複写蘇生 一/浅間京子

 ドアスコープの向こう側で、よく知る顔があくびしていた。わたしは前髪を整えて、冷えたドアノブに手をかける。

「また、お前か」

 扉を開けると、乾いた寒気が流れ込んだ。空はくすんだ青をして、電信柱が、それを二つに切り裂いている。宮野は肩をこわばらせながら、私の家に踏み入れた。

「寒い、寒い。まだ十一月だっていうのにさ。……この調子じゃ、一月はどうなるかわからないぞ」

 そうだった。こいつは極度の寒がりだった。ちょうど一年前だって、同じようにぼやいていたっけ。――そんなつまらない事柄でさえ、思い出すと、少し、嬉しい。最近、ようやく、分かったことだ。

「早く閉めろよ。せっかくストーブつけてるんだ」

「京子こそ、どうしたってアイスなんか食べてるんだ。冬だぞ、冬」

 咥えたアイスクリームに目を向けて、宮野は呆れたように、口にした。放っといて、と、私は彼に背を向ける。高校の制服にコートを羽織り、マフラーに手袋まで身につけて――。

「大体、お前だって大げさなんだ。なんだ、それ。雪だるまか。寒さくらい、鍛えてれば何とかなるだろ」

 武道に期待しすぎだよ――と、ぼやきながら、彼は上着を脱いでいく。シャツの上からでもよく分かる、鍛えられた身体の輪郭。それが、少しずつ露わになった。

 リビングへと歩いて行く。小さなガラス製のテーブルを挟み、ソファが二つ並んでいる。白を基調とした部屋の中には、どこか誰かの絵画とか、レースの入ったカーテンだとか、茶色いまだらのカーペットとか――そういった調度が、控えめな格好でたたずんでいた。

「で、今日は何の用?」

「用っていうほどのものはないよ」

 宮野は、事も無げにそういった。

「ただ、話したくなっただけ」

「……」

 二階まである一軒家に、私と彼以外、人の気配は感じられない。

 親が、海外へ出張に行って、既に半年が経過している。元々片親の家庭だから、私は一人でやっていかなくちゃならなくなった。

「紫月さんは、どうしたんだ?」

「実家で不幸があったんだって。ひと月の休暇を出しました」

「ひと月って……」

 何で早く言わないんだ、と、宮野は非難するような目をこちらに向ける。

「お前にいう必要、あるのかよ。ひと月くらい、何とでもなる」

 紫月というのは、我が家の家事全般を担当している、お手伝いさんの名前である。

「今日の朝ご飯、何だった?」

「……カップラーメン。あと、冷凍ミカン」

「昨日の夕飯、何だった?」

「冷凍チャーハン。あと、冷凍ミカン」

「昨日のお昼――いや、いいや」

 はぁ、と深く溜息をつく。

「良いじゃないか。家は綺麗にしてるんだ。死にさえしなけりゃ、何も問題はないだろう」

「ダメだよ、京子。身体は食べ物からできているんだ。食べ物がちゃんとしていなけりゃ、身体だって壊れてしまう。君はまだ若いんだから、ちゃんと食事を取らないと」

「若いって、私はお前と、同い年だよ」

 宮野は、いつだって他人のことを気にかける。

 まるで、自分の後悔を、誰かに押しつけようとでも、するかのように。


 私が学校から遠のいたのは、一年生の夏からだ。特段、鮮烈なきっかけがあったわけではないのだけれど――なんとなく、行く気持ちが失せてしまった。単に勉強するだけならば、一人で閉じこもっていたってできる。学校にわざわざ集まるのは、きっと、誰かと話すためだ。――なら、きっと、一人でいる私にとって、騒々しさは無価値だった。

「君、死んだことになってるよ」

 ソファに座って一息つくなり、宮野は、物騒なことを口にする。

「はぁ? 何だって、私が死ななくちゃならないんだ」

「ほら、アレだよ。最近、この辺りで流行ってるやつ」

 リモコン、リモコン、と呟きながら、彼は部屋の隅に這っていく。パチン、と僅かなためらいの後、テレビは、雑な音を流し始めた。ここ何週間も、使っていなかったせいだろう、スピーカーがざらついている。

 画面の中では、芸能人がひな壇に並び、口々に適当なことを語っていた。

 ――つまりね、ここで問題なのは、実際に死んだ人が、いるかどうかって、話ですよ。

 ――現に、死体が、転がっているじゃありませんか。

 ――だから、いないんでしょう。どこを探したって……つまり、死体の持ち主が。だったらそれは、誰も死んでないのと、同じです。

「何だ、これ。この辺りで、死体でも掘り返されたっていうのかよ」

「違うよ、タダの交通事故。トラックにひかれて、女の子が亡くなった。うちの制服、着てたらしくて」

「嘘をつくな。そんなので騒ぐほど、テレビは暇じゃないだろう」

「うん。その通り。問題なのは、おんなじような事故死体が、毎週のように出て来てること。しかも、不思議に、うちの生徒は、一人だって消えちゃいない」

「唯一の例外が、私だ、と」

 そういうこと、と宮野は笑う。

「だとしたって、話の筋が通らない」

「しょうがないだろ。噂っていうのは、そういうものだよ。どれも見事な挽肉で、とても個人を特定できない。――ま、DNA鑑定でもやったなら、きっと一発だろうけどさ」

 毎週のように出てくる死体が、全部私だとでもいうのだろうか。

 ――第一私は、どうしたって死ぬことができない。

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