第22話 白の厄災
けれど実際問題、《空大の気》とやらの発動条件が解き明かせていないのだから、恐ろしい妖と戦う覚悟なんて透夜には出来てやしなかった。
『実際に対峙をしてみて分かることもあろう。案ずるな。拙僧がついている』
そんな頼もしい言葉を朱門はかけてくれたが、このままでは足手まといになってしまう。それだけは確実だった。
「――とはいえ。ああもうっ、どうすりゃいいんだよぉ!」
吠えながら竹刀を振り下ろせば、余計な力が伝わって剣先がぶれた。たたらを踏んでしまい、透夜は咄嗟に目の前の木に手をついた。
「あぶなっ……」
少しでも感覚を取り戻そうと始めた素振りもこのザマだ。
透夜はゆるゆるとその場に沈み込んだ。大の字に手足を放って天を仰げば、木々の隙間から銀色の日差しが顔中に降り注ぐ。
――喜多院の裏手に広がる雑木林。手つかずの自然が残されたそこは恰好の修行場所のようであり、山菜などの食材拾いにも適した場所のようだった。
先ほどあれほどつき纏っていたムジナと小鬼の三匹も、「透夜の兄貴のこと、ばば様に報告に行ってくるんだもんよう」と意気揚々と寺を出ていってしまったから、今ここには透夜一人だけ。それこそ世界にたった一人捨て置かれてしまったような
そんな世界を拒絶するように透夜はゆっくりと目を閉じる。
「あいつらの相談も結局出来ずじまいだし。もうすべてが嫌になるなぁ。……このまま寝て起きたら元の世界に戻っていたりしないかな」
「ケケケ。そりゃあ無理じゃねえかい?」
無慈悲な回答を賜って再び目を開く。
黒豆のような艶やかな
「白い……イタチ?」
それにしてはかなり大きい。自分の腹の上に堂々と鎮座しているが中々の重みに内蔵が潰されそうだ。大型犬が戯れているよう。
長くしなやかな胴体に、白いふさふさの毛並み。魅惑の肉体が直ぐそこにあれば誘惑に思わず両の手が伸びる。すると、
「おう。減るでもなし、好きに触ってくれてかまわねえぜ」
愛らしい容姿とは正反対の低い声で男前な発言が返ってくる。この獣は一体なんなのだ。その正体を暴くように透夜は恐る恐るその輪郭に触れた。
「すごい。もふもふだ」
感動したようにこぼせば獣が口元を歪ませた。小さくとも立派な牙を認めれば、透夜は自分の愚かさに肝を冷した。
そうだ。こんなに愛らしい
そんな可能性を今になって見出せば、己の無防備さにほとほと呆れた。ムジナたちの気安さにすっかり気が緩んでしまっていたのだろうか。
「……それでお前、一体何者なんだ。この寺に相談にきた妖か」
先の緩んだ声音から一転、慎重に透夜が確かめれば「おぉ?」と獣が目を見開いた。が、泰然とした様子で引き続き見下ろしてくる。
「そうだぜえ。隙はいつだって見せちゃいけねえ。守人だってんなら尚更な」
「この状態じゃもう手遅れかもしれないけどね」
「はは。違いねえ」
「それでお前は俺が誰だか知っているんだ」
「ああ。知ってるぜえ。お前らのことはよぉく知ってる」
「それで、どうするんだ」
「どうするって言われてもなあ。暇だから声をかけてみただけなんだが」
獣は大口を開けて欠伸を噛ます。「そうだなあ」と所在なさげにぼやくと、
「じゃあ――
獣の纏う雰囲気が変わった。本能的に危険を察した体が獣を全力で押し退けた。透夜はその場から駆け出した。
「おうおう。よりにもよって逃げの一手かい」
獣の楽しそうな声が背後に迫る。それを振り切るように、とにかく足を前へ前へと繰り出して木々の間を越えていく。
「おうい」
その声に透夜が首を向ければ、獣はすでに木の枝を伝うようにして並走していた。
「あの時みたいに剣で応戦してこいよお。方術でもかまわないぜえ?」
こちらが必死に逃げる中、楽しげに煽ってくる。
「おうい。聞いてんのかよお」
聞こえてはいる。けれど発言をいちいち吟味している余裕はない。するとそんな透夜の態度にしびれを切らしたのか、
「もしかしてこんな
獣が枝を離れ、透夜の頭上を高らかと舞った。太陽を背負うようにして背中を丸めれば、その姿が忽然と消えた。
逆光に目を細めれば行く手に旋風が巻き起こった。咄嗟に重心を低くしてその身を庇う。いく本もの鋭い刃が皮膚を裂くような連続的な痛みに透夜は吠えた。
「いいってえええぇ!」
風に足元を掬われ、体はいとも容易く地を転がされる。何度となく視界が反転し、背中を木に激しく打ち付けてようやく止まった。よろめきながらも起き上がる。
被害を確かめている余裕はなかった。目の前に白い災厄が迫っていた。
獣の前足は今や凶悪な鎌と化している。己が
生を刈り取る死神よろしく鎌鼬が前足を再び天へと振り上げる。
明確な殺意を前に透夜の体は完璧に硬直した。瞬きすら許されない。鎌が振り下ろされる瞬間がコマ送りのように一つ一つ丁寧に肉眼に記録されていく。命の散る時とはこうも凪いだものかと、そう思うほどに辺りから音は消え失せていた。
だが閉ざされた世界に
「――そうだぜえ。それでいい」
白銀のヒゲが頬を掠めるほどの距離で、相手が嬉々として目を細めた。
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