第49話 運命のてんとう虫

 朦朧とする意識のなかで、クレアは気がつくと内臓が持ち上がるような浮遊感の中にいた。恐怖から閉じた瞳をおそるおそる開き、美声の主へと顔を向ける。


「……っ!?」


 黒いベールで顔を覆った女がこちらを見上げていた。


「間一髪やったな!」


 次いでマッカモウカリ地方独特の訛口調が耳につく、凛々しい顔で箒に跨がる赤毛のシスターに抱きかかえられていた。


「ブラン……先生!?」

「話はあとやッ。今はここをどう切り抜けるかが問題や」


 モルガンはゾッドとニーヴに一度下がるよう言い、彼らは素直に指示に従った。アレスは未だにモゾモゾとしている。


「二人共無事かぁ?」


 地面に降り立ったシスターは、麻痺毒によって動けずにいる二人に解毒の呪文を唱えた。二人は指先に感覚が戻ってくることを確認する。


「完全に解毒することは不可能みたいや、すまんな」

「動けるだけマシですわ」

「これで少しはまともに剣が振るえる」

「オ、オイラも助けてほしいじょ!」


 八本の手足を器用に動かしては這い寄ってくるタコに、ブランの肩が大きく跳ねた。


「な、なんやこのたこ焼きわァッ!?」

「たこ焼きじゃなくてタコなんだじょッ! 勝手に調理するなだじょ!」

「喋ったぁ!?」

「試験官なんだから当然なんだじょ! ふざけてる場合じゃないんだじょ!!」

「……なんや自分、ごっついノリ悪いやん」

「緊急時にタコにノリを求めるなだじょ!」


 試験官のタコにも同様の呪文を唱えるシスターに、クレアはどうしてここに? と尋ねる。


「黒の旅団が試験を妨害しとることが分かったからな」


 それよりリオニス・グラップラーは、と言いかけて、ブランは彼女たちの顔を改めて見た。


 ――そういえば、別のチームやったか……。でも待てよ。せやったらなんであいつはこっちにおんねん。


「あらあら、終わりましたか?」


 嘲笑混じりの不快な声にベールの女を認めたブランは、憎悪が湧き上がってくるのを抑えることができない。


「ぐぅッ……」


 父親代わりだったあの人の顔が脳裏をよぎると、憎しみで心が火のようになる。眼前の女を睨みつけずにはいられなかった。


「よぉうちの前にノコノコと現れよったなァッ! どんな神経しとんねんッ!!」

「あらあら、まぁまぁまぁ。ブランたらいつの間にそんなに短気になってしまったのかしら。ダメよ? 姉妹の誓いを破るなんて、そんなの赦されないもの。それに、あれは罰ですわ」

「罰やとッ!?」

「わたくしの可愛い妹を誑かした愚かな男に罰を与えなければなりませんもの。わたくし、とても心が痛いのよ? されどこれも躾。長女としての義務ですわ」

「何が躾や! 何が義務やッ! お前は何様やねんッ!!」

「あらあら、まぁまぁまぁ。わたくしは九姉妹が長女、モルガン・ル・フェ。貴方の敬愛すべきお姉様ですわ」

「「「―――!?」」」


 瞳の奥で強い憎悪を燃やすブランの背後で、クレアたちは衝撃に目を剥いた。

 ベールの女は自らを九姉妹、モルガン・ル・フェだと名乗ったのだ。それは魔法使いなら誰もが知る呪いの魔女の名である。さらに彼女たちを驚かせたのは、その女が新任教師ブランを妹だと言ったことに対して。三人は意味が分からないといったように、ベールの女とシスターを交互に見やった。


「あらあら、まぁまぁまぁ。貴方には神……ではなく、姉であるわたくしから二つの選択肢が与えられます。再び輪廻の輪に飲み込まれるか、心を入れ替えわたくしの元に戻り、憎きあの男に復讐を果たすか。さぁ、選びなさいブラン」

