滑稽な鶏話(七原の場合)

「知ってる?何か、ヤバい本が出回ってるらしいよ」


「ヤバい本?」


「そう。ヤバい本」


「知らないけど、ヤバいってどうヤバいわけ?」


「その本にはヤバい秘密が隠されてるんだって」


「だから、そのヤバい秘密って何なのよ」


「いや、私も聞いただけだよ?……ちょっと耳貸して」


「え、そんな言えないようなことなの?」


「うん、まぁね」


「…………えっ高峰って、」


「ばかっ、聞こえるでしょ!」


「あ、ごめん。いやでも、何で分かったの?」


「太腿にね、火傷の痕があるんだって。男子が体育の着替えの時に見たらしい」


「へぇ~。何か、ソウゼツだねぇ」


「ソウゼツっていうよりフケツじゃない?」


「え、何で?」


「だって、してるってことでしょ」


「まぁ……。不潔かなぁ?」


「私、男子のそういうノリ嫌いなんだよね」


「それは分かる。やり過ぎっていうか、ね」


「そうそう。あ、ていうか次赤沢じゃん。」


「そういえばあいつ、いっつも絡むよね」


「ん、誰に?」


「だから、」


「あぁ!……赤沢もわざとやってんじゃない?アレ知っててさ」


「何それ、流石にきもいって」


「だね、流石にねぇ」





予鈴のおかげでお喋りな女子達の噂話はそこで中断された。僕は極めて緩慢な動きでその子達の後ろの席に座っている佐伯さんに視線を移すと、バッチリと目が合った。佐伯さんは明らかに狼狽して、大きく首を横に振った。僕はその仕草に顔をしかめ、ふいっと目を逸らした。面倒なことになってしまったかもしれない。やっぱり、あの本は返してもらうべきだった。少し後悔しながら、いつも通り机に突っ伏して眠っている高峰くんを一瞥し、ホッと息をついた。















「佐伯さん」


「な、なに?いきなりどうしたの」


「心当たりはありますよね?」


「ないよ、知らない」


「目泳いでますけど。嘘ついたっていずれバレるんですから最初から素直に話してください」


「嘘じゃないし、何の話かも分かんないよ」


「じゃあさっき僕と目が合った時首を振ったのは何ですか?」


「……あれはただ、」


「ヤバい本の話、聞こえてましたよね」


「聞こえてたけど、でも、私じゃない……」


「何があなたじゃないんですか?僕まだ何も聞いてませんけど」


「だから、あの噂流したのは私じゃないってこと」


「そうですか。で、他にやましいことはあるんですね」


「やましいっていうか、ちょっと気になることっていうか……」


「はっきり言ってください」


「……あの、七原くんに貰った本、あるでしょ」


「盗んだ、の間違いだと思いますけど」


「私は返そうとしたのにいらないって言ったの七原くんじゃん!」


「盗聴器とか仕込まれてそうで怖かったので」


「そんなの仕込むわけないよ」


「まぁ、そうですね。で、その本がどうしたんです?」


「それをね、私大事に持ってたの。何回も読み直して、肌身離さずって感じで、毎日持ってたの」


「気色悪いですね」


「七原くん!」


「はい」


「……私、一個上の幼馴染がいてね」


「何の話ですか」


「説明するのに必要なの」


「なるべく手短にお願いします」


「分かったよ。でね、その幼馴染とは小学校が一緒だったんだけど、私が中学上がる前に今のところに引っ越しちゃったから、疎遠になっちゃったの」


「その話本当にいりました?」


「いるの!」


「そうですか」


「……でも、私が水泳部に入った時にその人がいて、同じ高校だって気付いたの。あ、七原くんは知らないよね、私一年生の頃水泳部のマネージャーだったんだ。疲れちゃって、やめたんだけどね」


