第十五章 事件の真相

 船内に踏み込んだ特殊部隊により安全が確認された為、ようやく船は横浜港へ向かい動き出した。その頃千葉県警と連携を組んだ吉良達は、船内の犯人達と連絡を取っていた仲間を一網打尽にした。

 千葉県警に協力を依頼し、周辺を飛び交う電波を逆探知したことで、彼らの居場所は比較的早く突き止められたらしい。しかし船の乗員乗客全員の安全が確保されない内には、動く事も出来なかったようだ。

 その為じっと網を張って待機していた場所に、吉良達は合流できた。松ヶ根が何とか本部を説得してくれたおかげで、房総半島の先端にいた犯人達を検挙する応援部隊の一員にねじ込んで貰えたのだ。

 しばらく待機した後、本部からのゴーサインが出た為動き出し、彼らを捕らえ千葉県警本部へ連行してから、二人は横浜港へと向かった。下船した三郷達と無事再会した頃には、夜はすっかり明けていた。

 これまでの経緯もあり、彼女の事情聴取を任された吉良達は、神奈川県警の会議室の一室を借り、腰を落ち着けた。

 まずは松ヶ根が立ち上がって頭を下げながら、話を切り出した。

「改めて警察を代表し、お礼を言います。あなたが通報してくれたおかげで、被害を最小限に食い止められました。有難うございます」

 吉良も同様に頭を下げていると、彼女も立ち上がってお辞儀した。

「いいえこちらこそ。松ヶ根さんが直ぐに動いてくれたから、この程度の騒ぎで済みました。もしあなたで無かったら、被害者はもっと増えていたでしょう。もしかすると私や甥の命も無かったかもしれません」

「何を言うんですか。全ての発端は、あなたがS県で起こった連続殺人の謎のヒントをくれたからです。そうでなければ安西に辿り着くこともなく、横浜港であなたが乗っていた船を待つことも無かったでしょう」

 お互いが褒め合い、謙遜しあって埒が明かないと思った吉良が口を挟んだ。

「まあまあ、久しぶりの再会じゃないですか。座ってゆっくり話しましょうよ」

 二人は苦笑いし、それもそうだと言い合い、席に座り直した。再び松ヶ根が口を開く。

「大変な目に遭って疲れている所、申し訳ありません。船の中でも散々話を聞かれたでしょうけど、もうしばらく我々に付き合って頂けますか」

 彼女は笑って答えた。

「事情聴取ですよね。かつて散々経験しましたから、警察のやり方にはもう慣れています。それに船が港に着くまでの間、食事も頂きましたし少し横になる時間もあったので、大丈夫です。ちなみに例の件で松ヶ根さんと連絡を取った事は、話していませんよ」

「お気遣い頂き有難うございます。しかしさすがは三郷さんだ。一緒にいらっしゃった甥っ子さんの方がずっと若いのに、ぐったりしていたようですね」

 これには彼女も恐縮していた。

「彼は言われるがまま、動いていただけですからね。後で本当に命を狙われていたと聞き、震えていました。それはそうでしょう。そんな目に遭う機会はまずないですから」

「それは三郷さんも同じでしょう。今回はさすがに、肝を冷やしたのではないですか」

「確かに自室へ戻ってからの逃亡は、今思い出すとぞっとします。ただあの時は必死でしたから。それより危なかったのは、梅野さんですよ。もう少し救助隊の到着が遅れていれば、彼の命はなかったでしょう」

「でもそれだって、あなた達がハリスの目を欺き、時間稼ぎをしたおかげでしょう。聞きましたよ。真っ暗闇の中、ベランダをよじ登って六階から九階まで移動し、空室になっている部屋から、梅野さんの所持する船内電話にかけたと聞きました」

「そう。相手は私達の顔を、防犯カメラでしか見ていない。でも名簿で一人は五十過ぎのおばさんと知っているはず。そう思ったから、そこまではしないだろうと予測したのが、当たったようね。八階までは上がったけれど、その後は五階に降りて探していたと、他の刑事さんから教えられたわ。本当に間一髪だった」

