第31話 南風の館

 赤夏へは馬車で半日ほど進むとたどり着く。馬車は曹家の物を使わせてもらうことになり、羽と淳、そして明英が乗っていた。

「澄はかわいそうだったわね。赤夏湖ってとってもきれいなのに」

「二つ名だから仕方ないさ。本来なら、俺の隣の坊ちゃんも宴に出されているべきなんだけどなー」

「うるせぇな。おっさんの頼みだから仕方ねぇだろ」

 淳にからかわれ、羽はため息をついた。確かに、澄も呼んでこればよかったと思わなくもない。けれど、澄は楽長に捕まってしまった。

「二つ名が殿中での年始の宴に参加しないなんてありえません」

 と、いうわけだ。こればっかりはさすがの羽も助けられない。淳が言う通り、周家の御曹司ならば宴に出されるべきだけれど、やっぱり出させてもらえないのだ。

「義兄上の事だから、何か考えがあっての事だろうな」

「お前さ、おっさんの事買いかぶってないか?」

「そんなことないさ。ただ、お前より過ごしていた時期が長いってだけさ」

「え?」

 初耳だ。いや、この友人は語ることが少ない。言葉数は多いくせに、大事なことは全くと言って話さない。幼い頃はよく淳の奇行に巻き込まれた。例えば、「とても腕の良い職人がいるんだ」と言えば、職人の工房に忍び込み、ある時は「殿中の学者からよい書物をもらった」と言えば、古文書の解読を手伝わされた。

「私も赤夏に来るのは初めてね。都から出られるなんて何年ぶりかしら」

「そうだな。玄国との関係もだいぶ穏やかになったから、明英も出られるようになったから、呼べてよかったよ」

 淳がうなずきながら言うので、羽も調子を合わせた。そうだった、明英は都から出られなかった。

「赤夏の事は二人から聞いていて、とても気になっていたの。玄には広い湖はそうそうないから」

「玄にもいつか帰れたらいい―――って!?」

 向かい側に座っている明英に脛を蹴られた。思わず右足を抱え頭をうずめた。顔を下に向けうなっている羽を尻目に明英が大きくため息をついた。

「相変わらず明英の気もちが分からない奴だな。何回目だよそれ」

 子どもの頃から時々こういうことが起きる。羽としては善意のつもりだ。誰しも故郷には思い入れがあるものだ。それに明英は玄国での内乱を避けるために逃げるようにこの国にやって来たのだ。だから、玄に帰りたいと思うのは当然だと思うのに。

(なんで玄の事を訊くと蹴るんだ、こいつ)

 ここだけはどうしてもわからない。


 馬車がたどりついたのは別邸と言うがその広さは本邸に匹敵する。元々曹家は赤夏から発生した名士だから、元々はこちらが本邸だ。赤夏湖から水を引き入れ、庭園の中にも湖がある。それに人工の池を浮かべ、橋をかけている。夏であれば舟遊びもできるだろう。

 本邸は大きな三つの館を一階部分の回廊でつないでいる。回廊にはいくつかの行灯が吊り下げられ、かすかな風に揺れている。家人はおらず、今は閑散としている。

「嶺さんがここにいるんだな」

 策には嶺を連れて帰ってきてほしい、とは言われていない。大方依頼されていた屏風絵の資料集めと製作のために別邸に来ているのだろう。策の面倒を見ながら繊細な屏風絵なんて描けない。

(ならどうして俺に行けなんて言ったんだろう。淳だけでいいじゃないか)

「俺さ生まれてしばらくはここにいたんだ。曹家の人間はここで生まれることが多いんだ」

 淳は二人を先導し、どんどんと進んでいく。初めて来る二人にとってはもうどこがどうなっていたかは全く分からない。地図を覚えるのが苦手な人間はほんの数歩歩いただけで迷子になりそうだ。

「嶺さんはどこにいるのかしら」

「なぁ、嶺さんがいそうなところがどこかわからないか?」

「姉上の事だから今厨房じゃないかな。姉上の事だから、俺達を歓迎するための料理を作っているだろうし」

(嶺さんが料理?)