「その情報は確実にいりません」


「言うと思った。で、その幼馴染の人も私と同じぐらいの時期に水泳部やめちゃってね」


「……それっていつ頃ですか?」


「えぇと、去年の終わり頃かな」


「その時期に他に辞めた人っています?」


「ううん。私とその人だけだよ」


「……そうですか」


「うん。それで、辞めてからは全然会ってないし連絡も取ってなかったんだけど、最近その人学校来なくなっちゃったみたいでね。私、心配で、その人の家に行ってみたの」


「……その人の家に行って、あの本を渡したんですか?」


「まぁ短く言うとそう。たまたま私の鞄からあの本が落ちて、そしたらその人が、すっごい慌てた顔で何でそれ持ってんのって聞いてきたの」


「……まさか僕の名前、」


「あ、ごめんね。つい七原くんから貰ったって言っちゃった。でも言うなとは言われてなかったし、いいかなって」


「……あれですよね、女性って、そういうとこありますよね。心底嫌いです」


「何それひどい。それに、女子って一括りにするの良くないよ」


「じゃああなたですね。あなたのことが心底嫌いですね」


「だから謝ったじゃん、そんなに言ったらだめだったの?」


「色々あるんです。責任取って案内してください」


「え、案内ってどこに?」


「その人のお家です。乙女って無神経な上に勘まで悪いから厄介です」


「……七原くんってキザだよね」


「はい?どこがですが?」


「乙女とか、普通言わないよ」


「あぁ、勘違いしないでください。悪い意味の乙女です」


「何それ、乙女に悪い意味なんてないでしょ」


「あなたが知らないだけです。とにかく、こんな会話時間の無駄なのでさっさと行きましょう」


「え、今から?休みの日とかじゃないの?」


「どうして僕が休みの日にわざわざあなたといなくてはならないんですか?」


「……そんなことばっかり言ってると案内しないから」


「あなたが蒔いた種でしょう。それに、好きですよね?」


「……だ、だから好きとかじゃないって」


「案内するの。前に高峰くんを僕の家まで連れてきてくれましたよね。あれはあなたがした行動の中で唯一褒められた点です」


「あぁ、うん。そう。ワタシアンナイスルノスキナンダヨネ」


佐伯さんは急に生気の失ったような顔で棒読みのセリフとともに、いつものバス停と正反対の方向に歩き出した。



















「ところでさ、行ってどうするの?あの本取り返すの?」


「あなたに言う必要はないです」


「案内してあげてるんだから教えてくれても良いじゃん」


「あなたが僕の本を勝手にあげたからこんなことになってるんです」


「私が貰ったんだからもう私の本だもん」


「……そんなことより、その人が学校に来なくなったのっていつ頃からですか」


「そんなこと……。確か夏休み明けだから、2ヶ月前ぐらいかな」


「それで、あなたがその人の家を訪ねたのって最近ですよね?」


「そうだけど」


「そんなに経って、どうしていきなり家に行こうなんて思ったんですか?」


「……学校に来なくなったこと知ったのがつい最近だからだよ」


「どうやって知ったんですか」


「……」


「何か、言えないような理由があるんじゃないですか」


「七原くんってさ、何でも知ってるみたいな顔してるよね」


「はい?」


「でも、私には分かんないでしょ」


「どういう意味です?」


「だから、七原くんに言っていいのか分からないってことだよ。もし、全然違ったら色々面倒くさそうだし」


「……変なところで口が堅いんですね。まぁ恐らくですけど、あなたが知ってることは大体知ってますよ」


「七原くんがさっきそういう女子は嫌いって、言ったから」


「はい?あぁ、じゃあ言い直しましょうか。そういう女子、嫌い」


「……まぁいいや。私ね、化学の宿題するの忘れて、遅れて出すことが多いの」


「手短にお願いします」


「分かってるってば!」


「はい」


「……だから、七原くんが第一理科室に持って行った後に1人で出しに行くんだけど、いつもは鍵開いてるのにその時はもう閉まっちゃってたの。しょうがないから職員室から鍵貰ってきて、入ったのね。そしたら、あの、奥の部屋あるでしょ。黒板の横にある、何か研究室みたいな、生徒は入れない部屋」


「あの窓が真っ黒に塗りつぶされてるいかにも怪しげな部屋ですか?」


「そうそう。そこの扉がちょっとだけ開いてて、話し声が聞こえてきたの。おかしいでしょ、家だったらあれだけど学校で中にいるなら普通鍵閉めないし。だから私、不審者かと思って、スマホで通報する準備しながらこっそり覗いてみたんだよね。……そしたら柊先生と、正座してる蓮くんがいたの。怒られてるのかなって思ったんだけど、会話がね、聞こえてきたの」


「……なんて言ってました?」


「たまたまビデオ撮っちゃってたから流すね」


「……お願いします」



 







