第23話 拙い攻防

 考えれば考えるほどに、奇怪な状況だ。

 

 ソファには同じ制服姿が2つ、やや距離を置いて並んでいる。

 転校してきたばかりのクラスメイトと、交流を再開したばかりのお隣りさん。片やニコニコ、片や小難しい顔。

 とても、うちのリビングにはふさわしくない光景だ。


 果たしてこれは今、何の時間なんだろう。沈黙が続くにつれて、どんどん空気が重苦しくなっていく。


「仙堂君。リンゴ、食べないの」


「ああ、そうだな。いただきます」


 クラスメイトが持ち上げてくれた皿に手を伸ばす。

 手近なところで、爪楊枝で串刺しにされたものを選んで口に運んだ。

 シャクシャクという小気味いい食感があって、ほのかな酸味と甘み口いっぱいに広がっていく。うん、皮までおいしい。


「よかったら、藤代さんもどうぞ」


「あ、ありがとうございます。――これ、桐川先輩が持ってきたんですか」


「うん。そうだよ。皮を剥いたのもあたし。かわいいでしょ、ウサギさん」


「……これくらい、わたしにだって」


 葵ちゃんが小さく拳を握るのが見えた。

 この場にもう一つリンゴがなくてよかったと思う俺だった。


「ん? どうかした」


「いえ、なんでもないです。器用ですね、桐川先輩は」


「もう、そんなことないよ~。なんか、先輩って呼ばれるのはくすぐったいなぁ。あんまり呼ばれたことなくってさ」


「そうなんですか」


 声のトーンを上がり、葵ちゃんの口元も少し緩む。

 ちょっとは緊張も解けたのかもしれない。玄関からずっと、いつもと様子が違う。

 原因についてはわかっているが。このリビングにいる最大の違和感。


 無事にリンゴを配り終えた桐川は、ちらりとこちらに視線を送ってきた。

 見間違いとか思って無反応でいたところ、向こうの方から近づいてくる。そして、耳元に顔を寄せてきた。


「――ね、この子がこの間の話し相手だよね」


「今まで知らなかったのか?」


「後ろ姿しか見えなかったから。声聞いて、ようやくわかった」


「耳、いいのな」


「褒めてくれてありがとう」


 至極まじめな顔をして、元アイドルはそう嘯いた。

 とりあえず、この至近距離はやめて欲しい。さっきから、耳がくすぐったくって仕方がない。


 さすがに耐えかねて、俺の方から距離をとる。すると、うまいこと葵ちゃんと目が合ってしまった。

 むすっとして、明らかな不満顔。珍しいと思うが、昔どこかで似たような表情を見た覚えが……。


「おにいちゃん。わたし、お邪魔みたいだから帰るね」


 抑揚のない、棒読み気味な口調。それでいて、ひしひしと怒りのような感情が伝わってくる。少なくとも、目元まではコントロールが効いていない。


 あらら、と小さく言って元凶がソファへと戻っていく。

 涼しい表情だが、愉しさを抑えきれていない。 

 こいつ、他人事だと思って……。弾む黒髪が、これ以上ないくらい憎らしい。まさか、わざとじゃないだろうな。


「待て待て、そんなんじゃないから。余計な気は遣わなくていい。というか、今はここに居てくれ」


「……ホント?」


「本当だ。俺が葵ちゃんに嘘つくわけないだろ」


 強い想いを込めて、今や一人となった幼馴染の瞳を見つめる。

 あいつとは微妙に色が違う。と、妙な感想を抱いてしまう。


 実際のところ、全く似てない姉妹ではない。こうしていれば、嫌でも思い出してしまう。

 ――なんて、昔は思ってた。だから、この子のことも避けていた。

 それが愚かだったなんて、今日の昼間に気づくとは我ながら遅すぎる。


「……おにいちゃん。うん、わかった。ええと、なにかごめんなさい、桐川先輩」


「なにが? こっちこそ、藤代さんのを借りちゃってごめんね。でも、ちゃんと返すから」


「人を物扱いするなよ……」


 悲痛な訴えは、女子たちの笑い声によってかき消されてしまった。

 まあ、葵ちゃんが楽しそうにしてくれているのは嬉しい。その笑みはどこか照れ臭そうだが。

 元アイドル様のお力も少しはあるんだろう……たぶん。ごくわずかに。いまいち、その顔を見てもピンと来ない。


「それにしても。こんなことなら、何かお菓子を買って来ればよかったなー。飲み物はあるけど、これじゃあねぇ」


 くるりと、お客様はまだ封の開けてないスポドリのペットボトルを回す。500mlサイズなので、量的にも問題はありそうだ。


「……わかったよ、何か調達してくっから」


「あ、いいの、いいの。今のはそういう意味じゃなくって。でも、あたしはともかく、藤代さんにお茶くらい出してもいいとは思うけど」


「うっかりしてた。待ってろ、すぐにコーヒー……はダメだったな。まあなんかテキトーに――」


