第47話 降魔の利剣

「おおう、透夜! やれば出来るではないか!」

 

 ムジナは尻尾を揺らして興奮気味に主人に話しかける。

 その主人といえば数珠をかけた手を胸元で合わせたまま、浅く呼吸を繰り返していた。

 

 歳月に朽ち、一部天井の破れたみすぼらしいお堂には、それでも厳粛な雰囲気が保たれている。空間の中心には救いの仏が厳めしい形相で鎮座していた。

 

 目黒。瀧泉寺。


 透夜とムジナは焼け伸びたお堂に遷座された不動明王像の前に座していた。

 荒廃した空間にあって、その神々しさはいや増している。

 仏像の光背こうはいは正に赤黒い炎を宿し、その先端より紡がれた一筋の光が、大穴を食らった天井から空へと勢いよく伸びていた。

 

 結界の軸となる空大くうだいの光柱が立ち上がったのだった。


「しかしお前があのように小難しい経を暗唱するとは思わなんだ。まあそれぐらいでなくては、このわあの主人は務まらないというもんじゃが」


「……俺だって不思議だよ。ここに着いてこの仏様を前にしたらさ、心の中にスッとさっきの祈りが浮かんできたんだ」


「ふうむ。守人のさがというやつじゃろうか」


「どうだろう。なんにしてもこれで無事に結界が張れたみたいで安心したよ」


 透夜は息継ぎの間を縫って返事をする。ムジナは疲弊する主人の様子など気にも留めず、ひたすら興奮したように光を仰ぐ。


「しかしなんちゅう霊圧じゃ。獣たちもこれじゃあ巣に引っ込んで大人しくしとくしかなかろうのう。……じゃが。わあの前では無害に等しいぞ! 痛くもかゆくもないわ!」


 結界は悪鬼を殲滅する聖なる光の包囲網。ちょっと前に空大の加護を授けたムジナにその脅威は及ばない。けれどムジナときたら、自分の偉大さがそうさせていると疑わない口調で勢いづいていた。


「他の連中もうまくやったようじゃし。あとは敵が浄化されるのを待つばかりじゃな」


 首尾は上々。

 これでようやく寝床に戻れると、ムジナは耳を掻き掻き欠伸をかます。


「……まだだよ」


「うぬ? なにか言うたか?」


 ムジナが透夜の膝に前足を置いてその表情をのぞきにかかる。すると、


(透夜。聞こえるか)


 聞き慣れた声が背後から響いたものだから、慌てて透夜の肩へと跳び退いた。


「あべべべ! 仏さんから風の守人の声が聞こえおるうぅ!」


「兄者。うん。聞こえているよ」


(先ほどの感触)


(うん。僕も感じたよ)


(拙僧もだ)


(私もです)


 仲間の声が次々と響く。

 光柱が媒介となってそれぞれの場所と繋がったらしかった。


「俺もなんだか嫌な感触があった。……どうやら逃しちゃったみたいだね」


「なんじゃとう!」


 ムジナがここぞとばかりに声を張り上げる。

 せっかく自分たちが間に合って鬼門が開く前に敵を包囲出来たというのに。


(おそらく結界の及ばぬ遥か上空へと逃れたのだろう)


 白夜の推察に朱門も口惜しそうに続く。


(それでもだいぶ力は削いだと思うがな。さてどうしたものか)


(一部でも取り零してしまえば、そこからまた再生を図るはずだよ。憎しみは無尽蔵だろうからね)


(蒼馬どののおっしゃる通りです。そのお方は未だ闇に囚われたままでしょう。きちんと私たちがお救いしてあげなくては)


 誰もまだ諦めてなんていなかった。

 今までたくさんの人と妖を救ってきて、命の重みも闇の深さも知っているから、心から救ってあげたいと。そう、誰もが願っていた。


 救済だとか使命だとか。そんな言葉の本当の意味を、彼らに出会わなければ一生知ることなんてなかっただろう。

 けれど透夜も誰に強制されるでもなく、自らの意思で「救いたい」と、そう心から願うのだった。

 

