第18話 交差
「どうって、言われてもな」
ふーっと、長く息を吐く。
空っぽだとは気づいていながら、コーヒーカップに手を伸ばす。手慰みに、両手で弄る。
はっきりいって、質問の意図がわからない。理由も目的も。考えを進めていくと、どうにもくだらない結論に行き着いてしまう。
そもそも、どうしてこんな話になったのか。思い返しても、本当に不思議だ。
若干の居心地の悪ささえ覚えているこちらに対して、相手の方は相変わらず落ち着き払っている。まさに大胆不敵。アイドルの片鱗がこんなところにも。
「やっぱり答えにくい質問?」
「そりゃそうだろ。正面切って、自分のことどう思うか、なんてあまりにも直球過ぎる。さすがに、言葉を選ぶ」
「そんなに悩まられるとちょっと意外。てっきり、嫌われてると思ったから」
「……はぁ」
どうして、そんな風に思ったんだろう。
俺の方に自覚は全くない。他のクラスメイトと同じように、ニュートラルに最低限で接してきたつもりだったが。
「だってそうでしょ。あなたの目から見たら、あたしはいつもへらへらとして周りに媚を売っているような人間。正直、見苦しいじゃない」
自虐的な笑みを浮かべながら、元アイドルは淡々とした口調で語る。
まさに、目から鱗だった。さらに、開いた口が塞がらない。
何を検討外れのことを言ってるんだか、この女は。あまりにも突拍子がなさすぎて、ただひたすらに困惑する。つい顔に余計な力が入ってしまう。
ご期待に沿えなくて悪いが、俺もそこまで拗れてはいない。まったく、変な幻像を押し付けないで欲しい。
普段の桐川について、特に思うところはない。それでも、絞り出すとしたら、感心はしている。あれだけ上手に人付き合いできるのを。真似をする……いや、我が身を振り返るまではいかないが。
「いや、全然。勝手に人の気持ちを決めつけないでくれるか?」
「……え、ええっ! じゃあ、あたし今とんでもなく失礼なことを」
ガタン、と小さくテーブルが揺れた。食器類が甲高い音を立てる。
驚いた桐川が、軽くぶつかったせいだ。凄まじい慌てっぷり。瞼が何度も上下して、頬には少し赤みが差している。
さっきからなにしてるんだ、こいつは。勝手なことを言い出したかと思えば、これまた勝手に自爆。騒々しい奴だ。
「俺は特に気にしてないからな」
「そ、そうかもだけど、あたしは気にするというか……」
「まあ、水でも飲んでリラックスしろって」
こくりと、ぎこちなく頷いて、早とちりな同級生はコップの方を掴んだ。
ふっくらした唇がその縁について、か細く白い喉が小さく動く。ゆっくりと、呼吸も整っていくのもわかった。
「落ち着いたか?」
「まあ、少しは」
「で、どうしてあんな勘違いを? 俺に悪いところがあったら謝るが」
「…………全部あたしの勝手な思い込みでした。ごめんなさい」
ペコリと頭を下げるが、戻したときにはどこかはっとした表情だった。気まずいらしく、こちらに目を合わそうとはしない。
なんか余計なことに気を回していそうな……。本当に調子が狂う。
「いいよ、別に。もうわかったから」
「はい。――あたしはね、昔から周りの顔色を窺って、少しでも受け入れてもらえるように振舞ってきた。ホントのあたしは、自信がなくて、誇れるものもなくて、引っ込み思案で、テンションも低い。だからこそ大げさに自分を表現してきた。アイドル活動なんか、まさにそう」
堰を切ったように、桐川が語りだす。
目を伏せて、よどみない口調で、小さな声で、どこかやさぐれ気味に。
「仙堂とは逆。アンタはいつも自分らしさを失わず、周りの評価なんて少しも気にしないように見えた。だからかな、あたしが勝手に引け目を感じた。自分は何やってるんだろうって」
「……そんなの当たり前のことじゃないか。周りと付き合うのに、素の自分を隠すなんてみんなやってるさ」
「それはそうかもだけど」
「というか、単純に俺はすごいと思う。だって、アイドルにまでなったんだろ? 普通はそこまで突き詰められないって。そこまでいったら、それもまた桐川ひめのってことでいいんじゃないのか」