 船内で逮捕したハリスに対し、港に着くまで厳しい尋問がされたと聞く。だが彼はそれほど抵抗することなく、質問に答えていたらしい。そうした情報を、同じく彼女も受けた事情聴取の中で、耳にしたのだろう。

「何とか逃げ延びたあなた達は、操舵室にいる梅野さんから身代金の受け渡し計画が失敗したと聞き、彼らが慌てふためく状況を教えられたのですね」

 ビジネスセンターの様子を部下に探らせていた梅野は、セキュリティ部隊の五人全員が待機室に戻ったとの報告を受け、状況を把握したらしい。

「はい。そこで彼にインマルサットを作動させ、外部と連絡できるように指示しました。その時操舵室には、犯人の仲間がいないと判っていましたからね」

「そこです。何故三郷さんは船に潜んでいる仲間が誰なのか、特定できたのですか」

「梅野さんから、この船の雇用や持ち込む物については相当厳しいチエックがされていると伺いました。そこで彼らの計画がどういうものなのかを知るにつれ、船内に潜んでいるのは必要最小限の人間しかいないと確信したからです。そうなるとそれまでの動きを分析すると、まずセキュリティ部門の中でもリーダーを含めた十三階で待機している五名が、最も怪しいと気付きました。彼らは鍛えられた体と何らかの武器を持っている。ならば他は医務室にいる人物だけで、十分実行可能だと気付きました」

「なるほど。実際捕らえたハリスの供述では、あなたの言う通りでした。しかし彼の指示と、彼自身の手で全員殺されてしまいましたが」

「そのようですね。恐らくそれは、最悪のシナリオを想定していたものだったのでしょう。ただセキュリティ部門の四人は、元々殺される予定だったと聞きました」

「その通りです。それも三郷さんは予想していたのですか」

「もしかすると、とは思っていました。計画が成功したとしても、まず乗組員は全員疑われます。船が港に着いて乗客の安全が確認できれば、警察に通報できますからね。そうなると、彼らはずっと追われるはずでしょう。だから船内への潜入は必要最小限に抑え、一人が他のメンバーの口を封じるつもりなのでは、と考えました。安西という人物が既に殺されていましたので、その可能性はかなり高いと感じました」

「医務室の人達の事は?」

「計画が成功した場合、彼らならウイルスに感染している城之内さんを病院まで運ぶ名目で船内から脱出し、逃げる方法があると思っていました。受け入れ先の病院に引き継いだ後なら可能です。でもどうやらハリスという人物の話だと、成功しても殺す予定だったと聞きました。彼らの待機室へ呼び出し、全員の口を封じてから海に飛び込み、逃げる計画だったようですね」

「はい。でもそれだけで、医務室の医師と看護師が奴らの仲間だと、どうやって知ったのですか」

「知っていた訳ではありません。あくまで予想しただけです。何故なら城之内さんがコロナに感染した話自体が、途中から嘘だと思うようになりました。それなら最初に八神さんが医務室へ問い合わせした際、感染の可能性が高いと判断した看護師と、その後診断した医師の協力が絶対に必要です。そこから梅野さんに確認した所、問い合わせを受けた看護師が日本人看護師と交代してヘリを待っていた事等を聞いて、絞り込んでいきました。それに城之内さんは体調が悪いと八神さんに告げる前、下船準備をしながら内線電話をどこかへ何度かかけていた、とも教えられました。恐らく医務室にかければ犯人の仲間の看護師が出るよう、合図を送っていたのだと思ったのです」

 船内で彼女達を事情聴取した特殊班から、この事を告げられた時には耳を疑った。しかし改めて城之内にPCR検査を受けさせた所、陰性と判明したのだ。よって彼女の推理が事実だったと証明された。

 しかも医務室のリーダーであるトーマスを事情聴取したところ、確かに城之内の部屋から連絡がある前、直ぐに切れた電話があったとの証言が取れていた。それがミネルヴァへの合図だったのだろう。

ドローンでヘリの尾翼を爆破するよう誘導したのも、おそらく殺された医師の岸本とミネルヴァによるものだと思われる。

「犯人の仲間を、ほぼ特定できた理由は分かりました。それでは外部と連絡が着くようになってからの経緯を、改めてご説明いただけますか」

 彼女が梅野に警察へ連絡するよう伝えた件は聞いている。それを受け準備していた特殊班と連携し、彼の誘導で船内に無事潜入出来たのだ。彼はその為に操舵室を出て、三階へと向かったらしい。