『急に逃げ出すなんて、そんな裏切りないだろ?』


『俺、もうやめる。もう高峰にあんなことしないから』


『今更やめたってもう手遅れだろ』


『でももう、しない』


『……学校まで来なくなった理由は?』


『顔合わせたくないから』


『高峰と?』


『……そう』


『お前さ、何にも分かってないね』


『何が?』


『今まで俺に写真、動画、証拠になるもん全部渡してただろ。お前が写ってるのもあるんだよ。分かるよな?俺がばら撒けば終わるのはお前だよ』


『……もう、ばら撒いてんじゃん』


『お前の顔は隠してやってるだろ。とにかく、お前がもうやんないって言うならどんな噂が流れるか分からないよ』


『別に、もう学校行かないし、どうでもいい』


『……あっそう。じゃあ最後に1個だけ言うこと聞けよ』


『何だよ』


『最後までやれ。そっちのが桁違いに売れんだよな』


『……は?最後までって、』


『お前中途半端なんだよ。な、処女穴貫通式してくれたらもう何も言わねぇよ』







「……それで私、これはヤバいと思って全速力で教室から出たんだ」



僕は頭の中で、なるほどね、と妙に納得したような相槌を打った。納得なんてするはずないのだけれど、今はまだ怒りなんて押し殺すべきだと、地面に伸びる自分の薄い影を見て、ふとそう思った。追いかければするりと躱《かわ》す影のように、怒りなど負の感情の表明は時として僕を不利な状況へと導くこともある。決して逃げられないように、僕は一歩、踏み出した。






















"雛鳥、青を知らず逝く" 【鶏口滑稽】


第一理科室の、教師専用の机にポツンと置かれていたその本は、どこか異質な空気を放っていた。昔から、本は嫌いじゃなかった。特に熱中していたわけでもないけれど、暇つぶしにはちょうどよかったのだ。単なる興味本位で、その本を手に取った。その時、積まれていた他クラスのノートに手が当たってしまい、机から雪崩れ落ちた。僕は少し驚いて、その本から手を離し落としてしまった。ノートを拾い集め元通りに積み直してから、落ちた拍子に表紙が外れた本を拾い上げた。


表紙の裏には、薄い長方形の封筒が貼りつけてあった。僕は特に驚くわけでもなく、その封筒の中身を取り出した。そういう、付録付きの本かと思ったのだ。中身は、1枚の写真だった。だからその封筒から出てきた写真の中の人物を確認した時、しばらく脳がフリーズした。

見間違えるはずがない、しかし見間違いであればどんなに良かったか、それは、高峰くんだった。高峰くんが、男の、汚いモノを咥えている写真だったのだ。






















「カナちゃん?!」


同い年ぐらいの、制服を着た男がすれ違いざまに佐伯さんの顔を見て素っ頓狂な声をあげた。


「………誰、ですか?」


「あ、えっと俺だよ、果南!小学校一緒だった久喜クキ果南!」


「……え、本当にあの果南くん?!」


「そう!あの果南です」


「すっごい背高くなってて誰か分かんなかった」


「だって俺もう高3だし!……てことは6年ぶりか、気付いた俺すごくね?」


「うん。超びっくりした」


「俺も。なんか見たことある顔だなって思ってたらまじでカナちゃんだった。てか、こんなとこで何してんの?カナちゃん引っ越したんだよな?」


「あ、えっとね、実は蓮くんの家に行く途中なんだ」


「……え、れんれん?何でれんれんの家行くの?てかあれ、横の子誰?もしかして2人、」


果南と呼ばれた人はそこで初めて僕の存在に気付いたようで、一瞬鋭い、獲物を見定めるような目線を向けてきた。佐伯さんの知り合いなどどうでもいいが、彼女がまた口を滑らせたせいで名乗る流れになってしまった。


「佐伯さんのクラスメイトの七原といいます。委員会の用事で、川西先輩のお家に伺っている途中です」


「あ、そっか。委員会ね。俺久喜果南、久しぶりの喜びに果実の南!カナちゃんの幼馴染ね!」


「あはは、その自己紹介まだやってるんだね。懐かしい」


「だってクキカナンですっていって一発で伝わったことないんだもん。てかあいつ元気なの?全然連絡返ってこないんだけど」


「あ、えっと、うん」


「……?なんか歯切れ悪くね」


久喜果南が不思議そうに佐伯さんを見る。余計なことは言わないでくれという視線を送るが、無念、それが伝わることはなかった。


「実は蓮くん、最近学校来てなくてね」


「え。……何で?」


「あ、うーんとね、何でだろう」


「……ん、あれ、何で学校来てないのに委員会やってんの?」


今度は佐伯さんが僕に助けてくれとでもいうような視線を送ってきた。最後まで話さないなら最初から言わなければいいものを。どうやら佐伯さんと川西蓮とこの久喜果南という人物の3人は幼馴染らしい。あの本を持っていた佐伯さんが川西蓮の家の扉を叩いても出てこない可能性がある。ゴミかと思ったら意外と使えた、なんてことはよくある話だ。


