第14話 徳川の守り刀
将軍秀忠一行が日光社参のため江戸を発って五日目の四月十六日。いよいよ日光山に到着した。出立に先駆けて多くの決まりを触れしておいたため、行程はなめらかなものだった。
将軍の宿泊地となった各城においては城主がこぞって
そうしていよいよ法要を明日に控えたその日の夕刻のこと。
「柳生殿」
声をかけられ振り返った。そこには秀忠の側近、
「これは
次の秀忠の面会相手なのだろう。宗矩が恭しく礼をすると、利勝が笑顔で近づいてきた。
「ここ数日は話がままならず。これはちょうどよい機会であった」
「ご
「ご謙遜なさる。今や将軍家兵法指南役といえば柳生宗矩の名は天下に轟いておりますぞ」
嫌味な感じでもなければ媚びるふうでもない。絶妙な響きだった。さすがだ。
たしかに昨年は秀忠に続き嫡男
けれど飛躍はまだまだであると、宗矩は最近改めて感じたばかりだったのだ。
「ようやく日光までたどり着いた」
「ええ。連日祭りのにぎわいで。
「いやあ、なに。五年前に比べれば苦労はさほどではござらんよ」
五年前。先代家康の遺骸が
「しかし宇都宮での
はっはと利勝は楽しそうに笑う。見た目もそうだが言動もまた無邪気な青年のようだ。とても五十に手が届こうというふうには見えない。しかし発言はその通りなものだった。
したたかな人物であることはたしかだ。けれど宗矩にとっては駿府に
そんな正純が二日前、宇都宮城で催した宴はとりわけ豪奢だった。
今回秀忠のために新たに設けた御殿の出来映えといい、本丸はもちろんのこと、二の丸、三の丸、外郭までもが強固に作り直されており、一同圧倒されたものだ。昨年将軍家の宿泊所と決定してから急ぎ着工したらしいが、家臣は総出で事に応じたのだろう。
けれどこうした行為を快く思わない者もいるわけで。
その一人が利勝が口にした加納の方だ。加納の方とは家康の長女で、秀忠の腹違いの姉に当たる人物だ。そして現在の
彼女の息子、
そうして代わりに宇都宮に納まったのが本多正純というわけだが、実は先の不安を漏らしていたのがこの正純だった。つまり奥平家にしてみれば、彼が自身の出世のために幕府をうまく言いくるめて自分たち一家を宇都宮から追い出したとも考えられるわけだ。
聞けば他にも個人的恨みがあるようだし、あの気性だ、すでに剃髪した女人とはいえ心中穏やかではないのだろう――。
「古河でのもてなしもなかなかであったが。やはり宇都宮とでは格が違うからして」
「はい。お方様も
「やはり孫を愛おしく思えば、どのような事もいたしてやりたく思うものかな」
「そうした思いばかりはいつの世にあれど変わりはございませぬ」
「そうなのだろうな」
土井利勝は腕を組み直すと気さくに笑む。差し込む夕日でその顔の半分ほどが赤く染まっていた。
日に染まった優しい顔。そして闇に
(どちらがこの男の本質か)
宗矩は思う。けれどそれは自分も同じことだった。むこうにしてみたってこちらがそのように見えていることだろう。それに彼は秀忠が最も信頼をおいている家臣の一人だ。
「上様がお待ちにございましょう。それがしも所用がございます。然らばこれにて」
ご免と宗矩が背を垂れれば、利勝は組んでいた腕を解いた。
「おお、これは失礼いたした。それでは」
『油断をするな』
亡き父、
革命期は過ぎていた。江戸はひなびた寒村から天下の都へと変わりつつある。あとはひたすら体制を整えていくだけだった。組織に必要な者とそうでない者とを選り分け、管理していく。少しでも不審な点を認めれば、近親者であっても容赦なく切り捨てて。その多くの犠牲の上に成り立っているのが現在の幕府だ。
「結束を固めるための儀式、か」
先ほど秀忠は今回の日光社参をそう位置づけていると語っていた。徳川の威光をあまねく世に知らしめ、結束の固さを万民に示すことで反逆の意思をそぎ落とすのが狙いだ。
一滴の血も流さず平和の道を築く。戦わずして勝利する。手立てとしては最良だ。それこそが柳生家が伝える《
新陰流。力のみで斬り勝つのではなく、すべての力を活かす
その誇りにかけて二代目をしっかりと支えたい。
そして二代目の意志は次の代に必ずや継がなくてはならない――。
「しかしすでに
宗矩は誰にも聞こえないようにそっと呟く。
実のところ、宗矩が今日呼ばれた理由はこちらにあった。秀忠は近く息子の家光に将軍の座を譲る決意を固めていた。先代の墓前に報告に上がる前に秀忠がそれについて聞かせてくれたのは、土井利勝と同じで宗矩もまた信頼されていたからだろう。
政治面においては利勝たち年寄衆が鍛え上げる。しかしその心はどうか。まだ家光は十九の若者だ。世の中を治めるには、あまりに世の中を知らなすぎる。宗矩に兵法指南役として剣を通し、その心を伝えていってほしいということだろう。国を守る者の心を。
そう考えれば宗矩の存在そのものが徳川の守り刀なのかもしれなかった。いや、そうなりたいと本人は願っている。一国一城の主となるよりも、そうした存在となることのほうがどれだけ難しいことか。つまり、宗矩のかかげる飛躍とはそうした高みへと到達することなのだった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます