第十二章 船長達を巻き込んで

「警告を無視し、警察に通報したな。約束を破ったからには、乗客の命は保障できない」

 おそらく犯人の仲間が、横浜港にある支社を監視していたのだろう。本社にかかってきた連絡に対し、社長は必死に弁解したらしい。

「いや待ってくれ! 誤解だ。警察に通報などしていない。彼らはあの船の乗務員について、話を聞きに来ただけなんだ。信じてくれ」

 正直に経緯を伝え、入港しない船を不審に思っている警察に対し、誤魔化した事を告げたという。犯人側は当初相当疑っており、なかなか信じてもらえなかったそうだ。

 しかし先方でも、警察の動きを調べたのだろう。しばらくしてどうにか交渉の継続に応じてくれたらしい。だがそのおかげで、先方は強い調子でせっついてきたのだ。

「不可抗力とはいえ、警察があの船をマークし始めたのは確かだ。早く着岸しないと、ますます疑われる。だから時間稼ぎなど無駄な事は止めろ。要求通り、身代金を支払え」

「そう言われても、四億ドル何て大金を直ぐに支払うのは無理です。急げといいながら、それは余りにも非現実的な要求でしょう」

「八億八千万ドルから相当下げたんだ。あの船に乗っている客達の命は、そんなに安いのか。お前達が払えないのなら、VIP達に直接頼めと言っただろう。唸る程金を持っている奴らだ。それぐらい支払える奴はいるだろう。命が助かるなら、一人で払うと言い出す奴がいてもおかしくない。そっちの話は進んでいるのか」

「も、もちろん秘密裏に話は進めています。しかし皆様は確かに多額の資産をお持ちですが、直ぐに送金できる流動資産となれば、かなり限定されてしまうようです。株式や債券を売るのも時間がかかりますし、通信が途切れている状態ではそれもできませんから。少しでも多く集めようとしていますが、とても四億ドルには届きません」

「いくらなら集まりそうだ」

「そ、それはまだ何とも言えませんが、一千万ドルならなんとか」

「馬鹿言ってんじゃねぇ! そんなはした金で助けて貰おうと思っているのか」

「い、いえそういう訳ではありません。動かせる額に限度があると申し上げただけです」

「ふざけるな。あいつらなら、直ぐに動かせる隠し財産もいくらか持っているはずだ。下手な駆け引きをせず、動かせるだけの金を出せと言え。さもないと本当にウイルスを拡散させるぞ。隔離装置程度で守れると思うな。こっちはそれを見越して、ばらまく準備をしてきたんだ。脅しじゃない。なんなら試してみるか。ウイルスを拡散したって、直ぐに死ぬわけじゃない。だが感染して苦しみだす奴が増えれば、必死になって金を出す奴も出てくるだろう。あの船の医務室がいくら充実しているからといって、感染者が一気に出たら対処しきれないはずだ」

「待ってください。今お客様達と交渉していますので、それだけは勘弁してください」

「お前の会社は、いくら払えるんだ。客にだけ支払わせるつもりじゃないだろうな」

「今搔き集めていますが、動かせる資産はせいぜい三百万ドル、いえ五百万ドルが今の所、精一杯です」

「客に一千万ドル支払わせるくせに、それしか払えないのか。それじゃあ、客達も納得しないだろう。お前達が率先してもっと払わなければ、客も応じないぞ」

「な、なんとか集めてみます」

「さっさとしろ。時間が無いぞ。二時間後にまた連絡する。それまでにいい答えを出せるようにしておけ。いいな」

 電話はそこで切られたという。その為直ぐに本社からビリングへ連絡があり、犯人側の要求が伝えられたのだ。

「それで今、どれくらい集められそうなんだ」

「社長、そう言われても簡単にはいきません。こちらも安易に動けませんから、全て内線で個別に依頼している状況です。個別に直接訪問しお願いに上がれば、もう少し変わると思いますが。副船長の梅野に説明して、部屋を回って説明させるのは駄目ですか」