そのタイミングが少しでも遅かったなら、彼は犯人達に殺されていただろう。ハリスや操舵室にいた乗組員達も、そう証言している。

 特殊班を招き入れ船内に潜入させる方法は、松ヶ根に救助を求めた後に梅野の控室で打ち合わせを済ませていたという。その手際の良さを知った時、吉良は舌を巻いた。

 彼女達は操舵室にいる梅野に連絡を取った後は、ずっと部屋に籠っていたようだ。ハリスを確保した後、特殊部隊が十三階のセキュリティ部門の待機室で死んでいる四人と、医務室で殺された医師と看護師を見て、船内に危険が無い事を確認した。

 それを受けて梅野が三郷と連絡を取り、出て来ても良いと告げようやく彼らは合流できたと言う。その後は残された乗務員達から、事情聴取を行った。もちろんその連絡を受けた吉良達は、房総半島に潜む犯人の仲間達の確保に動き、全員逮捕出来たのだ。

「でも梅野さんが助かったのは、やはりあなたが素早く動いてくれたおかげです」

 改めて三郷から礼を言われた松ヶ根は、照れながら言った。

「いいえ。三郷さんの名推理があったからこそ、犯人達を除く犠牲者を出さずに済み、事件は早期解決できたのです」

 すると彼女は反論した。

「まだ事件は解決していませんよ。まず今回の首謀者の一人が、城之内さんだと証明しなければなりません。それに運営会社側にも、内通者がいると思われます。彼らの罪を暴かなければ、安西が殺された今、連続殺人事件の真相が闇に葬られてしまいます」

「もちろんその線で、既に動いています。城之内の取り調べも現在行われていますが、観念したのでしょう。少しずつ口を割り始めています。しかしあなたはどのタイミングで彼が今回の事件に、深く関わっていると知ったのですか」

 この質問に、彼女は眉を顰めながら答えた。

「おかしいと気付いたのは、彼が私に担当になるよう依頼してきてからです」

「そんなに早くから、ですか?」

「私が半年ほど前、コロナに感染した事はご存じですよね」

「はい。だからあの連続殺人の謎に気付いた」

「あの人は元経産省にいた人物です。二年前にコロナの感染が拡大し始めた頃から、政府と裏で繋がっているとの噂は、当初からありました。しかし彼が所持していたペーパーカンパニーを通じ、多額の利益を得ていたのではないかとの疑惑は、当時の政権が裏で動いていた為に、うやむやのままです。私はコロナ感染者の一人として、それを腹立たしく思っていました。なので彼の担当になった際、資産状況を徹底的に洗ったのです」

「あなたの仕事は、顧客の資産を移動し投資運用する相当な権限を持つ為可能だった」

「そうです。だからこそ、過去の不審な入出金を把握出来ました。そこで彼は黒だと確信したのです。と同時に、今回招待されたクルーズ船の運用会社とも、裏で繋がっている疑いが出てきました」

「だから船での旅行中に、何らかの不正な取引が行われると予想していたのですね」

「はい。しかし最終日まで全く何の動きも無かった。だからマニラを出港し横浜に戻っている時には、考え過ぎだったのかと思っていました。そこに来て、いきなり彼がコロナに感染したと聞き、何かが動き出したと疑ったのです」

 吉良はそこで納得した。担当に指名されて直ぐに疑問を持ったからこそ、城之内の感染が嘘かもしれないと考えられたのだろう。それなら医務室にいる誰かが、協力者でなければならない。血中の酸素濃度を偽り、抗原検査の結果を誤魔化す事は患者だと出来ないからだ。

 そこで梅野から問題が起こった経過を最初から聞き出し、八神の電話を受けた看護師と、部屋に訪問して診断した医師が怪しいと睨んだという。

 また防護服を運ばせた八神を早々に容疑者リストから外したのも、城之内が首謀者ならば彼の性格を考えれば、全く関係のない人物を同伴者に選ぶはずと判断した為らしい。

「城之内の感染が嘘だと確信したのは、医務室へ見舞いに行った時だと聞きましたが」

 松ヶ根の問いに、彼女は頷いた。

「そうです。軽症だと伺っていましたが、念の為にと酸素吸入をしている状態や、彼を看護している状況を見て分かりました。これは私が実際に感染し、入院した経験があったから、見抜けたのだと思います」