「気になるなら、一緒に行きますか。川西先輩のお家」












 





「……何でお前がいんの?」


川西蓮は仄かな怯えと呆れが入り混じったような表情で僕を出迎えた。まぁ毎度お馴染みの、ドアが開いた瞬間に押し入った、の方が正しいのだけれど。


「驚きました?」


「当たり前だろ。……つか、お前果南と知り合いだったのかよ」


「いえ、ついさっき知り合いました」


「何であいつが来てんの?」


「まぁ、成り行きです。ついでに佐伯さんもいるんで、帰るように言ってもらえます?」


「……叶巻き込んでんの?」


「彼女が自分から巻き込まれにきてる、の間違いです」


「じゃあ何であの本、叶に渡したんだよ」


「成り行きです」


川西蓮は大きく舌打ちし、玄関にいる僕を押しのけるようにして外にいる佐伯さんと久喜果南に帰るよう言った。2人はやいやい文句を垂れていたが、しばらくすると静かになり、気配も消えた。 


「お前のこと家上げたくないんだけど。何されるかわかんないし」


「じゃあここで結構です」


「ここも家だし」


「ヤバい本が出回ってるって、噂が流れてるんですよね。知ってました?」


「……知らない」


「そうですか。僕、佐伯さんがあなたに本を渡したって聞いて、その噂の出所はあなただと思ったんです。でも、多分違いますよね」


「何で違うと思うの?」


「ここに来る途中、もう一つ聞いたからです。柊先生と、あなたの、第一理科室での会話」


「……叶から?」


「はい。偶然聞こえたそうです。その話が正しければ、あなた脅されてますよね」


「……どこまで知ってんだよ?」


「どこまで?あの本を持ってたの僕ですよ?で、あなたが高峰くんにしてたことも知ってるし、今日あなたと柊先生の繋がりもハッキリと分かりました。あと僕が知らないことがあるんですか?」


「いや……。その噂って、高峰の名前は出てんの?」


「はい。ガッツリ出てます。学校でその話が高峰くんに聞こえそうになったら僕が耳元で叫んでるので本人は気付いてないですけど」


「じゃあ多分、柊が広めたんだと思う。俺が、やめたから」


「一つ疑問なんですけど、普通に犯罪ですよね。バレたら大変なのは自分なのに、わざわざそんな噂広めたりします?」


「だって、あの本書いたのは柊じゃないから、バレたら罪なすりつけるつもりなんだろ。……あれ、知らなかった?」



書いたのは柊先生じゃない。つまり、主人公が高峰くんそっくりの、あの気持ちの悪いストーカー本を書いた人物が柊先生の他にいると?



「あいつ、ジ・エンドのことザ・エンドって言うぐらい英語できないし」


「英語できないのと関係あるんですか」


「英語できない奴って大抵文章能力ないじゃん」


「……偏見じゃないですか」


















僕が転校してきてすぐ、現行犯的な感じで川西蓮の存在に気付けたのはラッキーだった。川西蓮をトイレに連れ込んだ時点ではもう、柊先生が高峰くんに何をしているかは知っていた。


柊先生は川西蓮から高峰くんの卑猥な写真や動画を受け取り、性の捌け口にするだけでは飽き足らず、それを売り飛ばし、汚い金に変えていた。あの本に貼ってあった写真の裏側には、ご丁寧にQRコードが印刷されていた。どんなサイトに飛ぶかは言わずもがな分かるだろう。


一つ引っかかったのは、どうしてわざわざあんな本と一緒に売る必要があるのか、ということだ。加虐趣味の変態が繊細な文章を嗜むようには思えないし、いくら高峰くんの情報が載ってようとそれが性的興奮を誘うとも考え難い。


