【完結】一つ頭のケルベロス

木元宗

1

01.嫌味なチラシ


 未だ友人の一人も救えないで殺人者気取りとはと自責するのだから私という人間とは、いよいよ手が付けられないガラクタになったのだろうか。


 とは考えが至るも、這い上がって来る十一月の雨の寒々しさがしつこくて、うんざりと足元を一瞥した。それでも気が済まなくて、ビニール傘と高架線越しに空を見上げる。分かってはいるが、七ヶ月前から黒ずんだ雨雲に覆われていて、太陽なんて見えやしない。


 強い雨の振動が、右肩にもたれさせている中棒なかぼうを伝って身に響く。この頃痩せた所為だろう。雨の振動が僅かに痛い。背中の防水加工された黒いリュックまで先月より重く感じて、浅く嘆息した。午前七時過ぎとはとても思えない暗い空へ、白くなって消えて行く。


 私が背にして立っている、商業施設と一体になった巨大な駅へ、雑踏が吸い込まれていく様をぼうっと眺めた。途端に退屈になって、欠伸が出る。朝からのんびりしている私の様が羨ましいのか鬱陶しいのか、駅に向かって来る人々の一部から、絶えず視線を感じた。


 まあ、ここから徒歩五分の位置にある公立高校の制服を着ておきながら、いつまでも突っ立っていては目立ちもするか。私はこの街出身の徒歩通学者だから、駅にいる時点で不自然は始まっている。毎日一緒に登校している鉄村が、どちらかの家の前と決めているいつもの待ち合わせ場所を、今日は駅前にしようと提案して来たのだ。


 然し遅い。傘を左手に持ち替えなから、右手で濃紺のブレザーのポケットを漁る。取り出したスマホに引きられ、先端に白い小石が付いた、ステアレザーのストラップが飛び出した。


 指紋認証でスマホのロックを解除して、メッセージアプリを立ち上げる。昨日寝る前にした鉄村との遣り取りを確かめるも、矢張り待ち合わせ時刻は午前七時となっていた。画面右上端に表示される現在時刻は、午前七時十五分に入ろうとしている。……誘っておいて遅刻とはいい度胸だ。七時半までは待ってやろう。しっかし、何でお互いに徒歩通学なのに、駅で待ち合わせしようなんて言ったのか。


 八の字を寄せてスマホをしまうと、正面を見た。横たわる、車一台しか通れない道路の向こうでは、本屋に銀行、飲食店から宝石買取店まで、何でも揃った雑居ビルが空を刺すように群れを成している。でもこんなもの、いつもの景色であって変化は無い。鉄村が今日、ここを待ち合わせ場所にしなければならない理由とは何だろうか?


「ご協力お願いします!」


 すぐ隣から声をかけられた。驚いて少し眠気を飛ばされた目を丸くしながら、頭を左へ向ける。


 ラフな私服姿にビニール傘を差した、大学生ぐらいの女性が立っていた。こちらに差し出している右手にA4サイズの紙を握り、視線は真っ直ぐ私を向いている。


 ……こんな朝早くから、チラシ配り? 選挙だろうか?


 怪訝な顔になりながら右手で受け取ると、女性は愛想よく微笑んで去って行く。女子高生を見つける度にチラシを配っては遠ざかって行く背中を見送ると、右手に残されたそれに目をやった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 STOP! 違法魔術! 違法魔術の使用は、犯罪です!


 正式な魔術の使用は、魔術師以外に認められていません! 誰でも使えるという謳い文句で皆さんに近付いてくる魔術は、違法魔術です! 使用すると心身に大きな影響を及ぼします!


 あなたの心は穏やかですか? チェックを入れてみましょう! 当てはまる項目が多い程、あなたの心は不安定です! 違法魔術の誘惑に気を付けましょう!


 □保護者に褒められた経験がほとんどない

 □コンプレックスがある

 □家や学校に居場所がない

 □嫌な事をされても笑顔で誤魔化してしまう

 □自分に自信がない

 □自分の気持ちをうまく表現できない

 □友達との付き合いにストレスを感じている


 そこまで読んで、引きった笑みが浮かんだ。


 嘘だろ全部当てはまる。


「おおい! 何だコラァ、オラァ!」


 若い男の呂律の怪しい怒声が、朝の喧騒を引き裂いた。


 周辺を歩いていた雑踏が、驚いて一時停止する。だがすぐに辺りを気にしながらも、思い思いの方向へ歩き出した。私もチラシから頭を上げていたが、目の前を行く人混みの中にそれらしい人物は見当たらない。


 ……終電を逃した酔っ払いだろうか? この辺りのビル群には飲み屋が多い。終電間近にこの駅へやって来れば、酔い潰れて寝ているサラリーマンが毎日見られる。でももう朝の七時だし、始発なんてっくに出てるけれど。


「何だっつってんだよお前コラァ」


 再び先の男の声が上がった。


 聞こえた方向を頼りに、人混みの間を縫うように視線を投げる。正面で横たわる細い道路と十字に結ばれている大通りで、悪趣味な白ジャージを着て喚く男が見つかった。


 ……どうせ、あの通りにあるネカフェから出て来た飲んだくれだろう。余り朝早くからこの辺りを通るとあのような、深夜の気分を引きったままの変人と出会う。街の人間もそれは分かっていて、早朝や深夜に、ここをランニングコースに取り入れる女性はいない。


 誰しも先を急いでいて、男を見て見ぬ振りをしている。どうせ誰かが仲裁に入るか、警察を呼ぶのは分かっているからだ。静かとは言えない街だから、荒事の躱し方には誰しもさとい。道行く人が無視を決め込んだり、好奇心をき出しにした目を向けても、動揺はしていないのがその証拠だ。私の気持ちだって凪いでいる。絶え間無く視界を遮る雑踏に隠れていた男の絡む相手が、先のチラシを配りの女性と知るまでは。


「あの、すみません」


 傘を閉じ、往来を躱しながら近付いた私は、男の右腕を掴んで声をかけた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る