第2話 水に濡れた獣は臭い

雲一つ無いピーカン晴れ。


初夏特有の爽やかな空気が街全体に広がり、涼やかだった春の季節からの移り変わりを感じる今日この頃。


もしかしたら修造がアップでも始めたのかもしれん。


頼むから大人しくしておいて欲しい。


太陽神への祈りはさておき……俺はこの晴れた空の下、真っ直ぐ学園へと向っている最中だ。


本日の服装は姉ちゃんから借りた水色のキャミソールにタイトな紺のジーンズ。服の丈がピッタリなのは申し分無いが、どうにも胸だけはキツくて困る。


しかしまぁ、流石に男の時の服を着る訳にはいかないからな。体型が結構縮んでるからサイズが全然合わないし。試しにズボンを穿いてみたけどぶかぶかだったよ。


ちなみにホットパンツを穿くような勇気は無い。あれってほとんど下着みたいなもんじゃね?


閑話休題。


「さて、ゆかりんは……と」


学園までの通学路は同じだから、ひょっとしたら途中で合流出来るかもしれない。


だが見た感じ、ゆかりんらしき美少女の姿は無かった。俺よりも先に行ったんだろうな、きっと。





ピピピ、ピピピ、ピピピピーピピッピピピイェアッピピ、ピー。





不意に鳴り出す左腕の時計。


電子音に黒人のレゲェを混ぜるのは本当にどうかと思う。


それにしてもまたあいつか。スルーしたいところだが、放っておくといつまでもコールが続くので仕方なく俺はボタンを押した。


「こちらスネーク。敵の基地内に侵入した。大佐、俺はこれからどうすればいい?」


【慌てるなスネーク。今回のミッションは敵輸送艦に搭載されたダンボール兵器の奪取だ。慎重にいかねばならん】


と、老人の枯れたような声真似で返事が返ってきた。


そういうノリの良いところだけは好きなんだけどな。

 

