第47話 星天大聖

 誰もいないはずの大広間に人影がある。御簾に隔たれた奥には多くの灯火が並び、暖かな光が周りに漂っている。羽はその中央にひざまずいていた。

「やあ、こんばんはだね、御曹司」

 こつこつ、と歩いてきた統に羽は目を丸くした。

「と、統!? どうしてこんなところに?」

「控えよ、周羽!」

「!?」

 内官が唐突に叫んだものだから、身を震わせた。

「このお方を誰だと思っているのだ!!」

「まぁまぁ、彼には伝えてなかったことだし。内官、彼を責め立てるなんて無体なまねはよしてくれないか。僕の本当の名前は孫統という。王姓は乳母のものだったんだ」

「は、失礼いたしました、!」

 皇帝陛下、そう内官は言った。統が皇帝陛下なのかと羽は思考を巡らせる前にとっさに膝をついて頭を垂れる。

「陛下! これまでの無礼をどうかお許しください! 全ての罪は私のみにあります、故に周家には何の非もありません! どうか寛大なご処置を!」

 羽が叫んだのに、統は何も言わなかった。恐る恐る顔を上げると、まるで干からびたみみずを見るような目でこちらを見ていた。何を言い出すかと身構えていると、統は思いっきり体をそらして叫び始めた。

「かぁー!! これだから周家には気をつけろって父上から言われてたの今更だけど、分かったよ!!!」

「陛下?」

「だーかーら!!! その言い方がさぁ! なにそれ、武将なのか!?」

「で、ですが、陛下は、その、陛下なので……」

 狼狽えつつも言葉を探している羽に、統は大げさにため息をついた。目を伏せがちにし、低い声で統が続ける。

「まったく、ご先祖様から何十年と経って丸くなったかと思えば、何その忠義心。毎日顔を合わせている高官たちより高いって何の因果だよ。お前たち周家はまだ武家だった頃の記憶が刻まれてるのかよ。怖いな、ほんと」

 武家、というのは何となく思い当たる節がある。周家のはじまりは武家だった。大きな戦でいくつもの武功を立てた武将が、その引退を受けて音楽に手を出し始め、それが続いてこうなったのだ。

「でも、まぁ。こうして曲を作ってくれてありがとう、羽」

「もったいないお言葉――――っつ!?」

「だからさ、もう! 初めて会った時と同じように接してほしいんだってば、策の奴なんか徹頭徹尾普通に接してくれたし!」

「おっさんの厚顔無恥に俺を巻き込まないでいただけませんかっ!?」

「そうそれ! 君の素の喋り方僕とっても好きだよ」

「本当に、よろしいんですね?」

「だって、君たち周家の裏表激しすぎなんだもの。権殿がその最たるものだから、君は似なくてよかったのに、色々調べさせたら似ててちょっと悲しかったよ」

 そんな事言われても、困る。裏表が激しいだなんて初めて言われた。自分はただ、周家の御曹司として振る舞っているだけなのに。

「さて、話が脱線してしまったけれど、権殿から聞かされているだろう。君の作った曲は殿中曲になる事を」

「ええ……あぁ」

 統が変な顔をし始めたので、羽はとうとう観念した。どうやら、この青年は本当に策と同じように一筋縄ではいかないようだ。思ってみれば、怪しいところが満載だった。なんの知らせもなく庭に侵入することや、手に入れることが難しい交易品を持ち出すなど、普通の官吏ではめったにできないことだ。

「殿中曲になる事は分かった。けれど、俺はこれで満足してません」

「君は、殿中で名を残すのが夢だろう。ならば、これでいいじゃないか。殿中曲を一曲作れば、それこそこの国が続く限り名は残るだろう。あとは何もしなくていいじゃないか」

「いや、それじゃだめだ」

「へぇ、なんでだい?」

 たしかに、何もなかったあの頃はただ殿中で名を残せばいいと思っていた。けれど、曲を作っていくうちに分かったことがある。

「俺がまだ曲を作りたいと思っているんだ。あの曲は確かに多くの人達の思いを俺なりに織り込んだ曲。けれど、まだここに鳴らしたい音があるんだ」

 頭をこつこつと叩いて羽は言った。曲を作る時、どうしても外してしまった音がある、変えてしまった音がある。けれど、それらの音が劣っていたとは思いたくない。むしろその音でまた曲が作れないかとすら思ってしまう。

 例えば、二胡の高音に沿うように太鼓を響かせたらどうだろう。

 あるいは、笙の長音に小刻みに琵琶を奏でたらどうだろう。

 そのほかにも、あるある、どんどん音があふれていく。それらをどうしても形にしたいと思っている。

「俺は周家の風習は大事だと思う。けれど、俺自身が曲を作りたいと思っているんだ」

「それが答えだね」

「あぁ」

「素晴らしい! さすが能天気で人嫌いで笛を吹く以外まるで能が無い策が気に入る子だね!」

 自分が言うのは何だが、大親友なのにその言い方はどうだろうか。

「いいよ、曲をつくったらいいじゃないか。君が乞うなら、新しい楽器を考案してもいい。僕はそれができるちょっとすごい皇帝だからさ」

「そ、それは」

「そうだね、曲を作ってくれたのに何の褒美もないなんてかわいそうだね。だから、これをあげよう。金子や生絹なんか君の家には溢れるほどあるだろうし」

 内官に持ってこさせた巻物を統が広げた。

「楽士周羽が作曲せし九星八十八を殿中曲と認め、この者を周家当主並びに星天大聖の号を授けることを認可する」

 星天大聖。大聖の号を持つ二つ名だ。二つ名を授かるとは思いもしなかった。そっと、羽の前に巻物がつきだされる。子どもの頃から憧れていた景色が目の前にある。羽は涙をこらえてそれを恭しく受け取る。

「拝命いたします」

「おめでとう、これで君も二つ名持ちだ。どうかな、実感は」

「実感は、まだない。けれど、ありがとう。俺の琴を聴いてくれて」

「たいしたことじゃないよ。僕は、君にあることを頼みたくてその力試しに九星八十八を依頼したのだから」

「あること?」

 統の身にまとう空気がさっと変わっていく。それは、市井にありふれた職人の風ではなく、万民を統べる選ばれし長の空気だ。びりびり、と空気が震えていくのを感じて、羽はとっさに奥歯をかみしめた。

(何を頼むというのだろう)

 軽率に口を開くことすらできない雰囲気になり、羽は視線をそらそうとして、できなかった。強い光で統に引き寄せられる。重たくなった空気をまとい、統は口を開く。

「朕より勅を発する。周羽よ、大全を編纂せよ」

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