 すると透夜の両の手にかかる数珠が鋭い輝きを放った。

 仏像から湧き上がる炎が勢いを増し、その熱さに蒸されてしまうのではないかというほどの闘気が堂内に満ち満ちる。


「あべべべべべ」


 ムジナが驚愕したようにじりじりと後退し、透夜の背中に身を隠す。

 不審な叫びを耳にした仲間たちが「なにか起きたのか」と次々と心配の声を上げる。


 目の前で盛大に揺らぐ炎。そこから現れたのは間違いなくあの仏様だった。


「不動明王……」


 なんという威厳。鋭い眼差し。口を堅く引き結び、なにを語ろうともせずとも、その瞳の奥に宿された一条の光が全てを語っているようだ。


「俺に、出来るでしょうか」


 目の前の仏様はやはり答えてなんてくれない。

 しかし左手に持つ羂索けんさくを突き出せば、透夜の手にかかる数珠がその力を引き継ぐように明滅した。そして右手に構えた黄金の剣を透夜の肩にそっと押し当てれば、体中の血が沸騰するのを透夜は感じた。


「力を貸してくださるんですか」


 気が付けば両者の間には黒い剣が浮かび上がっていた。


 肩に当てられた不動明王の剣に彫られた龍が、命を持ったようにふわりと浮き出る。

 小さな龍は宙を悠々と泳ぐと、剣にその身を巻き付けた。新たな宿主に馴染むようにしてその身を横たえれば、龍の姿は刀身に沈むようにして刻まれてしまう。

 

 これまで何度も危機を救ってくれた飾り気のない黒剣。

 それはもはや立派な倶利伽羅剣くりからけんへと変わっていた。

 

 透夜は剣を戴くようにして両手を伸ばす。

 ずしりと手に伝わる鋼の感触。これこそが託された思いの重さなのだと肌が感じる。

 

 透夜は覚悟を決めて不動明王を仰いだ。もう怖くなんてなかった。最後の最後に自分に喝を入れるために、わざわざ姿を現してくれたのだ。やはり慈悲深い仏様だ。


「ありがとうございます」 


 感謝の言葉を聞き届けると、不動明王は深い眼差しを残し、炎へと還っていった――。



(透夜。どうした。無事なのか。返事をしてくれ)


 朱門の切羽詰まったような声が響く。


「突然黙ってごめん。俺たちは大丈夫だよ」


(そうか。ならばよかった。……みな聞いて欲しい。結界は馴染みつつある。これより俺はここを離れ、敵を追う。風大の気を纏う俺とイヅナであればその居場所にも辿り着けるはずだ)


(ならば悔しいけど後は任せたよ。白夜。そこで浄化出来なければ、相手を再び結界の中へ落とし込むんだ)


(ああ。心得ている)


「兄者。俺も行くよ」


(……空中では方術に頼る部分が大きい。その意気は認めるが、お前はまだ己の気の扱いに不慣れだ。第一、上空へ至る術を持ち合わせていないだろう)


 たしかにそこへ行く手段を失念していた。

 透夜が口惜しそうに黙れば、その様子を見守っていたムジナが「むむむむ」と低く唸った。声の響く光の柱へ向かって吠える。


「向かう術ならばある。わあが鳥にでも化けて連れて行く」


「ムジナが? でもお前、変化は出来ても本当に空なんて飛べるのか?」


「……お前から空大の加護を与えられてから、わあにもちょいとばかし出来る事が増えた。そういうことじゃ。じゃからお前たち、心配はいらんぞ。それに――」

 

 ムジナは透夜へと向き直った。


「わあだけまだここぞという活躍をしておらんからのう。大将首はわあと透夜こやつであげて華麗に幕引きじゃ。わあたちの活躍に括目せよ、ぶはははは!」


 そう吠え立てるヤツの足は小刻みに震えている。


「むむ、武者震いが止まらんわ!」


 ムジナの心意気を感じれば、透夜もいよいよほぞを固める。


「そういうわけだから。俺も行くからね、兄者。それにたった今約束したばかりなんだ。苦しんでいる人がいたら残らず助けるって。仏様との約束は絶対でしょう?」


(透夜……)


「完璧にはほど遠いけれど。今ならの使い方も分かる気がするんだ。きっと足手まといにはならないから」


 濃厚な沈黙が降りる。

 やがて仲間の一人が口を開いた。


(決着が着くまでは私達も祈りを捧げております。結界はお任せください。透夜どの。白夜どの。あとは頼みましたよ)


「沙羅姫様」


 いつもの柔らかい声色。けれどこの時ばかりは凛とした響きを湛えていた。

 仕える主がそう決めてしまえば、朱門と蒼馬も「頼んだぞ」と背中を押してくれる。


(では透夜。行くぞ)


「うん!」

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