「で、何の用だオタコン?」


【大佐なのかオタコンなのかハッキリしたらどうだい?まぁ確かに僕は後者っぽいポジションだけど】


「用件が無いなら切るぞ」


生憎と、こっちは黒若なんかに構っていられる時間なぞ無いんでね。


【相変わらずせっかちだなぁ。ま、いいや。手短に用件だけ話そう。今から僕の病院まで来てほしいんだ】


「だが断る」


何を言い出すかと思えば……馬鹿馬鹿しい。誰がウハウハ勉強会をドタキャンしてまでお前なんかの所に行くか。


天秤にかけるまでもなかろう。


【一応理由を聞いておこうか。どうしてだい?ちなみに“面倒臭いから”みたいな理由は却下だよ】


「面倒臭いのは間違いないが、今日は本当に先約が入ってるんだ。また来世にしろ、来世に」


【ふぅん……その先約とやらは、僕の呼び出しを断るに足る内容なのかい?】


「無論だ。女子高生との勉強会なんぞ滅多に起きるイベントじゃないからな」


【その話詳しく】


黒若のテンションが露骨に変わった。興味引かれ過ぎだろ。


まぁいい。とことん自慢してやろうじゃないか。


「クラスの女子四人と一緒に勉強会だ。場所はお嬢様っ娘の部屋。ちなみに四人の内一人は心臓が破裂するほど可愛ゆい」


【勉強会と部屋の様子はちゃんと録画しておくんだよ。高画質でエンコードして後で送信するように。写真はzipでくれ】


「イケボで言っても変態は変態だからな」


コイツこそ通報されるべき存在ではなかろうか。俺なんかよりよっぽど性犯罪臭いがするぜ。


「しかし残念だったな黒若。俺の手元にはデジカメが無ければハンディカムも無い。そしてスマホは事故で破壊されてからまだ買ってない。記録を残すのは不可能だ」


【なら今すぐヤ〇ダ電機まで買いに行くんだ。大丈夫、代金は後で僕が払おう】


「それも不可能だ。何故なら集合時間まで残りあとちょっとだからな」


【くっ……ガイアはまだ僕に試練を課すというのか……?】


ガイアさん今日も素晴らしい仕事っぷりです。


「じゃあもう通信切るぞ。呼び出しはまた今度ってことで」


【待つんだ不洞君。録画が駄目ならせめてこの時計の通話で生中継を――】


ピッ。


鬱陶しいので切ってやりますた。プラチナざまぁ。


「…………」


再コールが無いのを見るに、どうやらようやく諦めてくれたらしい。


これでまだ通信してくるようなら腕時計ごと彼方まで投げ捨てるつもりだったが、そうならずに済んだのでまぁ良しとしておく。






余計なことで時間を食ったものの、集合時間の5分前には校門に到着できた。


「こんにちは、不洞さん」


「ご機嫌ようですわ」


「やっほ、二人とも」


ゆかりんとシェリーたんは流石というべきか、俺なんかよりもずっと早く着いていたとのこと。


反面、カレーパンとヨシツネは未だに姿を見せていない。


理由はなんとなく予測がつく。おおかた、嫌がるヨシツネを連れて来るためにカレーパンが奮闘しているんだろう。


手こずるようならカレーパンチを喰らわせてやれ。一説ではアンパンチよりも強いらしいぞ。

 

「まったく……あの方々は一体何をしてらっしゃるの?5分前集合は当たり前でしょう」


少し剥れた様子で言うシェリーたんのファッションは、雪みたいな純白のロングワンピース。こうなるともうワンピースというよりもドレスって感じがする。


あんたは本当に俺のイメージを裏切らないな。


しかし、それよりも今はゆかりんだ。天使がおるぞ、天使が。


「どうしたの不洞さん?私の顔に何か付いてる?」


「うん、アンビリーバボー」


「あ、アンビリ……?」


「ごめん何でもない」


いや本当に信じられん。私服を着るだけで普段の可愛さが更に輝いて見えるとは。


ロゴの刺繍が入ったシャツにゆるふわスカート。なるほど、素材が良いから味付けは薄めというワケか。


その薄味でこれ程の威力なのだから、本気出したらどうなるんでしょうね。


俺なら3秒で発狂する自信がある。






時計の針が何周も回り、約束の時間を10分ほど過ぎた頃。


「いや~ゴメンゴメン。ちょっと遅くなっちゃった」


そう言いながら全く罪悪感の無さそうなカレーパンが、長くて薄汚れた謎の袋を引きずりながらようやく現れた。


袋はちょうど人一人を詰め込めるくらいのサイズで、その口元からは何やら見覚えのあるネコミミ頭が生首を出している。


「ふみぁ~~……♪」


と、何故かこんな状態にも関わらずヘヴン状態な顔付きになっている珍獣ヨシツネ。


あの袋の中で一体何が起きているというのだろうか。

 

「遅刻ですわ、神楽坂さん」


「だからこうして謝ってるじゃんよ。それに遅れた理由は全部この子のせいだってば」


はぁ……と、心底疲れた風にカレーパンは溜め息をつく。


そんなカレーパンの苦労をよそに、ヨシツネは「ふぉっ!?にゃひひひ♪」なんて喘ぎながら袋の中でビクンビクンしている。


せめてヨダレくらい拭け。


「ちゃんと間に合うよう早めに呼びに行ったんだけどね。ヨシツネったら、自分の部屋の鍵を燃やして溶接してやがったのよ。どうせ後で寮長に怒られるだけなのに」


そんなに嫌なのかよ。扉を溶接してまで篭城する奴とか初めて見たわ。


「ヨシツネさん……まったく貴女という人は……」


シェリーたんも呆れ顔。きっともう怒る気にもならないんだろうな。


委員長キャラを諦めさせるとは……この猫、なかなか侮れん。


「んで、どうやってヨシツネを捕獲したの?」


溶接なんてされたら業者でも呼ばなきゃ開けられんだろう。


「あぁ、それね。C組の原田さんに頼んで鍵ごとぶった切ってもらった」


いや、それもどうかと思うんだが……。


忘れてた。こいつらみんな超人なんだったな。ドアの鍵くらい軽く壊せて当然か。


……あれ?それじゃ鍵の意味無くね?


