残りものには

「やっぱり風邪、移しちゃいましたか?高峰くん」


「……ちげぇよ。さっきちょっと走っただけだ」


高峰くんは胸のあたりに手を置いてやけに息を荒くしている。頬というより目の下がほんのり赤く染まり、まるで発情した子犬のように見える。


「でも、何だか辛そうです。早退しますか?送りますよ、高峰くん」


「いやまじでそんなんじゃねぇから。身に覚えはありすぎるけどな」


「そうですか。我慢できなくなったら絶対に僕が介抱するので、言ってくださいね。高峰くん」


すると高峰くんは「介抱…。包帯……」とぶつぶつ呟き始めた。彼の言動に返答しかねて、何も言わずに眺めていると「な、なんでもねぇから!」とすぐに正気に戻り、教室と逆方向に歩いて行ってしまった。どうにも怪しい。いや怪しすぎる。また何か僕に秘密を作ったんだろうかと苛立つ反面、それを暴けると思うと少し楽しくなってくる。セカセカと前屈みに歩く高峰くんの後をついていくと、あのときの3階のトイレに入っていった。まさか、と思ったけど高峰くん以外の人がいる気配はない。一息ついて、高峰くんが入った一番奥の少し広い個室に向かって耳を澄ました。金属のような温度を持たない何かと高峰くんの爪がぶつかる音、それから微かに聞こえる甘い息遣い。しばらく(ドア越しに)見守ってから、「今授業中だけど、大丈夫?」とほんの少しいつもより低めに声をかけてみた。


「……七原?」


「……いえ、事務員のハチムラです。体調が悪いなら早退手続きしようか」


「だ、大丈夫、です。ちょっとお腹、壊しただけなんで、」


え、騙されてる?これ騙されてる?さすがに声と名前で気付かない?しかもなんか知らない人だと思ってるからか緊張してるし。そんなことある?ほぼ僕なのに。よく誘拐されずに(いや誘拐された事実はあるかもしれない)今まで生きてこれたものだ。


「心配だから、待ってるよ。一緒に保健室行こう」


「……ハイ」


不服そうな返事のあと、しばらくガサゴソと服を直す音がして、扉が開いた。正確には、鍵の外れる音がした瞬間扉を掴み押し入ったのだけれど。


「んなっ、何でお前がいんだよ!」


「だめですね、ちゃんと水を流さないと。僕じゃなくても怪しまれるところでしたよ、高峰くん。」


「……ハチムラさんは?」


「それ本気で言ってます?僕がほんのちょっと声変えて適当に嘘ついただけですよ、高峰くん」


「まじかよ!ちょっと似てんなって思ったけど違うって言われたら別人にしか聞こえねぇな。しかも敬語じゃなかったし」


「珍しかったですか、高峰くん」


「うん。敬語なしだと兄ちゃ……兄貴みたいで喋りやすい」


「兄ちゃん」


「兄貴」


「いい響きですねぇ。いつかやりましょうね、赤ちゃんプレイ」


「はぁ?!全然関係ねぇだろ!」


「そうなんですか?僕一人っ子なので兄弟の距離感分からないんですよね、高峰くん。」


「にしてもなにをどうやったら赤ちゃんプレイになんだよ、ばか原」


「ちょっとやってみます?高峰くん」


「やるわけねぇだろ!つかお前、何で中入ってきたんだよ、狭いだろうが」


「それを聞くならまず君が答えてください。何してたんですか?高峰くん」


「……な、何ってそりゃトイレだよ。トイレでトイレ以外のことする奴なんかいねぇだろ。だってここはトイレなんだから」


「トイレトイレうるさいですね。じゃあ君はトイレしたあと水流さないってことになりますけど、いいんですか?高峰くん」


「お前が来る前に流したんだよ!」


「僕、君がトイレに入るところからずっと見てましたよ、高峰くん」


「……聞こえないぐらいちっちゃく流したんだよ」


「へぇ。じゃあやってみてください。高峰くん」


「やってみるって、何を?」


「聞こえないぐらいちっちゃく流してみてください。できますよね?高峰くん」


「……当たり前だろ。誰だと思ってんだよ」


高峰くんは言葉とは正反対の不安げな顔で不衛生なレバーへと手を伸ばした。そして、ほんの少しだけ後ろに捻ったと思ったら、 ジャバアアアアアアアとそれはもう滝の如く激しい勢いで流れた。


