第6話 上陸

6-1 下船

 黒龍丸は予定通り、大連港に入港した。船腹のラッタルから、人々は列になって下船し始めた。列の中、同室だった母子が芳江の前に並ぶ格好となった。

 カズオが母氏に言った。

 「満州って、広くて大きいんやろ」

 「せや、大きくて広いんやで。おじさんがうちらのこと、待ってくれてはってい

 る」

 母氏はうれしそうに答えた。母氏にとっては、新天地での新しい生活がこれから開けるという期待があるらしい。カズオ君の方は子供心に、新たな期待をはずませる者があるらしい。あるいは、母と一緒になっての初めての大旅行を成し遂げつつある、という子供心から、

 「俺は、一歩成長したんだ」

 という、何か達成感、満足感のようなものがあるのかもしれなかった。

 行例に従う形で、母子に続いて、芳江、そして、アナスタシアもラッタルを降り始めた。

 芳江はラッタルを降りたところで、母子と別れた。

 カズオが言った。

 「ほな、姉ちゃん、さいなら」

 母氏も言った。

 「ほな、姉ちゃん、元気でな。うちら、これから、行く先があるさかいに」

 芳江は返した。

 「船内ではお世話になりました。どうぞ、お元気で、ごきげんよう」

 名も知れぬ母子との分かれであった。芳江としては自身が逃亡者という性格もあるので、自身の身元、氏名は明かさぬように注意していた。しかし、船内ではこの母子に世話になり、心も温まった。幼い頃、こうした形での母との旅行等が楽しめなかった芳江にとっては、遅ればせながら、味わえた家庭的な温かさかもしれなかった。

 傍らのアナスタシアが話しかけて来た。

 「船内で言ったホテル〇〇に案内するわ」

 アナスタシアに従う形で、芳江は大連港の改札を抜け、大連の街に入った。日本内地からの脱出は、ひとまず成功したようである。

 ここ大連は、芳江にとっては、初めての外地である。当然のごとく、言葉は神戸以上に通じない。今の芳江にとって、言葉が通じるのはアナスタシアのみである。アナスタシアは現時点では、芳江にとっては道標のような存在であった。但し、強いて言えば、看板等が漢字表記であることだけは、内地と共通であり、その点だけは漢字文化圏たる日本の出身である芳江にとっても、ある程度、理解し得るものであるようであった。

 通りに出て来た2人であった。アナスタシアは通りに向かって、手を挙げた。間もなく、走って来た黒塗りのタクシーが、速度を落として2人の前に停まった。

 アナスタシアは、運転手にタクシーのトランクを開けてもらうと、自身のスーツケース、そして、芳江の鞄を詰め、更に芳江を促して後部座席に乗せた上で、自身も後部座席におさまった。

 2人を乗せたタクシーは走り出した。

 芳江は車窓から大連の風景を眺めていた。多くの人々が街の風景を眺めていた。多くの人が街を往来している。やはり、人々の服装は外地だからか、内地とは異なる者が多いようである。

 隣のアナスタシアが話しかけて来た。

 「貴女にとっては初めての風景よね」

 「ええ、初めて。但し、東京でも銀座のような地区に行ったことはある」

 「銀座はどうかしら」

 「すでに、つまらない街よ。昭和17年に大東亜戦争勝利してからも、戦時体制が

 続いているから、燃料とかは、南方等の前線が優先されているし。年配の人は昔は

 もっと賑わいがあって、家族連れで楽しめたとか言うけど、そんな賑わいもない

 し」

 引き続き、内地では日華事変の頃から唱えられて来た

 「ゼイタクは敵だ!」

 の標語が言われて来た。銀座のような地区も例外ではない。銀座のシンボルともいえる服部時計店(和光)も、すでに高級時計のような贅沢品を売ることもできず、半ば、休業して久しい状況であった。東京に比較して、ここは賑わっているようでもあった。