本当はすぐに柊先生を川西蓮にしたみたいに脅して、高峰くんに働く悪事をやめさせたかったけど、どうにも柊先生は卑怯で狡猾だった。だから外堀を埋めるのに結構な時間を要してしまった。その間も高峰くんの写真や動画が出回っていると考えると気が狂いそうだったが、撲滅するにはこうするしかないと、自分に言い聞かせて耐えた。


幸運なことに、柊先生はパソコンを仕事とプライベートで使い分けておらず、第一理科室に行けば簡単に情報を入手することができた。用心深いのか不用心なのかよく分からない。

そのサイトは有料会員制で、柊先生はそこで軽く5桁は超える程度の収益を得ていた。よくこんな下卑た行いができるものだと呆れ返ったが、とにかく僕にできることをしようと思った。


まず、これ以上新規会員が増えないよう、現在の会員以外のユーザーをサイトにアクセスできないようにした。それから会員の情報を抜き取り僕のパソコンに移行した。しらみ潰しのように会員たちの使っているパソコンやスマートフォン、タブレットなどにウイルスを侵入させ使い物にならなくし、強制的にサイトから追い出した。


次にしたのはあの本を買った人物の特定だった。これはもう、写真が現像されて渡っているので機械を壊すだけでは意味がない。残る手段は1つ、僕が持っているものを利用することだった。財力だけは底無しの春美さんに頼み込み、それとプラスで僕は双方に僕を売った。どうにも、僕の珍しい容姿は需要があるらしい。勿論、聞く耳を持たない輩も少なからずいたので、そこは川西蓮への行為と同じようなことをさせてもらった。僕は口を開かなければ女の子に見えるらしく、相手の油断や隙を誘うにはちょうど良かった。





















「それで、ゴーストライターさんはどなたですか?」


「やっぱ知らなかったのかよ」


「はい。不覚です」


「俺がお前に教える義理なんかないからなぁ」


「……あなた、僕が誰のためにこんなことをやっていると思います?誰のためにあなたに会いに来たと思います?」


「は?どうせ高峰でしょ?」


「違いますね。僕は、僕のために行動してるんです。だから、あなたに義理がなかろうと僕は聞き出すまで帰りません。誰かのために何かをするのは立派なことだけれど、限界があるんです」


「ふぅん。僕はエゴイストですって宣言しに来たわけだ」


「はい、そうです」


「……前みたいに、力づくで脅したりしないの?」


「してほしいんですか?」


「気持ち悪いこと言うな!」


「気持ち悪いのはあなたでしょう。あなたがどうしてもと言うならいいですよ。学校のトイレよりはいくらかましなんじゃないですか?」


「……なに、お前の趣味なわけ?」


「何をどう聞いたらそんな解釈になるんですか」


「うるせぇな、いちいちムカつくんだよ。お前の頼みなんか聞くわけないでしょ」


「恨んでるんですか?僕のこと」


「……自分のしたこと考えたら分かるだろ」


川西蓮は下唇を噛み締め、憎悪と、もう一つ別の感情が籠《こも》った目で僕を睨みつけた。まるで下の子に母親を取られた子供のような、けがれを知りはじめた、されど純粋な瞳をしていた。僕にはないものだった。


「……あぁ、妬んでるんですね」


「は、何が、ちが」


「違いませんよね?ねぇ、分かってますか?あなたが高峰くんにしたこと。ちゃんと、あなたのその頭で、理解してるんですか?」


「分かってる!だから、もうやめたんだよ」


「だったら、さっさと言ってください。何を出し渋ってるんです?」


「……ムカつくんだよ」


「さっき聞きました」


「何でお前なわけ?」


「はい?」


「何で俺じゃ、だめだったんだよ」


川西蓮はポツリと絞り出すように呟いて、そのまま床にへたり込んでしまった。どうしたものかと頭を掻いていると、啜り泣く声が聞こえ、しまいには猿みたいに号泣し出した。やはり、他人との触れ合いがなくなると人は情緒がおかしくなるものなのだな、とぼんやり考えた。もう放っておいて帰ろうかと思ったが、それではあまりに収穫がなさすぎる。僕は玄関でしゃがみ、小さな子供をあやすように話しかけた。


