第8話 女だとバレた後の周囲の反応

 クリスが女であることがばれ、警備隊を辞めることになってから、一夜が明けた。とはいえ、彼女は再び警備隊本舎へと来ていた。

 辞めるとなれば諸々の手続きが必要になるし、しかも辞める理由が理由なだけに、その扱いは非常にややこしいことになっているのだ。


 そんなややこしい手続きもようやく一段落し、クリスは休憩所の椅子に腰を下ろす。

 そこで、ふと誰かの視線を感じた。それとなく回りを見ると、近くにいた何人かが、遠慮がちにこちらを見ているのがわかる。


(やっぱり、注目されるよね)


 クリスが女だということ。それに警備隊を辞めるということは、既に他の隊員達にも知れ渡っていた。

 ほとんどの者は、 最初それを聞いてまさかと思ったが、ワンピース姿という、昨日までとは違う女物の服装でやって来た彼女を見ると、嫌でもそれが真実であると思い知らされた。


 しかし、意外にもそのことについて、クリス本人に直接何か言ってくる者は少ない。

 ずっと男だと思っていた同僚が、実は女だったという異常事態に、皆どうすればいいのかわからず戸惑っているのだろう。


 しかしそんな中、クリスに声をかけてくる者がいた。キーロンだ。


「よ、よう、クリス。いや、クリストファーってのは、偽名だったんだよな。なんて呼べばいいんだ?」

「えっと……本当の名前は、クリスチーヌって言います。だけど、元々クリスって呼ばれることが多かったので、そのままでかまいません」

「そ、そっか。それにしても、男にしちゃかわいい顔してるなと思っていたが、まさか本当に女だったとはな」


 キーロンは、戸惑いながらもまじまじとクリスの姿を見つめてくる。

 どこからどう見ても完全に女の姿となった同僚に、驚きを隠せないのだ。


「あの、今まで騙していて、すみませんでした」


 理由はどうあれ、隊のみんなを騙していたのは事実だ。謝罪の言葉と共に、頭を下げようとするが、下げ終わる前に、キーロンがそれを止めた。


「よせやい。迷惑をかけられたわけでもねーのに、頭なんて下げられてもむず痒くなるだけだ。むしろ、お前がいてくれたおかげで助かったことの方が多かった」

「キーロンさん……」

「俺だけじゃねえよ。他のやつらだって、驚きはしても、お前に怒っている奴なんて一人もいね。クビになったのだって、なんとかなんねーのかって言ってる奴もけっこういるんだぜ」

「そんなことになっているのですか?」


 知らなかった。そして、こんな時だというのに、凄く嬉しかった。

 すると、今までそばで見ているだけだった者達のも、徐々に側へとよってきて、言う。


「そりゃそうだろ。俺達は、時にお互いの命を預け合う関係だ」

「その仲間が困っているなら、力にだってなってやりてえよ」

「皆さん……」


 不覚にも涙ぐみそうになり、なんとかそれをこらえる。


 本当のことを言えば、真実を知ってしまった彼らと話すのが、怖くもあった。もしも怒りや罵りの言葉をぶつけられても、決して文句は言えない。そう思っていたから、ずっと見られていると感じても、自分からは言葉をかけるなんてできなかった。なのに、こんなにも思ってくれているなんて、嬉しくないわけがない。


「なんなら、俺達から総隊長にどうにかならないか頼んでみてもいいが、どうする?」

「それは……」


 問われて、すぐには言葉が出てこない。これがもしもクビを言い渡された直後なら、迷わずそれにすがりついていただろう。この人達と、また一緒に働きたい。そんな思いは、今もある。

 だけど同時に、クビ宣告から一夜明け、少し冷静にもなっている。その上で、 処分を下したヒューゴの言葉を思い出しながら、答える。


「ありがとうございます。だけど、いいんです。元々不当な手段でここに入ったのは事実ですし、にもかかわらず、ヒューゴ総隊長には、精一杯の便宜を図っていただきました。寮を引き払った後に住む部屋だって決まりましたし、これ以上無理を言うわけにはいきません」


 ヒューゴは退職金と称したものの、実際は身銭を切ってまで当面の生活費を工面してくれた。これから住むことになる部屋も、彼がわざわざ手配してくれたものだ。

 本来なら問答無用でクビになっても文句は言えないのを考えると、こうまでしてもらってなお残りたいとは、さすがに言えなかった。


「そうか。お前がそれでいいって言うなら俺達が引き留めるわけにもいかねえな。近くで働くなら、たまには顔を出しに来いよ」


 皆を代表するようにキーロンが言う。すると他の者達も、寂しくそうにしながらも、一人また一人と頷いていった。


「まあ、どのみち寮を出ていくのは正解だな。ほとんど若い男しかいないところに女一人でいるのは、どう考えてもよくねえだろうからよ」

「そ、そうなんでしょうか……?」


 その辺に関しては、クリスも最初のうちは一応の警戒をしていたものの、今となってはその必要があるのかよくわからない。ずっと男だと思っていた相手が実は女だとわかってところで、いきなりそういう対象として見られるものなのだろうか?