 アナスタシアが言った。

 「ここは賑わっているでしょ。満州には炭鉱とかもあるし、ソ連とにらみ合う前線

 なので、重点的に建設が進んでいるのよ」

 そのことは、芳江にも何となくイメージできた。内地にいた時、「満蒙開拓団」のポスターを目にしていたからである。

 30分程、走って、タクシーはホテル〇〇の正面玄関に着いた。


6-2 初めての外地

 芳江はアナスタシアに先導される形でホテル〇〇に入った。

 アナスタシアは、フロントにロシア語で何かを話した。フロントのスタッフは何か、手続きのような作業を始めた。5分程して、スタッフはアナスタシアに部屋鍵を渡した。

 アナスタシアは、渡された部屋鍵をさらに芳江に渡し、ホテル〇〇の2階に芳江のための部屋が取れたことを告げ、2階まで芳江に同行した。

 別れ際にアナスタシアは言った。

 「貴女、仕事のあてとかは有るの?」

 「正直、ないのよ」

 「なら、暫く、このホテルにいなさい。白系ロシア人の伝手で何とかなるかもしれ

 ない。1週間くらいで、一旦、連絡するようにするわ。それまでのホテル代は、と

 りあえず、立て替えておくから、内地からの日本円はとりあえず、持っておきなさ

 い」

 そう言って、アナスタシアは、一旦、芳江と別れた。

 芳江は、ドアを開けて、部屋に入ってみた。部屋は洋室である。ベッド、机、椅子等があった。芳江にとっては、半ば、生まれて初めて他人の干渉のない、自分だけの空間を持ったのであった。

 芳江は旅の疲れをいやそうと、早速、ベッドに横たわった。

 その後数日、外の屋台で簡単な食事をとる以外は、芳江は外出しなかった。勝手がわからないので、当然といえば、当然だが、部屋の中にひたすら居続けるのも、座敷牢にいるようである。

 外に出たくなった芳江は、女学校時代に習ったうろ覚えの下手な英語を、しかも、筆談でフロントに話しかけた。昭和16年の大東亜戦争の開戦以降は、英語は敵性語とされたこともあり、ドジな芳江には、まるで縁遠い存在であったものの、こんな時にはこれ以外に方法しかなかった。

 しかし、フロントで、大連の街にて多くの日本人が集まる地区があることを聞き出すことに成功した芳江であった。タクシーや市内電車の乗り方が分からない芳江なので、フロントで受け取った地図を頼りに歩いて行った。

 暫く歩いて、芳江はその地区にたどり着いた。その地区には「文殊旅館」という旅館兼居酒屋のような建物があった。正面玄関には暖簾がかかっており、日本風の店舗のようである。

 芳江は玄関をくぐった。

 「ごめんください」

 「は~い」

 奥から声が聞こえ、16、7歳位の少女が応対に出て来た。東京で芳江を見送った藤倉妙子と同じ位の年齢のようである。

 少女が問うて来た。

 「お客様、お1人でしょうか」

 「ええ、1人なの」 

 「今夜、内にお泊りになりますか」

 「いえ、別に宿はあるので、今日はちょっと食事に」

 「分かりました。小さいですが、お1人で楽しめる奥座敷が空いております。こち

 らへ」

 少女は芳江を先導して、小さな奥座敷に案内した。

 少女は問うた。

 「和食がございますが、如何なさいますか」

 「では、それで」

 芳江は大連に来て以来、屋台での中国風の料理を食べ続けて以来、逃亡者であるにもかかわらず、半ば捨てて来たはずに祖国・日本の料理が半ば恋しくなって来たようなのである。

 更に、芳江は少女の勧めもあり、ビールを注文した。

 30分くらいして、先の少女が料理を盆に載せて、持って来た。勿論、ビール付きである。 

 少女は、芳江にビールを注ぎつつ、話しかけて来た。

 「お姉さまはどちらから?」

 「内地の東京近県から。その以前は東京で働いていた」

 少女は言った。

 「私も、幼い頃、東京に住んでいたんです。小さかった頃、親と一緒に満州に移

 って来たんです」

 芳江は飲んでいるうちに、酔いが回って来た。段々、顔が紅潮し、気持ちが大きくなって来た。

 酒、と言えば、昭和17年のミッドウエー開戦での勝利によって、事実上の太平洋での日本の覇権確立、という形での勝利によって、芳江が働いていた零戦製造工場でも酒がふるまわれた。

