第45話 血の魔法陣
時は遡り、まだリオニスたちが連絡橋にいた頃、
「ざまああああみろっ! 見たかい? あいつのあの驚いた顔! 傑作だったろ!」
嬉しさのあまり跳びはねては大はしゃぎするアレスに、外套のフードを目深にかぶった大男が冷たい声音を放つ。
「あの程度でどうこうなる相手ではない」
「うっ……」
すべてを台無しにする男の発言に楽しかった気分は消え失せ、アレスは憎々しげな表情を浮かべてしまう。
「それに関しては同感。彼は腐ってもグラップラー、あの程度でくたばるわけないじゃない」
フードを取りながら意見を述べるのは、甘い香りを放つニーヴ・シャレット。
香色のショートヘアに気の強そうな目元が印象的な美少女。整った顔立ちをさらに際立たせる大きな耳飾りからは、彼女が自己主張強めの性格であることが伺える。
「だけどあの数の
「さぁ、それはどうかしら?」
「あるって言うのかよ! 少し美人で胸が大きいからってデタラメ言うなよ! このチームのリーダーは僕なんだ!」
「君、本当にいつかセクハラで毒殺するわよ。というかね、彼の昔の二つ名――」
ニーヴが何かを言いかけた刹那、彼らが今しがた駆け抜けてきた方角から凄まじい爆発音と揺れが届いた。
「なんだ!?」
慌てて顔を外に向けるアレスの瞳が捉えたものは、巨大な橋が崩れゆく凄絶な光景だった。
「くっ……」
「グラァハハハハハ――面白い! やはり面白いッ!!」
悔しくてたまらないという顔つきのアレスとは打って変わって、フードを外したゾッドは豪快に笑う。
「さすがわっちが唯一認めただけあるよ、炎雷の死神くん」
「今度こそ、君を嫌ってくらいにわっちの方に振り向かせてあげるよ。死神くん」
『あらあら、まぁまぁまぁ』
チグハグな彼らの背後からそっと忍び寄る影、ぷかぷかと宙を泳ぐ提灯鮟鱇が独特の口癖を口にする。
ブチッグチュッ―――
怪音とともに試験官であるはずの提灯鮟鱇の口が大きく裂けていく、口内からは巨大な目玉がブニュッと迫り上がってきた。
『こんなにもあっさりと侵入できてしまうものなのね。なんだか少し拍子抜けですわ』
まるで提灯鮟鱇の着ぐるみを着たかのような醜怪な目玉が、モルガン・ル・フェに似た色声を発している。三人の視線はすでに崩れ落ちる橋から、奇妙な生き物(?)へと向けられていた。
『あらあら、まぁまぁまぁ。先程は惜しかったですわね。けれど、ええ、ええ。あと少しのところで彼を仕留められていましたよ』
「そ、そうだろ!」
しかめっ面が嘘のようにパッと華やぎ、アレスは喜色満面なご様子。今にも踊り出してしまいそうなほど、一人歓喜に沸いている。
「ほら見ろっ! 何があの程度で、だ! ちゃんと分かるやつには分かるんだよな。さっきの攻撃は完璧な奇襲だったからな」
『ええ、ええ。貴方の力は以前とは比べものにならないほど強大になっていますもの。貴方が本気を出せば、彼など敵ではありませんわ』
「その通りだ! 以前は油断した上に卑怯な手を使われて引き分けてしまったけど、僕はもうあの時の僕とは違うんだ!」
巨大目玉の世辞に気をよくしたアレスが嘘八百を並べては、これでもかというくらいに胸を張り上げて高らかに笑った。
「どうして彼女はああも彼をおだてるのかな? わっちには到底理解ができない」
納得がいかないと眉を曲げるニーヴは、思いあがっては天狗になる少年に白眼視を向けていた。
「あの御方にはあの御方の考えがあるのだろう。オレたちが気にすることではない」
アレスに聞こえない声量で密談を交わすニーヴとゾッドに、大目玉が体を向ける。
『あらあら、まぁまぁまぁ。第一フェーズはクリアですわね。では、速やかに第二フェーズに移行しますわ』
やおら穏やかな声音でそう言うと、提灯鮟鱇がブクブクと膨れはじめる。やがて限界を迎えた提灯鮟鱇の体が勢いよく破裂すると、飛び散った血液が地面に魔法陣を描いていた。
