第10話 天海の過去

「朱門殿。蒼馬殿。こ度はご足労いただき誠にありがとうございます」

 

 にこやかに出迎えてくれたのは三十路近くの細面ほそおもての女性だった。


「まあまあ。こちらのお可愛らしい殿方はどなた様にございますか?」

 

 呼んだ覚えのない小さな客人を見つけて早速女性が興味深そうに訊ねた。まことの好きそうな目元に色香の漂う美しい人。透夜はどきどきしながら名乗った。


「は、初めまして。黒須透夜です」


 呆気にとられたように女性が顎をくいっと引く。朱門が察したように言った。


「我らの新しき仲間である。一昨晩に出会ったばかりでな。まだこちらの事情は色々と呑み込めていないのだ。そして力に目覚めたばかりゆえ、も今一つついておらぬ」


「まあまあ。さようにございましたか。どうりで丁寧なご挨拶をいただけました。しかし手前にとっては嬉しい限りにございましたわ」


 見極めとはなんだろう。それを訊ねようとしたところで女性が嬉しそうに言った。


「透夜殿。こちらから名乗るべきところを大変失礼をいたしました。私は泰葉やすはと申します。この屋敷の主人に代わり、現在屋敷の管理を行う者にございます」


「泰葉さん」


「まあまあ。どうか泰葉と気安くお呼びくださいませ」


「ふん。見極めって言ったってさ、その前に僕らしかいないんだから、初めから本性を見せておけばいいんだよ。毎度化けてご苦労様だこと」


「まあまあ。蒼馬殿。それは手前にとって一番の労いの言葉にございますわ」


 蒼馬の嫌味をものともせず泰葉は目を細める。口が横に裂け、鋭い牙がのぞいた。


「あらいけない」


 細く白い手でさっと口元を隠す。


「……相変わらずだね」


 蒼馬が冷めた口ぶりで言った。

 朧車おぼろぐるまに続き衝撃の光景に透夜は目眩めまいを覚えた。朱門が咄嗟とっさに背中を支えてくれた。


「泰葉はこれでも上等の化け狐でな。和尚の使妖しようなのだ」


「しよう? たしかさっきもそんなことを言っていたけれど」


「使妖っていうのは調伏ちょうぶくした妖のこと。いわゆる使い魔ってやつだよ」


「えええ!」


「うふふ。喜助きすけ、こちらへ」

 

 透夜たちの後ろに控えていた狐面の男を泰葉が呼び寄せる。「はっ」と従者が答えると、白い煙が一瞬にして従者を包んだ。その姿が消え、代わりに一匹の狐が泰葉の足元に擦り寄った。ふりふりと揺れるその尻尾は八本に割かれている。


「改めまして。私は八尾狐やおぎつねの泰葉にございます。天海様の忠実なるしもべにございます。そしてこの者は我が眷属けんぞくの喜助にございます。以後お見知りおきを」


「さっきの男の人が狐だったなんて。ははは、全然分からなかったよ……」


 これまでの常識が次々と破壊されていくものだから、透夜は笑うしかなかった。


「ともあれ守人の皆様がこれにて揃われましたこと、祝着至極しゅうちゃくしごくに存じます。我が主も宿願しゅくがんを果たし、の地にてお喜びなさっておいででしょう」


「ああ。しかしそう喜ばしいことばかりでもなくてな」


「……はい。姫様もそれをたいそうお気になされておいででした。そして昨晩新たな夢告むこくを授かったのでございます」


「それでますますご心配になられちゃったんだね」


「さようにございます」


 泰葉の長い睫毛が伏せられた。


「直に詳しくお聞かせ願えるだろうか。この者もお目にかけたいしな」


「もちろんにございます。皆様のご到着を今か今かとお待ちなされておいででした。ささ、奥へどうぞ」


 屋敷の奥へと誘われる。廊下を渡る間に透夜はこのお屋敷について簡単な説明を受けた。泰葉がさらりと言ってのけたことは、透夜にとってはまたもや衝撃の事実ばかりだった。


 ここ大牧村おおまきむら見性院けんしょういんという女性が幕府より賜った土地だそうだ。どうしてその女性が幕府から厚遇されているかと言うと、実は彼女、武田信玄の娘で、家康のかつての友人である穴山梅雪あなやまばいせつの未亡人だった。


 彼女の素性が明らかになると、すると次に芽生える疑問は「どうして天海大僧正の使妖がこの屋敷の留守を任されることになったのか」ということだ。天海大僧正と彼女の間に一体どんな関係があるというのか。するとこれについては泰葉が丁寧に答えてくれた。


