第17話 強さの理由

 夜会の日まで、残り数日。ヒューゴと共に練習を続けたダンスは、ここに来てようやく形になりつつあった。


「今の、けっこううまくできたんじゃないですか?」

「この程度で喜ぶな。だが、人に見せられないというほどではないな」


 ヒューゴは素直に誉めはしないものの、それでもなんとか最低限のラインは越えているらしい。


「さんざん足を踏まれた甲斐があった」

「もう。またそれを言うんですか」

「何度でも言う。盗賊や悪漢と戦うより、はるかに痛い目にあったぞ」


 あまりに踏まれ過ぎるため、靴を警備隊で使う強度高めのものに変えたくらいだ。そんなものを履いて踊るダンスは、端から見るとさぞかし滑稽だっただろう。


 しかしそうまでして練習しただけあって、この数日はクリスも足を踏むことはなくなった。

 恐れおののき逃げていた講師も、ようやく安心して相手役に復帰してくれていた。


「それにしても、隊長があんなにもダンスが得意だとは思いませんでした。もしかすると、講師の先生にも負けていないかも」


 これは、決してお世辞などではない本心だ。

 この特訓を始めるまではダンスの良し悪しなどまるで知らなかったが、そんなクリスから見ても、ヒューゴの動きはとても洗練されていて美しい。自分がここまで上達できたのも、そんなヒューゴがずっと相手をしてくれていたからだと思っている。


 しかしヒューゴは、それを聞いても特に誇ることなく、むしろ苦々しそうに顔を歪めた。


「そんな大層なものじゃない。必要だから覚えただけだ。そうでなければ、誰が好んでダンスなどやるものか」


 それは、謙遜と言うにはあまりにも刺がありすぎる言葉。もしもここにダンスの講師がいたら、涙目になっていたかもしれない。


「総隊長、もしかしてダンスが嫌いなんですか? あんなに上手なのに?」

「ああ嫌いだ。と言うより、女と踊るのがいやなんだよ」

「あっ……」


 今ごろになって気づく。社交ダンスとなると、大抵の場合男女のペアになるのだが、触れただけで気分が悪くなるほど女性が苦手なヒューゴにとっては、苦痛でしかないだろう。


「それじゃ、今までの夜会ではどうしていたんです?」

「そんなもの、あの手この手を使って極力行かないようにしていたよ。出席したとしても、踊るのはせいぜい一度きり。その一度は、気力でなんとかした」


 なんとかしたとは言っているが、それは決して楽なことではなかっただろう。当時のことを思い出したのか、明らかに顔色が悪くなっている。


「それなのに、どうやったらあれだけうまくなれるんですか?」

「前にお前がやっていたように、一人でひたすら練習して動きを覚えた」

「なっ……」


 さらりと言うが、それができなくて協力してもらったクリスからすれば、驚くしかない。

 それに、驚くことがもうひとつ。いかに社交の場では必須と言っても、所詮はたかだかダンスだ。それを、そんな苦労までしてやらなくてはならないのだろうか。


「貴族の人って、そこまでダンスが大事なんですか?」

「別にダンスに限った話じゃない。勉学にマナー、あと、うちの場合は武術。多くのものが要求され、結果を出さなければならない」

「そんなにたくさん。いくらなんでも、無茶ですよ!」


 しかし思い出してみると、この数日の講義でも警備隊の職務でも、ヒューゴは常に、常人を遥かに上回る能力を発揮していた。


 だが、それを単純に凄いと思う前に、心配になってくる。

 確かにヒューゴは、貴族であり領主の孫だ。かけられる期待と負わなければならない責任は大きいだろう。だが、それに応えた結果今があるというのなら、いったいどれ程の努力と苦労を重ねなければならなかったのだろう。


「別にこれは、貴族に限った話じゃないぞ。商家に生まれれば算術や経営学を学ばせられるし、農夫の子は幼き頃から土を弄るものも珍しくあるまい。俺は求められるものが人より多かった。それだけだ」


 本当に、そうなのだろうか。

 もちろん、今の言葉に嘘や間違いがあるようには思えない。ただそう話すヒューゴの表情に、ほんの少し影が差したようにみえた。


 もう少し、踏み込んで聞いてみてもいいだろうか。そう思い迷うが、その前に、ヒューゴの方から口を開く。


「だいたいそういうことなら、お前の方がおかしいぞ」

「えっ、私ですか?」


 急に矛先がこちらに向くが、なんの事だかさっぱりわからない。


「お前の女とは思えない強さだ。大の男、それも、鍛え上げたうちの隊員の中にいても、何の遜色もない。特に素手での戦いで使うあの風変わりな武術は、俺から見ても大したものだ。いったい何があったらあれだけ鍛えようと思えるんだ」

「なんだ、そんなことですか。そんなの、別に普通の理由ですよ」

「どうだかな。男のふりをして警備隊に入ってくるような奴の普通が、当てになると思うか?」

「そ、それは……」


 それを言われてしまっては、なかなか反論しにくい。

 だが、確かに女の中では相当強いという自信はあるが、別にそうなった経緯に特別変わった事情があるわけじゃない。


「村に東の国の武術を教える道場があって、兄弟と一緒に通ってたってだけですよ。元々、男兄弟が多い中で育ちましたからね。みんながやってると自分もマネしたくなりますし、近くに競争相手がいるなら、もっと頑張ろうって思うじゃないですか」


 改めて思い返してみても、本当に特別な事情なんて何もない。そうしていくうちに、いつの間にか強くなっていったって感じだ。


「とりあえず、お前の兄弟仲が良いことはわかった」

「別に、そんなに良くはないですよ。子供の頃なんて、お菓子の取り合いで技をかけてきたんですから。あっ、それに負けないようにって思って、必死で鍛えたりはしましたね。人のお菓子を横取りしようとする兄を、投げ飛ばしてやりました」


 これもまた、クリスにしてみれば当たり前の思い出話。だがそれを聞いたとたん、ヒューゴが目を丸くした。


「お前、あれだけ強くなった理由が、お菓子の取り合いだと!?」

「べ、別に、そのためだけに強くなったわけじゃありませんよ!」


 そういえば、試合に勝ったら両親がご馳走を用意してくれると言うから頑張った、なんてこともあったが、それは絶対に秘密にしておこう。


「それにしたって、お菓子か……」

「しょ、庶民にとっては、お菓子ひとつも貴重なんです!」


 よほどツボにはまったのか、ヒューゴにしては珍しいくらいに笑っている。一応、堪えようとはしてくれているようだが、ちっとも隠せていなかった。


「俺も、そんな平和な理由で何かに打ち込められたらよかったのにな」

「むぅ──どうせ私は平和ですよ」


 少し前までダンスの成功を喜んでいたというのに、なんだかすっかりおかしな具合になってしまった。


 しかしまあ、せっかくひとつの区切りがついたんだ。

 夜会まであと数日。その前に、たまにはこんな話をして、肩の力を抜くのも悪くないのかもしれない。

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