第21話 テンプレ

 リビングには、気まずい空気が流れている。

 いや、俺が勝手に感じているだけかもしれない。というか、今日はなぜこんなにも我が家で疎外感を覚えないといけないんだろう。


 お客人には、一応ソファに座ってもらった。 何か飲み物を出そうとしたが、それは固辞された。


 隣りに座るのは憚られて、俺は床にクッションを敷いて右斜めに陣取った。


 そっと相手のことを観察する。

 背筋を伸ばして、澄ました表情。綺麗に足までそろえた姿は、まるでそういうモデルのようだ。


 果たして、何の用事で来たんだろうか。

 いや、そもそもどうして俺の家を知っている。

 そのあたりのことは有耶無耶にしたまま、とりあえず家の中に上げてしまった。やはり今日は、ろくに頭が回っていない。


「ご家族は?」


「俺以外誰もいない」


「……起きてて、もう平気なんだ」


「まあ今まで散々寝てたからな。だいぶ、調子は戻った」


「そうなんだ。ならよかった」


 と言う割には、相手の表情はピクリとも動かない。どうやら、俺の前では完全にクール路線に舵を切ったらしい。あるいは、これがこいつの言うところのか。


 まあなんでもいいんだが。なんにせよ、こいつが桐川なことには変わりない。

 こちらとしては、普段通りに接するだけだ。


 出方を窺っていると、奴はゴソゴソと鞄を探り始めた。

 少し経って取り出してきたのは、大きめの封筒。下の方に、俺たちの高校の名前がプリントされてある。


「ん」


「なんだ、これ」


「今日配られたプリント。3者面談の日程調査も入ってるから、谷本たにもと先生急ぎで渡したかったんだって」


「わざわざ届けに来てくれたのか。ありがとう」


「どういたしまして」


 そっけなく言って、同級生は小さく首を縦に振る。


 これで、さっきの疑問が同時に解けたことになる。

 にしても、転校生に頼むことか、普通。担任の食えない顔を思い出して、そっとため息をついた。


「違う。あたしが立候補したの。帰りのホームルームのときに訊かれて、ね」


 当然の感想を口にすると、桐川はゆっくりとわざとらしく頭を振った。

 口元を微かに捻じ曲げながら、ちょっと座る位置をずらす。


「仙堂って、友達いないんだね。谷本先生、困ってた」


「……そういうことか」


 苦々しくて、さすがに顔が歪んでしまう。

 紛れもない事実だが、はっきり突き付けられるとなんとも言えない気分になる。

 しかし、こんなことで迷惑をかけてしまうとは。改めて、桐川には申し訳なく思う。それと、あの怠慢気味な担任にも。


「まあ、もっとも、あたしにも原因がないわけじゃないし」


「だから、それは――」


「昨日の夜、月が綺麗でしたね」


 空々しい声と文句のつけようのない綺麗な笑み。おまけに、少し首まで傾げて。ぱっと見はどこぞの令嬢。とても品がある。


 わざとらしさの極みだ。仮面の奥からは、ひしひしと嫌味が伝わってくる。もちろん、そういう目でみれば、ということだが。


 実際に月が出ていたかどうかは知らない。でも雨が止んでいたっぽいのは事実だ。

 部屋にいて宿題をしているとき、雨音は少しも聞こえなかった。直接確認したわけじゃないから、もしかしたら小雨かもしれないけど。


 でも、こいつがこう言うってことはそうなんだろう。住む地域は少し離れてはいるが、同じ市内だからそこまで大きくは変わらない。


 つまりは、自分の言う通りにしておけばよかったのに、ということだろう。確かにずぶ濡れにはならなかったし、風邪もひかなかった可能性は十分ある。

 でも、さすがにそれはハードルがずば抜けて高い。夜といっても、具体的には雨が上がったのは9時ごろだ。さすがに長居が過ぎる。


 もっとも、いくらでも反論のしようはある。つまるところは、結果論なのだ。いくら言っても仕方ない。


 だが、そんな気持ちは少しも湧かなかった。

 さっきからちょっと別なことが引っかかっている。


 あんまりにも、な言い回しだろう。

 つい、巷に流布する噂話を思い出してしまった。明治期のある文豪が言ったとされる例のアレ。文学的かつロマンチックな愛の告げ方。

 もっとも、それはデマらしいが。まあ、偉人の逸話なんて、概してそんなもんだとは思う。


 言った当人に、先ほどから変化はない。

 平然として、どこまでもを維持したまま。溢れんばかりの余裕を感じさせる。


