第53話 巡る因果

 そして八月になった。

 旧暦の八月はすでに秋に近い。けれどこの年の八月は未だ暑く、また目覚ましい変化を呼ぶ月となった。


 先ず出羽国でわのくにに五十七万石を有する最上家が後継者をめぐってお家騒動を起こし、これにより改易となった。

 

 この時、最上家の居城、山形城の接収に幕府の使いとして出向いていたのが本多正純だった。すると御用で出張っていた正純の前にさらなる幕府の使者が現れ、宇都宮城の不審を理由に正純にも処分を言い渡したのだった。


 突然の沙汰に正純は驚きつつも自慢の弁をふるって申し開きをした。

 けれど届出のない箇所の修繕やら根来衆の件について問われれば閉口せざるをえず、本多家の命運は終に決した。


 その場で宇都宮の領地が召し上げられ、出羽国の由利ゆりへ移封を言い渡された。この時、正純に与えられた石高はわずか五万五千石。宇都宮の三分の一ほどに減封された形である。


 しかし正純はこの命を固辞した。その行為が秀忠の逆鱗に触れることを分かっていて、それでも、徳川に対する忠誠を疑われることだけは我慢ならなかったのだ。


 大人しく減封処分を受ければ良かったものを。

 このままでは改易の憂き目に遭うだろうに。老いたものよ――。


 そんな風に誰もが囁いたが、しかし彼を擁護する者はいなかった。

 それは本多家が過去多くの者を改易へと追いやってきた事実があって、今回の件はまさに「因果応報だ」と謗る者が大多数だったためだ。それに一家を庇えば今度は自分たちに火の粉が降りかかるかもしれなかった。


 そうして正純は宇都宮と、そこに残る大勢の家臣、そして他の大名からも切り離され、出羽国で事実上完全に孤立したのだった。

 

 当然、意気消沈しているに違いない。

 これを確かめようと由利本荘ほんじょうの地を訪れた人影が一つ――。




「そこにおるのは誰か」


「わずかな気配にお気づきとは。さすがにございます」


「ふん。さようなことはどうでもよい。何用か。家中の目を盗み、ここまで忍んでこようとは。たいしたものよ。さて、どこの使いの者やら」


 戸の向こうから漏れる声は掠れていた。しかしまだ覇気を失ってはいない。


「あえて申しはいたしません。しかし隙あらば吹き渡る。それが風というものにございます」


「……ほう。そうか」


 正純はその答えで解したようだった。ふんと鼻で笑う音があった。


「おぬしであったか。久しいのう」


 白夜は正純の毅然とした態度に安堵して、「お久しぶりにございます」と頭を下げた。


 現在正純が滞留している本荘の城は、公儀の命により翌月から取り壊しが決定している。よって正純は領地の一画に小さな屋敷を構え、そこで最終的な下知を待っていた。


 曇天の昼下がり。

 家士が常駐しているとはいえ警備は薄い。それも風に紛れてしまえば領主一人の元に辿り着くなど白夜には造作なかった。


「さて。慈恩深きそなたの主は某に赦免しゃめんを願い出ろとでも申したかな」


「私は今回天海大僧正の命により参ったわけではございません。たしかにあのお方は

慈悲深く、その切なる願いにより罪を許されたお方も多くございます。しかしご政道に自ら口を挿むような真似は決してなさらぬお方にございます」


「そうか。いや、そうであったな。すると」


 正純が声の調子を低く改めた。


「柳生殿か」


 庭先の鈴虫が鳴いている。残り少ない命を謳うその切ない響きを背に受けて、「はい」と白夜は答えた。


「そうか。柳生殿か」


 正純の声は嬉しそうな、それでいてどこか寂しそうな響きを湛えている。


 足音が迫った。直ぐ側に正純の座した気配があった。


「こ度のこと、柳生殿にもおおいに心配をおかけした。しかしわざわざそなたを送ってまいるとはのう。つくづく優しい男よ」


 少し照れたような声を上げ、そして彼は白夜に言伝を頼んだ。


「ならばぜひとも伝えてやってくれ。この上野介正純、こ度のこと決して恨んでなどおらぬとなあ」


 戸の向こうで長く深い息が漏れた。


「薄々分かっておった。これまで多くの者をこの手で沈めてまいった。それこそが日の本を一つにまとめようとする徳川家の御為と、そう思うたからだ。この手がいくら汚れようとも、恨みを買おうとも、それで和平につながるならば――。その覚悟で本多家は徳川家に一心に寄り沿うてまいったのよ」


