第22話 秋冬 福岡市 その3

 街中の至る所から鈴の音色を孕んだ音楽が聞こえてくる頃になると、あちらこちらで「一年で最も大切な時間」なる広告が踊り始めた。

 商業的な文句だな。と冷ややかな目で、苗はそれを見ている。

 毎年毎年、この時期になると、同じ曲と、イルミネーションと、宣伝文句が街中を席巻するのは何故だろう。飽きることがないのか、それとも何も覚えていないのだろうか。たかが一年前のことなのに。

 渡辺通りを練り歩く陽気な人々の群れを見詰めて、苗はテーブルの上のミルクティに口を付けた。

 多分、分かっているのだ。

 こうしたルーティンを経ることで、良くも悪くも、今年起きた出来事を過去のものとして、前を見ようとする。そうした試みなのだろう。

 ここに居る人達は皆、そのことを理解していて尚、この聖夜というイベントを盛り上げるために参加しているのだ。

 お葬式と一緒だ。苗は思う。

 過ぎたことを過去に葬り区切りを付けるといった点において、お葬式とクリスマスに大差はないように、苗には思えた。

「私には関係ない」

 小さく呟いて苗は手元の問題集に集中しようと試みたが、直ぐに気が逸れてしまう。

(角田君と過ごしていても同じだったのかな)

 学校以外で彼と会わなくなってから二ヶ月近くが経過した。

 別れたとか、そういうことは良く分からないまま、疎遠になっていった。多分、振られたということなのだろう。

 秋に海辺の公園でデートしてからというもの、家のことや受験のことで、不安と不満で一杯だった苗は、彼との関係に溺れ、付き合いは瞬く間に親密になっていった。

 次第に祖母の見舞いにも行かなくなり、受験勉強を口実に外泊することも多くなった。家族は——特に種は——心配していたが、誰も彼女を止めることは叶わなかった。

 十月。秋風が吹き始めた頃、彼の態度が急変した。

「受験勉強があるけん。お前もやろ」と言われ、会えないことが頻繁になった。苗は必死になって彼を引き止めようとしたが、一度堰を切った水は二度と戻ることはなく、反対に傷口は広がる一方となった。

 避けられてる。

 苗がそう意識したのは、十一月も半ばを過ぎた頃のことだった。

 クリスマスを一緒に過ごそうという苗の申し出は、やはり受験勉強が遅れるからという理由であっけなく断わられた。もう会えないとも言われた。

 彼女は泣いた。

 物語の様にはいかない。魔法が解けたシンデレラを王子様は探しには来てくれない。

 ところが数週間が経過し、苗自身、何かが違うことに気付いた。振られた当初あれほど悲しかったのが嘘の様に、急速に苗の中から彼への想いが消えていった。

 辛くて死にたいと思ったのに、二週間も経つと、そんなことどうでも良くなった。学校で彼は自分を避けるけど、苗自身は特段気にもならなくなっていった。

 依存していたのだ。

 彼にではない、恋愛と呼ばれる関係に。一時の夢に。

 受験勉強や家庭の不安、そういった全ての嫌なことから逃れるために彼との関係を利用し、それに頼ることで、自分の抱えるプレッシャーを折半しようとしていたのだ。

 しかし現実に目覚めた頃には遅かった。周囲の皆との学力の差は、この数ヶ月で劇的に広がっていた。

 何とかしなければ。このままでは……。

 苗の胸に漠然とした焦りだけが残った。

 

「苗は? あいつ今日も出掛けとうとか?」

 父、竹雄のイライラした口調の言葉を聞いて、種はうんざりした。

「勉強会らしかよ。今日は遅くなるって」

「本当かいな。電話して、帰ってくるよう言っとけ」

 自分で言えばいいのに、と種は思った。引け目があって、自分では言えないからって人に頼むなよ。

 大体、姉が今みたいになったのは、父と母の離婚からじゃないか。しかも、その原因は父の女性問題だ。家族は皆んな知っている。

 自分の所為で家庭をぶち壊しておいて、その実、何もしない。二階に上がった種は怒りに任せて椅子を蹴飛ばした。ベッドに飛び乗り、置いてあった携帯を手にすると、苗の番号を押した。

(どこにおるとや)

 留守番電話の発信音が鳴ったが、種は何も言わずに電話を切った。

 内心、種も苗のことを心配していた。

 最近、彼と上手くいってないことも薄々勘づいていたし、勉強と言いながら、姉はいつもどこか違うところを見ている。そんな印象を抱いていた。

 夏の終わりに見た、あの祖母の奇行についても、苗にだけは話そうと思っていたのに話せないままでいた。

 あの日、種は確かに見たのだ。壁を擦り抜け、庭を徘徊する祖母を。

 否、違う。

 あれは祖母ではない。祖母に間違いないのだろうが、そのものではない。では何だ? 祖母の生霊? それとも——

 想念とか、エネルギー体とか、そういう実体のないものなのだろうが、それをどう呼べばいいのか。種には表現する手法が見当たらない。

 そして、その後守衛に聞いた、あの池の話。あれが今回の件と何か関係するのだろうか?

 中庭の池の辺りで祖母を見失った後、呆然としていた種は、通り掛かった守衛に呼び止められた。

 素直に事情を話しても、受け入れられないことを承知していた彼は、祖母の見舞いに来て怪しい人影を見たと主張した。そしてそれが、自分の見間違えだったと。

 それを聞いて安心したのか、地元で成長したという年老いた守衛は、種に中庭の池のことを話してくれた。

 あの中庭の小さな池は、病院が建てられるずっと以前から、あそこの場所にあったということだった。

 元々私有地だったあの場所を、現在の病院が買い取った際、一度全て更地にする予定だったらしいのだが、売り手側の地主が池だけは残して欲しいと申し出たというのだ。

 古くからこの土地にあったあの池には、彼の世と此の世を結ぶという言い伝えが存在したらしい。そういった類の場所を直接ではないとはいえ、自分の代で潰すという行為に対して、地主は恐れを抱き、彼の池を残すことを条件に、病院にあの土地を売却したということだった。手っ取り早く言うなら『祟り』を気味悪がったということだろう。

 彼の世と此の世を結ぶ池。

 そんなものが、現代に存在するのだろうか。

 およそ全てのそうした伝承が、合理的、科学的に解明され、容赦なくその衣を剥がされる。そんな時代に。

 どうしようもなく、もやもやする。

 もしかすると祖母は何か知っているのかも知れない。

 ベッドの上へ起き上がり再び携帯を手にすると、種は苗に向けてメッセージをタイプし始めた。

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