「……実はここのそれ、故障してるんですよね。一度流すと一時間ぐらい止まらなくなるんです。……で、君ここで、何してたんです?高峰くん」


高峰くんは悔しいというより恥ずかしそうに唇を噛み、雑に止められたカッターシャツのボタンを外し始めた。高峰くんが、まさか自主的ストリップ?と一瞬よぎった希望は捨て、彼の行動を見守る。胸のあたりのボタンに差し掛かったとき、服が擦れたのか、「んっ」という甘い鳴き声を出した。どこに擦れたのか、考えるまでもない。本来その部分はほんのり色づいた薄桃色で、無防備に晒されているはずなのに。微かに聞こえた金属音の正体を理解し、高峰くんへの性的興奮とともに、温度のない感情が僕の頭を、脳の司令塔を冷静にする。


「……何か、言えよ」


「何て言えばいいんです?高峰くん。学校に乳首ピアスはいけませんよ、破廉恥ですよ、とか?それとも、リングタイプじゃないなんて不良の名が廃りますよとかの方がいいですか、高峰くん」


「お、俺だって、こんなもんつけたくてつけてんじゃねぇよ!理由があんだよ!」


「理由?乳首にピアスつけてることに理由なんてありますか?高峰くん。ビッチの象徴じゃないですか」


「……んなこと、言うなよぉ、、、」


高峰くんは両手でそこを隠し、弱々しくしゃがみ込んでしまった。泣く直前みたいに、唇がプルプルと震えている。可愛いすぎて体の何かしらの臓器が飛び出してきそうだ。いやそうでもしないとこの愛情は処理できないだろう。心臓ぐらいくれてやるのに。


「……ごめんなさい、泣かないで。言い過ぎました。理由、聞かせてくれませんか、高峰くん」


「泣いてねぇし。…昨日着てたシャツが、ピチピチだったんだよ」


「……はい?」


「だから、ピチピチだと常に、その、胸の突起物とシャツが触れてる状態になんだろ。例えばほら、雷がその場所の一番高いところに落ちるみたいに、一部だけ盛り上がってるから擦れんだよ」


「突起物って余計卑猥に聞こえますよ。僕はそれでも全然構わないんですけどね。あと君、例えが下手すぎます。それならない方が伝わりますよ、高峰くん」


「うるせぇ、クレームは受け付けてねぇんだよ」


「クレーム対応がしっかりしてない店って三年も持たないですよ、高峰くん」


「石の上にも三年って言うだろ。無視してたらなんとかなんだよ」


「ごもっともです。どうぞ続けてください、高峰くん」


「それで、痒いし痛いしで我慢できなくなって調べたんだよ」


「乳首 痒い 痛い って?」


「……こっわ。何で知ってんだよ、まさかお前、俺の検索履歴見たのか!」


僕はわざとらしく大きなため息をつき、続きを話せというふうに片眉を上げた。高峰くんが半泣きでスマホに文字を打ち込む姿なんて容易に想像できる。それに至極単純な思考回路しか持たない高峰くんの頭の中だ、当然分かるに決まってる。


「……それで、どうして高峰くんの可愛い薄桃色のそれに、ピアスなんてつけることになるんですか、高峰くん」


「そう出てきたんだからしょうがねぇだろ!痒みを止めるには物理的に止めるしかない、ピアスをぶっ刺せ、って」


「……」


「あ、何だよその目は!信じてないな?嘘じゃねぇよ、ほんとにそう書いてたんだよ!」


「本当だとしたら、数あるサイトからそんな脳筋のバカに辿り着く君に脱帽ですよ。高峰くん」


「……いや俺も疑いはしたけど、ちょうど穴は開いてるしそれで痒みが治るならやる価値はあると思ったんだよ。んで、片方つけたらもう片方もつけるだろ。つけなきゃなんかバランス悪くなるしよ」