「それは先方から許可が出ない。身代金の支払い方法等については、船長の君以外に漏らすなと厳命されている」

「つまり私がこの場所を離れて、梅野と代わる事も駄目だという事ですよね」

「そうだ。私との窓口も、君だけに限定されている。持ち場は離れるな。それで今はいくらだったら、支払えそうなんだ」

「城之内様からは、二千万ドルなら払えるとお返事を頂きました。しかし前回もお伝えしましたように、同額以上のお金を本社でも支払うのが条件だとおっしゃっています」

「どうにか都合をつけているが、今のところ七百万ドルが限界だよ。他の方はどうだ」

「十四階の方々からは一人五百万ドル、合計四千万ドルまではどうにかすると回答を頂きました。十二階と十階のお客様の中には、まだ数人支払いを渋っている方もおられますが、四十人中三十四名から一人平均して三百万ドル、合計一億二百万ドルまで支払うとの回答を頂きました。やはり時間内に動かせる流動資産の限界がネックのようです」

「おお。それでもかなり増えたな。よくやってくれた。これで城之内様を除いても、最大一億四千三百万ドル、こっちが七百万ドル支払えば一億五千万ドルだ。あと六名の交渉と他の方々に更なる上乗せをお願いすれば、一億九千万ドルくらいにはなりそうだな。これでなんとか交渉するしかない」

 予期せぬことに安西という乗組員を確保する為、警察が港にやって来たことで犯人側も慌てたのだろう。本社との交渉は思った以上に早く先方と成立した。後は約三時間後、要求通り身代金を支払うと言ったVIP達を十三階にある、予備のビジネスセンター室に集めればいいだけだ。

 通常お客様達には、五階にある部屋を使用頂いている。だがインマルサットが故障した場合、イリジウム装置を動かし代替として利用できるよう多数の回線がある場所は、そこだけだった。逆の場合が起こった際にも、対応する為に用意された部屋だ。

 滅多に起きない場合を想定した部屋の為、船が完成しビリングが船内設備の詳細説明を受けた際、まず使われる可能性は低いだろうと思っていた。それがこのように役立つとは、想像していなかった。

 それにしても安西という男は、一体日本で何をしたのだ。本社も警察からは、あくまである事件の参考人としか伝えられていないらしい。

 しかしこの船に、犯人側の乗組員として潜入したと思われる男だ。今回の事件と関連する何かを、しでかしたに違いない。だから犯人側も、本社の説明に納得したのだろう。だがこれほど早く警察が彼に辿り着くとは、想定していなかったに違いない。

 昨日より前の段階で、彼がこの船に乗っているか内密で確認があった。恐らくその事を察知した彼らの仲間が、これまでの騒ぎを全て彼にやらせた後、口封じの為に殺したと思われる。 

 そこでふと疑問を持った。当初からウイルスを城之内の食事に混入するのは、シェフである安西の役目だった事は間違いないだろう。だがドローンを操作し、爆破することまで彼の仕業だったのだろうか。

 現在の状況を見れば、複数の犯人が乗船している事は確かだ。それならば、それぞれ役割分担があってもおかしくない。それに十一階のシェフが緊急事態の時にのこのこと持ち場を離れ、十三階にまで上がって来たのは不自然だ。

 彼はドローンを操作した仲間がいる部屋に呼び出され、実行犯かのように偽装工作された後に殺されたのかもしれない。その方が筋は通る。発見したセキュリティ部門の人間も怪しいものだ。犯人の仲間があの部署にいたとすれば、簡単に実行できるだろう。

 いずれにしてもビリングとしては、時間が来ればイリジウム装置のスイッチを入れさせるだけだ。そうして相手の要求通りVIP達の振り込みが終われば、何らかの合図があるのだろう。

 全てが無事済めば、船は爆破されることもなく、ウイルスも拡散されずに済む。後は本社から船を動かすよう指示されれば、横浜港に向かうだけだ。無事着岸さえできれば、後はもう心配することなどない。

 ただその後警察が船内に乗り込んでくる事態は、覚悟しなければならなかった。安西が殺されていたと知れば、間違いなく事情を聴かれるだろう。それでもシージャックについては、身代金を支払った資産家達が口を割らない限り、黙秘しなければならない。

 他は本社から既に伝えられた通りの筋書きを、淡々と伝えるだけで良かった。私は何も知らない。ただ本社の指示を受け、トラブルが起こった為に停船したまでだ。医務室からの報告によれば、同じく二時間後には全てのPCR検査が終わると聞いている。

 つまり犯人側もそれを知って、時間を指定したのだろう。恐らく検査では、陽性反応は誰も出ないに違いない。そこで城之内以外は問題ないと日本側に伝え、着岸の許可を得て出港する手筈なのだろう。

