第1部 11

 お父さんが事件を起こす前のカイは、明るく活発な子だった。

 運動もできた。走るのが速かった。

 いつも周りを友だちが囲っていた。友だちに囲まれるカイを、リクは近くでみていた。囲んでいる友だちの、そのすぐ外から。

 リクにとってカイは憧れだった。自分はカイとは違うことはわかっていた。

 あるいは、囲んでいる友だちとも違う。

 彼らは明るく元気で運動ができた。女子にも人気があった。

 リクは大人しいほうだった。自分でもわかっていた。

 カイが「リク」と笑顔で声をかけてくれるのは、近所だったから、幼馴染だったから、母親同士が仲良かったから、だ。わかっていた。

 中学二年になって、二人は一緒に城山を走っていた。

 ――離れないように、離されないように。今度こそ。

「土の上を走ることだ。膝や腰の受ける衝撃が少なくてすむ。城山などは最適といえる。でこぼこ道を走ればバランス感覚もよくなる」

 走ると汗をかく。走り始めた頃は日陰に入ると寒くなるようだった。今は日陰が心地いい、吹き抜ける風が気持ちいい。

「わたしのようなオジサンに勝てないようでは話にならん」

「マジだし」ハァハァ。

「大人気ないし」フゥフゥ。

「向かってくるものは全力で叩き潰す。たとえわたしの半分に満たない少年であろうと。高い壁になる。それも大人の務めというものだ」

「練習だし」ハァハァ。

「トレーニングだし」フゥフゥ。

「君たちこそ子どもらしくないな、言い訳などと。つべこべ不平を述べている暇があったら走ってくることだ。いつまで経ってもわたしは抜けんぞ」

「マーク使ってんじゃねぇか」ハァハァ。

「使ってる使ってる」フゥフゥ。

「マークは、スーパーやコンビニで売っているお菓子とは違う。あれでなかなか貴重なものなのだ。使うはずがない。ましてや今のきみたち相手に。この仮面を、わたしの仮面を外させてみろ。まだまだわたしは本気ではないのだぞ。マーク云々はそれからだ」

「いくぞ、リク」ハァハァ。

「もういくの。まってよカイ」フゥフゥ。

 疲れて足が止まる、見上げる、林の中が明るい。木漏れ日に新緑が輝く。五月に入っていた。

 ゴールデンウィークはほとんど毎日走っていた。

「リク、疲れても止まるな、歩くな! 仮面に笑われるぞ!」

「うん!」

 坂道を、再び上がり始めた。腿を振り上げ、腕を振り上げ。顔が落ちる。

 上げろ!

 これは自分の声だ! 顔を上げる。鳥たちと友だち、「僕」も林の中の仲間だ!

 仮面に笑われる。そんなこと、リクにはどうでもよかった。カイと一緒に走れることが、カイと一緒に笑い合えることが。

「うぉぉぉ」

 きついのと、楽しいのと、声が体の内側から沸いて出たようだった。


 二人が今走っている辺りをみて、笑った。仮面を外し、今は所長中島の素顔である。

 リクの声が聞こえたわけではない。手に持ったスマートフォン、そこに二人の位置が表示されている。

 二人が走り始めるとき、手首のスポーツウォッチに手を触れてスタートした。

 タイムを計ったり、心拍数や活動量などのデータを計測するのだが、そのスポーツウォッチは中島(仮面)が渡したものだった。そのスポーツウォッチは……、

「どうだ、データはしっかりとれているか?」

 スマートフォンを、中島は耳に当てて誰かに電話している。

 そのスポーツウォッチは、中島が今持っているスマホとのみBluetoothで繋がるようになっており、中島のスマホから加藤のパソコンにデータが送られるようになっている。

 ちなみに、加藤は今は研究所ではなく城山の駐車場の車内にいる。そうしなければデータがとれないというわけでもない。加藤が城山にいるのはたまたま、或いは「気紛れ」だ。

 GPSも内臓していて位置もわかり、ランニングのスピードやピッチなどもわかるようになっている。

 ここまでならネットで二万円も出さずに買えるだろう。このスポーツウォッチは、さらに体温や代謝、汗のかき方などもわかるようになっている。

「今日はマークは使わんよ。もう少し基本的なデータを集めてからな。うむ」

 電話を切る、アプリを再び起動させ、中島は仮面に戻った、すぐに彼らの激しい喘ぎも戻ってきた。


 リクは走るのが速くなっていることに、サッカー部の者たちも気付き始めていた。ボールの扱いはまだからっきしだが……。

 試合にも出始めた。ポジションはサイドバック。「フィールドの端をボールに合わせて上がったり下がったりする」というポジションだった(※本来は違います)。

 疲れるが、なるほどいいトレーニングになる。

 カイは美術部。昔から運動だけじゃなく実は絵を描くのも得意だった。実際には、運動系の部活には入りづらいという事情もあったのだが。今は、

「美術部でよかった。やりたいトレーニングがやり放題だからな」

 と笑顔で話していた。幽霊部員でほとんど部活にはいかずに城山などで一人でトレーニングを重ねていた。

 仮面から渡されたスポーツウォッチは、

「学校には絶対に持っていくな。もし教師やクソガキ、失礼、他の子どもなどに取り上げられたりすれば、君たちの前にわたしが姿をみせることは二度とない、二度とな」

 という仮面の言いつけをしっかり守って学校には決して持っていかないが、トレーニングのとき、また家にいるときは常に、風呂から睡眠中、家を出る直前まではめていた。これも仮面の言いつけだった。

 そして週末、仮面と二人は城山で会う、一緒にトレーニングする、という流れができていた。


 五月に入って家庭訪問があった。たんぽぽの綿毛が風に飛んだ。

 五月四週の月曜から金曜、中学二年生は職業体験に出る。リクは近くのスーパーで、カイは個人でやっている看板屋で。

 一人は見知らぬ人に「いらっしゃいませ」と声をかけ、一人は初めて顔を合わせたおじさんと二人で絵を描いて。

 どちらもそつなくやっている。普通に。他の同級生と同じように、普通に。

 むしろ、同級生よりも積極的だったかもしれない。特にカイのほうは。

 おじさんの前で滅多に笑顔なんてみせないけど、自分で色をつけた大きな看板が、実際現場に掲げられたとき、その看板をバックに写真を撮ってもらった、プリントアウトしてくれた、

 自分をみたとき、その顔は、滲み出てしまっていた、誇らしさが。恥ずかしい。

 でも、その写真をちゃんと父親にみせた。父親は「飾っておこう」なんていってたけど、

「やだよ」

 冗談じゃない、人にみせるようなもんじゃない。机の引き出しにしまっておくから。

 カイは、普通に中学生をしていた。いつの間にか。ほんの二ヶ月前まで、そんなこと想像もしなかった。

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