「元々我が主は武田家と深い縁がございました。我が主がまだ随風ずいふうと名乗っていた頃のことにございます。天台の総本山である比叡山ひえいざんへ二度目の登頂を果たそうとされていたところ、かねてより延暦寺えんりゃくじと対立を起こしていた織田信長が突如として山を焼き払う非道を行ったのでございます」


「比叡山焼き討ちのことだね」


「まあまあ。ご存じにございましたか」


 ご存じもなにも織田信長の数ある逸話の中で最も残忍な話で有名だ。この戦によって僧侶だけでなく女性や子供も含め数千人が犠牲になったと教科書にも載っている。


「この事態を受けて命からがら逃げおおせた僧たちは、この戦を知り信長を強く非難なされた甲斐国かいのくにの当主、武田信玄公の庇護を求めることとしたのでございます」


「天海大僧正もその一人だったってわけか」


「さようにございます。無事に甲斐国へと逃げ果せた我が主は、それから数年にわたり天台論議てんだいろんぎの講師として武田家にご厄介になられました」


「そこから始まる縁なのか。天海大僧正にとって武田信玄は命の恩人だったんだね」


「まことおっしゃる通りにございます」


 次から次へと歴史上の人物や事件が挙がることに透夜は内心かなり興奮していた。それとともに天海がいかに数奇すうきな運命を辿ってきたか、その人生の一端を垣間見た気がして胃がきゅっと絞られた。


「じゃあ見性院さんのことも当然その当時から知っていたってことか」


「はい。今でこそ互いに歳を取られましたが、お二人とも当時はうら若き男女にございましたのよ」


「そう言うってことは、泰葉もその頃から天海大僧正に仕えていたんだね」


「うふふ。そういうことになりますわ」


「それで泰葉がこのお屋敷の留守を任されるようになったのはどうして?」


「それはあるお方をここ大牧にて命を賭してお守りするよう、我が主より命じられたからにございます。そしてそれは病に伏された見性院様の願いにもございました」


「あるお方。さっきからみんなが言っているお姫様のことだね」


「さようにございます。……すべては十二年前、見性院様と我が主があるご兄妹けいまいの養育の任をご公儀より内密に賜ったことが事の始まりにございます」


「ご兄妹?」


 透夜が後ろを歩く朱門と蒼馬を振り向く。二人が真面目な顔で頷いた。


「正確には姫様は双子の妹君なんだよ。五年ほど前に兄君様はあるお大名様の養子に迎えられてね。ここを巣立っていかれたんだ。だから今この屋敷には姫様と守役もりやくの八尾狐の一派しかいないってわけ」


「なるほど。でも幕府から内緒で頼まれたっていうことは凄く高貴な血筋のお姫様ってことだよな」


「うむ。まさにお生まれの方である」


「まあでもさすがに将軍様の隠し子ってわけじゃあないんだろうけど」


 透夜が冗談めかして言うと三人が一斉に黙りこくった。


「ええっと……」

 

 透夜はなぜ彼らが先ほどからぼかした表現ばかり使って説明をしてくるのか、その理由を察した。言わないんじゃなくて、言えないのだ。それは口にするのも恐れ多い、あまりに重大な国の秘密だから――。


「んんっ。まあ、つまりだ。姫様はお命を狙われる可能性のある尊き身分のお方ということだ」


「将軍様のご正室せいしつったら嫉妬深くて有名だからね。刺客を放たれたり、悪鬼と手を結ばれたりでもしたら一大事でしょう。だから和尚かしょうは喜多院の近くで、僕たちの目も届きやすいこの大牧で姫様をお守りすることにしたのさ。自分の使妖を侍女にしたてあげてね」


「うむ。と、これ蒼馬。あからさまにご落胤らくいんだと認めるような発言は控えよ」


「えー。もういいじゃない。こいつだって事の重大さを知っておいた方が役に立つだろうしさ。それに僕たちの中で秘密は無しなんでしょ? それともこいつだけ仲間外れにするつもりだったのぉ?」


「そういうわけではないが」


「それで双子のお姫様のほうが《地大ちだいの気》っていうのを持っていることも分かったんだね」


「さようでございます。ご出生についてなどは、また後ほど語らせていただきましょう」


 そう最後は内緒話のように声を絞ると、泰葉はある部屋の前で足を止めた。こちらでございますという視線に透夜が頷けば、泰葉は戸の奥に向かって声を投げた。

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