 こんな面倒な事は、さっさと終わって欲しい。早く陸上に降り立って、解放されたかった。取り調べなど、ここで味わっている地獄の時間を考えれば楽なものだ。

 それにこれらが無事終われば、ビリングが船長として担った任務の遂行は、本社から高く評価されるに違いない。そうなれば本格的な運航が始まる際における昇給も、大いに期待が持てる。そう本気で考えていたのだ。

 しかし不測の事態が起こった。城之内の同伴者として乗り込んだ客が不審な動きをしているとの報告を受け、梅野に対処するよう依頼した。

 また真意を確認しようと船長室に呼んだところ、驚くべき事に彼らは短時間の内に、犯人側の目論見をほぼ見抜き、さらにそれを阻止しようと動きだしていると判ったのだ。

 まず初めに、余計な事をするなと怒りが湧いた。だがあの三郷という女性に睨まれた途端、その思いは消し飛んだ。相手の考えを全て見通しているかのような鋭い視線に射抜かれ、ここで妙な嘘をつけば犯人側の仲間と思われかねないとの恐怖を抱いた。

 VIP達に連絡を取り、身代金を支払うよう告げているだけでも協力しているようなものだ。脅されて止む無くやっているとはいえ、心の内では罪悪感にさいなまれていた。そこに来て現れた彼女は、まるで審判を下すギリシャ神話の女神テミスかと見誤った程だ。

 しかも話を続ける内に、彼らの行動力と洞察力に舌を巻いた。恐らく船内の事情は梅野から情報を得たのだろう。だがごく限られた時間で、あれ程犯人側の意図を見抜いた事実に驚愕させられた。

 その上内情を知るはずの城之内も、一部だが彼女に白状している事も分かった。そこで問われる質問に対し、正直に自分が知る限りについて答えることにしたのだ。

 内心は恐怖もあった。犯人側も彼女達の行動に、気付いている可能性がある。そうなると下手に協力して刺激すれば、どうなるか判らない。問題が起これば、後に船長の責任を問われかねなくなる。

 だが一方では彼女達が計画を上手く阻止してくれれば、それに手を貸した自分も評価されるのではないかとの計算も働いた。もし失敗したら、彼女達は始末されるだけだ。船長室でのやり取りは、誰にも知られていない。

 彼女達が口を割れば別だ。しかしそうなる可能性は低いと考えていた。このような事態で命の危険を顧みず、何ら見返りも期待できない行動をする彼女が、被害者を増やそう等とするはずが無いと思ったのだ。

 船長としてはどちらに転んでもリスクが少なく、得る物が大きくなる確率は高い。そう考えた結果が今だ。ビリングは時計を眺めながら、早く時が過ぎないかと願いつつ、顔は徐々にほころんでいった。

 船長室を出た後、真理亜達は防犯カメラでの監視を意識しつつ、同じ階の副船長用の控室へ入った。名目はこれ以上二人が船内をうろつかないよう、彼の元で監視する事だ。

 しかし真の目的は別にあった。それはある予想に基づいた行動だった。犯人達の計画まで後三時間余りだ。それまでにどうにかして、船で起こっている事態を外部へ知らせなければならない。

 彼の部屋は、特定の人物しか入れない。よって今の時点では船長室と違い、盗聴などや部屋の中を細工する時間はなかったはず、と判断したからでもあった。

 もちろん救助を呼んだ場合、リスクは大きくなる。だがここにいる三人だけでは、船内に潜む犯人の仲間達を捕まえるのは不可能だ。よって他の助けが必要だった。それが外部にいる警察である。 

 幸い真理亜には、一年半前に知り合い親しくなった刑事がいた。この船旅の途中でもある事件について、協力を仰いできたぐらいだ。彼らの所属はS県警だから横浜港のある神奈川県警とは管轄が違う。だが今彼らは、警視庁と合同捜査している最中のはずだ。

 まだネットが通じていた最終日の朝、いつも通りニュースを閲覧したが、あの事件が解決したとは報じられていなかった。あれから進展したとしても、直ぐに解散とはならないだろう。

 そこに連絡を取り情報を流せば、必ず動いてくれる。そう信じていた。しかし時間は余りない。他の管轄に情報を提供して動き出すまでは、相当な時間を要するだろう。

 だからこそ時間稼ぎをする為にも、予定された計画の邪魔を一時的にしてもらうよう、梅野に依頼したのだ。犯人の仲間かあるいは脅されている船長の手により、イリジウム装置の通信は解除されるに違いない。それを阻止するのだ。