 当時、17歳だった芳江は未成年だったので、酒は飲めなかった。その日は工場で乾杯がなされ、いつもは怒声とビンタの班長も、何かしら上機嫌であり、笑声を挙げていた。自身の「努力」、つまり、日本海軍の主力戦闘機たる零戦の製造が、日本の戦勝に貢献した面があるということで、喜びを感じていたのであろう。饒舌に舌のまわった班長は酔った勢いで 

 「北は満州、南は豪州付近まで、いよいよ巨大な大東亜共栄圏の完成だ。我等が無

 敵皇軍を銃後で支えた甲斐があったというもんだ」

 と無遠慮な大きな笑声と共に、普段の怒り顔が吹っ切れたような満面の笑顔であった。

 しかし、本当に苦労しつつも、「貢献」したのは、その班長にビンタと怒声を受けていた芳江達だったのだが。班長の怒声とビンタは、芳江達を班長の「皇軍への後方支援」という「理念」のために、都合よく統御できる1つの自主性にない歯車にしようというものだった。当時、芳江はまさに、零戦製造工場という組織の部品の1つにされていた。

 酔いが回ったおかげで、かえって、嫌な思いが思い出されてしまった。しかし、今夜は誰に気兼ねすることもなく、無遠慮に飲めるのである。アルコールそのものが、その解放感を増してくれる。

 芳江は気持ちよくなりつつ、傍らの少女と

 「じゃ、もう1杯、乾杯!」

 と言って、グラスを空けた。芳江は少女に聞いた。

 「貴女は、この店で住み込みで働いているの?」

 「はい、この店は母が女将で、私が手伝っているんです」

 「そうだったのね」

 芳江は酔いつつも言った。


6-3 奇なる事実

 近くの部屋には大部屋があり、男達の無遠慮な大声が聞こえて来る。

 「いやぁ、この俺も久しぶりに大役拝受だ。満州国軍にして、中校(中佐)の地位

 を得られるとは」

 別の男が言った。

 「いやぁ、橋田殿、大出世ですな」

 「東京に〇〇女学校では、女生徒どもをしごいてやったが、この俺には役不足だっ

 た。それが再び、赤魔・ソ連との最前線に立つ大仕事に就けるとは」

 酔っていた芳江ではあったものの、一瞬、ハッとなった。

 「東京の〇〇女学校?」

 先程迄、上機嫌だった芳江の表情が変わったことに不審を抱いた少女が問うた。

 「お客様、どうされました?」

 「あ、いや、東京にいた時、〇〇女学校に通う藤倉妙子っていう女学生が近所にい

 たのよ。その学校のことかと思って」

 少女が少し驚いて言った。

 「お客様、藤倉妙子のことを知っているんですか?」

 「ええ、妙ちゃんって呼ばれていたのよ。東京を出る時、途中まで彼女に見送って

 もらった」

 少女は言った。

 「すごく懐かしいです。私、ホンダヨシコと言いまして、漢字で本に田んぼの田、

 美しいに子と書きます。妙ちゃんと小さい頃から友人でした。今は離れています

 が」

 何だか、世間は広いようで狭い。半ば、

 「事実は小説より奇なり」

 という状況になった。

 芳江は、妙子が東京でとにかくも頑張っていることを述べた。美子は嬉しそうだった。話し込んでいる間に、時間がかなり経ったようである。

 「さて、そろそろ、失礼するわ」

 芳江は座敷を出て、勘定した。奥座敷の大部屋からは相変わらず、男達の野卑で無遠慮な大声が響いていた。

 「今日はありがとうございます。又、宜しくお願い致します」

 美子の明るい声に見送られ、店を出た芳江は、ホテル〇〇への帰路についた。

 その夜、酔った勢いで芳江は部屋に入ってすぐ、ベッドで眠りについた。

 酔った芳江は夜中に何度か目が覚め、起きては眠るを繰り返した。結果として、翌日、芳江が目を覚ました時には、部屋の時計は午前11時近くになっていた。

 上半身を起こした芳江はベッドの上で背伸びをした後、部屋内の椅子に腰かけた。しばらくぼんやりしていた芳江ではあるものの、暫くして、机に向かって藤倉妙子宛に書簡を書き始めた。