「しかし気づいたと勘付かれないよう、あなたは振舞った。シージャック犯達が本社との交渉以外に、乗客からも身代金を奪い取ろうとしていると彼に伝えたのですね」

「はい。彼は驚いていたようですが、ここで誤魔化せば後々自分があくまで被害者であると演じる際、支障をきたすと思ったのでしょう。他のVIP達がいくら要求されているかまで、教えてくれました。そうすることで、まさか自分が犯人達と繋がっているとは思われないはず、と計算したのでしょう」

「しかしあなたは騙された振りをしつつ、計画を阻止する為に動きだした。でも危険だとは思いませんでしたか。犯人の仲間に、あなたが深く介入していると知られてしまう。後で命を狙われるとは思いませんでしたか」

「真相が見えてきた段階で、覚悟はしました。もちろん躊躇はしましたよ」

「でも結局は体を張った。それは何故ですか。単なる正義感だけでは出来ないでしょう」

 この質問は吉良も興味深かった。船における事情聴取では、聞けていなかったからだ。

 彼女は思い悩むかのように目を瞑り、やがて口を開いた。

「そうですね。動機は何かと聞かれれば、安西と同じと言って良いかもしれません」

 予想していなかった答えに、吉良は動揺した。もちろん松ヶ根は聞き返していた。

「それはどういう意味ですか」

「復讐です。彼はコロナの感染拡大により、父親だけでなく継ぐはずだった旅館も失った。さらには今年に入って母親が失意の中、病で亡くなったのですよね。その恨みから、父親が感染したクラスターの経路を辿り、殺人を犯した」

 衝撃的な言葉が発せられた為、吉良は更に混乱した。だが松ヶ根は平然と話を続けた。

「本人が死んでしまったので確証はありませんが、恐らくそうでしょう」

「しかしクラスターの元となった人を殺しただけでは、彼の怒りは収まらなかった。それはこの船に乗ったことで、証明されると思います。単に海外逃亡するつもりだったなら、日本へ戻る船には乗らないでしょう」

「つまりコロナの感染拡大で私腹を肥やした城之内を恨み、船に乗ったという事ですか」

「恐らく。ただそれはシージャック犯達に、上手く乗せられただけでしょう。現に口封じの為、城之内さんが感染したと船内放送された後に殺されてしまいましたからね」

「騙された可能性は高いですね。安西をこの船のシェフに推薦したのは、彼がイタリアで勤めていた頃知り合った看護師でした。そのミネルヴァという女性は、城之内の診断をした医師と一緒に殺されています。ですから間違いないでしょう」

「恐らく安西は、彼らの組織がハッキングまたは城之内を通し手に入れた感染者リストを渡され、そそのかされて連続殺人を実行した。さらに実行犯は安西でしょうが、犯人グループから、目撃者がいないか周囲で見張る等の協力を得ていたのかもしれません」

「だから一人の犯行にしては、全くと言って良いほど目撃情報等や証拠がなかったのか」

 松ヶ根の呟きに、彼女は頷いた。

「その後城之内を狙う為に船に乗ろうと誘われ、ウイルスを混入させる役目を与えた。しかしそれは身代金の受け渡しが無事済んで城之内さん達が解放された後、疑われない為の保険だったのでしょう。安西は犯人グループの一味で、城之内さんの食事にウイルスを混入させたように見せ掛ける為だけの要員だったと思います」

「つまり連続殺人も、その為の布石に過ぎなかった。自分の両親や大事な旅館を奪ったコロナ感染者達を恨み、感染拡大で私腹を肥やしたと噂される城之内を狙ったとの筋書きを残す為だった。あなたはそう推理したのですね」