 また彼らは計画を実行する前に、間違いなく作動するか確認しようと、一度装置を解除すると真理亜は睨んでいた。何故ならネットを通じ、多額のお金を短時間で一斉に動かすのだ。もし通信に不具合が起これば、計画に大きな支障が出る。

 緊急時にのみ使用する装置の為、事前に機能するか既に一度は試しているだろう。それでも念には念をと、直前に近い時間帯で再度テストするのではないかと予想していた。

 もしそれが当たったなら、十三階でネットに繋がるコードに接続しておけば、一時的に外部との通信が可能となるはずだ。その僅かな可能性にすがり、真理亜は自分が持っているタブレットを、梅野の控室のコードに差し込んでいた。

 しかし試験的に動かしたとしても、僅かな時間に限られるだろう。その為連絡したい事項やこれまで得た情報を全て箇条書きにしたものを、既にファイルに書き込んである。後は通信が解除された瞬間、相手に送信するだけで良いように準備していた。

 そこからはもう、警察がどう動くかに賭けるしかない。相手とやり取りする時間もあればいいが、それは望めないだろう。それでもこちらの情報を信じ確実に動いてくれさえすれば、例え応援要員が船に乗り込むことは出来なくても、身代金の受け渡しを阻止または一時的に延期させる程度は出来るはずだ。

 そこから犯人側がどう出るかは、いちばちかになる。警察が動いたと察知して予告通りどこかで爆弾を使い、ウイルスを拡散することも在り得るだろう。真理亜達は船内にいる多くの乗員乗客の命を、危険に晒してしまうかもしれない。

 といってこのような卑劣な犯罪は、決して許す訳にはいかなかった。もちろんPBとして、城之内の資産を守る使命もある。だがそれ以上に、口封じの為か仲間割れかは知らないが、人一人が殺されている事に怒りを覚えた。

 そんな輩を野放しにしてはいけない。またある疑惑を解消したいとの正義感が、真理亜の背中を押していた。その一方で、梅野はともかく直輝を巻き込んだ罪悪感に苛まれていた。この葛藤は今でも時折感じる。だがもう引き返すことは出来ない。

 時間は刻一刻と過ぎていく。三人は動きやすいよう、防護服を脱いでいた。真理亜は通信可能になる僅かな瞬間も逃さぬよう、タブレットの画面を睨み続けなければならず、目が離せない。だがその間、梅野と直輝も無為に過ごしていた訳ではなかった。

 梅野は城之内を除く、十四階から十階のVIPが滞在する部屋に内線をかける役目を負った。これは船長が、城之内に内線を通じて会話していた事実をヒントにしたものだ。 

 彼は本社と連絡のやり取りをしている。よって個別に身代金を出させるよう、指示されていたのではないかと疑ったのだ。

 城之内は一人三億を目安に、要求されていると示唆していた。そこで副船長である梅野が、その事実を既に承知している振りをして各部屋に連絡し、いくら支払うつもりなのかを探らせたのだ。

「副船長の梅野です。船長の代理でお電話させて頂きました。何度も申し訳ございません。大変失礼だと承知しておりますが、例の件はご承諾頂けましたでしょうか」

 そういうと、あるVIPは不機嫌な声を出して言ったそうだ。

「払うと言っただろう。直ぐ動かせる金はだいたい八百万ドルだ。二人分のノルマは十分超えている。約束の時間になったら、十三階の部屋に降りればいいんだろ。判っているよ。仮想通貨に交換した金を、指定口座に振り込むだけでいいんだな。だが俺達は間違いなく解放されると保証は出来るのか。それに俺達だけじゃなく他の乗客も、本当に支払うと聞いたが本当なんだろうな」

「はい。先方は支払いが済めば解放すると断言していますし、他の方も同様です」 

 梅野が尋ねる前に、べらべらと聞きたい情報を教えてくれたという。そうして得た情報を重ね、次々と各部屋に確認の電話だと偽り更なる内訳を探った。その横で直樹は彼のパソコンを借り、その内容を聞き取りながらまとめ、順次リスト化してくれていた。

