第一章―2 第4話 『変わっていた世界』



「……正解だけど、多分少しあなたの認識とズレがあるわ」


「……え?」



 エミールはロスヴィータの言葉に首を傾げる。よく意味が解らなかったからだ。



「エミール。貴方、経過した時間はせいぜい60年か70年くらいだと思っているでしょ?」



 その問いかけにエミールは頷く。



「なんと言っていいかわからないけれど、私の事情も少し特殊だったのよ。だから私は、この見た目と年齢は合っていないの」


「……? 見た目ばかりが老けてしまったということか?」


「失礼ね。逆よ」



 要領を得ないロスヴィータに、エミールは首を傾げる。



「200年。私達が魔王を討伐してから、200年の年月が経っているわ」



 そしてエミールは再度その目を見開いた。

 荒唐無稽なその言葉が事実であることを、ロスヴィータの目が物語っていたからだ。








「作った薬が偶然、不死の妙薬になったのよ。そんなつもりはなかったけれど、今の今まで生きてしまっていたというわけ」


「……そんな馬鹿な」


「たしかに馬鹿げた話だけれど、よかったとも思っているわ」



 淡く笑みを浮かべ、老いたロスヴィータはエミールを優しく見る。



「貴方を、ここで迎え入れることができたから」


「――――」



 そう言った彼女に、エミールは衝撃を隠せない。

 エミールの知っているロスヴィータはそんなことを言う女ではない。もっと過激で、なんなら「どんくさいあんたが勝手に石になっただけじゃない」とでも言う……少なくとも、エミールの中ではそういう女だった。


 エミールが驚きに狼狽していると、それを見たロスヴィータは椅子から立ち上がり、エミールに向けて深々と頭を下げた。



「ごめんなさい、エミール」


「ちょ、ちょっと……どうしたんだい、ロスヴィータ」


「ごめんなさい。ずっと貴方を放っておいてしまったから。200年も……どうすることもできなかった」



 ……たしかに、エミールにとって疑問だったことだ。

 ロスヴィータの言う通り、今があの時から200年経っているなら、その間、どうしてエミールは助け出されなかったのか。アグネスの口振りでは、魔王城から運び出されたのも最近のようだった。



「魔王が死んでから、魔王城のある周辺地域の魔物が凶暴化して、瘴気も噴出して……生身の人間が近づくことができる場所ではなかったの」



 その答えを、頭を下げたままのロスヴィータが教えてくれる。



「ごめんなさい……アヒムも、ヴィルヴァルトも、ナディアも……何度も助けようと画策したのだけれど、瘴気への対策がどうにもできなくて……ついに自然に消失するまでの200年間、何もできなかった」