「銃で壊したら直すのが面倒だからねー。やっぱ原田さんの極薄スライサーは芸術だわ」


俺がツッコミたいのはそういう問題じゃないのよ。

 

価値観の違いってやつですね。超人が一般人と結婚したらどうなるのか少し興味があるな。


まぁ今はどうでもいいけど。


「鍵を壊した後は、玄関にこの袋をセットしといたのよ。そしたら自分から中に突っ込んできたから縛って連れて来た」


「自分から?ヨシツネが?」


「部屋に入れても窓から逃げられたら面倒じゃない?だから、袋にはちょっとアレを仕込んどいたのさー」


にやりと含み笑いを浮かべ、カレーパンは袋の隙間から何かを取り出した。


「何ですの、それは?」


「マタタビ」


なるほど、猫科に効果は抜群だな。


聞くところによるとヨシツネは猫又とかいう存在らしいけど、本能的なところは猫と同じなのか。


「うにゃひひひ……天国じゃあ♪」


さっきからヘヴン状態なのはそういう理由があったのね。大好物の風呂に浸かってるようなもんなんだろう。


「このマタタビを裏山で集めるのに時間が掛かったってワケよ。おかげでまたシャワー浴びるハメになってさぁ」


「それってシャワー浴びてたのも遅れた要因に入るんじゃないの?」


「…………」


俺が正直な疑問を述べたところ、言葉に詰まったらしいカレーパンは黙秘権を行使。


痛い沈黙がしばらく続き、なんだか居た堪れない空気になってきた。


「……さ、早く行こ!こうしてる間にも貴重な勉強の時間がどんどん減ッテイクゾー!」


必死に話を無かったことにしようとするカレーパン。


仕方ない、今回は勘弁してやろう。汗臭いままってのは女子的にNGでしょうしね。


俺ってば今世紀稀に見る紳士。








俺やゆかりんの家とは反対の方角に20分ほど進んだところで、先頭を歩いていたシェリーたんが後ろを振り返った。


「もうじき着きますわ」


新築の一軒家が建ち並ぶ高級住宅街。ここをもう少し進んだ先にシェリーたんの別荘があるという。


「ベロニカさんのお家かぁ……きっとすごく大きいのね」


ゆかりんが宝石のような瞳を煌めかせている。夢見る乙女って感じがして誠にキュンときますわ。


「考えてみたら、私もシェリーの部屋に入るのは初めてなんだよねー」


「貴女だけではありませんわ、神楽坂さん。日本にはもう三年ほど滞在していますが、実はまだ誰もお呼びしたことがありませんの。学園の友人を屋敷に招待するのは貴女達が初めてでしてよ」


おぉー!とゆかりんもカレーパンも期待に胸を膨らませるが、俺は聞き逃さなかった。


こやつは今“屋敷”と言った。果たしてそれは別荘という規模で定義出来るような建築物なのだろいか?


俺の勘が告げている。女子高生のノリなんかで踏み込んでいいような気安い土地じゃない、と。


「ご覧くださいまし。あれがわたくしの住まう屋敷ですわ」


シェリーたんが指差した先は、案の定、他の家屋とは明らかに一線を画す巨大な館だった。


この高級住宅街において尚、どうしようもない“格”の違いを主張しまくっている常識外れのスケール。流石に国会議事堂とかと比べれば小さいが、それでも大型図書館くらいの敷地はあるんじゃなかろうか。


しかも屋敷というだけあって、一般的な日本の住宅ともデザインが大きく異なる。


まるでこの場所だけが中世ヨーロッパからタイムスリップでもしてきたかのような、気品溢れるノスタルジアを感じずにはいられない。

 