 そのファイルをUSBメモリに保存しては、真理亜のタブレットに接続してコピーさせ、警察に提供する送付データの中身を充実させていったのだ。

 こうしておけば例え計画が実行されたとしても、各被害者の損害額を確定する手間が省ける。また警察のサイバー犯罪課も、後に追跡しやすい。時間的余裕があればVIPの口座を特定し凍結もできるだろう。しかしさすがにそこまでは、期待できなかった。

 それでも詳細なデータを送れば、直ぐには信じて貰えない程の出来事が、船内で今まさに起こっていると証明でき、説得力を増す手助けにはなるはずだ。

 それらが生かされることを信じて、黙々と三人で作業を続けた。気付くと例の時間まで二時間を切っている。ここまでで身代金を支払うよう依頼されていたVIP達の情報は、ほぼ全て揃った。だが通信装置のテストは、もうしないのかもしれない。

 そう諦めかけた時、部屋のインターホンが鳴った。誰かが訪ねて来たらしい。真理亜は慌てて用意していたパソコンを隠そうと、コードから外そうかと考えた。だがもし今この瞬間に、テストが行われるかもしれないとの思いが頭をよぎり、手を止めた。

 梅野が扉の前に立ち、受話器を取って応答に出ながらドアスコープを覗いていた。

「はい。梅野だが何かあったのか」

 そう言いつつ、彼は真理亜達に向かって口だけを動かした。セキュリティ部門の人間だという。どうやらここにいる三人の動きを不審がり、とうとう動き出したらしい。だがそこで、何故このタイミングかと考えた時、真理亜はある事に気付いた。

 その為危険ではあったが、パソコンはそのままの状態にした。念の為、鞄等の荷物を置いて隠しながらも、画面はいつでも見えるようにしたのだ。

「何故君は、私の部屋に入りたがるんだ。要件があるなら今言えばいいだろう」

 やはり彼らは真理亜達が何かしているのではないかと疑い、見回りに来たようだ。しかし逆を言えば、彼らがこれからイリジウムを動かしテストするからこそ、外部と通信しようとしてはいないか、探ろうとしている可能性が高かった。

 ならば絶対にこの機会は逃せない。だが彼らを中に入れず、作業を続けるには危険が伴う。真理亜はこのチャンスと危機をどうやって回避するか、懸命に考えた。

 その間にも、梅野とセキュリティ部門の隊員との激しいやり取りが続いていた。

「だから言っているだろう。これ以上船内を歩き回るのは止めるよう、私から言い聞かせているところだ。これは副船長である私の仕事であり、君達の役割は別にあるだろう」

 それでも相手は引かないらしい。幸い全ての部屋へ入室できるカードを、彼は持たされていないようだ。もしそれがあれば、既に無理やりでも中へ突入して来ていただろう。何故なら彼らのリーダーだけは、そうしたカードを所持していると聞いていたからだ。 

 再度彼は怒鳴るように言った。

「防犯カメラの監視はどうした? 他に不審な動きをしている客や乗務員がいないか、よく見た方が良い。いつもとは違い、廊下等は隔離装置を各所に設置しているから、全ての部屋の出入りは確認できないはずだ。この人達は、十四階と六階というヒントから、私が探り当てられたに過ぎない。他の客なら、そうはいかないだろう」

 彼の言葉を聞いた真理亜は引っかかりを覚え、確かめる為にある所へと内線電話をかけた。すると出た相手は驚いたらしく、確かめる為に至急向かうと言って切った。

 どうやら予想は当たっていたようだ。しかし余り時間に余裕はなかった。だがしばらくすると外で揉めている声が、中まで聞こえて来た。

「どうしてお前がここにいる。そんな映像、五階の待機室では映っていなかったぞ。もしかしてお前達、何か仕組んだんじゃないのか」

「そ、そんな事をする訳がないだろう。たまたま映像が乱れただけじゃないのか。それより何故五階にいるチームの奴が、こんな所へ何しに来た」

「連絡があったんだよ。副船長室へ無理やり入ろうとする人がいるから、確認してくれとな。だが防犯カメラには映っていなかった。だから確認の為に来てみたら、お前が」

 そうしたやり取りが続いているその時、突然ネット接続されていないと示すアイコンが、通信可能の表示に変わった。真理亜は心の中だけで叫んだ。

「繋がった!」

 即座に準備していた、大量の添付ファイルが付いたメールを送信する為にアイコンをクリックする。と同時に別の画面を開き、操作をした。再び胸の中だけで祈る。

「お願い! 届いて!」

 反応がやや鈍いらしく、表示がクルクルと回っている。それを同じく黙っていた直樹と息を呑みながら見守っていた。やがてしばらくすると、送信された表示が出たのだ。

 思わず小声で彼に囁いた。

「行った? 送れた?」

 だがまだ安心はできない。時折メールは送信できたと思っても、しばらく経った後にエラーで送れなかったとのメッセージが届く場合がある。相手のメールアドレスを間違っていた場合など、そうなることが多い。だがそうならないよう何度も何度も確認した。