「そうとしか思えません。その為に自らを被害者に仕立て上げ、普通は成功する確率の低い、シージャックという大規模な事件を起こしたのです。VIPや運営会社から自分が支払う分を除き、日本円で約二百億円近くの大金を得ようと企んだのですから、それ位のことはやるでしょう。あの方は自分の二千万ドルを見せ金にして、その十倍近い金を手に入れようとしたのだと思います。それだけではありません。調べて頂ければ判ると思いますが、恐らく城之内さん以外のVIPも、コロナ禍で資産を増やした人達ばかりではないでしょうか」

 これも彼女の推理通りだった。取り調べを受けている城之内は、今回の事件を起こした目的の一つに、そうした面々から金を奪う事だったと供述している。

 彼は途中で政府における権力者が変わった為、儲け損なったと逆恨みしていたらしい。また後々事件が明るみに出た際、そうした人達に恨みを持つ者の仕業に見せかける為だったとも自白していた。

「恐ろしい男だな、城之内という奴は。だが三郷さんは安西同様、彼を憎んでいた。だから危険を承知で、計画を阻止しようとしたのですか」

「はい。でも彼が今回の首謀者だと疑ったからこそ、私は大胆な行動に出られました。何故ならウイルスを船内に拡散する、または船を爆弾で沈ませるとの脅しはダミーである可能性が高いと考えたからです。それはそうでしょう、首謀者である彼が乗った船を、危険な目に合わせられないはずですから」

「なるほど。ハリスから得た供述からも、実際そうでした。念の為、船内を徹底的に捜索しましたが、爆弾もウイルスも発見されていません」

「そうでしょう。いくら医療従事者だといっても、コロナウイルスのような危険物を、船内に持ち込む真似はそう簡単に出来ません。ヘリを爆破した液体爆弾も、ほんの少量だったから運び込めたのでしょう」

 彼女の言う通りだった。多少セキュリティが甘いと言われるクルーズ船でも、それだけの危険物を運ぶとなれば余りにもリスクが高くなる。また城之内が首謀者だと疑っていた為、まず無いと考えて良いとの判断は正しかった。

 彼女は救援部隊の派遣要請をした際、防護服の着用や爆弾処理班は恐らく必要ないと通知して来た理由が、これではっきりした。もしその情報が無ければ、もっと準備に時間がかかったに違いない。 そうなれば梅野の命は助からず、ハリスの逃亡を許していた可能性も高かったはずだ。松ヶ根はさらに話を続けた。

「あなたのおかげで安西という重要参考人が浮かび上がり、この船の着岸を待つことになったからこそ、犯人側は焦ったらしい。私達が駆け付けた事で、本来予定していたよりも早く、身代金の振り込みを実行しようとした。だけどよくあのタイミングで、俺に救助要請が出せたものですね」

 彼女はそこで初めて大きく息を吐き、顔を顰めた。

「あれは本当に賭けだったわ。相手が計画を早めたからこそ、通信テストは絶対にどこかでやると読んでいたけど、どのタイミングで実行するかは判らなかったから」

「そうですね。それまでにこちらに伝えるべき情報を、的確かつ必要最小限にまとめていたのもさすがだ。しかもその僅かな時間を使い、あなたは城之内の口座に仕掛けをし、振り込み操作に時間がかかるよう細工をしたのですね。おかげで彼は振り込みが出来ず、またあなたの指示で動いたサイバー対策課は、VIP達の口座の凍結に成功した」

「本当に間に合って良かった。もし他のVIPが駄目でも、城之内さんの振り込みさえ防ぐことが出来れば時間を稼げると思ったんだけど、必要なかったわね」

「しかし何故城之内が振り込まなければ、全体の計画に支障が出ると思ったのですか」

「彼は他のVIPに対し、最も多い二千万ドルを支払うと言ったのよ。それが引き金となって、皆が身代金の支払いに応じた。その事は梅野さんから各VIP達に連絡した際に、確認が取れていた。だから逆に言えば、言い出しっぺの彼が振り込みしなければ、他の人達は躊躇、または反発するだろうと思ったからよ。だから彼の振り込み完了を合図に各人が行動するとしたら、まず彼の口座に仕掛けをしようとしたの」

「仕掛けというのは?」

「単に暗証番号を変更しただけ。それが出来るのは本来本人のみ。でも私はそれだけの権限を与えられていたからね。あの人も、私がそこまでするとは想像もしていなかったと思う。通信が遮断されているから、何もできないと信じ込んでいたのでしょう」