「1回だけ、学校に来てみませんか。高峰くんに会って、直接謝って、すっきりしたらどうですか」


「……俺に、そっ、んな権利、ないし」


「じゃあ僕が特別に権利あげますから、ね」


「お前、なんかに、貰いたくないし」


「……僕から高峰くんに話しておくので、高峰くんがいいって言ったら会うのはどうですか」


「今更、学校、行きづらい、し」


「じゃあ放課後公園とかに連れて行くので」


「……放課後は、寝てるし」


「今日は起きてたじゃないですか」


「お前らが、起こしたんじゃん」


「じゃあ僕がグッドモーニングコールでもすればいいですか」


「バッドイブニングの間違いだろ」


「……いい加減してください」


「だ、だってこれ以上あいつに嫌われたら俺もう生きてけない、」


「情けないですね、ぐずぐず泣いて。今のあなたの姿撮って高峰くんに見せてあげましょうか?そっちの方がよっぽど嫌われると思いますけど」


「やめろ!」


「それじゃ、どうします」


「……まじなの」


「はい」


「お前、不安とかないの」


僕は立ちあがり、まだうつつを抜かしたままの川西蓮を見下ろした。僕を見上げる奴は、無意味にびくついてほんのりと目に怯えが浮かべ、それを悟られぬように僕から目を逸らした。


「もう、いないんですよ」


何が、と言うようにこちらを見る。僕はもう一度、はっきりと言ってやる。


「あなたが好きだった高峰くんは、もういないんですよ」


「……だから、そんなこと俺だって分かってる!」


「分かってないですよ。高峰くんと会っていいって言ったのは文字通りで、他意はありません。なのにあなたは、高峰くんと話しさえすれば、機会さえあれば、また元に戻れるなんて、期待している。あなたがどれぐらい本気だったかなんて知りませんが、あなたが好きだった高峰くんはもういないんです、いないんですよ」


子供に言い聞かせるように、強調しながら繰り返した。川西蓮は俯いて、ひとりごとみたいにまた、「分かってる」と呟いた。 


「散々考えたよ。俺は取り返しのつかないことをした。でも、それでもお前が妬ましいし、心底憎い」


「……そうですか。じゃあもういいです。遠回りにはなりますが自分で見つけますね。本だけ返していただければ帰ります」


川西蓮は顔を拭いながら立ち上がり、無言で部屋の中に消えて行った。まるで被害者かのような振る舞いに、呆れて笑うことすら億劫だ。1分もたたないうちにドアが開く気配がし、本を手に持った川西蓮が顔を出した。


「どうすんの?」


「何をです?」


「聞いて、どうするんだよ」


「それはもちろん、救済です」


「はぁ?何だよ、あいつのためじゃないとか言ってたのに結局、」


「僕の、僕による、僕のための救済です」


「……矛盾してるでしょ、それ」


「いいえ?烏滸がましいじゃないですか。高峰くんのため、だなんて」


川西蓮は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた#後__のち__#、部屋の中に顔を引っ込め、すぐにまた出てきた。玄関まで歩みを進め、川西蓮は僕に向かって極めて適当に本を放り投げた。両手でキャッチしたが危うく顔に直撃するところだった。


「お邪魔しました」


「帰る時だけ礼儀正しいのな」

















辺りはすっかり暗くなり、やけに静かだった。何だか酷く疲れてしまって、やっと慣れてきた寒さも、今日は鋭く肌を刺すような痛みが走る。

暖を取ろうとポケットに手を収めようとしたとき、まだ手に本を持ったままだということに気が付いた。古ぼけた街灯の下、それをリュックに仕舞おうと立ち止まった。


カサリ、と葉をかき分ける音でもなく、はたまた朽ちて落ちていく音でもない、何かに挟まりはみ出した紙のようなものが僕の手とこすれた音がした。それは、明るい場所、もしくは静かな場所でないと気が付かないぐらい、ほんの少しだけ本の間からはみ出してい

た。


まさか、と嫌な予感がよぎったが、そんなはずはないと数秒前の自分を否定した。否、そうするしかなかった。もしも川西蓮が、僕が思うよりずっと下衆な人間だったなら、さっきのが演技だったとしたなら、高峰くんは。

僕は一度深く息を吸って、確かめるようにそれを吐き、その紙をゆっくりと、緩慢な動作で引き抜いた。



『赤沢 090-○○○-○○○』


殴り書きの、読み取りにくい文字で、しかしそれを見た途端理解できるぐらいには丁寧に、そう書いてあった。どうやら川西蓮は、僕が思う程度の、下衆な奴だったらしい。


































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