「……そういうことかい! お前の目的は端からリオニスやなく、うちやったちゅうことかいなァッ!」


 リオニスとはどういうことだと、クレアとアリシアの眉が大きく持ち上がる。


「リオニス……?」


 コテッと首を傾けるモルガンは、ベールの下で一瞬誰のことだろうと思案する。


「あらあら、まぁまぁまぁ。あの少年のことですの? うふふ。わたくしも困っていますのよ」

「困る……? 困るってなんや! つーかお前リオニスに会ったそうやないか! なんでそん時なんもせんかったんや! お前は一体何を企んどんねんッ! 答えんかァッ!!」

「あらあら、まぁまぁまぁ。愚かなる妹はまさか彼があの彼だと思っているのですか?」

「彼があの彼……何を言うとんねん? どういうことや!」

「まぁまぁまぁ。本当に愚かですこと。魂の区別もつかないなんて……やはり貴方は姉妹の中でも出来損ない。もう一度赤ん坊からやり直すことをオススメ致しますわ」

「―――ッ!?」


 ベールの内側で微笑を浮かべたモルガンが右手を挙げると、ブランの左側から巨大な拳が飛んでくる。


「ぐぐぅッ!?」


 咄嗟に箒の柄で受け止めるも、踏ん張りきれずに岩壁に激突してしまう。


「ブラン先生!?」

「先生!?」


 吹き飛ばされたブランを気にかけるクレアとアリシアに、ビスケッタの鋭い声が突き刺さる。


「二人とも伏せるんだッ!」

「「――――!?」」


 言葉の意味を理解するよりも先に、反射的に身を屈める二人の頭上を、ものすごい勢いで鉄の塊が掠めていく。二人の前に走り込んだゾッドが大剣を振り抜いたのだ。


「なんですのこの化物はッ!?」

「跳ぶのだ、アリシア殿下!」

「へっ!?」


 屈んだ状態のまま、再びクレアはアリシアの首根っこを掴んで地面を蹴った。


「アリー!」


 すぐさま駆け出してサポートに入ろうとするビスケッタの前に、勝ち気な少女が立ちはだかる。


「そこを退け、ニーヴ・シャレット!」

「才の乏しい女がわっちに勝てるとでも?」


 火花を上げながら二つの刃が噛み合う。ギリギリと耳障りな音を立てながら、睨み合うビスケッタとニーヴ。


「うぅッ」

「ちょっと!?」

「――んんッ!」


 勢い余って後転するクレアとアリシアを追ってくる狂戦士は、割り込んできた黒い影に砂煙を巻き上げながら足を止めた。


「何の真似だ、貴様ッ!」

「「!?」」


 体勢を立て直して前方を見据えたアリシアとクレアは、その状況に驚きを隠せずにいた。


「アリシアに手を出すなッ!」


 狂戦士ゾッドの前にたちはだかったのは、左眼に眼帯を装着したアレス・ソルジャーだった。アレスは自力で足の縄を解き、眼前の大男を睨みつけながら手の縄を噛み切っている。


「貴様、自分が何をしているのか分かっているのか。これは反逆行為だ」

「何が反逆だッ! 今の旅団のリーダーはこの僕だぞ! 僕たちの目的は悪の根源たるリオニス・グラップラーを倒すことだ! 罪のない女の子たちに乱暴するためじゃない! そうだろ、モルガンッ!」

「――――」


 膝をつき、苦悶の表情を浮かべるブランを見据えるモルガンが、音も無くアレスの方へと体を向ける。そのあまりの不気味さに、刃を交えるビスケッタとニーヴも堪らず距離を取り、息を飲んだ。