「いいから、いいから、おにいちゃん! むしろ、わたしが何か用意するから」


 俺が立ち上がると、なぜか葵ちゃんも続いた。


「いやいや、それは違うだろ。葵ちゃんは大切なお客さんなんだから」


「でも、いまさら改まるのも変だよ。わたし、何度もおにいちゃんち遊びに来たけど、そういうことされた覚えないなぁ」


「……そうだったっけ。確かに、俺が自分からはないかも」


「そうだよ! ほら、いいから。病人は座っててください」


 俺はあと何回、同じようなセリフを聞けばいいんだろう。そろそろ耳タコだ。

 もちろん、言い分はもっとも。ただ、そこまでの重病人というわけじゃない。そもそも、もうあらかた治っている。

 だからこうして起き上がって、2人の応対をしているわけで。


 しょうもない言い争いをしていると、不意に暖かい笑い声が聞こえてきた。


「ふふっ、2人ともとっても仲がいいんだ。妬けちゃうな―」


「き、桐川先輩、からかわないでください! わたし、とりあえずお茶淹れてくるから!」


 やけくそ気味に言い放って、幼馴染はキッチンへと向かう。

 どこか手慣れた様子だが、そこまでよく見た光景ではない。それこそ、最後にこの家で遊んだのは、なにせ小学生のときなのだ。


 気になってその姿を目で追っていると、不意にクラスメイトと視線が交錯する。

 なんともまあ、意味ありげな表情をしやがって。何かを言いたい気持ちがありありと伝わってくる。


「……なんだよ」


「べっつにー」


 くすくすと、どこかからかうように笑う。

 声のトーンはだいぶ下がっていた。


「ただ、アンタもそんな顔するんだなーって」


 どういう意味だ、それは心の中だけに留めておいた。


 だから躊躇したんだ。幼馴染を上げるのを。

 こいつの前で、余計な姿を見せたくなかったから。



    ◆



 テーブルの上には、カップと湯飲みが一つずつ。半分ほど空いた例のペットボトル。チョコレート菓子のゴミがいくつか。


「さってと、あたしはそろそろ帰ろうかな」


「……もうこんな時間か。遅くなると大変だもんな」


 なんだかんだで、もう18時を回っている。色々と話し込んだから当たり前か。

 もっとも、専ら俺は聞き役。女子2人が主役で、それも元アイドルの方が主導権を握っていた。


「先輩の家、高校の近くなんですよね。本当にありがとうございます。おにいちゃんのためにわざわざ」


「もうっ、藤代さんが言うことじゃないよー。それに、好きでやってることだから」


「……へ、好きって!?」


「そ、そういう意味じゃないよ! 人助け、とかとにかくそういうアレで……」


「そ、そうですよね……わたし、ちょっと過敏になりすぎだ……」


 穏やかではない言葉の応酬に、とても肩身が狭い。ここまで何度、理由をつけて部屋に戻ろうとしたことか。


 とにかく、お客様のお帰りとあってはやるべきことは一つ。

 蚊帳の外な気分のまま、俺はゆっくりと立ち上がった。


「桐川……さん、送ってく」


「……あのね、仙堂君。キミは今日なんで学校を休んだのかな」


 クラスメイトが微妙な顔をこちらに向けてきた。

 非難するような口調の中に、どこか呆れが混じっている。


「でも、もう体調は――」


「それは顔色見てたらわかるよ。すっかり元気になったみたいでよかった。明日はちゃんと学校来なね」


「……そうだな」


 そう言われては返す言葉はない。

 これでもしこいつを見送りに行って、明日もダウンすれば――結果は火を見るよりも明らか。

 可能性は限りなく低いと思っているが、ゼロではない。


 大人しく引き下がることにして、俺は再び座り込んだ。

 正直な話、心配なことには変わらない。桐川ひめのが立派な迷子スキルを持っていることを、俺はよくわかっている。

 今日だって、ここまで自力で辿り着いたのは素直にすごいと思う。


「お兄ちゃん。じゃあ、わたしが代わりに行くよ。桐川先輩、いいですか」


 少し間があって、葵ちゃんが立ち上がった。

 くるりと身体の向きを反転させて、スカートが一瞬膨れ上がる。


「もっちろん。助かるよ~」


「待ってくれ、葵ちゃん。それはさすがに――」


「いいの。もし悪いと思ってるなら、ちゃんと身体を治すこと! わかった?」


「……ああ」


「ふふっ、仙堂君もカタナシだねー」


 せせら笑うクラスメイトに、何かを言おうとして結局やめた。

 何を言っても分が悪い。女性陣が手ごわいのを、よく理解した。


 ――こうして、気重な半日が終わってゆくのだった。

 なんで自分がこんなことに、という困惑を未だ腹の奥底に抱えたまま。

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