第8話 放課後(偽)
「あのね、仙堂君。申し訳ないんだけど、ノートとかって貸してもらえないかな」
荷物をまとめていると、桐川が声をかけてきた。
「とかって?」
「ええとね、ワークとかそういうの」
未だに抽象的な気はするが、確かにそれ以外に表現のしようがないな。
とりあえず、作業の手を止める。ただ、頼みごとを引き受けるかどうかは微妙だ。
「ほかの奴に借りたらどうだ。別に頼みづらいわけじゃないだろ」
「うん、それはそうなんだけど……でも、仙堂君のがいいの」
怪しい言葉に、つい眉根を寄せる。
そこまで言われる心当たりがまるでない。
こちとら、ずっと相手から逃げ回っていた自覚だってあるぐらいだ。信頼度ランキングなるものがあれば。かなり下の方に位置するだろう。
「やめといた方がいいぞ。こんなこと言うもんじゃないが、かなり字が汚い自信がある」
「そうなの? けど、だいじょーぶ。あたし、手書きの文字を読み解くのは得意だから……っていうのは、ちょっと失礼かな」
「そんなことはないと思うが。でも、限度ってもんはあるだろ」
「ないよー」
屈託のない笑みで断言されてしまった。
そうなると、これ以上続けるのは難しくなる。しかし、本当に自信があるんだな。人の文字を読み取る仕事……パッとは思いつかなかった。
「どうしても嫌だったら、他を当たるけど」
「……ちゃんとした理由を教えて欲しい」
「えっとね、みんなから聞いたんだ。仙堂君が一番頭がいいって」
「ほう」
思わず腕を組んだ。
面と向かって言われると、さすがに照れ臭い。全く誰がそんな余計なことを吹き込んだのか……。
しかし、ノートなんて基本誰のでも同じだろうに。板書をまとめて、教師の気になった発言をメモ取る。そのどこにオリジナリティがあるのか。
「そういうことならいいけど、別に普通のノートだと思うぞ」
「うん、それでもへーき」
「……はぁ。わかったよ」
「ありがとう!」
ごそごそと鞄を漁って、相手方の要求するブツを展開していく。
本当にこんなものが役に立つのだろうか。いまいち確信が持てないでいた。
まあ、本人がいいならそれで構わないだろう。今日貸した結果、明日はいらないってことになるかもだが。
「ねぇ、これって明日まで借りてても大丈夫かな」
「別に構わない。どうせ家に帰っても使わないから」
「うわっ、すっごいイヤミだ!」
「……悪かったな」
「いやいや、ジョーダンだって~」
転校生はすっかりご機嫌だ。楽しげな手つきで、俺のノート類をチェックしていく。ずっと感じていたぎこちなさは今はもうない。
普通なら喜ぶべきだろうけど、俺はちょっとだけ複雑だった。色々と面倒を見すぎたかもしれない。
「ホントはね、昼休みあたりに借りようと思ってたんだけど。仙堂君、いつまでたっても食堂から戻って来ないから」
笑みを交えながら、桐川が続ける。
そりゃそうだ。その時間なら眠りの世界にいたんだから。
目が覚めたときには本当に焦った。まさに取るもの取らずで――
「悪い、ちょっと急用を思い出した」
「うん、じゃあまた明日」
聞こえたかわからない返事を残して、俺は教室を飛び出した。
本当に今日はイレギュラーなことがよく起こる……。
◆
屋上に出ると、そこにはすでに先客があった。
風で揺れるふわふわ髪を手で押さえて、少しだけ不機嫌そうだ。
「あ、仙堂。これ散らかしたの、貴方でしょ!」
開口一番怒られてしまった。その手には、見覚えのあるシートとビニール袋が。
「ダメよ。校内美化、生徒手帳にもしっかり書いてあります」
「そうなんすか。初めて知りました」
さすが生徒会長だけあって、そういうことには敏感ならしい。
さて、相手の言うことは至極もっともだが、なんとなく反論したくなった。
「ところで、生徒手帳には屋上についての記述はないんですか?」
「…………イジワルね、仙堂は」
キュっと唇を結んで、上目遣いに睨まれた。
こういうところはあまり生徒会長らしくないと思う。
「でもさ、私たち共犯でしょ」
「まーそれはそうっすね」
「だから痛み分けってことで」
それはよくわかっている。
だからこそ、担任からの追及をあんな苦しい言い訳を使って免れたのだ。
もちろん、それを口にするわけにはいかないが。居眠りして授業サボりました、なんて言ったらどうなることやら。
「とりあえず、それありがとうございます」
「いえいえどういたしまして。これからはちゃんと綺麗にしましょうね」
「はい気を付けます」
「よろしい。――それで、仙堂はいつまで眠っていたの?」
生徒会長の目が怪しく光った。普段はとても人が良さそうなのに、今ばかりは悪戯心が見え隠れしている。
隠しておきたかった事実を突きつけられて、身体は次第に熱を帯びていく。
「……な、なんでそれを」
「実は昼休みにちょっと顔を出したの。貴方、本当に気持ちよさそうな顔で寝ていたわ。それで起こさなかったのだけれど」
くすくすと、心底愉快そうな笑みで語る生徒会長。髪をクルクル弄ったりして、ずいぶん優雅に構えてくれるじゃないか。
「私の睨んだところでは、5時間目の授業遅れたんじゃないかって。だって、荷物全部ほっぽりだしちゃうんだもの」
「…………やだな、そんな間抜けなことあるわけないじゃないっすか」
「そうよね。仙堂、抜け目ないところがあるし」
「あの、この後用事あるんで失礼します。荷物、ありがとうございました」
「それはさっきも聞いたわ。どういたしまして」
結局、生徒会長の余裕は崩れることはなかった。
さっきみたいにやり返せるのなんて、本当にわずかしかない。
というか、それの意趣返しのつもりかもしれない。やはり、触らぬ神に祟りなし。
後味の悪さを感じながら、踵を返す。
そして、窓に手をかけたところで――
「反省文、頑張ってね」
意地悪なのはどっちだ、と心の中で吐き捨ててから、屋上を抜け出した。
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