二 本店会議

 二十三時。

 その日の業務もつつがなく終わり、十六時で勤務終了となった。移動都市は動き続けているため八時間の三交代制を取っており、仕事は次の班に引き継ぐ。

 運行長の場合は交代要員がいない。そのため何かあれば時間に関係なく呼び出されるが、何もなければ自由にしていられる。気分転換にお酒を飲んでもいいが、どうにも悪酔いしそうなので談話室で紅茶を飲んでいた。

 テレビでは恒例の音楽イベントが放送されていた。これはニューイングランドで開催されているクラシックコンサート。うちのステージではロックバンドが演奏しており、窓を閉めていてもかすかに音が聞こえる。

 これは移動都市レースの一環であり、負荷対応試験と呼ばれているものだ。

 移動都市レース中も居住者は普通に生活している。レース規約では、レース中も居住者の生活に支障が出ないようにすること、と書かれている。エネルギー収支をよくするために電力や水道の使用を制限してはいけないのだ。

 そしてそれを実際に確認するために、審査団が各移動都市に乗り込む事になっている。通常より負荷をかけても円滑な生活環境が維持されるか確認するのだ。乗り込む審査団は居住者の1%。心晴こはるで言えば四百人だ。レース参加国の移動都市から抽選で選ばれて派遣されてくる。

 試験内容は二つ。運動競技会と野外活動だ。レースの二週間の日程のうち、運動協議会を二週目に実施し、四週目に野外活動を実施する。

 そして今日から四週目であり野外活動として審査団の有志による演奏が始まったのだ。

「クラシックの方が良かったな」

 立ち上がり窓から下を見ると、ステージが見える。夜も更けてきたが、まだ終わる気配はない。クラシックや演劇をやっている所は時間が来るとすっぱり終わるが、バンド演奏をやっている所は大抵カラオケ大会になり、グダグダになって終わる。これが五日間続く。バカ騒ぎだ。よくもまあ初対面の人間同士であんなことができるものだ。もっとも、予測どおり砂嵐が来れば屋外での演奏は出来なくなるので、今のうちだけだ。

 運動協議会も野外活動も、実は負荷対応試験としてはあまり関係がない。負荷対応試験を行う試験官は別に存在し、データセンターに常駐し監視を行っているからだ。わざわざ負荷対応試験の名目で何百人も乗ってくるのは、普段関わることのない移動都市間の人々の交流を図ることが目的なのだ。

 木星帝国の隕石攻撃により、私たちは定住できる土地を失った。地下シェルターで生きることを選んだ国は別だが、ほとんどの国は移動都市を選び隕石爆弾から逃げながら生きている。

 一つの国に数百もの移動都市が存在することとなり、かつての国家という概念は希薄になった。一つ一つの移動都市が国であり、家であり、帰る場所を持たない船なのだ。

 そんな世界の中で人々が国家を意識する唯一の行為が、移動都市レースだ。自分の乗る移動都市がどこの国家に属するのか。他にどんな国がいるのか。どんな風に生きているのか。

 単に移動都市の完成度や技術水準を競う面もあるが、互いを忘れないために、助け合う心を忘れないために行うのが移動都市レースなのだ。

 私はそれを素晴らしいことだと思っている。あんな風にどんちゃん騒ぎをやっているのは馬鹿っぽくも思えるが、それだけ平和だということなのだから。

 かつてはオリンピックと呼ばれる競技大会があり、旧世界ではそれが世界中の国の連帯と友愛を示すものだったらしい。しかし隕石爆弾であらゆるものが破壊され、オリンピックやその他多くの祭典は消えてしまった。

 今も時々思い出す。幼い時に見たあの光景を。炎に包まれたレームントの姿を。

 あの頃はみんな必死だった。隕石爆弾に対抗する手段はなく、皆がそれぞれに逃げていた。主要都市は軒並み狙われた。穀倉地帯や工業地帯も狙われた。人口の少ないところも無差別に狙われ、安全なところはどこにもなかった。そして移動都市が造られ、人々は都市そのものと一緒に逃げるようになった。

