第5話 本心

 朝。


 俺は起きてすぐに洗面所に行くと、顔を洗って歯を磨いてから部屋に戻る。

 そしてみいにご飯をあげた後、制服に着替えて、朝飯も食べずにひっそりと家を出る。


 そしてコンビニで朝飯を買って、ブラブラしながら学校に向かって誰もいない教室に、誰よりも早く到着する。


 別に早く行って勉強をするわけでも、部活の朝練をするわけでも、その朝練をやってる女子を眺めて目の保養をしようと思っているわけでもない。


 ただ、結奈を避けているだけだ。

 でも、それはあいつへの嫌悪感からではない。


 寝ざめのあいつは昔から機嫌が悪い。

 それは仲良しだったころでも酷かった。


 だというのに今、俺の前でだけ冷徹になってしまうあいつと、機嫌が最悪な時に顔を合わせたってろくなことにならないとわかってる。


 だから。喧嘩したくないから、朝早く学校に来る。


 まあ、そんなことをしても結局、あいつは学校に来るし同じ教室の隣の席に座るわけだし、逃げてるだけだとわかってはいるんだけど。


 こんなことを初めてもう半年以上経つが、ほんといつまでこんな生活を続けるつもりなんだろうか。


 朝の学校は、とても静かだ。

 体育館での朝練の声が遠くからかすかに聞こえるくらい。

 そんな静寂に身を委ねて頬杖をついていると、ガラガラと教室の扉が開く。


「……」


 結奈が来た。

 まだ登校時間まで一時間はあるというのに、何の用だ。


 いや、別に俺に用事があるわけでもないだろう。

 さっさと自分の席に着くと、まるで俺に気づいていないように淡々と、カバンからブックカバーのついた本を取り出して手に取る。


 俺は、その空気に耐えられず、彼女に気づいていないようなそぶりのままトイレに行こうと。


 すると。


「私が怖いんだ」


 結奈が呟いた。


「怖い?何が怖いんだ。俺はただ」

「私といると、あの時みたいに殺されそうになるから怖気づいてるんでしょ」

「殺すって……いや、あれは」

「私のせい、だったかしら?そうよね、

「……トイレだ。じゃあな」


 慌てて教室を出た。


 そして教室を出たところにあった消化器を、あろうことか怪我した右足で思い切り蹴ってしまった。


「っ!?」


 痛かった。

 硬いものを蹴ったから、というより膝が。


 自滅してその場に蹲りながら、俺は。

 静かな、誰もいない冷えた廊下に手をついて考えた。


 あいつは、多分あいつは自分のせいで俺が怪我したって思ってる。

 それに、そのことを俺が怒ってると勘違いしてる。


 たしかにあの日、結奈が最後に見舞いに来てくれた日に、俺は言った。


 お前のせいだ、と言ったも同然のことを。

 でも、あれは俺が塞ぎ込んでて、勢いで言ってしまっただけで。


 そんなことを本気で俺は思ってなんて……


 思ってなんて。

 いないのか、本当に……

 


 私は、朝目が覚めてすぐに洗面所に行ってから歯を磨いて、部屋に戻って髪をとく。

 そしてコンタクトをつけてから、制服に着替えてすぐに家を出る。

 

 彼は気づいてないみたいだけど、私の方が早く家を出る。

 そして早く学校に着いている。


 別に悟を避けようなんてことはない。

 会えばいつものように罵倒すればいいんだし。


 でも、彼の両親は別。

 私に優しくて、私を本当の娘のように可愛がってくれる彼らに、嘘の笑顔を見せ続けるのが辛い。


 とはいえ経済力もない私は、毎日外食なんてできるはずもないから夕食は仕方なく家で食べるしかない。

 それでも朝は。朝くらいはみんなと顔を合わせずにひっそりと出ていきたい。


 極力会いたくないし、こんな私に合わせる顔は本来ない。


 だから逃げるように学校にくる。

 どうせ帰ったら会わないといけないというのに。

 

 もちろん教室で黄昏れる悟のところには、いつも行くことはない。


 校舎裏で一人、本を読みながら時間を潰す。

 でも、そんなことをするよりこっちから仕掛けた方が早いと、今日はわざわざ彼だけがいる教室に行って、この有り様。


 私が怖い?殺されそうだった?

 ほんと、こんなことを平気で言える自分が怖い。


 怖い。

 

 ……こんなことをして、慌てて出て行く彼を見て、それが自分の望んでることのはずなのに。


 嫌われるのが、怖いとか。

 

 もう、そんなことを思ってしまう自分が何をしたいのかわからなくなって。


 進むことも戻ることもできずに、ただこうして演じ続けるだけの自分が。

 

 やっぱり怖い。



「ねえねえ式神さんって彼氏とかいないの?」


 昼休みに結奈のところに群がっている女子の一人が、そんなことを大声で本人に聞いていた。

 