「ヒューゴ総隊長だって、私に触れても大丈夫でしたよ」

「本当か? そりゃすげえな。まあ、それでも一応、そういう用心はしておくに越したことはねえだろ。それとよ……」


 そこでキーロンは、少しだけ言葉を濁した後、ばつの悪そうな表情で言う。


「俺、お前が男だと思ってる間、けっこうセクハラになるようなことしてなかったか? できれば、水に流してくれたらありがたいんだが」

「あぁ……」


 キーロンが言ってることの心当たりなら、いくつかあった。いや、けっこうあった。

 渇を入れるために尻を叩かれることもあったし、普段の話の中で、男性の欲にまみれた発言を何も聞かされた。

 むろん、クリスとしては反応に困るものも少なくなかったが、それらは全て、同じ男と思っていたからこその言動であるのはわかっている。


「私が女だって知らなかったんですから、仕方ないですよ」

「そう言ってくれるとありがたい。そんなこと、女房に知られたらどんな目にあうか」


 ブルリと身を震わせるキーロン。この隊の中でも数多くの修羅場を潜り抜けている彼だが、今まで戦ってきたどんな相手よりも、怒った奥さんの方が怖いそうだ。


 そんなことを話していると、休憩所の扉が開き、新たに一人入ってきた。ヒューゴだ。


「お前達。休憩はとっくに終わっているぞ」

「えっ、もうそんな時間ですか!?」

「こいつと話がしたいなら、仕事終わりでもできるだろ。今はさっさと持ち場に戻れ」


 ヒューゴに一喝され、慌ててそれぞれ持ち場に戻ろうとする。しかし、クリスもまた持ち場に戻ろうとしたところで、今更ながら、その席がないことに気づく。


「お前はもう隊員じゃないだろ」

「そ、そうでした」


 つい反射的に動こうとしたのだから、慣れというのはなかなか抜けないものだ。

 だがヒューゴが来たのは、部下を仕事に戻すためだけではなかった。


「クリス。昨日話した退職金の件だが、渡すのは明日まで待ってはくれないか。急な用事で、俺はこれから家に戻ることになったんだ」

「そうなのですか。別にかまいませんけど」


 なにも、今すぐもらえなければ生活できないなんてことはない。

 それよりも、クリスとしてはヒューゴが急に家に戻るという方が気になった。


 するとそこで、そんなクリスの気持ちを代弁するかのような声がする。

 さっき出ていったはずのキーロンだ。


「おや。総隊長が早退するって珍しいですね」

「キーロン。仕事に戻れと言ったはずだろ」

「すみませんね。ちょっと忘れ物したんですよ。それにしても、急な用事って、何があったんです?」


 すみませんと言ってるわりにはあまり反省しているようには見えないが、キーロンの言う通り、ヒューゴが早退するというのが極めて珍しいというのは確かだ。


 ヒューゴはナナレンの街に屋敷を構えているのだが、仕事で帰るのが極端に遅いことや、着替えを持ってきての泊まり込みということもざらで、隊員達の間では、実質この駐屯所に住んでいるようなものなどと言われている。クリスの知る限りでは、今回みたいに早退したことなど記憶になかった。


 するとヒューゴは、わかりやすいくらいに顔をしかめる。


「下らないことだ。ついさっき屋敷から使いの者が来て、急に親戚が訪ねて来たと知らせがあったんだよ。忙しい時に、迷惑な話だ」

「総隊長の親戚というと、もしかしてお爺様である、アスター辺境伯ですか?」


 ヒューゴの親戚なんて、クリスやキーロンにしてみれば、もちろん会ったことも見たこともない人だ。ただそれでも、彼の祖父の名前なら、二人に限らず誰もが知っていた。


 ランス=アスター辺境伯。ナナレンを含むこの地方一帯を治める領主であり、かつては異民族の大規模侵攻を幾度となく退けてきた英雄として、その名は国中に知れわたっている。


 クリス達は、普段は警備隊総隊長としてのヒューゴしか知らないためつい忘れがちになりそうだが、彼はそんな英雄の孫であり、国内でも有数の貴族の一員なのだ。


 しかし、訪ねて来た相手というのは、どうやらアスター辺境伯とは違うようだ。

 ヒューゴは首を横に振ると、不機嫌そうに話す。


「いや、来たのはもっと遠縁の親戚だ。分家とはいえ、俺にとっては叔母のようなものだが、事ある毎に見合いを勧めてくる、厄介な相手だよ」

「「見合い!?」」


 ヒューゴの口から出てきた言葉を聞いて、クリスとキーロンは思わず顔を見合わせた。

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