エピローグ

「凪沙、ただ今戻りました」


「お帰りなさい、彰。久しぶりの都会はどうだった?」


 お腹をふっくらさせた凪沙が、笑顔で迎えてくれる。


「とても新鮮でした。どんな場所でもご機嫌でいることができると、『場所は関係ない。要は心次第』というあなたの言葉を思い出します」


「それは良かったわね」


 笑顔でいる彼女のそばには、写真立てが飾ってある。

 そこには、私と凪沙の写真がいくつか飾ってある。


 仮想世界での一件があってから、一年が経ち私たちは結婚した。

 二人とも身内だけの式を望んだので、お互いの家族だけで結婚式を挙げ、その時の写真も飾ってある。


 今は子どもを授かり、妊娠36周目が過ぎ、臨月を迎えている。


「それより、良い物件は見つかったの?」


「ええ、もちろんです。凪沙と最後に見に行ったあの場所の持ち主との交渉も、無事に成立しました。これであとは家を建てるだけです」


「本当!? やったー!! でも、やっぱりそういうことを決める場に行きたかったわ」


「仕方ないですよ。急に激しいつわりがきてしまったのですから」


 妻が妊娠した初期に、つわりに悩まされることはなかった。

 だから、出産の時まで大丈夫だろうと高を括っていたのだが……まさかの妊娠後期でつわりに悩まされている。


「そうね。でも、不思議ね。まさか、仮想世界のパートナーだったあなたと、現実世界でもパートナーになって。こうやって、子どもも授かって」


 凪沙は自分の膨らんでいる腹を優しく、微笑みながら撫でる。

 その笑みは今までの無邪気な笑顔とは違って、母性を感じるような優しくもあり、強くもある表情。

 もう彼女は母親なのだと実感する瞬間でもある。


 対して、自分はどうだろう?


 つわりで苦しんでいてもさすってあげることしかできない。

 子どもには外から声を掛けることしかできない。


 母と子にあるような強い繋がりを感じることができず、思い悩んでいた時期もある。


 けれど、そんな私を見かねて彼女は言ってくれた。


「あなたの声を聴かせてあげてください。何よりもあたしが好きなあなたの声を。そして、あたしを通して触れ合ってくれることが、今できる最高の子育てよ」


 その言葉にどれだけ救われたかわからない。


 今できることをする。

 今したいと思うことをする。

 それだけが、私と凪沙が共有する想いであるが、これから生まれてきてくれる子とも共有できると嬉しい。



「そういえば、お父様が心配していたわよ。が気軽に街を出歩くことに」


「全然気にする必要ないですよ。というよりも、と似たような感じで」


「あれね! 正直あたしだけじゃなくて、みんな肝を冷やしたのよ! あんな作戦が思いつき、実行に移そうとしたあなたを鬼だと思ったわ」


 プンプンっという感じで怒っているが、今の彼女にとっては笑い話になってくれているらしい。


「鬼は無茶は言いますが、無理なことは言いませんよ」


 そう、無理だとは決して思っていなかった。

 あの時、『無慈悲なる番犬ピットブルを無視してやり過ごす』という作戦は、機械に対してはまたとない一手だと思う。


 考えることをしない機械は、常に命令に忠実だ。

 だから、には、無視という行為——相手にしないという行為が有効に働く。


「……早くまた<バンピィ>を創りたいわね」


「えぇ。私たちが今やりたいことをやり続けていたら、私たちが何も言わなくても、きっと彼らはそこに集まってきますよ。もちろん、


「……わかっているわよ。その時がきたらまた考えるわ」


 言葉では問題を先延ばしにしているが、表情はどこか嬉しそうな——彼女に会いたそうな顔をしている。


 お互い嘘をつくのが下手なのは一緒ではあるが、他のことは正反対のことも多い。


 そんな彼女と、これから産まれてきてくれる子どもと。

 これから創っていく第2の人生が未知に溢れていることが、いつも私に幸せを感じさせてくれるのであった。



 —完—

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