 しかし、この際、少し、ためらいもした。自分が満州に逃亡していることを知らしめたら、追手が日本から来そうな気がしたのである。仮に追手が日本から来て、それに捕まったら、替えれないはずの日本に引き戻されてしまう。

 しかし、自分をおもちゃにした山村太造も、篠原豪一も、食糧という資源があってこそ、威張っていられたのである。例えば、篠原豪一が

 「倉本芳江にひどい目にあわされた」

 と何処かに訴えたところで、印鑑も土地登記書も奪われ、土地の多くを失い、食糧源もなくなった豪一は、相手にされないだろう。篠原の親戚の太造も、隣組会長として、権力に取り入ることもできなくなっているだろう。しかも、太造は傷害致死、或いは殺人を侵した重大刑事犯である。食糧があれば、警察に取り入れるかもしれないが、今やそれもできまい。

 そのように考え、一種の自身の「離日宣言」として、ペンを取り、机の便箋に向かった。

「拝啓 藤倉妙子様

 私は、ここ遠く、満州の地まで来てしまいました。

  妙ちゃん、最近はどうですか。元気にしているかしら?私は妙ちゃんが羨ましく

 思う。私も妙ちゃんのように勉強してみたかった」

という意味の文面をつづった。続けて、これまでの自分について告白した。

 「私も若い頃は一時的に女学校に通ってみたけれども、頭が悪くて、勉強にはつい

 ていけなかったし、妙ちゃんの今と同じ年齢の頃の昭和17年には、私の父は既に

 日華事変で行方不明になっていたし、家は結構貧しかったので、学校を中退して、

 田舎から、都会の海軍の零戦製造工場に出て来たの。

  うちは小作人の家だったから、貧しかったし、そんな生活とおさらばできればよ

 いと思っていた」

 芳江は引き続き、妙子に語り掛けた。

 「いつか、話したでしょう。私はドジだから、よくへまもやったし、それで、班長

 にぶたれることもあった。お前のような奴は皇軍兵士に、恥ずかしい限りだ、と言

 われることもあった。その後、行く当てもない時に、山村家に拾われて、山村家の

 使用人になったのでした」

 さらに芳江は、喜八に死の真相を告白しようとした。しかし、

 「自分自身も、死体遺棄罪で追及されまいか?」

 と思い、この件については、書くまいか、とも思った。

 しかし、「食糧」によって、町内での好き放題の権力者と化し、半ば、警察をも支配下に置いていたと思われる太造は最早、警察にも取り入れなくなっているだろう。殺人容疑等で逮捕されているかもしれないし、それまでの態度に怒った警察によって報復とも思われる激しい取調の中で、

 「芳江もあの時、あの時、わしの死体遺棄に手を貸した」

 と言ったところで、相手にされないであろう。何よりも証拠がなく、警察には芳江を痛めつける必要はないであろう。「非常時」が常時と化している日本では、「食糧」が警察権力をも支配する状況になっていた。「食糧」にならない者には、警察も関心を持たないだろう。