 私たち家族はそろって逃げるはずだった。だが定員オーバーで二人までしか乗れず、父と私、母さんと妹に分かれてしまった。そして、母さんと晴美は、死んでしまった。

 二人が乗っていた移動都市は旧式の第一世代。あれが第二世代であれば、二人は死なずに死んだのかもしれない。

 憎むべきは木星帝国だが、いくつものもしもが心の中にあふれてくる。もしも、だったら。今でも、ひょっとしたら二人はどこかで生きているんじゃないかとさえ思っている。けっして、そんなことはあり得ないのに。

 近年では連邦宇宙軍の活躍により、木星帝国の脅威は小さくなっている。隕石爆弾の頻度も低くなり、ここ三年で破壊された移動都市は僅か二基だ。十年前は一年に百基近い移動都市が破壊されていたことを考えると、被害は激減している。

 あと十年のうちには連邦宇宙軍は勝利し、隕石爆弾の脅威は完全に消え去ると言われている。

 そうなれば移動都市は役目を終え、再び定住都市に住むことになるのだろうか。

 世界最速の移動都市を造るという私の夢も、結局かなわないまま終わるのか。

 それもいい。それでもいい。世界が平和になるのなら。

 私が家族を失ったように、ほとんどの人は誰かを亡くしている。家族。友人。恋人。大切な人を失っているのだ。その惨禍が二度と繰り返されないのであれば、もう逃げ続ける必要がなくなれば、それに勝るものはない。

「運行長、まだ起きてたんですか」

 声に振り向くと、米山がいた。制服ではなく私服だ。そういえば、自分がまだ制服のままだったことを思い出す。

「今日は早く寝ないと。夜更かしすると、また山本さんに言われますよ」

 そう言いながらも米山は談話室の椅子に腰かける。その手には缶チューハイがあった。談話室はアルコール厳禁だが、まあいいだろう。運行長の私がそんなことを言ってはいけないのだが。

「どうも休む気になれなくてね」

 私も椅子に座る。アルコールを飲みたい気分だ。

縮帆しゅくはんのこと、まだ納得できないんですか?」

「いや……まあ、そうかな。納得はしているんだが、そもそも私のやっていたことに意味はあったのかと思ってな」

「意味って? 展帆てんぱんする理由探しが?」

「もっと……根本的なことだ。私は……世界最速の移動都市を造りたかった。それが夢なの。そして心晴こはるができた。だが帆推進システムは使えず、そしてやがて隕石爆弾の脅威がなくなれば、移動都市の技術そのものが意味を失う。私の人生は……何だったのかと思ってな」

「それは……」

「平和になってほしくないわけじゃない。だが今までの苦労や犠牲が……すべてが無駄になるような気がしてね」

「しょうがないじゃないですか。だって戦争なんですから。俺たちを苦しめるのが木星帝国の目的なんだから、みんなめちゃくちゃにされて、むかつくことばっかりだ」

 米山が缶チューハイをあおる。米山も兄を失っている。留学先の移動都市が破壊され、その時に亡くなったのだ。

「今できることをやるしかないじゃないですか。今はレース中。勝つためにできることをやる……俺は難しいことが分からないから、目の前の事だけやりますよ」

「そうだな。すまない、愚痴だった」

 米山も二十四歳。年で言えば同じだ。しかし立場は違う。運行長が一介の運行員にする話ではなかった。情けのない話だ。

「思い切り走りたかったな。帆を張って」

「そうですね。俺も操帆の練習したのに……ま、いいけど。事故がないのが一番です」

 缶チューハイを飲み干し、米山は立ち上がる。

「俺はもう寝ます。運行長も寝てくださいよ。でないと山本さんの機嫌が悪くなる」

「わかった。私も休むよ。おやすみ」

「おやすみなさい」

 ほのかなアルコールの匂いを残し米山は出ていった。

「できることをやる、か。私は……何ができるんだ」

 運行長としての責任を果たすべく努力している。しかし山本さんに頼り、判断を委ねてしまっているところがある。新任の運行長などそんなものだ。山本さんはそうはいったが、そもそも私は運行長にふさわしい経験も実績もない人間だ。