「高峰くんって乳首の重さで傾いたりするんですか?なるほど、つまり右向きに転んだ日は右だけにピアスをつけていたと?」


「んなわけねぇだろ、ばか原!どんだけ重いやつつけてんだよ。つか別に引っ張られてるわけじゃねぇんだから右向きに転んだりしねぇだろ!」


「あぁ、確かにそうですね。それじゃあ右足が少し地面にめり込むとか、そんな感じですか?ドラ逆半ですね。高峰くん」


「ドラギャクハン?なんだよそれ、韓国人の名前みてぇ」


「ドラえもん逆バージョン半分の略です。ドラえもんって、常に3mm浮いてるんですよ。知ってました?高峰くん」


「知ってる。子供の頃それ知ったとき、兄ちゃ……兄貴が、あいつも気遣って浮いたりするんだなぁって、言ってた」


「ふふっ。常に浮いてるって、腹筋使いそうですよね。高峰くん」


「確かにな。大変だな、ドラえもんも。腹筋プルプルさせながら道具取り出してやってんのにのび太には文句言われてよ」


「そうですね。でもまぁ、そのかわりに皆んなから愛されてますしね」


「そんなもんか?未来のロボットも努力しなきゃ愛されないのかよ。ロマンがねぇな」


「そりゃロマン潰しの道具が山ほどできている世界ですし、ロボットも頑張りますよ。……なんてことは今はどうでもよくて、君の乳首の話をしてるんですよ!」


「うわっ、何だよ急にでかい声出すなよ。誰かに聞かれたらどうすんだ」


「今授業中ですし、こんなところ誰も来ませんよ。それで、結局このトイレで何してたんですか?高峰くん」


「……しばらくは治るかもって我慢してたけど、痒みも痛みも悪化してる気しかしねぇから外そうとしてたんだよ。でも何か、昨日の夜からつけてるからかなかなか取れなくてよ、もう触るだけできつい」


「なるほど。でも、どうしていつもの第二理科室に行かなかったんですか?ここより安全な気がしますけど」


「……家に鍵忘れた。とにかく痒くて我慢できなかったんだよ」


「分かりました。取りたいんですね、高峰くん」


僕がそう言うと、高峰くんはハッとした顔をし、今度はギュッと目を瞑った。僕が無理矢理引き抜くとでも思ったのだろうか。モヤっとするけれど、このキス待ち顔を見ると脳内は可愛い、愛しい、愛くるしい、で埋め尽くされてしまった。 


「高峰くん、すぐ戻ってきますから、絶対にここで大人しく待っててくださいね。あ、待っている間キス待ち顔はしなくても大丈夫ですよ、もったいないので」


んな顔してねーよ!という怒声を背にトイレから出て、保健室に向かった。体育で軽い怪我をした子がいる、などと適当に言い、消毒液、コットン、軟膏を借りてきた。養護教諭に、本当に軽い怪我?大怪我じゃない?大丈夫?と聞かれ、痛みに弱い子なんですとか何とか言って誤魔化した。

痛みと、快楽にも弱いんです。そっちの方が、重症なんですけれど。









「あぁ、高峰くん、大人しく待っててくださいって、言いましたよね?無理に取ろうとしちゃだめです、怪我しますよ!」


「痒いんだからしょうがねぇだろ!何でつけれたのに外せねぇんだよっ」


「そりゃ君の穴が締め付けてるからですよ。だからまず消毒をして、」


「おいきめぇ言い方すんじゃねぇ!」


「何か間違ったこと言いましたか?高峰くん」


「……穴って言うな、ばか原」


「うーん……。難しいですね、穴の代わりの言葉ってあんまり聞いたことないですねぇ。針によって貫通させられし神秘の洞窟、とか?」


「そういうことじゃねぇし絶対に神秘でもねぇ。お前厨二病だろ」


「君、ちょっと注文が多いんじゃありません?……まぁそんなことより、早く消毒させてください。さっさと取ってこんな不衛生な場所から第二理科室に移動しましょう。高峰くん」


「いや、だから家に鍵忘れたっつっただろ」


「大丈夫です。高峰くん」


「はぁ?何が大丈夫なん……んぁっ」


訝しげに僕を見ていた高峰くんは、不意にかけられた消毒液の冷たさに驚いて嬌声をあげた。「あっ」じゃなくて「んぁっ」なのが高峰くんの可愛さを更に助長している。多分伝わらないと思うけど、あえて解説する。(読まなくていいよ)