「後は本人の自白を待ち口座を徹底的に洗えば、色々明らかになるでしょう」

「お願いします。私の前任者の事故死も、もしかすると関係しているかもしれません」

 余りにも飛躍した話に、吉良達は目を丸くした。

「城之内の秘密に気付いたから、殺されたとでも?」

「その可能性は高いと思っています。かなり長く担当していたので、もしかすると前任者も加担していたかもしれません。ただ何らかの問題が起こり、邪魔になって排除されたと私は思っています。または余り考えたくはないですが、私を後任に据え置く為に処分されたのでは、とも疑っています」

またも彼女は、理解不能なことを言い出した為、吉良は驚いた。

「あなたを後任に指名した事が、今回の事件にも関係するとでもいうのですか」

「私が指名されてすぐ、彼を疑ったと言いましたよね。今回の事件では、コロナ感染者が一つのキーワードになっています。そう考えれば、私も当て嵌まるでしょう。それに一年半前の事件で、私は顧客を殺したとの容疑がかかっていましたから」

「いや、あなたがコロナの感染経験者なのは事実ですが、かつての事件なら真犯人が明らかになった事で、無実は証明された。それどころか事件を解決に導いたのは、あなたのおかげだ。それは考え過ぎでしょう」

 松ヶ根が強く否定し、吉良も同様に頷いた。しかし彼女は淡々と言った。

「私が事件の解決に尽力した件は、公になっていません。今回の様に事件の内情を漏らした経緯もあり、あなた達を含むほんの一部しか知り得ないことです。だから多くの人達は、週刊誌等で適当に仕入れた知識程度しか持ち合わせていない。無実とはいえ、そう言った人種からすれば、一度は顧客殺しの疑いがかかった女との偏見を持つでしょう。城之内さんもそうだった。だから私を担当者にして、船に乗せたのかもしれません」

「なるほど。それは考えられますね。安西同様、犯人の一味に仕立て上げるつもりだった。しかしそれが災いし、計画を阻止されるとは思ってもいなかったでしょうね」

「正直私が今回思い切った行動をした理由の一つは、そうした背景があるなら絶対に許せないと考えたからでもあるのです。だから私憤と言われても仕方がありません」

「いえ、そうではないでしょう。しかしそう考えると、あなたの正義感とたぐいまれない能力を侮った城之内が、哀れでなりませんね」

 三人はそこで苦笑した。吉良は今回の件で松ヶ根の能力もさることながら、改めて外見とは大きなギャップを持つ彼女のしたたかさに、頭が下がる思いをした。

 少し空気が和んだところで、松ヶ根がさらに質問をした。

「あと運営会社側にも犯人と通じている人物がいるというのは、根拠があるのですか」

「はっきりした証拠はないけど、これだけの大仕掛けよ。運営会社側が突っぱねて警察に連絡されたら、計画は成立しない。だからこの会社なら、確実に外部へ通報せず身代金を支払うと確信が無ければ出来ません。つまりそうさせるほどの情報を内部から得ていなければ、無理だと思ったの。それに恐らく身代金を支払えば、後に社長等が責任を取らされるはず。そうなれば、必ず得をする者がいるでしょう。そういう人と手を組んでいたから、城之内はこんな大芝居を打って出られたんだと思うわ」

 彼女の事情聴取通り、その後警察の捜査によって運営会社側の内通者が判明した。その人物は、出資しているイギリス企業側の役員だった。中国企業側の出資者で運営会社の社長が今回の事件で失態を犯せば、追い落せると考えていたらしい。

 そこで彼の弱みを握り、城之内側に内部情報をリークして交渉のテーブルに乗るよう仕掛けたという。計画が成功すれば成功報酬に加え、運営会社での地位を高めることができ、かつ中国側との出資比率を変更させて乗っ取ろうとも企んでいたようだ。

 しかし警察の捜査により彼は逮捕され、その夢は泡と消えた。

 もちろん城之内の過去における犯罪も明らかになり、三郷の前任者を殺して彼女を後任につけた理由も判明した。まさしく彼女の推理通りだった事に、警察関係者が皆驚愕したのは言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る