 別に盗み聞きしたわけではない。

 席について一人でパンを食べていただけで、勝手に聞こえてきたのだ。


「ええ、いないわ」


 結奈は淡々と、一言だけ。

 その言葉に女子たちは「えー、なんでー?」と騒ぎだす。


 女子はこういう恋愛ネタというか、人のうわさが大好きだ。

 まあよくも飽きずに毎日毎日、そんな話ができるものだ。

 それに、結奈に彼氏がいるかどうかが、女子になんの関係があるんだって話。

 もっとも、こんな雑談に理由なんて求める方もどうかしてるのだろうが。


「ねえねえ、それじゃ好きな人とかはいないの?」


 また。

 凝りもせず次の質問を誰かが繰り出す。


「え、そ、それは……い、いない、けど」


 今度は照れながら。

 でも、一応否定した。


 するとまた、女子たちの甲高い悲鳴が教室に響く。


「照れる式神さん、かわいい!」

「ほんと、ウブなんですね式神さんって」

「でも、その反応ですと気になってる男の子がいるとか?」


 話が盛り上がり、結奈の恋愛事情について核心に迫ろうと目を輝かせる女子。

 その周りに、野次馬のように他の男子も集まって、熱心にその話の行く末を見守っている。


 こういう状況は苦手だ。

 元々陸上を始めた理由だって、足が速かったからというより個人競技の方が向いてると思ったからで、そんな俺にこの群れの暑苦しさは耐えられない。


 食べかけのパンを持ったまま、教室を出る。

 そしてそのまま校舎をあてもなくぶらついて、しばらく時間を潰してからまた。

 ようやく落ち着きを取り戻した教室にひっそりと戻り、結奈の隣の席に座る。


 さっきの話の結末がどうなったのかは知らない。

 教室に戻ってからは、特に結奈のことについて話してるやつもいなかったし、別に俺もそこまで気にしてはいなかった。


 俺たちは付き合ってなんかいなかった。

 ただ、幼馴染であり、親が勝手に将来を決めただけの仲。


 まあ、あの頃は多分両想いだったんじゃないかって、それくらいはわかってるけど。

 

 今は、いないんだな。好きな奴。



 放課後になると、教室からぞろぞろと多くの生徒がすぐに部室へ向かって動き出す。

 多くの人間が運動部に所属し、それ以外の奴らも何かしらの部活動に所属しているため、教室はすぐに空っぽとなる。


 いつもならそうなのだけど、今日はなぜか多くの生徒が、終業のチャイムを聞き終えた後でも結構残っていた。


 何かあるのかなと、帰り支度を済ませながら少し不思議に思っていると、別のクラスの女子が結奈を呼びにやってきた。


「式神さん、中庭で飯島君が待ってるよ」


 その声かけにクラスの連中が「おおー」っと、歓声をあげる。


 呼ばれた結奈は、カバンをもって静かに。

 表情を変えないまま、そっと立ち上がって声をかける女子の方へ向かっていく。


「いよいよだな。飯島君と式神さん、付き合うのかな?」

「いいなあ。俺も式神さんと付き合いたかったよ」

「無理無理。俺らみたいなやつじゃ相手にされないって」


 そんなことを言いながら、イベント会場にでも向かうように楽しそうに男子数人が教室を出て行く。


 飯島とは。多分、生徒会長の飯島翼いいじまたすくのことだろう。


 学年トップの頭脳、二年生にして生徒会長を任されるリーダーシップ、それに俳優にいてもおかしくないイケメン。

 さらにいつも笑顔で、どんなやつからも好かれている彼は、結奈に負けず劣らずの人気を誇る。


 多分、そいつに結奈は告白されるんだろう。

 昼休みの話の結末は、そんなところか。


 立ち上がって、俺はそのまま誰もいない教室を立ち去った。


 もちろん向かうのは家だ。

 あいつのところではない。


 中庭の方にギャラリーが集まっていくのとすれ違うようにして、俺はそのまま学校を出た。


 きっと今頃、ビッグカップルの誕生に多くの祝福の声が飛んでいるに違いない。

 でも、それでいい。

 きっといつか、結奈が他の誰かと付き合って、そして親が決めたくだらない呪縛から解き放たれて。

 

 昔みたいに優しい目に、戻ってくれたらそれでいい。

 その方が、お互いの為だ。



「ただいま」


 家に帰ると、誰もいなかった。

 代わりに、「今日は四人で飲みに行くので出前とってください」と。

 母の字でそう書いたメモが食卓の上に置いてあった。


 こういうこともままある。

 自由奔放、天真爛漫、自分勝手。

 これが俺の親であり結奈の親だ。


 別に悪いとは言ってない。

 そういう人たちが羨ましいと、少しばかりは思うが。

 

 でも、どうしてかお腹も減らず、シャワーを浴びてさっさと部屋に戻ると、変わらないあいつが、お腹を空かせた顔で俺を迎えてくれた。


「みいー」

「よしよし、ただいま。今日はおやつ……禁止されてたっけな。残念」

「みい」

「確かにちょっと太ったよな。お前、あいつのところでちゃんと飯もらってたのか、なんてな」

「みい?」

「あいつがそんなことするわけないか。優しいもんな、結奈は」


 みいに話しかけながら、今自分が何を考えているか、ゆっくりと自覚した。

 今頃あいつは飯島と、どこかに出かけているのだろうか。

 付き合って、恋仲になって、皆に祝福されながら学校を出て、仲睦まじく歩いているのだろうか。


 でも、帰ってこないってことはそういうことなのかもしれない。

 それに、飯島以上の男なんてあの学校にはいないし、あいつとは人気者同士、きっとお似合いだ。


 だから、あいつが帰ってきたら。

 ちゃんと許嫁をやめないと。


 そうしないと、あとでどっちの親のことも傷つける。

 家を工事までさせて、俺たちが仲良く過ごすことをただ純粋に期待しているあの人たちを、もっと傷つける。


 ……ああ、もっと早く言っておけばよかった。

 そうすればこんなことにならずに済んだのに。


 そうだ。もっと早く言っておけばよかったんだ。


 ちゃんと。


 ちゃんとあいつのことを好きだって。

 事故のことはお前のせいなんかじゃないから、俺の傍にいてくれって。


 もう少し早く言えれば、よかったのにな。


 

 


 


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