まず、突然冷たい液体をかけられて声が出るわけだけど、反射的に人間は「あっ」っていう声が出るはずなんだ。でも高峰くんは恥ずかしさから口を閉じて「あっ」を押し殺して「んっ」って言う。そして「んっ」だけで終わらないのが真の、人を(僕を)魅了する喘ぎだ。最初の「あっ」は押し殺せたけれど、耐えきれなくて「あっ」が出てしまう。それも小さな、ほとんど母音みたいな、「ぁっ」だ。分かるかな、一瞬の間に高峰くんは無意識的にこの思考をしてるんだ。全部分かってしまうのが更に愛おしい。


「おいいきなりすんなよ!びっくりするだろうが!」


喘いでしまって恥ずかしいのか誤魔化そうとしている。可愛い。


「何で無言なんだよ。……七原?」


「……あぁごめんなさい。君の喘ぎ声が可愛すぎて脳がショートしてました。高峰くん」


「お前まじで黙れ」


「ひどいですね、横暴すぎます。無言を指摘したのは君でしょう、高峰くん」


「うるせぇ。つかそんな丁寧にやんなくていいから、」


「だめです。ただでさえ穴が開いてるのに、これ以上傷つけるわけにはいきません。健全なる乳首なくば健全なあれこれできず、ですよ。高峰くん」


「あれこれって何だよ」


「あれこれはあれこれです。とにかく、じっとしておいてください。高峰くん」


高峰くんのピアスは、針の先端が丸く膨らんでいる、いわゆるニップルピアスだった。乳首のピアスなんて普通何度も付け外しするものじゃないはずだから、雑にやるとすぐに流血してしまうだろう。というかこれをネットの情報を信じ一人でつけた高峰くんの行動力に感服する。もちろん悪い意味で。これが誰に、どういった状況で与えられたものか、答えを想像するのは容易い。


「はい、まずキャッチを取りますね。高峰くん」


高峰くんは大きく足を開いて便座に座り、僕がピアスを取りやすいようにしてくれている。その真ん中が熱を持って辛そうなのがズボン越しでも分かる。

キャッチは思ったよりスムーズに取れ、そのままピアスをゆっくりと引き抜いた。


「んぅ……ん、んぁ、、、」


「はい、片方取れましたよ、高峰くん。このままもう片方も取っちゃいますね」


「痒い……かいちゃだめ?ななはらぁ」


「……本当に、君は僕を殺したいんですか?鼻血で出血死しそうなのでその口を閉じてください。高峰くん」


鼻血が出るぐらいという例えじゃなくて、本当に出ている。自分でも驚いている。


「は?……ふはっ、ひでぇ面してんな」


高峰くんはそう笑った後、新しいおもちゃを手に入れた子犬のような目で僕の顔をじっと見つめた。


「何ですか。そんなにおかしいですか、高峰くん。全く、人が苦労して取ってるって言うのに、ひどい話ですね。高峰くん?」


「ん、いや確かにひでぇ顔してるけど、お前、鼻血出てても綺麗なんだな」


「……はい?」


「絵になるっつうか、なんか能力の使いすぎで体に負担がかかって鼻血が出る系の、主人公みたいなさ。……いややっぱり今のなしだ、そんなわけないな、お前は変態だった」


「……厨二病は君じゃないですか、高峰くん」


「あっいきなり抜くなってば、んぁっっ」


僕は脱力している高峰くんを抱き抱えるように立ち上がらせ、引き抜いたピアスをトイレの汚い水の中に放り込んだ。流れっぱなしになっているのでみるみる飲み込まれていった。高峰くんは、「あっ」と小さく抗議するような声をあげたけど、それ以上何も言わなかった。早く、消えて欲しい。高峰くんの頭の中から、早く消えて。


「もう一度、軽く消毒しますね。終わったら服を着て、移動しましょう。高峰くん」


「ん、分かったけどよ、どうやって入るんだよ?鍵ないのに」


「大丈夫って言ったじゃないですか。僕に任せてください、高峰くん」




















「何でお前が持ってんだよ!」


「これは君のじゃありませんよ、高峰くん」


「お前も柊から貰ったってことか?」


「いえ、合鍵を作りました。君が持ってるのを参考にして」


「怖すぎんだろ……。お前俺の家の合鍵作ったりしてねぇだろうな」


僕は「さぁ」というふうに肩をすくめ、中に入った。ぶつぶつ文句を垂れている高峰くんを座らせ、手当ての続きをする。そこは熟れた果実のように赤く腫れており、しかし果実のような爽やかさはなく、痛々しかった。コットンに軽く消毒液を含ませ、優しく撫でるように拭く。