「きゃああああ!何これ、予想以上なんだけど!」


女子特有の黄色い声を拡散させるカレーパン。テンション上がるのは分かるがとりあえず落ち着け。


少しくらいゆかりんを見習わ……、


「うわぁ……ベロニカさんって本物のお嬢様なのね。素敵……」


……おぉう。ゆかりんはゆかりんで、夢見る乙女の世界にトリップなさっている。


あんたら耐性無さすぎ。


それに引き換え、俺はこれくらいの屋敷なんぞ今まで何度も見てきたから驚くには値しない。


二次元ナメんな。お嬢様どころか王女が済む城とか沢山あんだぞ。ボインなお姫様がツンデレペッタンコ娘と男の奪い合いしてんだぞ。


「どうしましたの、不洞さん?」


「くぁwせdrftgyふじこ」


「に、日本語は難しいですわね……」


だから俺は決して動揺なんかしていない。そう見えるとしたら、それはきっと俺の体をどっかのドールマスターあたりが操っているんだろう。


妄想乙。


「ここでたむろしていても仕方ありませんわ。早く上がってくださいな」


シェリーたんに導かれるまま、俺達は大きな館の門を潜る。


と、


「お帰りなさいませお嬢様」


シュタッと、どこから現れたのか執事服を纏った短髪の若い男が、恭しくシェリーたんに頭を下げた。


うん、見るからに執事だよなコレ。銀縁フレームの眼鏡がそれっぽさを更に演出してるし。


まぁ流石に1億5千万の借金は抱えていないだろうけどさ。

 

「マエダ、今日は客人をご招待しておりますの。そのように計らいなさいな」


「畏まりました」


すげぇ……本物のお嬢様と執事の会話だ。現実に、しかも日本でこんな光景を見れるとは思わなかった。


後ろを振り返れば一般的な日本の住居。向き直れば中世ヨーロッパの豪華な屋敷に早変わり。


どこかに国境でもあったんか?


「では、わたくしは自室で準備をしてきますわ。皆さんは居間の方でお待ちくださいまし」


そう言って、シェリーたんは俺達を残して一人屋敷の中へと入っていった。


ちょっ、放置プレイかよ!こんな貴族世界に庶民を置いていくとか鬼畜ですやん。


「はじめまして。ラ・ベロニカ家で執事など務めております、デイビッド・マエダと申します。本日はようこそ、我が主の屋敷へ」


呆然とする俺達にも頭を下げてくれるマエダさん。さすが執事というだけあって、その物事には完璧という言葉がよく似合う。


だがイケメンなのは頂けんな。イケメンはみんな爆発するべきだ。


……なんてひがんでいても仕方ないので、ここは俺もお辞儀を返しておく。


紳士度では負けんぞ。


「は、はじめまして!神楽坂満子っていいます!シェリーさんとは、その、一年生の時からの友達です!」


そしてテンションが限界突破しているカレーパン。態度の早変わりって怖いね。


カレーパンと挨拶を交わすマエダさんの視線は、次に猫袋の方へと移る。


「こちらの御方は?」


「あ、大丈夫です。それは荷物と同じなんで」


「は、はぁ……」


「にゃふふふ……むひっ♪」


ヨシツネはスルーの方向で。こいつが正気に戻るとまた厄介なことになりかねん。


そしてゆかりんも普通に自己紹介を済ませ、俺達はそのまま居間へと案内された。

 