さっきこいつが言ったことは、間違っている。
俺は自分らしく振舞ってなんていない。むしろ、殻に閉じこもっているのだ。むき出しの自分を見せるのが嫌で、ただ周りを遠ざけているだけ。
その点でいえば、俺も桐川も同じだ。本当の自分、とかいうわけのわからないものに蓋をしている。
同族嫌悪ならまだしも、引け目を感じることなんてない。原点は同じでも、あいつの方がよほど前向きな答えを出しているわけだから。
得体の知れない衝動の正体に、ようやく行き着いた気がした。
「それに、目の前の姿が素でも問題ないって。お前が言うような悪いところはないし。どっちの姿でも、うまくやれるさ――なんて、俺が言えた義理じゃないが」
「…………仙堂、意外とあたしのこと見てたんだ。もしかしてさ、あたしのこと、気になってる?」
「寝言は寝て言え。今すぐ帰るぞ」
さっきまでの、真剣な雰囲気はどこに行ったのか。表情と言い方が、あまりにも煽り性能が高すぎる。
「ごめんって。きっと、あたしのことなんて少しも興味ないでしょ、仙堂は。だからこうして、気負わずに話すことにしたんだし。アンタの前だと、結構しんどいんだ、あれ」
悪戯っぽく言うその表情は、どこかすっきりしているように見えた。
◆
会計を済ませて、ファミレスを出た。もちろん、相手の世話にならずに……とはいかず。あいつ、ちょっと頑固過ぎる。
なんだかんだ、滞在時間は2時間近く。
お互い、ずいぶんと好き勝手に深い話をし過ぎた。そのせいで、後半はほとんど思い思いのことをやっていたが。俺は読書で、あいつはスマホ弄り。
「雨、全然弱くなってない」
「そうだな。まあ100パー当たる予報なんてないってことだ」
むしろ強くなっているようにさえ見えた。自転車を使うかは、結構ギリギリのラインだ。
結果論だが、まっすぐ帰るのが成功だったように思える。その場合は、得られるものはなかったわけだが。
「で、どうする?」
「普通に帰る。これ以上は待ってられない」
「ええと……自転車で?」
「もちろん」
「……バカだ」
何か聞こえた気はする。ま、気のせいだろう。
一応、隣りの同級生は睨みつけてはおくが。
もちろん、置いて帰る手はある。このまま駅まで歩いていけばいい。そもそも、相棒は未だ学校の駐輪場で俺を待っていた。
けれど、そうすると明日が面倒だ。
結局、今苦労するか、先延ばしにするか、その違いでしかない。
「やめときなって。風邪ひくよ」
「平気だ、一応カッパは持ってる」
「久々に聞いた、その単語」
桐川は渋い表情のまま、首を横に振った。心底呆れているらしい。
言ってはみたものの、焼け石に水だろう。帰るころには全身ずぶ濡れ。夏服じゃなかったら、さすがに諦める。
「あのさ、雨雲レーダーを見たんだけど、夜には止むみたいよ。――やっぱり、ウチ寄ってかない? なんだったら、晩ご飯も。そもそも、あたしが変なこと言って引き止めなきゃ、ここまでにはなんなかったんだし」
「お前と話していくって、決めたのは俺だ。第一、家の人に悪いだろ」
「それは大丈夫。一人暮らしなんだ、あたし」
「だったらなおさら却下。人んちで2人きりなんて、気が重たすぎる」
「……あ」
桐川は一瞬奇妙な表情をした。そう思えば、申し訳なさそうに視線を外す。いったい、今日何度目のことだろう。
辟易したころなので、すかさず俺は言葉を続けた。
「とにかく、気持ちだけは受け取っておく。ありがとうな、ここまで付き合ってくれたのも」
「……いいって、それは。お互いさま」
向こうが小さく笑うのを確認してから、俺は先に軒先を出た。
ちらりと、視線だけを後ろに向ける。
「じゃ、また明日な」
「はい。また明日」
「迷子になるなよ」
「……余計なお世話」
不機嫌そうな声を背に、雨の中を歩き出す。
――忌々しかったはずなのに、足取りは少しも重たくない。
あとは帰るだけだからか。無理やりに、その気持ちに結論を下した。
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