「……お前なら、面白がっていじめてくるかと思った」


「膿んでしまったら洒落になりませんからね。どんなプレイをやるにしても、大事なのは清潔さです、高峰くん」


「うん。……ありがとな」


僕がパッと顔を上げると、潤んだ瞳と目があった。恥ずかしそうにはしているが、先程とは違う種類の、ツンデレの、"デレ"の方の表情だった。しばらくそうして、顔全体がまるで逆立ちしたときみたいに熱を帯びてきたのが分かり、取り繕うように軟膏を塗りはじめた。


「……そういえば君、廊下で僕とすれ違った時、包帯がどうのって言ってましたよね。あれ、何だったんですか?高峰くん」


「包帯巻いたらよくなるかもと思ったんだよ」


「擦れて悪化するので絶対巻かないでくださいね。サイズの合った服を着て、保湿クリームを塗ってください。分かりましたか、高峰くん」


「んだよ、医者みたいなこと言いやがって……」


「分、か、り、ましたか?高峰くん」


「チッ」


「チッじゃないです。ちゃんとしないと、もっと酷いことになりますよ。高峰くん」


「だって、だせぇだろうが!自分のち、乳首に保湿クリーム塗るとか、すげぇ嫌だ」


「何を言ってるんですか?君さっきまで乳首にピアスつけてたんですよ。高峰くん」


「ピアスは不良っぽいからいんだよ!ぎりセーフだろ!」


「アウトです。ここ百年で一番思いっきりアウトです。なんなんですか、君のその不良っぽいとかいうのは。乳首にピアスする不良なんかいませんし、そもそも穴が開いてるのもおかしいです。変態です。痴女です。異常です」


「そんなにかよ!つか、これ俺が開けたんじゃねぇし!」


「知ってます。君が望んで開けたならこんなこと言いません。喜んで似合いのピアスを買いに行きますよ、高峰くん」


そう言うと高峰くんはその長い睫毛を床の方に向けて、「ごめん」と小さく呟いた。何に対して?僕が高峰くんを好きで、高峰くんはそれを知ってるのに、あの人から貰ったピアスをつけたから?だったら彼が謝る必要はない、僕と高峰くんは付き合っているわけでもないんだから。黒い感情が僕の頭を悶々と漂う。早く、早く消えて。高峰くんから、早く消えて。


「高峰くんは、忘れられないんですか」


「……忘れた」


「嘘ですね。忘れてたら、あんなもの持っておかないでしょう、高峰くん」


「忘れてたから、あったんだよ。別に取っておこうと思って持ってたわけじゃねぇ」


「……君なら本当にそうの可能性もありますね。でも普通、つけようなんて思います?酷い目に遭わされたんでしょう、高峰くん」


「あー、だから、ネットの情報信じた俺が悪かったよ!まじで何も考えずに、たまたまあったの思い出してつけただけなんだよ。俺の存在なんかなかったみたいに、何の連絡もなしに消えた奴のことなんて、忘れてたよ」


「待ってたんですね、やっぱり君は」


「ちげぇ、何でそうなんだよ、ばか原!」


「……やめましょう、こんな話。僕が余計なこと言いましたね、ごめんなさい。君の乳首に触れておかしくなったのかもしれません」


「おいやっぱり俺のせいにしてんじゃねぇか!」


「してないですよ。だけど、ひとつ言っておきます、高峰くん」


「何だよ」


「君と先輩はね、進む方向が違ったんですよ。数直線上で、0から始まって、どんどん反対の方向に進んでいったんです。別に、どちらが負だとかは言うつもりはないですけど、君が先輩に歩み寄ろうとするたびに、先輩は離れていき、先輩が君に好意を抱くたび、君は無意識にも離れていってたんです。だから、どうしようもないんです。もう先輩には君の姿は見えないし、君からも見えない。これからだって近づくことはないです。ね、高峰くん」