しかし流石は貴族の家。外見だけじゃなく中までやたらと広い。


この居間にしたって普通じゃ考えられない規模だ。天井に掛かったシャンデリアの輝きが色んな意味で眩しい。


それに道中の廊下も、高級そうな絵画や調度品がずらりと並んでいた。


これで別荘とかいうのだから、本邸がどんだけデカいのか非常に気になるところだ。


麻帆良学園と良い勝負かもしれん。






「凄いわねこのソファ。ふかふかしてて気持ちいいわー。うちにも欲しいわー」


俺達は今、汚したら弁償がちょっとアレなくらいのソファに揃って腰を下ろしている。


カレーパンが絶賛するのも納得で、確かにこれ以上ない心地好さだ。ベッドなんかよりこっちで寝た方がずっと安眠できるな。


「紅茶もすっごく美味しいよ。ねぇ満子、これってダージリンかな?」


「いやいや、この味はオッサムじゃない?」


知ったか乙。なんだよオッサムって。サムって名前のオッサンにしか聞こえないんですけど。ゆかりんも苦笑いなんですけど。


しかし心優しい俺はツッコミを控えておく。


「お口に合われましたか?」


「ヤバいです!超ヤバです!美味しすぎですよこれ!」


カレーパンの反応に満足したのか、マエダさんは本当に嬉しそうな顔で微笑む。


テーブルにある紅茶はさっきマエダさんが煎れてくれたものだ。熱さも苦みも甘さも丁度良くて、喉に流すと幸せな気分になってしまう。


「それは先ほど姫野様が仰られた通り、インドのキャッスルトン茶園から取り寄せたダージリンです。オッサムとは苦さの深みが少し違いますね」


「へぇー、そうなんですか!」


や、やめたげてよぉマエダさん……もうカレーパンが完全にオッサムだと信じきってるじゃないか。滑稽すぎて腹筋が崩壊しそうどす。


淑女に恥をかかせない為なんだろうけど、今指摘しておかないと後々大変なことになるぞ。


……まぁそれが面白そうだから俺も黙ってるんだけど。

 

カレーパン曰くオッサムな紅茶に舌鼓を打ち終えたところで、丁度シェリーたんが戻ってきた。


「お待たせしました、皆さん」


別に退屈しなかったから構わんけど……そんなことよりシェリーたん、何故に貴殿は眼鏡をかけているんだ。


「シェリーたんって視力悪かったっけ?」


「いえ、視力は人並みにありますわ」


言われてみれば、確かにレンズに度が入っていないのが分かる。いわゆる伊達眼鏡というやつだ。


ファッションか?ファッションなのか?似合ってるから良いんだけど。


そこんとこを問い質してみると、


「これはシンディが……あ、シンディというのは屋敷の使用人なのですけれど、勉強の時には眼鏡を装着すると良いと教わりましたの」


使用人か。名前の響きからして女性、則ちメイドさんだな。後で姿を拝んでおかないと。


「なんでも“萌える”そうですわ」


メイドさん……同業者ですか。


シェリーたんは自分が口にした言葉の意味を理解していない様子。ここは教えてあげるよりも、今後の彼女らの関係を想って黙っておくべきだろう。


シンディさんとやらの手腕に期待が高まる。


「そんなことよりも、部屋の片付けが済みましたわ。そちらへ場所を移しましょう」


さぁいよいよシェリーたんルームのお披露目だ。スーパークンカクンカタイムの準備をしておかないとな。


「お嬢様、また全て御自分でなさったのですか?雑務は我々使用人にお任せあれといつも申し上げておりますのに」


「何を言いますか。わたくしは当主である以前に一人の騎士なのです。身の回りの瑣末事など自分でやりますわ」


ふむ……その発言、何か裏があるとみた。俺だって自分の部屋を勝手に掃除されるのは嫌だからな。


何か人には見せられないにゃんにゃんな物があったのかもしれんね。

 

えっちぃ本が隠されている可能性があるとなれば、後でカレーパンかヨシツネに協力を仰ぎ捜索するとしよう。


特にヨシツネの野生の勘は頼りにできそ……って、そういえばこいつまだ袋の中で縛られたままだった。


「ヨシツネちゃん、そろそろ出てきて」


「ふにゃあ……あと5光年だけ待つのじゃ♪」


「光年は時間じゃなくて距離よ」


「むぅ……じゃあ5ステーヌだけ」


「す、ステ……?もう何だか分からないよ」


何故こいつがステーヌなんて難しい単位を知ってるのかは知らんが、ゆかりんが困ってるから早く出てこいや。


ちなみにステーヌとは、1トンの質量を持つ物体に1メートル毎秒毎秒(つまり秒の2乗)の加速度を与える時の力のこと。難しくて何のこっちゃ分からんが、とりあえず時間とは全く関係が無いことだけは確か。


俺も某ウィッキーでペディアな辞典サイトでたまたま知った程度だけど。


本当に何故ヨシツネが知ってるのかは謎だ。こいつ頭悪いんじゃないの?


