離に身を捩る。人の目が気になるのはわかるが、これでは逆効果じゃないだろうか。
さっと目を配ってみるが、見たところ誰もこちらを気にしていない。自意識過剰……最も、本当のところはただ気まずさから逃れたい一心だっただけだが。
食堂の、半端ない人の多さがよかったのかもしれない。それがこの、やたらと目立つ女を上手く隠している。という、無意味な仮説を立てておく。
「別に何も」
「ホントにー? 仙堂君、最近少し上の空気味だと思うけど」
「……マジでか」
思わず聞き返したが、不敵な笑みで躱されるだけ。
隣席のクラスメイトは、白飯をしたり顔で口へと運ぶ。ランチセットCはまだ4分の1ほど残っている。
すでに食べ終えたこちらとしては、完全に手持ち無沙汰。だからこそ、個人的な思考に走っていたわけだけども。
正直にその内容を打ち明けるか。実は、少しだけ悩む。我ながら、大した進歩だ。以前なら、一貫してはぐらかしていた。
心変わりの原因の一端は、すっかり周りに溶け込んだこの転校生にある。当人にその自覚は全くないだろうが。
その責任を取ってもらう……わけではないが、相談相手にはふさわしいかもしれない。
隠したい過去を共通しているわけだし。
「幼馴染と、ちゃんと話してみようかと思ってな」
食べ終わるタイミングを待って、静かに言葉を紡ぐ。
とりとめのない世間話をするように。いつもの、ぶっきらぼうな口調を心がけて。
だというのに、向こうはどこか驚いた様子だ。長いまつ毛がぱちくりと何度も上下を繰り返す。
「幼馴染って……藤――葵ちゃん?」
「なわけ。もしかして、わざと言ったか」
「ごめん、今のは完全に頭回ってなかった。だって、唐突過ぎて」
声のトーンがいきなり下がって、本心だと納得する。
ちょっとひねくれた難儀な正確なだけで、悪い奴じゃないのはもうわかっていた。
「姉の方な。その、元カノ」
「ああ、例の」
何が例、なのか。意味ありげな言い回しに、少しだけ眉間に皺が寄ってしまう。
楽しい食事の雰囲気が一転、気まずいものへと変わった。
それは俺たちのテーブルだけ。周りは依然として賑やかに騒いでいる。昼休み真っ盛りだと、如実に示すように。
続ける言葉が見当たらなくて黙り込む。
結局のところ、相談というほど大仰なことじゃない。ただ誰かに聞いてもらいたかった、吐き出したかっただけだ。
この独りよがりな決断を。
「それは確かに気が重いわ。実際、口にするのも相当嫌そうだし」
やがて、低いトーンのまま言葉が返ってきた。視線は下向き、机の端に向いているようだ。
「まあそうだな。できれば、思い出したくなかった。あの記憶は封印して、できることなら消し去りたかった」
「だったら、どうして? いまさら会って何か話すことがあるわけ」
「精算しておきたいんだ。いつまでも過去に囚われたままじゃだめだって。あの頃から少しも、俺は進歩してないって思った」
「それは……あたしには、なんとも言えないな」
付き合いが短いから、小さく笑うと転校生はコップの水をあおる。
か細い白い喉が微かに動くのを、俺はただじっと見つめていた。
たぶん誰が相手でも、停滞に気づくことはない。だって、周りの人を遠ざけて生きてきたんだから。あの日から、ついこの間まで。
「でもさ」
鋭い言い方に視線を戻すと、相手の表情はかなり険しいものになっていた。
「たぶん、アンタが期待するようなことは何もないと思うわよ。彼女が浮気したことには変わりないし、説教して性根を叩き直そうってわけでもないんだよね」
「それはそうだ。幼馴染だからってそこまでする義理はない。軽く昔の知り合いにに聞いたら、あんまりいい噂は聞かなかったけどな」
「人ってそう簡単に変われないものよ——仙堂はそうじゃないと思うけど」
「そうか」
「そうよ。きっと」
真面目腐った顔つきで答えは返ってきた。
そんな風にされると。どう反応していいかわからなかった。じっと見られるのもまた、少し気恥しい。
「さっきはああは言ったけど、向き合うことに意味はあるんだろうね。少なくとも、そうしたいって言うなら応援する……っていうのは、変か」
「いや、ありがとう。そう言ってもらえると少しは気が楽になった」
「そう? 大した事言えてないと思うけど。ま、結果ぐらいは教えなさいよ」
おどけるように肩を竦める姿は、どこか照れ隠しのように見えた。よく見れば、耳の端が少しだけ赤い。
それを追求する代わりに、ずっと封を開けないでいたゼリーを桐川の前へと置いた。
「やるよ」
「いいの? 遠慮なく貰うね!」
しばらくぶりに明るいトーンで言い放つと、人気者のクラスメイトは嬉しそうにゼリーを頬張るのだった。
◆
授業が終わって、若干の緊張と共に教室を飛び出した。
昼休み、あいつと話して改めて決意が固まった。
今日こそは全てに決着をつける。
このまま先延ばしにし続けてもいいことはない。
――そんなに張り切っているつもりはなかった。
でも、スマホを確認するぐらいの余裕は持つべきだった。
というのは、後の祭り。全てが終わったがゆえの感想。
下校時間特有の疎らな生徒の波。俺もまた、その一部になってとぼとぼと歩く。
その先の方、校門に身体を預けるようにして奴は立っていた。
目についたのは、明らかに周りと制服が違うから。実際、通りがかる狛籐生の中には、不思議そうに振り返る人もいた。
思わず足を止める。途端に、心臓の鼓動が速くなっていく。
好都合と開き直れるほど、頭は現状に追いついていない。
やがて、向こうの方もこちらに気づいたようだ。
「……どうしてお前がここに」
我ながら、ひどく陳腐な言い回しだと思う。
同じセリフを、ひと月もしないうちに言ったばかりじゃないか。
「あお――妹に忘れ物を届けに来たんだ。よかったら、凱にも会えないかなって」
どこかうれしそうに語る姿を見て思う。
あの頃から変わっていないのは俺だけじゃない。
だからこそ、ここで終わりにするべきなんだ――
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