「ええ、ええ。仰る通りです」

「だったらすぐにこんな無意味な争いはやめるんだ! 僕たちの目的はリオニスを倒すことなん―――」


 少年がすべてを言い切る前に、凄まじい衝撃と地響きが鳴り響く。


「ガッ―――!?」


 真上から振ってきた巨大な拳がアレスの脳天に炸裂し、彼の顔面が大地に放射線状のビビを入れていく。


「……ッ!」


 白目を剥いたままピクリとも動かなくなってしまったアレスを見ては、アリシアは両手で口元を押さえていた。


「アレス?」


 一向に事態が飲み込めないまま、アリシアは顔面を杭のように地面に打ちつけたアレスへと駆け寄っていた。


「アレスッ!? しっかりなさい」


 その様子を虫けらでも見るかのようにつまらなさそうに見下ろすゾッドが、ゆっくりとした動作で大剣を構え直す。


「お前ッ、仲間やないんかァッ!」

「ええ、ええ。彼は貴方とは違い、わたくしのとても大切な仲間ですわ」

「あれが仲間にすることかァッ!」

「あらあら、臭いものには蓋をするものですわよ。それに、最愛の者が死ぬところを見たくはないでしょ? これでも仲間として、わたくしなりに気を利かせたつもりですのよ。うふふ」

「お前は昔からそや、根性腐っとんねんッ!」


 怒りに震えるブランの視線の端には、アリシアの頭部へと鉄塊を振りかぶるゾッドの姿があった。


「あらあら、まぁまぁまぁ。わたくしを前によそ見ですか? 随分余裕があるのね」

「くそっ」


 助けに行こうとするブランを、漆黒の手が壁のように立ちはだかる。


「させるかッ!」


 ゾッドの振り抜いた剣身がアリシアの側頭部を捉える寸前、疾風のごとく駆けつけたクレアが杖剣でそれを受け止める。まるで鐘楼を打ち鳴らしたかのような轟音が轟いた。


「アリシア殿下! すぐにそこを離れるんだ!」


 だが、圧倒的な筋力差を前に受け止めきれないと判断したクレアは、アリシアを安全圏まで蹴り飛ばすことにした。


「キャァッ!?」

「ぐっ」


 弾かれたクレアは受け身を取りながら地面を転がり、起き上がっては直ちに杖剣を構える。


「邪魔だ!」

「アレス!?」


 足下に転がる少年をゴミのように蹴り飛ばしたゾッドは、怒りに湧きたつ二人に口端を吊り上げた。


「死にたい方から掛かって来い!」


 その場の空気が、一瞬刃物のように光る。空気まで冷え冷えとざらつくような男の声に、無意識に死を直感する二人だったが、もはや退路はない。


「―――くそったれがァッ!!」


 それは宙を飛び交う無数の手に囲まれているブランとて同じであった。

 大鎌を振り回し対抗するが、数の暴力には到底逆らえない。目の前で退屈そうに自分を眺める女に一矢報いたい。そう願うブランだが、ピンボールのように弾かれる彼女には為す術がなかった。


「ビスケ、毒だじょ! 息をしちゃいけないんだじょ!」

「そんな、無茶だッ!」


 毒使いポイズンレディと鍔迫り合うビスケッタの鼻先からは、うっすらと鮮血が流れはじめる。毒が体を蝕んでいるのだ。


「君、本当に大したことないよね」

「ゴホッゴホッ、なめるなッ!」


 駆けつけたブランを含め、チームアリシアは限界に近づいていた。


「まともに受けてはいけませんわ!」

「そんなこと言ってもッ、だな!」


 振り下ろされた一撃を受け止めたクレアが、たまらず片膝をついた。全身の骨はギシギシと軋み、彼女の体が大地に埋もれていく。


「痛ッ!?」


 ――まずい!?


