第6章(その4)

 不意に――今にも激突しようかという両者の間に無粋にも割って入るかのごとく、一筋の光線がさっと横切っていくのが見えました。

 それはまるで夜空をかける流れ星のようでいて、それでもそのような遙かな高みというわけでもなく、幾分空の低いところを走ったものであることが、下で見ている人々にも窺い知れたのでした。

 その光跡は、さっと魔王の前を横切っていったかと思うと、目にも止まらないものすごい速さで魔王の軍勢のまっただ中へと、最後には螺旋の弧を描くようにして墜落していきました。

 いや……それを墜落と言っていいのかどうか。光はいったん地面に落下したように見えて、すぐさま取って返したように唐突にもう一度宙に舞い上がって、対岸でそれを見守っていった人間たちの陣地をめがけて飛んでくるのでした。

「こっちに来るぞ!」

「逃げろ!」

 あやしい光跡がこちらに向けてまっすぐに飛んでくるのを見て、兵士達は見るからに浮き足立たずにはおれないのでした。魔王がついに攻撃を開始したのだ、という風に捉えた者も多かったに違いありません。

 ですが、中にはめざとい者もいて、そうではなさそうだという事に気付いて声を上げたのでした。

「何か飛んでいる……落ちてくるぞ!」

 何かといって、光がこちらにやってくるのは確かでしたが、よくよく目を凝らせば、そこには何かしら物体のようなものが実際に虚空を飛来してきているのが見えました。その物体が、光の尾をたなびきながら、実際に風を切る音をたてながらこちらにやって来るのです。

 それは群衆の頭上ではなく、その手前の河川敷をめがけてゆっくりと高度を下げ、弧を描いて減速してくるのでした。丁度、弓矢でもって精一杯届くばかりの遠い場所へと矢を放つがごとく、ゆっくりとした放物線を描いて、落ちてくるのです。

 そしてそれは事実、矢のように細長い物体には違いありませんでした。……ただしそれは一抱えほどもある、太い丸太棒のような長大な物体でしたが。

 恐らくそれを目の当たりにした全員が全員、目を疑い、耳を疑ったでしょう。数人がかりで担ぎ上げなければ運べないような丸太が軽やかに空を飛び、落ちてくるだけでも奇妙な光景でしたが……野太い男の叫び声とともにまっすぐに飛来してきたのは、あの魔物の軍勢のもとで丸太棒を組んだ十字架に磔にされていたはずの、あのホーヴェン王子その人だったのです。横木がくるくると回転しながら、丸太棒は神々が天から投げて寄越した巨大な槍のように、まっすぐに地面を目指してくるのでした。

 そうやってその地に飛来してきたのは……神聖なお告げのために遣わされた天の御使い、というようなものと比べるのも憐れなほどに実に見苦しい御仁でした。王子は、まるで地の底まで響け、とばかりにあらん限りの声量をふりしぼるような悲鳴、ないし罵声とともに空から人間達のもとに帰還を果たしたのでした。

 力強い衝撃とともに、空から降ってきた丸太棒はやや斜めに傾いだ角度でもって、大地に深々と突き刺さりました。

 その衝撃で、くるくるときりもみのように回っていた横棒はようやく回転をやめ、王子は髪を振り乱し、口元からはだらしなく泡を吹いて……それこそ聖人などではなく薄汚い咎人そのものとでもいうかのような無惨な姿を人々の前に見せたのでした。

 そして、人々は見たのでした。その王子の背中、肩のあたりに、しがみつくように乗りかかっている、小さな人影のあることを。

「魔人さま!」

 その正体を知るごくわずかな人物のひとりであるところのリテルが、思わず叫び声をあげました。

 そう、それはまさしく、火の山のあの洞穴を住処としていた、火の魔人に他なりませんでした。王子がはりつけられた十字架の横木の上にすっくと立ち上がったかと思うと、よいせと小さく声を上げて地面に降り立ち、事の成り行きを遠巻きに見ている者達を、逆にしげしげと眺めるようにぐるりと周囲を見回すのでした。

「おい貴様! こんな乱暴なやり方があるか! この俺を何だと思っているのだ!」

「何だよ。せっかく助けてやったのに、文句の多いやつだ」

 ホーヴェン王子の遠慮のない罵声に、魔人は独り言のようにぼやいたかと思うと、指をぱちんと弾くような素振りを見せました。するとホーヴェン王子の足首を戒めていた荒縄に、不意に火がついたのでした。それと同時に深々と地面に突き立てられた丸太が王子の足のすぐ下の所でぼきりと折れ、不意にぐらりと傾いていったのです。慌てた王子が身をよじると、燃えた荒縄が千切れて足が自由になり、彼はどうにか地面に両足で踏ん張る事が出来ました。そのまま横木の組み合わさっていた部分が外れ、倒れてのしかかる丸太棒を王子はどうにか払いのけ、ようやく二本の足で自由に大地を歩けるようになったのでした。……もっとも、腕が戒められている横木をそのまま背負ったままでしたので、外見がまるっきり罪人にしか見えなかったのは致し方のない事でしたが。

 王子はありったけの罵声を魔人に浴びせかけましたが、王国軍の兵士達が迎えに駆けつけるに至って、渋々彼らに連れられるままにその場をあとにしたのでした。

 入れ違いに、兵士らの制止を振り切るようにしてこの場に駆け寄ってくる小さな影がありました。息を切らして近づいてくるのはもちろんリテルです。賢者ルッソも、魔人と相対すべくいったん空から降りて来たのでした。

「魔人さま! やはり来て下さったのね!」

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