 これが演技なら本当に大したものだ。いますぐ女優業でも始めた方がいい。

 まあ、本当のところは、気づいていないだけとは思うが。あの話は、さすがに一般常識とは程遠い。


「どうしたの?」


「いや、別に。わざとじゃないみたいだから、いいや」


「なにそれ。教えて」


「だから、何でもねえよ」


 こちらの言い方があまりよくなかったらしい。

 桐川はすっかり興味津々だ。軽く身を乗り出して、さっきまでの淑やかさは完全にぶん投げている。目の煌めき具合が実に眩しい。


 やっぱり、無意識だったか。これは面倒くさい。まさに泥沼……いや、すでにつま先は浸かっている。


 とりあえず、ここは強引にでも――


「それより、用事は済んだだろ。風邪が移ったら悪いし、もう帰った方がいい。わざわざ遠いところ、本当にありがとう」


「うわー、あからさまー。平気よ。もしあたしがダウンしたら、仙堂に看病してもらうから」


「拒否権はなさそうだな……まあ、明日にでも風邪ひかれたらそれは俺のせいか」


「そうそう。そのときは敷嶋先輩でも連れてきたら? あたしの家だと、2人きりは気まずいだろうから」


 さっきからずいぶんと愉しげだな、この女……。いつの間にか組んだ足が、リズミカルに揺れている。


 やっぱり昨日は話し過ぎた。改めて反省する。我ながら、どうかしていたと思う。

 同時に、このシチュエーションの異質さを再認識させられる。反射的に家の中に上げたが、よく考えるべきだったかもしれない。2人きりになるなんて、全く頭にはなかった。


 言葉が上手く浮かばない。仕方なく黙り込みを決めて、ふと視線をテーブルの上へと移す。


「……もしかして、今まで本当に意識してなかったんだ」


「まあそれは、突然のことで頭がいっぱいだったというか」


「べ、別にいいんだけどね。あたしも緊張してたわけでもないし」


 そこでなぜお前が慌てだす……来た当初なかなかぎこちなく見えた理由が、ようやくわかった。そんなことで、と思うが、アイドルとして経験してきた場とはちょっと違うのだろう。


 落ち着きがない様子のまま、桐川はまたしても鞄に手を突っ込みだした。

 遅れて、がさがさとビニールが擦れるような音がする。


「そうだ、これ。忘れるところだった」


「これは?」


「お見舞いの品……ってやつ。スポドリとゼリー飲料とプリンとリンゴ」


 通販番組のように、桐川はテーブルに買ってきたものを展開し始める。

 俺はそれを申し訳ない気持ちで眺めていた。


「わざわざよかったのに。いくらだった?」


「言ったでしょ。お見舞いだって。でも、ちょっと買ってき過ぎたね。そもそも、アンタは一人暮らしじゃないんだから、そんな困らないか」


「いや、普通に助かるよ。ちょうど腹減ってたしな」


「そう? じゃあ、リンゴ剥いたげる。キッチン借りる、あと皿も」


「自分でやるってそれくらい」


「いいから、いいから。病人は座ってなさい」


 軽い調子で林檎を掴むと、訪問客はキッチンへと向かう。

 何が楽しいのか、包丁を使う音に混じって、鼻歌が聞こえてくる。たぶん自然と出てしまってるんだろう。


 耳を澄ましてみるが、全く知らない曲だった。もしかしたら、あいつの持ち歌なのかもしれない。

 ご当地とはいえ、アイドルだったんだ。1曲や2曲、歌も出しているだろう。そのあたりの事情、よく知らないが。


 しかし、手持ち無沙汰だな。どうして、こんなことになっているんだ。初めて高校の知り合いが家に来たかと思えば、それは転校生で、今は果物の皮を剝いている。

 全く意味が分からない。


 一度、上に戻って財布を――昨日のことを思うと、奴は代金を決して受け取らないだろう。……またしても、借りが増えてしまった。どうすっかな、これ。

 何とも言えないモヤモヤが腹の底に溜っていく。我が家だというのに、気持ちが少しも落ち着かない。


 ピンポーン。

 ほぼ同じタイミングで、キッチンの方から音が消えた。


 こんな日に限って、来客が多い。

 だが、今回は渡りに船。これ幸いと、俺は受話器の方へと急ぐ。もちろん、さっきの反省を生かして。


 ――画面にいたのは、狛籐の制服を着た小柄な少女。特徴的なポニーテールが、風に少しなびいている。


 身体は自分のもののはずなのに、俺は全く動けないでいた。

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