 腕に激痛が走る。

 重たい一撃を受け止めるクレアの両腕が悲鳴を上げていた。腕から肩にかけてヒビが入り、その感覚が徐々に全身に広がりつつある。このままでは直に全身の骨という骨が砕け散るだろう。そうなれば命はない。


「そこを退きなさい!」


 チームメイトを助けるためにゾッドへと飛びかかったアリシアだったが、「喝ッ!」声に魔力を込めた予想外の攻撃をまともに受けてしまう。


「ぶはぁッ―――!?」


 突風のような声圧に、背中から岩壁に叩きつけられたアリシアが吐血。力なく地に沈んでいく。


「―――ッ、アリシア」

「他人の心配をしている場合か? 非力なダークエルフなど、このまま押しつぶしてくれる」

「うううううぅぅッ……」


 途切れそうになる意識を気合だけで繋ぎとめるクレア。とうに限界を迎えていた体で何とか踏ん張っている。


「ク……レア………」


 目の前がグニャグニャに歪むなか、アリシアはクレアへと手をのばす。

 奇跡を信じて必死に耐えるクレアだったが、身体よりも先に杖剣が限界を迎えた。


「――――ッ!?」


 目を見開き、ハッと息を飲んだ。

 剣身にヒビが入り、中央から真っ二つに砕けたのだ。迫りくる鉄塊に、彼女はこう思った。


 ――死ぬ。


 死の間際、彼女が見たものは走馬灯だったのか。


 クレア・ラングリーは死を恐れない。

 それどころか、自ら命を断とうとしたことは数え切れないほどあった。

 ハーフエルフ災いを呼ぶものとしてずっと嫌われてきた彼女は、いつも一人ぼっちだった。唯一の家族である父も、自分という忌まわしき存在が不幸にしてしまう。

 ――ならばいっそ死んでしまおう。

 そう思ったことは数え切れない。


 そんな自分に、運命とも云える転機が訪れたのは一年ほど前のこと。

 ある日、アルカミア魔法学校から招待状が届いたのだ。それは彼女の運命を変える合図だった。

 けれど、彼女はそれを一度断ろうとした。

 人里から離れるように北の森で父と二人ひっそり暮らしていたラングリー家には、お金がなかった。


 アルカミア魔法学校は無料ただではない。そこに通う多くの者は貴族だ。

 これ以上父に迷惑はかけられないと、入学を諦める決断をした彼女に、父は言った。


 てんとう虫が体のどこかに止まるとね、その人には幸運が訪れるという。

 ほら、ごらん。

 その手紙は君にとってのてんとう虫だ。

 君はそれを追い払うのかい? 僕の娘は幸せを手放す愚か者だったのかな?


 子に遠慮されることほど、親として悔しく、惨めなことはない。

 僕を想ってくれるのなら、どうか君が幸せになれる道を見つけ出してほしい。

 そして、そのてんとう虫はきっと、君を最高の人生へと導いてくれるはずだ。


 父の言葉は正しかった。

 クレア・ラングリーはアルカミアではじめて自分を受け入れてくれる存在、ルームメイトと出会った。

 そして、明日も明後日も、その先もずっと会って話がしたい、そう思える男の子にも出会った。


 けれど、自分はもう死ぬのだ。

 命の灯火はここで、脳天から吹っ飛んでしまうだろう。


 一弾指の時に、彼女の内側には様々な感情が交差する。その中で一つ確かな感情が、頭のなかを埋め尽くしていく。


 ――死にたくない。


 思った時にはジワッと目頭が熱くなり、目の前が霞んでいた。

 しかれども、運命は残酷だ。

 訪れたこの不運を、彼女には覆す力がない。


「……リオニス」


 死に直面して、呟いた言葉でようやく理解する。

 自分は恋をしていたのだと。

 彼女はもう一度最後に会いたいと願った人物を心に映し、運命を受け入れるようにそっと瞳を閉じかけた、


 刹那――頭上を覆っていた鉄塊は消え去り、大男が忽然と姿を消した。


「………?」


 気がつけば。

 美しい金色の髪をなびかせる彼が立っていた。後ろ姿で顔は見えなかったが、少女には容易に想像できた。

 そして彼を認めた途端、嘘みたいな量の涙があふれ出した。


「……リオニス」


 震える声で、精いっぱい大好きな友の名を口にする。


「助けに来たぞ、クレア!」


 力強い少年の声に、少女は底抜けの安心感に包まれていく。

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