第2章(その4)

 その魔人はと言えば、あわてふためく兵士達を思う存分に脅かしつけて回っていたのでした。彼自身も少しやり過ぎではないかと思ったのは、調子に乗っているうちに部隊の糧食を積んだ荷馬車に火が燃え移ってしまい、思いがけず火事を引き起こしてしまった事でしょうか。

 右往左往する兵士達とは裏腹に、手早い動きを見せたのが村の人たちでした。さすがに王国軍の糧食をこのどさくさにまぎれて黙って盗み取ろうというような大胆な愚か者こそいませんでしたが、兵士達が炊き出しをして食事にありついているのを羨ましく思っていたのは確かなので、貴重な糧食がごうごうと燃えているさまをみて、いても立ってもいられなくなってしまったのでした。もちろん、村の中での火事というだけでも一大事ではあるのですが。

「砂だ! 砂をかけるんだ!」

 まるで常日頃からそれだけを一心不乱に訓練でもしてきたかのように、村人達の動きはそれはもうてきぱきとしたものでした。火はあっという間に消し止められ、積み荷のかなりの分が延焼を免れたのでした。……ただし、その大半が消火のために被せた砂にまみれてしまったのでしたが。

 ですが、王国軍の兵士たちにしてみれば、そんなことにかまけている場合ではありませんでした。いよいよ姿を現した魔人バラクロアが、方々に火を放って――実際には姿を見せたのはほんの少しの間の事でしたし、派手に燃え落ちたのもくだんの荷車一つだけだったのでしたが、何もないところに突然炎が吹き上がるという怪異を目の当たりにすれば、さしもの兵隊たちも慌てふためかない方が難しかったでしょう。

 そのバラクロアはと言えば、兵士たちをさんざん驚かせたかと思うと、そのまま夜闇にうっすらと山陰の見える方角に向かって、はっきりとした光跡を残しつつさっと飛び去ってしまいました。

 その山が、魔人が封じられたとかいうかの火の山であるとすれば、それはいよいよ持ってバラクロアの実在を人々に深く印象づけたのでありました。果たしてそんな魔人を今すぐにでも追跡するか否か、兵士たちはその場で見苦しく紛糾を始めたのです。

 ……そんな一連の様子を、リテルは高い場所からじっと眺めていたのでした。

「……? あれ?」

 ふと気がつくと、彼女は村のどこかの民家の屋根の上に身を潜めて、兵士たちの様子を窺っていたのです。自分ではそんな場所によじ登った記憶もありませんでしたし、一体いつからそこにいたのかも分かりませんでした。

 ふと隣を見ると、今しがた火の山へと飛び去っていったはずの魔人が、少年の姿で同じように息を潜めて下の様子を見守っていたのでした。

「さっき、山の方に飛んでいったんじゃなかったの……?」

「飛んでいったけど、また戻ってきたんだよ。悪いか?」

 悪いか、と開き直られはしましたがべつだん魔人も気を害したという風でもありませんでしたので、リテルもそれ以上、自分を置き去りにした件について非難する気にもなれませんでした。自分が姿を現したり消したりというだけではなく、リテルの身までもあちらこちらと好き勝手に移動できるくらいですから、何をしたといって今更いちいち驚いているものでもないのかも知れませんでした。

 やがて、王国軍の兵士達はどういう結論を得たものか――あるいはそういう命令が下ったのか、やがて整然と隊列を組むと、一路火の山を目指して行軍を開始したのでした。何も夜中に慌てて追いかけなくても魔人は逃げはしないのですが、一方的にかき回されて黙っているわけにもいかない、という事なのでしょうか。

 その一方であとに残された村人達はというと、荷車の火を消し止めたあとの燃え残りをしばし恨めしげに、遠巻きに眺めていたかと思うと、誰からとなく砂地に埋もれた、半ば炭になった食糧を拾い始めたのでした。そのようなものを持ち帰ったところで満足に人の食べるものでは無いのかも知れませんでしたが、そうまでしなければならないほど、村は困窮していたのです。

「ね、魔人様」

 そんなあわれな人々の姿を遠巻きに見つめながら、リテルはふと呟いたのでした。

「兵隊さん達が食糧を皆に配ってくれれば、村の人たちは助かるのにね」

「そんな気前のいい連中には見えなかったけどなぁ。お前をどやしつけたときの連中の態度を見ただろう?」

「じゃあせめて、軍隊が村にいる間ならば、あれっぽっちのおこぼれだったらあるかも知れないのよね……」

 そんな風にまるで独り言のように呟いたリテルの表情は、まるで何か面白いいたずらでも思いついたみたいに、妙にいきいきとしていたのでした。



(次章につづく)

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