「……そう、か…………つまり、皆、もう……」



 畳みかけられる情報に、エミールは整理をつけるのに必死だった。

 エミールの隣に立つアグネスは、この場の重苦しい空気に頬をひきつらせた。



「……あ、あの! ファーレンハイト先生! 先日お伝えした件なんですが……検討いただけましたか?」


「……ああ、そうでした。ええ。エミールさえ良いと言えば構いませんよ」



 ロスヴィータとアグネスの会話に、エミールは疑問符を浮かべる。



「あの、わたし考古学専攻なんですけど……200年より前に生きていられたエミールさんに、いろんな話を伺いたいんです」


「あ、ああ……そんなことなら、別に構わないけど。でもロスヴィータにでも聞けばいいんじゃ?」


「先生はお忙しい方なので、あまりお時間を取らせる訳にもいかなくて……」


「……僕だったらいいのか?」



 そう思いながら、エミールはそれを受けることにした。

 するとロスヴィータは机へと戻り、一つの紙を取り出す。それは地図だった。



「エミール、貴方には実際に世界を見て回ってもらった方が、説明も早いと思う。200年の間に世界がどう変わったか……貴方の目で確かめてきてほしいの」



 ロスヴィータの言葉に、エミールは無言で頷いた。

 それ以外に、エミールが取れる反応もなかった。







「――え!? この石板、そんなこと書いてたんですか!?」


「うん……というか、あの訛りが考古学で扱われるようなレベルなのか……何か嫌なジェネレーションギャップだ」



 アグネスの自室に戻ってきたエミールは、彼女に嬉々として聞かれた例の石板の意味を教えてやっていた。

 エミールからすればただ訛りの強い言葉というだけであったが、恐らくその言葉は失伝してしまったのだろう。



「にゅ……入学当初からのわたしの課題が……ロマンが……」


「……なんかごめん」



 露骨に落胆したアグネスに、エミールは咄嗟に謝罪をした。

 肩を落としている彼女は俯きながら部屋を後にし、一つのネームプレートが掛けられていない部屋の前へエミールを案内した。



「……学長から、エミールさんには寮室を割り当てられています。そこに洋服とか、生活必需品は用意されています」


「あ、ああ……ありがとう」



 いやにテンションの下がったアグネスの説明に困惑しながら、エミールは部屋の中に入ってみる。


 そこは高級な宿屋にあるように整えられたベッドや、埃一つもないクローゼット……極めて綺麗な部屋があった。

 広さもアグネスの部屋より1.5倍はある。



「……いいの? こんなにいい部屋」


「エミールさんは伝説ですから。それと、ファーレンハイト先生からこれを預かってます」



 そう言うとアグネスは、懐から一つの袋を取り出した。

 それを受け取ったエミールは、その意外な重さに驚きながら中を見てみる。

 中には、大量の金貨が入っていた。



「……!? な、な……なんだこの大金は!?」


「魔王討伐の報酬だそうです。これが全てではないですが……簡単に持ち歩ける量ではないので、先生の持っている金庫で保管しているとのことです。あと多分、貨幣価値も変わっているとは思うので、あとで擦り合わせましょう」


「……そ……そう……だね」



 エミールはアグネスから忌憚なくかけられる伝説としての自分を称賛する声。

 その称賛をどうにも自分には過ぎるような気がして素直に受け取ることができないエミールは、戸惑いを隠せないまま何とも言えない表情を浮かべることしかできない。


 なにせエミールは魔王戦までは役立たずの烙印を勇者自身から押されていたのだ。最後の最後にちょっと役に立ったからとはいえ、自分が役立たずだった自覚は間違いなく持っている。

 勇者パーティだったからといって、こんな大金――しかも、これが全てではないというのは、自分にはどうも分相応な気がする。



「よろしければ着替えられますか? そのローブは……ちょっと古風すぎるっていうか」


「え、そうかな?」



 アグネスは部屋のクローゼットに手をかけ、中に入っている服をいくつか物色した。



「わたしがコーディネートしてあげますよ!」



 何やら楽しげなアグネスに、エミールは苦笑いを浮かべた。






「それじゃあまず王都にでも行きますか。王都は流石に色々歴史書とか残ってますけど、一番メジャーどころですからね。語られていない歴史とかあったりして!」


「……僕はほとんど一般人だったから、そういうの期待されても困るかな……ってか、この服……」



 エミールとアグネスは、学校の門に向けて歩きながら会話をしている。

 エミールはボトムスとシャツというシンプルな服装に着替えたが、その服装の妙な感覚に違和感を覚えていた。



「? 似合ってますよ?」


「いや、なんか妙に体にフィットしてくるというか……気持ち悪いんだけど」



 エミールの時代に流行っていたのはゆったりとした、肌には密着しないタイプの服だった。

 200年の年月によって変わった服装の形式に戸惑いを隠せないエミールは、歩くたびにその感触を耐えていた。



「まっ、慣れますよ! その内!」


「そういうものかなぁ」


「…………おい」



 談笑しながら中庭を横断していると、二人の前に一つの影が立ちふさがった。



「ちょっといいか」


「……えーっと、ゲルハルト君だっけ」


「覚えていてくれて光栄だよ。英雄様」



 ゲルハルトはもうエミールのことを知っていたようで、先程とは違う態度を見せている。

 しかしその血気は隠せない。対峙するエミールはその剣呑さに身を構えた。



「ゲルハルト……わたしたちはこれから――」


「世界を巡って200年の空白を埋めに行く、だろ? 学長に聞いたよ」



 ゲルハルトはそう言うと、自らの右手に付けていた手袋を脱ぎ、それをエミールの足元へと投げた。



「……!? ゲルハルト、正気!?」


「アグネス、お前はすっこんでろ」



 ゲルハルトの目は、エミールを捉えて離さない。

 エミールは投げられた手袋を眺め、頭を掻いた。



「……決闘の申し込み方、これは変わってないんだな」



 エミールは手袋を拾う。

 そして少し息苦しく感じていたシャツの上ボタンを一つ開け、戦いへの準備を整え始めた。



「なっ、受けるんですか!? エミールさん! 受ける必要なんてありませんよ!」


「……僕は勇者パーティの一員だ」



 小さな杖を抜き、エミールとゲルハルトは互いにそれを自分の顔の前に構えた。



「僕がこの決闘を避けたら、それは勇者に対する風評に影響がある」


「何言ってるんですか! そんなこと……!」


「……アグネスさん、悪いけれど……君には関係のない話だ、放っておいてくれないか」



 エミールの言葉に、アグネスは驚いて耳を疑った。

 エミールという人間に対してアグネスが持っていた印象と、現在のエミールの行動が噛み合わなかったからだ。

 毒のない優男、そんな印象の彼が……。

 その困惑に、アグネスは後ずさって眺める以外できなかった。



「『魔術学科主席』ゲルハルト・ベーデガー」



 名乗りを上げたゲルハルトを見て、エミールは自分も名乗りを返そうとする。

 しかし、自分の称号をなんと名乗ればいいのか、逡巡を感じ――



「……『勇者の呪術師』エミール・レークラー」



 ――石となるその日まで、どうしても自称することのできなかった称号が、口をついて出た。




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