 後は通信状況が途中で遮断され、戻って来てしまうケースだ。それならば、そういう表示が出る。どっちなのか。送信画面を睨め付けていると、返信メールが届いた。

「駄目だったか」

 まだ通信可能の表示は消えていない。だがこんなに早く返信が来たのなら、送付したものが戻ってきたとしか考えられない。そう思ってメールの題をよく見ると、エラーではなく、RE:とある。

 不審に思って開くと、全く予想していなかった文言が目に飛び込んできた。

「何? なんで松ヶ根さんからメールが?」

 メールは無事届いたらしい。しかもそれを見た彼が、直ぐに返事を寄こしたようだ。普通は考えられない。前もって連絡すると判っていれば別だが、通常これ程早く反応が帰って来る等まずあり得ないからだ。

 彼とはある事件で知り合ってから、多少なりとも親しくはなった。だが頻繁にやり取りをする相手ではない。直近でメールを送ったのは一週間程前だが、別の事件の相談をされて返信しただけだ。そんな相手に速攻で返事が返って来たのは何故なのか。

 すると外から再び、怒鳴り声が響いた。

「ほらみろ。今五階の映像では俺達の姿が映っているんじゃないか。やっぱり一時的に不具合が起こった証拠だろう。さっさと帰れ。全ての階を監視できるのは理解している。だがお前達は五階にいるなら、下の方を監視してればいい。上は十三階の俺達に任せろ」

 声は小さくなったが、まだ言い合いは続いているようだ。今しかない。真理亜はメールに神経を注いだ。謎は彼が打った文章を読んで理解した。

 そこにはこう書かれていた。

― 無事か? 今俺達は別件で君の船の着岸を待っている。安西陽太郎という人物はまだ乗船しているか? その船では一体何が起こっている? ―

「安西というのは、死体で見つかった彼の事ですね」

 直輝は驚きの声を発したが、真理亜はまだ通信可能な事を確認し、速攻で返信した。

― 無事。今十三階の副船長の部屋に、彼と直輝でいる。この船はシージャックされた。安西は仲間らしき人物に殺された ―

 まずは彼の問いに答える短い文書を送り、いつ途切れても良い様にと続けて打った。

― データを読んで。至急犯人達を確保する為、制圧部隊を密かに派遣して ―

― 身代金を振り込ませないよう、サイバー犯罪対策課に頼んで口座を凍結して―

― もうすぐこの交信も途絶える。犯人が爆弾を使ったり、ウイルスを拡散させたりする前に、犯人達を確保して―

 ここまで送信して、通信は遮断された。先方からのメールは、最初の一通だけだった。だが伝えたい点は、最初のメールやデータで送信済みだ。後で送った文章は、現時点における優先順位を書き送っただけである。

 その時、梅野が席に戻って来た。恐らく送受信のテストが終わり、これ以上揉めても無駄だと思ったのだろう。彼らは和解して、それぞれの持ち場に戻ったそうだ。

 真理亜は大きく息を吐いた。大仕事を終えて、緊張感が解けた為だ。一気にこれまでの疲れが、どっと体に押し寄せた。そのぐったりした様子に気が付いたのだろう。直樹の口から、外部への連絡が成功した経緯とその内容を梅野に告げた。

 彼は拳を握りしめ、ガッツポーズをした。そのまま興奮冷めやらないまま喋り始めた。

「それにしても真理亜さんはすごい。五階のセキュリティ部門を呼んで邪魔をさせるなんて。おかげでその間に外部と通信できたのですから。しかしよく思いつきましたね」

 彼のテンションについて行くのは辛かったが、真理亜は項垂れながらも答えた。

「セキュリティ部門の中でも、十三階の五人が怪しい事は判っていましたからね。そこから五階の人達は仲間で無いと、確信がありました。だとすれば、問題は監視カメラです。十三階にいる彼らが不審な行動を取れば、五階にいる人達が気付くはずでしょう。だからそうならないよう、予め何らかの仕掛けをしていると思ったのです」