 太造の末路を脳裏で想像していた芳江は 

 「げに、食べ物の恨みは怖いわね」

 と内心でつぶやいた。

 「妙ちゃん、深本さんちの多江さん、今、どうしているかしら?喜八さんの死の真

 相は、実はこうです」

 妙子に、市電に乗って見送った時には、芳江は、人前だったので、喜八の死の真相を言えなかった。当然と言えば、当然だったかもしれない。

 「喜八さんは、農家に差し出せるものがなくなって困りつつあった山村に、多江さ

 んとの結婚の思い出の品である指輪を差し出すように迫られていました。農家から

 の食料の供給が止まって、自分の権力が将来的になくなるかもしれない山村太造

 は、それを恐れていたのです。

  しかし、喜八さんは、それを渋りました。貧しい中で、きっと、それが心のより

 どころだったのでしょうし、それをなくしたら、奥さんの多江さんにも見放される

 と思ったのかもしれません。喜八さんは当時、飲酒量が増えていましたが、それ

 も、太造と奥さんの間で、人間関係に苦しんでいたので、酒に逃げるしかなかった

 なかったからでしょう」

 そして、その日の事件の真相がつづった。

 「結局、喜八さんが思い通りにならないことに腹を立てた山村は、喜八さんを殴っ

 た。しかし、転んだ喜八さんは、運悪く台所の水場で石に頭を打って死んでしまい

 ました」

 芳江は、手紙を続けた。

 「それで、太造は遺体の処理に、当然のごとく困りました。太造は、以前にも喜八

 さんを殴る等していましたので、今回もたいしたことはない、と勝手にタカを喰っ

 ていたのでしょう。しかし、今回ばかりはそうはいかなかったのです」

 「そこで、慌てた太造は、私に手伝わせ、夜中に近所の水路に喜八さんの遺体を捨

 てたのです。貴女も知っている通り、電力不足で街路灯は停電し、外は真っ暗でし

 たので、周囲に怪しまれず、遺体を運ぶことができました」

 そして、物取りの犯行に見せかけるため、現場付近に硬貨を蒔いて、急いで引き上げて来た、ということも記した。

 「奥さんの多江さんも、喜八さんが山村宅に行って、そのまま帰らぬ人となってし

 まったので、太造に何かされたと、薄々気づいていたのかもしれません。

 しかし、隣組会長につっかかれば、その後、どのような展開になるかわからない、

 と思って、太造にはつっかからなかったようです」

 さらに、手紙には、芳江が山村宅を出た理由もつづられていた。

 「その後、私は、農家に差し出すもののなくなりつつあった山村太造の命令で、山

 村の親戚で、東京近県○○の地主である篠原家に奉公に出されました。どこに行く

 当てもない私は、命令に従う他はなかったのです。それが、貴女に見送ってもらっ

 た数か月前のあの日のことでした」

 芳江は続けた。

 「篠原の家じゃ、私は殆どただ働きの上に、旦那のおもちゃだったのよ。何で、小

 作人に生まれた女って、この国では、こんな人生にならねばならないの?そう思っ

 て、復讐に出てやることにした」

 その復讐とは何か?

 「篠原は偉そうに大地主として地域内で威張っていた上に、皇国日本がどうのこう

 の、と言うから、ある時、お使いのふりをして篠原の印鑑と土地登記書を町役場に

 提出して、軍にあいつの土地と食料等を『寄付』してやったわ。そうして、あいつ

 に『貢献』させてやったのよ」

 そして、客船に乗船して、大連に渡り、満州国に渡ったということを書いた。

 実際には芳江は自身の身分証明書で乗船券を買って乗船した以上、実名で乗船したのである。しかし、そのことを書くと、「追手」に乗船名簿を追跡調査されるかと思った。しかし、追跡調査しようと思えば、実名だろうと偽名だろうと、差はないであろう。しかし、それでも

 「偽名で乗船した」

と書くことにした。倉本芳江は日本を離れる時、ある種に生まれ変わり、即ちこれまでの自分との決別、転換をしたのである。「偽名」という言葉には、これまでとの違った自分、或いはこれまでの自由にできなかった自分との決別という意味がこもっているような気がした。又、今まではそれこそ、主体性のない「偽名」で生きて来たような気がして、それまでの「偽名」人生からの決別という意味で、偽名の偽名としての本名を乗船名簿に書いた、という意味でも、

 「偽名で乗船した」

と記した。

 手紙の中の芳江は、さらに続けた。

 「篠原は土地の多くをなくして、小作人にも詰め寄られていることでしょう。太造

 は土地をなくした篠原から食料品が手に入らず、難儀しているでしょう。警察に最

 早、取り入れないから、今頃は、殺人容疑で逮捕されているかも入れない」

 手紙の最後の方には、次のように書いた。

 「そうそう、私、こちらである旅館に泊まりました。そしたら、本田美子さん、と

 いう貴女の幼い頃の友達に会いましたよ。貴女のことを話したら、とても懐かしが

 っていました。世間は広いようで、意外に狭いですね」

  そして、

 「でも、こんな私ですから、もう、日本には戻れないでしょう。あの日、貴女に駅

 前で御守を譲ったのは、機会を見て、外地に渡り、日本には、もう戻らないだろう

 と覚悟したからです。これから、私はどこかへ流れていきます。

                      妙ちゃん、お元気で。さようなら」

 芳江はこうして、自分を歯車として振り回した日本への「離日宣言」を締めくくった。

 

 

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