 イメージ戦略のために選ばれたパンダ。マスコミ受けのする看板。中身で選ばれたわけではない。

 自分が無能だとは思わないが、運行長に足る存在とはとても思えない。

 そんな私にできることは何だ? 部下に気を使わせたり体調の心配をさせることか? まったく、本当に情けない。

 やがて移動都市が無用の長物になるとして、少なくともその時までは必要というわけだ。ならば、帆推進システムを使う機会はいくらもある。

 今このレースで使わなくても次がある。その次のために、私は手に入れた地位を利用しなければならない。

 その為にできることは、ひとまず休息をとることだ。

 私は紅茶を飲み干し、自室に戻った。



 レース二十三日。八時。

 翌朝は快適な目覚めだった。胸のつかえがとれたような、すっきりとした朝だ。

 シャワーを浴び、食事をし、身支度を整える。勤務は八時からだが、七時半にはブリッジに入って夜間のエネルギー収支を確認するのが日課だ。

「おはようございます」

 挨拶をすると声が返ってくる。まだ引継ぎ中のものもいて、少し人数が多い。アスワンは席でアイマスクをつけて仮眠している。十三段はまだ来ていない。

「ん……めずらしいな。山本さんがまだ来ていない」

 副運行長の席は空だった。いつも置いてある湯呑も置いていない。離席しているのではなく、まだ来ていないようだ。

 いつもなら私より早く来ているのに、寝坊したのだろうか。鬼の霍乱。などと言ってはいけない。

 各自引継ぎが終わり、いつもの人員になる。七時五十五分。米山さんと高段坂さんも来ている。山本さんはまだ来ない。副運行長も代替要員がいないので引き継ぎは必要ないが、ぎりぎりまで来ないなんて初めてだ。

 そして八時。

 来なかったら誰かに呼びに行かせようかと思ったら、山本さんが入ってきた。

「おはようございます、山本さん。珍しいですね、ぎりぎりなんて」

「ああ。時間がかかってな」

 声に元気がない。あごには無精ひげ。顔もなんだかやつれている。

「何かあったんですか?」

 夜中に何かトラブルでもあったのだろうか。しかし、端末に連絡は来ていなかったはずだ。

「作ってたんだよ、こいつを」

 山本さんが紙の書類を差し出す。いつも電子でやり取りしているから紙書類を見るのは久しぶりだ。たくさんの殴り書きや赤ペンが入っている。

「これは……?」

「緊急でミーティングをやらせてくれ。最後の悪あがきだ」

 充血した目で、山本さんが不敵に笑った。


 十五時からの本店への連絡は、急遽時間を早め十三時からとなった。

 私が概要を説明し、詳細は山本さんから。配布されている資料は山本さんが徹夜して作ったものだ。

 モニターの向こうでは本店の徳沢システム部長、剛野施設課長、有為山運行課長が座っている。通常は運行計画書を送信するだけだが、今日は特別に会議に入ってもらっている。

「つまり、このままでは総合点五位は不可能、というわけですか。展帆てんぱんが必要……と」

 有為山運行課長が聞く。細い眼鏡に細い目。剃刀と呼ばれている。

 山本さんと目配せし、私が答える。

「はい。資料でお示ししたように、まず一点目、明後日から砂嵐の予測です。強風と日照低下により心晴こはるの風力発電と太陽光発電は使用不可となります。その為核融合炉のみの稼働となり環境負荷ポイントが加算されます。そして二点目。対するニューインドのサクルーサルブでは、強風下でも使用可能なクロスフロー型発電機が稼働し続け、再生可能技術ポイントを一定数確保する見込みです。こちらは減点となり、あちらは加点を維持します。この二点により、総合点で心晴こはるはニューインドに破れます。現状を維持していては、敗北は必至です」

「むう」

 モニターの向こうで三人が腕組みをする。即反論してこないので、少しは芽がありそうだ。

「もう一度聞くが、展帆てんぱんによるボルト破断の危険性は低いんだね?」

 剛野施設課長が聞く。有為山運行課長とは対照的にメガネが丸く恰幅がいい。温厚そうな顔をしている。しかし仕事は細かいので、迂闊なことは言えない。

「はい。破断はボルトの金属疲労によるものでした。半数を予備の高力ボルトに交換することで対応できます。半数のボルトのみでも、安全率は1を超えます。許容応力度は問題はありません」