破裂すると同時に提灯鮟鱇の体からこぼれ落ちた大目玉が魔法陣の中心に転がれば、何処からともなく呪文が聞こえてくる。
――汝、我をそこへ、願うままに望む場所に……。
モルガン・ル・フェの美声に反応するように、大目玉から膨大な魔力があふれ出てくる。魔力はまたたく間に強力な魔力場を築き上げ、鮮血で描かれた魔法陣に魔力を注ぎ込んでいく。稲光とともに赤黒い輝きを放つ魔法陣。
「うぅっ!?」
そして、目がくらむ程の閃光が一つ光ると、魔法陣からは血に染まった巨大な黒い手が二本生えてきた。
「げっ!? なんだよこの気持ち悪いやつはッ!」
「黙って見ていろ」
びっくり仰天するアレスをゾッドが冷たくあしらい、ニーヴがどうしようもないなと長いため息を吐き出した。
「君、男の子はクールじゃないと女の子にモテないよ」
「え!? お前は僕にホの字なのか? 仕方ないな。付き合ってやってもいいぞ?」
「……君はゴブリンか何かなわけ? わっちの言葉理解できないの?」
ちょっと待ってと手のひらを突き出して彼女の言葉を遮ったアレスは、もう一方の手で懐から手帳を取り出した。そこにサッとペンを走らせる。
「ニーヴ推定Gカップ。完全に僕にホの字でビッチなロケット型……とっ」
「……君、腹痛と吐気、どっちをより感じながら逝きたい?」
「逝きたいって、ここでッ!? 大胆で魅力的な提案だとは思うけど、さすがにここではな。あの大きいのだって見てるしさ。でもまさかニーヴが見られながらお外でする方が好きだったなんていがっ……あでぇ? なんがぁ……目がまばるッ」
突如全身の力が抜け落ち、膝から崩れ落ちるアレス。
「ぐぅッ、ぐるじぃ……」
「君、もう死んでくれるかな?」
もがき苦しみジタバタする少年を、害虫でも見るような目で睨みつける
そうこうしている間にも、煙を噴き上げながら生えた二本の手が手首にまで達していた。
――パンッ!
ダンジョン内に破裂音が響く。地面から生えた手が合掌したのだ。そこからさらなる祈りをするために組み合わさる手。
「来るッ!」
「うん」
強力な魔力場によって空間に歪みが生じると、まるで睡蓮の花の如くゆっくりと手が開いていく。
開花した手の中には、黒いベールで顔を覆ったモルガン・ル・フェの姿があった。
彼女は特別な魔法を用いて、不正不可能なヴィストラールが作ったボトルダンジョンへと転移したのだ。
「あらあら、まぁまぁまぁ。あの子もまだまだですわね。うふふ」
口元に手を当てる仕草、ベールの内側で微笑んだモルガンが、蒼白い顔で虫の息となったアレスに視線を落とす。
「あらあら、まぁまぁまぁ。変わった遊びですこと。……解毒、してあげても?」
「これ、いるの?」
嫌そうな顔でアレスを指差すニーヴに、モルガンは鷹揚とうなずいた。
「ええ、ええ。わたくしの目的のためには彼が必要なのですわ」
そこまで言うのであればと、彼女は顔を左右に振りながら仕方なく、三途の川を渡ろうとしているアレスに解毒薬を飲ませた。
「死ぬかと思った! ……ってあれ? なんで僕は寝てたんだっけ?」
凄まじい回復力で飛び起きたアレスは、自分が死にかけていた理由さえ覚えていない。
「その生命力だけは賞賛に値する」
狂戦士にそう言わしめる彼は、実は素晴らしい才の持ち主なのかもしれない。
「精力には自信があるからな! たぶん、世界一だと思う!」
「聞いてない」
「負け惜しみするなよ。持久力も回数も僕の足下にも及ばないからってさ」
ゾッドは眉根を寄せ、不快の色を見せた。
「あらあら、では先ずは、兎狩りを楽しむと致しましょうか」
不敵に微笑むモルガン。
ダンジョンの奥へと歩き出す彼女の背に続き、アレスたちも歩きはじめる。
ダンジョンは今まさに、黒い嵐が吹き荒れようとしたいた。
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