「じゃあお前は、なんなんだよ?お前だって、俺と同じ方向に進んでるとは思えねぇよ」


「僕ですか?僕はまず、数直線を君がいるところと僕がいるところでぶった切って円にします。君がどれだけ離れていっても、反対回りで追いつくのでずっとそばにいます」


「……なんかずるくね?」


「クレバーって言ってください。高峰くん」


「クレイジーだろ、お前の場合」


「ふふっ、乳首にクリーム塗られてる人に言われたくないですね、高峰くん」


「う、うるせぇ!つかいつまで塗ってんだよ、ヒリヒリしてきた気するぞ!」


「あ、ごめんなさい。触り心地がよかったものですから」


高峰くんはぶすっとした顔(可愛い)で立ち上がり、軽くシャツを着ると、カーテンがなびく窓際の席へ歩いていった。窓の方を向きながら椅子に腰掛けて、僕を見ないまま、何か言っている。聞き取れなくて、近づいた。カーテンが、高峰くんの影を映して、揺れている。


「お前が優しいのは分かったけどさ、」


「俺は別に、綺麗な人間じゃねぇから」


運動場から、歓声が上がった。珍しくドッヂボールをしているらしい。

「ドッヂなら、やりたかったな」高峰くんが言う。僕は言葉を探して、突っ立っていた。どうして高峰くんが綺麗じゃないなんてことがあるんだろう。そんなわけがないのに。高峰くんは何を持って"綺麗じゃない"と言っているんだろう。それに、綺麗じゃないから、何だって言うんだろう。



「どういう、意味ですか。高峰くん」


「そのまんまだよ。俺は綺麗じゃねぇし、好かれるような人間でもないんだよ。……七原、先戻ってろよ」 


「どうしてですか?高峰くん」


「……#治__おさま__#んねぇんだよ。俺、触ってもねぇのに。気持ち悪りぃ」


「恥ずかしいんですか?前もここで、同じようなことしたじゃないですか。高峰くん」


「同じじゃねぇ!男としての尊厳を踏み躙られた気分だ!」


「ふふ、尊厳って最近覚えた言葉ですか?上手に使えてますね、高峰くん」


「隙あらば馬鹿にしやがって、まじでお前帰れ!今日はすげぇ助かったけど、長くここにいられると嫌な予感しかしねぇ」


「君が本気で嫌がるならしませんけど、そのままだと辛いでしょう、高峰くん」


「だから帰れっつってんだろうが、ばか原」


「なぜです?高峰くん」


「……一人でするからだよ!」


「だめです。誰か来たらどうするんですか、高峰くん」


「鍵かかってんだから誰も来ねぇよ」


「君、鍵のかかった教室で僕が入ってきたの覚えてないんですか?高峰くん」


「あれは教室だからだろ。ここの鍵は一個しかねぇし、それを俺が持ってんだよ。まぁお前が合鍵作ったせいで俺だけじゃなくなったけどな」


「……じゃあ分かりました、見とくのでどうぞ自分でやってください。高峰くん」


「なんっで俺がお前の前でやんなくちゃいけねぇんだよ!出てけっつってんだろ!」


「ふふっ、お前の前って面白いですね。よよいのよい、みたいで」


「七原、今日のことはいつか絶対お礼するから、一回外に出てくれ」


「じゃあ、見ないで、ドアの近くに立ってます。もしも高峰くんが一人でいて誰か来たら、僕は腹を切って死にますよ、高峰くん」


高峰くんは心底不機嫌そうな、反抗期みたいな顔をして、僕がいる場所の対角の位置に行き、カーテンで身を隠した。といってもそんなに長さはないので隠せてはないんだけれど、僕は約束を守って見ないでおいた。外ではまだドッヂボールが続いているらしく、生徒の声や笛の音でやかましい。この平和な音の中でそれをするのは辛いだろうに、僕を頼ってはくれない。


あぁ、高峰くんは何を考えて必死に扱いているんだろうか。僕のことを考えて、僕でいっぱいになって、僕の名前を呼んで、果ててくれないだろうか。

「俺は綺麗じゃない」って、恐らく川西蓮に告白された時に綺麗だからとか言われたんだろう。高峰くんの中に、まだ残っている。まだ消えてくれない。本人は姿を消したのに、惨めに高峰くんの記憶として食らいついている。二回もトイレに流したのに、残尿みたいで、笑えてくる。


ふと、自分の手が軟膏でベタベタなことに気が付いた。僕の指先に軟膏と混ざって微かに残った、高峰くんの、匂い。
























七原はしばらく鼻血垂れ流しだった。血の跡ついてたけど鏡見てびっくりするところが見たくて何も言わなかったら、怒られた。by高峰




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