「上野介様……」


「だからこそ、こ度の命に愚かにも意見してしもうた。しかし徳川家がこれからの時代、本多家我らの手は必要ないとご判断なされた。ならばそれに従うもまた和平のため。そういうことなのだろうと今は十二分に心得ておる」


 その発言に白夜は目を見開いた。そして、


「そなたらも安堵めされよ。かような憂き目に遭おうとも、本多家我らは決して闇には落ちぬ。この定めを心より受け入れておれば、誰を恨むこともなく、また悲しむこともない」


 そこまで聞き届けると悟ったのだった。


(ああ。この方は全てをご承知の上で固く口を閉ざしていらっしゃる。これまでただの一度として将軍家のご決断に間違いなどなかったと。それを自らの残りのお命を懸けて証明なさろうとしていらっしゃるのだ)


 かつては正純の命で動いたこともある。冷酷な面を知っていれば、その反面、一度懐に入れた者への情の厚さも知っている。なによりも、これまでの徹底した主人徳川への献身ぶりを、自分は知っているのだ――。


 白夜は熱くなる目頭に力をこめると立ち上がった。


「一言一句漏らさずお伝えいたします。上野介様。どうか、いついつまでも健やかにお過ごし下さいますよう」


「かたじけない。そなたらも将軍家の御為、ますますの活躍をお祈りいたす」


「ありがとう存じます」


 白夜は深々と背を垂れて、そのまま溶けるように風に紛れた。




 由利を出た頃には夕暮れが迫っていた。

 笠を目深に黙々と歩いていれば、街道沿いにある茶屋の前で声をかけられた。


「お帰り」


「……また人に化けて食い漁っていたのか」


 傾いた服装の若い男は床机から尻を上げると、白夜の側に寄った。


「おうよ」


 団子の串を口に挟んだまま莞爾と笑んだ。


「本当は食い物というより女を漁りたかったんだがなあ。なんといってもここは絶世の美女、小野小町を生んだお国だぜえ? 別嬪を探し回ったわけだが、どれも出会ったのは芋臭い娘ばかりでよお。とんだ無駄足だったぜ」


 軽薄な男の言葉に白夜は歩みを止めると釘を刺す。


「その前にお前は妖だろう。人間をたぶらかすな」


「ケケケケ。そりゃあこの男前を見りゃ近寄るなってのが無理な話なのさ」


 辺りをきょろきょろと見渡すと、小声で「乗って帰るか?」と珍しく殊勝な言葉をかけてくる。

 こいつなりに気を遣っているのだろうなと白夜は思った。


「いや。いい。しばらく歩きたい」


 そうかい、と言うと男はふんふんと鼻歌を連れて後をついてくる。

 

 鳥海山ちょうかいさんのなだらかな稜線が夕日に鈍く光っている。

 野宿を決め込んでいるわけではないが、もう少しだけ歩いていたいと思った。

 ひたすら歩を進めることで、自分の中にある様々な感情の置き場を一つ一つ整理出来るような気がした。


 そうした思惑さえ容易く理解しているように、使妖は男前な姿のまま、傍らに寄り沿ってくれている。

 

 左右に広がる銀灰色のススキの海原からキシキシと鳴く百舌鳥もずの声。


 余所者よ、早く出ていけ。

 

 そう告げているようだった。


「分かっているさ」


 白夜は小さく呟くと道を急いだ。

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