「しかし……万一のことがあるからなあ。こちらでも議論しないと」

 徳沢システム部長が言う。この人は事なかれ主義なので、なかなか首を縦に振りそうにない。

「残念ながら時間がありません。今すぐにボルトの交換を始めなければ間に合いません」

 ここは強気に行かないと。長々と説得している時間はないのだ。今日の夕方にはボルト交換を終えねばいけないのだから。既に保守課は作業の準備を終えて待機中だ。あとは、本店の許可のみ。

「……本部長からは現状維持の指示が出ている。しかし、君らの言うように五位がほぼ確実だったからだ。新造移動都市を造ったのに、ニューブラジルはともかく、実質の最下位となるのでは造った甲斐がない」

 運行課長が口を開いた。お、なんかいけそうだぞ。

「実は局長からも言われてるんだよ。帆を使えないのか、せっかく造ったのにこれではデモンストレーションにならないと。それに、帆が多少壊れても構わないとも……」

「本当ですか? 本部長はそんなこと言ってませんでしたよ」

 徳沢システム部長がギョッとしたように聞く。

「あの二人はいまいち反りが合わないからね。局長がぽろっとうちの運行部長に話してたらしいよ」

「そうなんですか? まいったな~」

 システム部長が自分のおでこをたたく。どうやら本店内部でも情報が錯綜しているようだ。まったく、困ったものだ。振り回されるのはこっちだ。

「では、五位確保の為であれば、多少のリスクを負ってでも帆推進システムを使用して構わないということでいいですか?」

 駄目を押すように私が聞く。早くうんと言え。気が急く。この三人の回答次第でレースの結果は天と地だ。

「いいですかって言われるとな~まいったな~」

 いいから早く決めろよ。私は心の中で舌打ちする。表情には出ないように営業スマイルを忘れない。

「前のボルト破断の報告の段階で、運行部長経由で許可は取れてる。何もせずに負けるくらいなら帆を使っていいと。局長への報告が前後するかもしれませんが……いいですか? 徳沢さん」

「え、俺が決めるの?」

「そりゃそうでしょ。私たち課長ですよ。部長は徳沢さんだけですよ」

「そんなの狡いよ~まいったな~。え~でもしょうがないか。本当に局長が言ってたの?」

「はい。そう聞いてます」

「いちいち確認なんて出来ないしな~」

 そこは電話一本で確認できそうなものだが、上の人はそういうのとは違うらしい。全く、不可解だ。

「分かりました。じゃあボルトは交換、展帆てんぱんして帆推進システムを最大限使用するということで」

「……いいんですか、本当に」

 なんか中途半端な気がするが、これでいいのか、本当に。

「はい。局長の意向であれば、問題ありません」

 山本さんが本店の指示に従う理由が分かった気がした。この業界は意外と上意下達のようだ。それも書類で明文化されたしっかりしたものではない。

 私もそのうちその世界に身を投じることになるのだろうか? 嫌だなあ。

「では直ちに作業にかかります。急なミーティングで申し訳ありませんでした」

 笑顔を忘れずに。

「はい、お疲れさまでした」

 本店との回線が切断され、ほっと息をつく。

「やった……良かった」

 昨日まであんなに悩んでいたのに、いざ許可が出るとなんだか現実味がない。しかし、言質は確かにとった。

「米山さん、保守課に連絡して。作業開始。進捗は随時連絡」

「はい」

「十三段とアスワンは午後の最新予測でエネルギー収支の再計算。最大展帆てんぱんでやり直して」

「分かりました」

「はい」

「運行計画ができたらうちにもください。炉の出力調整を始めます」

 そう言い、高段坂はブリッジを出ていく。機関室に向かうのだろう。彼は体を動かすのが好きなタイプだ。

「本当に良かった……」

 自席に戻り、へなへなと座り込む。足元からやる気の液体が全部流れ出て、足腰に力が入らない。最近こんなことばっかりだ。移動都市の運行とは、こんなに疲れるものなのか。

 しかし、良かった。これで帆推進システムを大手を振って使える。そのことを思うと、新たなやる気が丹田から湧いてくる。

 五位を狙う。総合点ではなく、純粋な速度で。出来ればニューインドだけでなくニューイングランドも抜きたいが、現在で1時間以上の差だ。向こうもペースアップするだろうから、流石に四位を狙うのは無理だ。