「ゆかりん、ここは私に任せて」


「不洞さん……お願い」


使えないトリビアはさておき、アホ猫を引っ張り出すのならこの不洞新斗に任せたまえ。


要するに、マタタビを上回るだけの誘惑を用意してやればいいんだろ。


「極ウマ海鮮どんぶり食べ放題ツアーが、なんと今だけ五百円……本日午後3時まで」


「にゃにゃにゃにゃんじゃとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」


カッ!と目を見開いたかと思えば、ものっそい速さで袋から飛び出してくるヨシツネ。


こいつちょろいわ。

 

「……ほぇ?海鮮丼はどこなのじゃ?」


「美味しい海鮮丼だと思った?残念!勉強会でした!」


「なッ……だ、騙しおったな!」


騙される方が悪ぃんだよ。酒と女にゃ気をつけな。


うはっ、俺ってばバッドボーイ。もといバッドガール。


「ヨシツネちゃん、もう逃げちゃダメだからね?」


「あぅう……みんな意地悪なのじゃあ……」


どんよりとした顔で床に膝をつくヨシツネ。


諦めろ。ゆかりんもシェリーたんも、お前のことをちゃんと考えてのことなんだから。


リアクションを楽しんでるのは俺くらいのもんだぞ?ウェヒヒヒヒヒ。


「観念なさいなヨシツネさん。ほら、早く立ちなさ……うぷっ!?」


手を差し出したシェリーたんが、突如手で自分の鼻を覆った。心なしか顔色も悪い。


油断すればゲロッティな大惨事になりそうだ。


「大丈夫シェリー?なんか気持ち悪そうだけおぇぷっ!?」


カレーパンも苦い顔つきで鼻を摘む。隣のゆかりんも目がバッテンな感じになっちょる。


「…………ふごっ!?」


謎の症状は、すぐに俺の体にも現れた。


こ、これはまさか…………、


「どうしたのじゃ?変な物でも食べたんじゃないかえ?」


原因はお前だ、ヨシツネ。お前の体から強烈な異臭がする。


その正体もすぐに分かった。マタタビだ。こいつさっきまでマタタビ袋の中に埋まってたから臭いが染み付いてやがる。


少量ならともかく、あれだけ量があれば臭いもかなりのものだ。それにこの家の中は空気が綺麗だから余計に臭う。


「くっ……これでは勉強会どころではありませんわ!貴女は先にシャワーを浴びてらっしゃいな!」


シェリーたん、その台詞は色々と危ない気がするでよ。

 

「シンディ!」


シェリーたんが指を鳴らすと、マエダさんと同じようにいきなりメイド姿をした一人の女性がシュタッと現れた。


知的な丸メガネ、後頭部の両サイドには暗めな緑髪の三つ編み。


これまた“いかにも”って感じのメイドさんだ。歳も俺の実年齢と同じくらいな気がする。


噂のシンディさんが早くもご登場ですよ。


「呼びましたかー、お嬢様?」


しかし外見とは裏腹に態度はマエダさんのそれと大きく異なる。一応敬語を使ってはいるが、感覚としては女友達に話し掛けるような。


「この子の体を洗って差し上げなさい。臭いがとれるまで徹底的に」


「ア~イアイサー。骨抜きにしちゃうかもしれませんけど、そこはご愛嬌ってことでー」


「な、なんじゃ!?自分の体くらい自分の体で洗えぉおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」


凄い早業だ。一瞬でヨシツネを肩に担いだかと思えば、次の瞬間には居間の扉を蹴り開けて脱衣所の方へ拉致り去っていった。


さらばヨシツネ。


悪臭の元が消えたことにより、周囲の空気も正常なものに回復。


「ふぅ……では、わたくし達は先に勉強を始めておきましょう」


俺達は揃ってホールに戻り、大きな階段を上がって2階にあるらしいシェリーたんの自室へと向かう。




途中、風呂場と思しき方から、


「何故じゃあ!?何故そんな執拗に揉むのじゃあ!?」


「いやいや悪く思わないでくださいねー。これもお嬢様の命令なんでー。うはっ、リアルネコミミっ娘とかたまらんわー」


みたいな悲鳴とかが聞こえたような気がするが、きっと幻聴なのだろう。


俺も疲れてるのかもしれない。

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