 記憶が正しければ、嶺は料理はあまり得意でなかったはずだ。竈の火で火柱を立てるような人だ。

「私手伝ってきた方がいいかしら?」

「別にいいよ。姉上は客人をもてなすのが大好きだからさ。さて、ここかな」

 淳が館の一室の扉を開いて二人を入れる。そこは私室の一つの様で、真正面には大きい窓が開かれている。その手前には使い勝手の良い机と椅子が一脚、その両脇の壁には本棚が取り付けられている。きれいに片付けられていて、ほこりっぽさは感じられない。

「ここはどんな部屋?」

「ここは母上の部屋さ。二人がここに来たなら、一番先に見てほしくてさ」

「あ、そう言えば淳は……」

「まぁ、取り立てて言うことではないからな」

「………」

 温かい土地とはいえ、冷たい冬の空気が部屋を包み込んだ。淳は母親の顔を知らない。彼女は淳を己から出した後、入れ替わるように冥府へと旅立ったのだ。けれど淳は気にしているそぶりは見せなかった。

 取り立てて言うことではないからな、そう言ってごまかすように言う。


「この絵、きれいね」

 書棚の方を見ていた明英が呟いた。羽が振り向くとそこには一幅の掛け軸が掛けられていた。薄桃色の布地に少し変色していまってはいるが絵があった。

「これは姉上が描いてくださった絵だよ。俺と母上だってさ」

 確かに、貴婦人が湯を張った桶に赤子をつけて洗っている絵だ。赤子はきょとんとした表情で母を見上げ、母親は優しく声をかけながら見つめている。なんとも心暖まる絵だ。

「母上は俺が腹のなかにいた時、こんな風にしてやりたいって姉上に言ってたんだってさ」

 照れくさそうに淳がいう。淡い色彩の絵は淳の言葉で儚げに見えた。

――― あり得たかもしれない風景だ。

 羽はそう思った。同時に嶺らしい、とも思えた。彼女も淳と同じく大事なことは喋らない。だからその心は絵にでてくる。

「それって、伯燕絵師の初期作ってことよね? 物凄い価値があるんじゃ……」

「それもそうだな。嶺さんの絵は殿上人にも売られるって話だし」

「おい待て」

 2人の空気が変わったのを察した淳が眉を潜めた。

「人の思い出を値踏みするなよ!?」

 あわてふためく淳に羽は無言で肩を叩く。

「淳、人はな絵じゃなくて物語を買うんだぜ」

「いいように言いやがって! 縁切るぞ!?」

 そう言うなり3人とも黙った。けれどもすぐにわっと笑いだした。けらけらとこどもの頃に戻ったように。

「全く懐かしいわねこの流れ!」

「そうだなぁ、俺が科挙に合格してからは無かったもんな!」

「お前の家宝箱だもんな!」

「そっくりそのまま返してやるよ! 周家!」

 こどもの頃互いの家に行くとこういうやり取りをしていた。誰かの家の高価なものを値踏みしようとしてはそれをはぐらかすやり取りだ。

 誰がやり始めたかわからない。親達はあまり良い顔をしなかったが、子どもの目には素晴らしい価値があるものだと互いに認識し合う意味もあった。

「あらあら、とても楽しい笑い声ね」

「あ! 姉上!」

 部屋に入ってきた女性に淳が目を輝かせた。

(嶺さん……だよな?)

 確かに目の前に立つ女性は嶺に間違い無いはずだ。それなのに、彼女からは穏やかな雰囲気しか伝わらない。策をこねくりまわす肝の据わり具合は感じられない。

「嶺さん……?」

 女性はその名に首をかしげるとたおやかに笑った。

「あたしは嶺じゃないわ。嶺はあたしの双子の姉。あたしはすうよ」

 双子、という言葉に羽は押し黙った。

 ―― 双子は凶事。


その言い伝えが羽の背中を冷たくしていく。

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