第26話 独白

「親が離婚したのは、2歳のころだった。だから、正直そのときのことはよく覚えてない。あたしはママに引き取られて、そこからずーっと2人暮らし。パパ――父は写真の中だけの存在で、それも目にしたのは数回きり」


 桐川が静かに語りだす。

 いつの間にか、膝を抱える形でソファに座り直している。そこに、少しだけ顔を埋めていた。


「ママは父親がいない理由を教えてくれなかった。こっちからも訊けることじゃなくて、気にしないようにしてた。まあでも、周りと違うっていうのはそれだけでストレスで、寂しかったし悲しかったし、腹も立ったりした」


 全部昔のことだけど、とアイドル的クラスメイトは小さく笑う。

 人がこんなにも悲しそうに笑えることを、初めて知った。しかもそれを、この女子から教わるなんて。


「本当のことを知ったのは、小学校3年生のとき。あの日、夜遅く帰ってきたママはとても酔っていて、色々と介抱してたんだけど、そのときにぽろっと。ホント、あっけなかったなぁ」


 やはり、桐川の口調は平然としたままだ。ニュースを読むアナウンサーのように、冷然と事実だけを告げてくる。能面のように無表情で。


 ここに至るまで、凄まじい葛藤があったはずだ。真実を知ったとき、それは強烈な衝撃だったはずだ。

 けれど、目の前にいるこいつはそれを全く感じさせない。隠しているのではなく、もう完全に割り切っているのだろう。

 その強さにただ敬服する。同時に、少しだけ憧れてしまう。


「酔っぱらいの戯言かとも思ったけど、しっくり来た。ママ、男遊びが激しかったから。よく家に知らない人もいたし。それで、家にいるのがすっごい嫌だった。なるべく遅くまで出歩いたり、友達の家に居座ったりして、自分でもとんでもない子だったと思う」


 ふと頬を緩めたその横顔には、少しだけ気恥ずかしさが見て取れた。


 改めて、自分の幼少期は本当に平凡でありふれていると感じた。

 だからこそ、口を挟めないでいる。俺のできるどんな相槌も空虚に響くだけだと、そんな予感が常にある。


「アイドルをすることにしたのもそれが理由。中学になって、地元の企画に応募した。そうすれば、家にいる時間は減るかなって。そんな不純な動機だったけど、とっても楽しかったなぁ。こんなあたしでも、誰かを元気づけられる。笑顔になってもらえるって知って」


 少しずつ、言葉から相手の感情がこぼれ出していた。綻んだ表情からも、よく喜びが伝わってくる。


 桐川ひめののすごさはここにある、と少なくとも俺はそう思う。

 複雑な家庭環境の中、前向きにひたむきに頑張ってきたんだろう。しかもそれを周りに悟られないようにして、明るく振舞ってきた。


 理解も共感も称賛も、形にできない、してはいけない。これだけの話でわかったような気になるなんて、それはとんだ思い上がりだ。

 その言葉を吐くべき人間は、少なくとも俺じゃない。もっとふさわしい人物がどこかにいる。


 何も言えずにいると、桐川の表情が変わった。

 遠い目をして、口元を歪めて、どこまでも悲しそうだった。


「でも、全部終わっちゃった。突然、ママがいなくなってね。代わりに、父親だと名乗る人が現れた――っていうと、大げさだな。あの人は間違いなく、生物学上は父親だから。それでこうして、この街に引っ越してきた、というわけ。のお力をお借りして」


 ご清聴ありがとうございました、おどけるように言って元アイドルは頭を下げた。


 当たり前だが、これが全部ではないんだろう。些細なところは端折って、肝心なところだけの概略。

 それでも、前よりはこの転校生の素性を知ることができた。

 なぜ自分が、という戸惑いはある。けれど、胸の中にある感情はそれだけじゃない。ふわふわとした、得体の知れない欠片が浮かんでいた。


「長々とごめん。重たい女だ、あたし」


「いや、そんなこと思わねえけど。……なあ、なんで話してくれたんだ」


「迷惑だった」


「それはその、そんなことはないが」


「なーんか、言いたくなっちゃたんだよね。浮気女に振り回された同士、シンパシーを感じたのかも」


 腕組みをしながら、桐川は冗談めかした口調で言葉を返してきた。その視線は斜め上を向いている。


 なんだそれ……途端緊張が緩んで、少しだけ身じろぎをした。


「ちなみにね、ハジメテだったんだ。誰かに身の上話なんてするの。――セキニン取ってくれる?」


 学校にいるときに輪をかけて、甘ったるい声と大仰な仕草。キラキラしたオーラは果たしてどこからやってきたのか。


 あまりにわざとらしいその姿に、ただただ呆れてしまう。

 さっきまでの温度差が激しすぎて、正直テンションが追い付かない。


「はあ。そうっすか」


「あれ、効果なし。残念」


 ムスッとした表情で、元アイドルは頬を膨らませた。


 学校の人間にはそれはとても効果的だろう。一般的に見れば、心くすぐられる言動ではあった。

 ただまあ、こちとらローテンションなこいつを知っているわけで。曰く、そっちの方が本当の姿らしいし。

 今更、少しもどぎまぎできない。


「そうだ、コーヒーのおかわりは?」


 今度はすっかり落ち着いた声色に戻っていた。こっちの方がよほどしっくりくる。


「いいよ。話も終わったし、そろそろ帰る」


「なにか用事でもあるの?」


「特には」


「だったら、まだいいでしょ。もう少し付き合って」


 返事を待つことなく、家主はカップを持って立ち上がった。そしてそのままキッチンへと向かう。


 どうやら強制らしい。まあ別にいいか。わざわざ断るようなことでもない。

 それに、口直しではないが、もう少し話したい気持ちはあった。このまま帰るのは、さすがに重苦しいというか。


「実はさ、このあと食事の約束があるの。父親とのね。いい人なんだけど、正直、まだどう接したらいいかわからない、というか、気分が重たくってさ。それで、学校も休んじゃった」


「それが、体育の授業ってわけか」


「あ、覚えてたんだ。割とテキトーだったんだけど」


 その気持ちはわからなくもない。

 再会したのは、最近のことなんだろう。十数年ぶりということもあれば、なかなかに過ごすのは難しい。


 父親視点からすれば、そんな風に思われているのは少し可哀そうではあるが。


「そうだ。よかったら、仙堂も一緒に来る?」


「何言ってんだよ。親子水入らずってやつじゃないか。俺は邪魔だろ」


「そうだねぇ。連れてったら、アンタぶっ飛ばされそうだもん、パパに」


「笑えねえ冗談だな、それ」


 げんなりした顔で頭を振ると、家主がちょうど笑顔で戻ってきた。

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