 彼は感心しながらも、さらに続けた。

「それに警察は、別件で安西を追っていたんですね。だからこの船が横浜港に着岸するのを待っていた。しかもこの船の異常事態を、察知していたなんて信じられません。日本の警察は優秀だと耳にしますが、これまでは眉唾まゆつば物だと思っていました。でも考えを改めないといけませんね。驚きました。これ程頼りになるとは、想像を超えています」

「私が連絡した松ヶ根という刑事は、特に頭が切れる人です。でも彼はS県警の人なので、まさか横浜まで来ているとまでは私も予想していませんでした」

「そうだったんですか。神奈川県警とは管轄が違いますから、偶然にしては出来過ぎですね。安西は国内で一体、何をしたのでしょう」

 真理亜には心当たりがあった。タイミングを考えれば、彼らはS県内で起こった連続殺人事件の犯人を追っていたはずだ。つまり安西はその犯人、または重要な手掛かりを持った人物であることを意味する。

 そうした経緯を例の暗号めいた件だけは伏せ二人に説明すると、彼らは唸った。

「だったら彼らが追う人物は、既に死んでいます。そうなるとそっちの事件は、無駄足になってしまったようですね」

 梅野がそう言うと、これまで静かにしていた直輝が反論した。

「そうとも限りませんよ。安西はこの船に乗る前に国内で事件を起こした、またはその関係者と思われる人物ですよね。その彼がシージャックを起こした仲間で、しかも口封じされたかのように殺された。偶然にしては出来過ぎです。もしかすると、松ヶ根という刑事さんが追っている事件とシージャックは、関係しているのかもしれません」

 これに梅野が賛同した。

「そうか。今回のシージャックでは、コロナウイルスが使われた。安西は国内でコロナに感染した関係者を続けて殺した、またはその事件に関わっていたのなら考えられますね。それに警察が彼を追ってここに乗船している情報を掴んだのなら、運営会社と接触した可能性が高い。つまり犯人側も、警察が動いたと感づいたのかもしれません」

「はい。私もそれを考えていました。恐らくドクターヘリがこの船に向かって飛び、戻って来なかった事も向こうでは把握しているのでしょう。だから犯人側は計画を早めたのかもしれません。港に戻るのが遅ければ、ますます疑われるでしょうから」

「安西が何故殺されたのか不思議に思っていたが、警察に追われていると気付いた犯人側が、口封じしたと考えれば筋は通る」

 真理亜は二人の話が盛り上がっている状況を眺めながら、冷静になって考えた。偶然が重なれば、それはもう必然だ。つまり今回の一連の事件は、全て繋がっているに違いない。そう考えると、当初から持っていた疑念は、ほぼ確信に近いと考えていいだろう。

 しかし時間が迫っている。しかも特殊部隊を派遣される期待が僅かでもあるなら、梅野には犯人達に気付かれないよう、その受け入れを手伝って貰わなければならない。

 その為、彼らの会話に割って入った。

「梅野さん。そろそろ出ましょう。私達がいつまでもここで居たら、怪しまれます」

 時計を見て彼も気づいたようだ。

「では予定通り私は再び操舵室へ移動し、イリジウム装置の作動の邪魔をやってみます」

「あとはいずれ来るだろう、特殊警察部隊の援護もお願いします。近づく船がいたら探知する装置ってありますよね」

「レーダーを切るのですね」

「できますか」

「難しいですが、やってみます。現在この船は停泊していますから、レーダーを切ったとしても危険は少ない。大きなクルーズ船が、真っ暗闇の沖合で煌々こうこうと灯りを点け、停泊しているのです。動いている船の方が、私達を避けてくれると信じましょう」

 彼はそう言って部屋の扉を開けた。防護服を着直した真理亜達も同時に廊下に出る。自分達の行き先は六階の部屋だ。これ以上船内をうろつくと、怪しまれるどころか口封じされかねない。早々に戻り、身の安全を確保した方がいいだろう。

 すでに自分達が打てる策は全てやった。外部との連絡だけでなく、同時に操作した作業も、恐らく上手くいったはずだ。この後の事は、梅野や松ヶ根達に任せるしかない。真理亜は直輝を先導にして辺りを伺いながら、六階へと急ぎ足で向かった。

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