「ああ、疲れた……」

 斜め前の席で、山本さんがお茶を飲んでいた。珍しく気の抜けた顔をしている。無理もない。昨日から一睡もせずデータを整理し、資料を作り、本店を説得するためのプレゼンを私に仕込んでくれたのだ。いくら感謝してもし足りない。

「山本さん、ありがとうございました」

「あぁ?……ああ、まあな」

 山本さんは湯呑を机に置き、私の方に向き直った。

「本当はな……手を貸すつもりはなかった。整理したあのデータだって、よく見たら粗が目立つ。筋のいいやり方じゃない。本当はな」

 山本さんの整理してくれたデータには秘密がある。改ざんしたわけではないが、多少の作為があるのだ。通常は12時間平均とする所を最大となる1時間だけ抜き出したり、多少過大になるようにデータを抽出しているのだ。全くの嘘ではない。突っ込まれても説明できるが、普通ではない計算をしているのだ。

 山本さんによれば、こういったことはままあるらしい。予算を取るために、上の意向を汲むために、それらしい書類を作ることが。私文書偽造じゃないか? そんなことを思ったが、この世界はそれで回っている、らしい。あーやだやだ。

「久しぶりに徹夜したぜ。もう駄目だな。体がボロボロだ……」

「何で……気が変わったんですか?」

「気は変わっていない。俺は最初から帆推進システムを使うべきと考えてた。帆が全部飛んでもな」

「え? でも、ずっと反対してたじゃないですか」

「俺の考えは関係ない。副運行長としてだ。本店の意向が優先で、それに従っていただけだ」

「えー……」

「えーじゃない。公私混同はするなよ。お前個人の希望と、運行長としての考えは必ずしも一致しない。お前は個人として悩んでいた。帆を使いたいと。理屈ではなく感情が先にあったから、俺は反対していたんだ。実際、説明材料もなかったしな」

 そう言われハッとした。展帆てんぱんしようとしていたのは、果たして運行長としての判断だっただろうか? 帆推進システムの立案者として。母と妹を失った者として。違う立場で、個人として考えていたのではないか。

 山本さんに判断を頼っていたせいで、私は重要なことを考え違いをしていた。私が運行長なのだ。私が全責任を負わなければならない。たとえイメージ戦略であっても、今は私が運行長なのだ。

「すいませんでした。私……間違って……」

「いいさ。新任の運行長なんてそんなもんだ。だが覚えておけよ。人は役職に従うんじゃない。人間に従うんだ。この数日、行ってみればお前の拘りのせいで振り回された。だが誰も文句は言わない。それはお前の人徳だ。お前がお前だから、ついていくんだ」

「……はい」

 褒められているんだろうか。分からない。私はそんな立派な人間じゃない。リーダーになろうと努力はしているが、足らないことばかりだ。

「しけた面をするな。世界最速の移動都市を造るんだろ? とりあえず、万年最下位を脱してみろ。それからだ、お前の夢はな」

 言い終わると、山本さんは前を向いて自分の仕事に戻った。

 世界最速の移動都市を造る。そうだ。未来のことは分からない。今の自分にできることは、夢を諦めないことだ。この移動都市レースで最下位を脱することだ。

「……あれ?」

 そういえば、山本さんに夢の話は今までしたことがない。昨日米山さんにはうっかり話したが、気恥ずかしいので他人に話すことはないのだ。

 ひょっとして昨日の談話室での話を聞かれていたのか?

 山本さんの背中に声をかけようかと思ったが、やめておこう。これはそういう話ではないのだ、きっと。

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