プロローグ―2 第2話 『戦いの終わり、物語の始まり』


 五人の英傑たちは、魔王城へと侵入していた。

 襲い来る魔物、魔族、仕掛け――――それらすべてをかいくぐり、勇者一行は玉座の間、その扉の前に到達する。



「……ついに、だ」



 アヒムが発した一言に、みな息を呑む。

 これまでの旅路は、全てこの日、この時のためにあったのだ。それぞれの胸の内に、感慨が寄せる潮波のように満ちていく。



「いくぞ」



 剣の柄を強く握り、アヒムは扉を蹴破る。

 それと同時にヴィルヴァルトが先行して突撃、アヒムもそれに追従する。

 後衛のナディア、ロスヴィータ、エミールは様子を見ながら後に続く。五人が部屋に入ると、扉はひとりでに閉じて行った。



「……暗い、なにも見えないぞ!」


「……魔族は光を嫌う。きっと、そういうことだろう」



 玉座の間には窓も無く、ひたすらに暗かった。

 エミールの解説に、ロスヴィータは鼻を鳴らして杖を天に掲げる。



「なら、私が照らして……」


「いや、その必要は無い」



 ロスヴィータが呪文を唱えようとする直前。

 闇の中から声が聞こえたかと思うと、パチンと指の鳴る音が響いた。


 それと同時に広い広い玉座の間、その天井に点々と吊るされるシャンデリアに蒼い火が灯る。

 暗い世界に色が付き、最奥に備えられた玉座に腰かける、一つの存在が露わになる。



「……魔王!!」


「いかにも」



 肘をつき、アヒムたちを眺める薄紫色の肌をした存在。

 彼らの標的、魔王だった。






「ようやく会えたな――魔王!」



 剣の穂先を魔王に向けたアヒムは、口元に笑みを浮かべていた。

 魔王は玉座の間に乗り込んで来た一人一人をじっと見つめ、ゆっくりと立ち上がった。



「素晴らしい。人間の極致に至った戦士たちよ。我々魔族の首元に、刃をあてがわれることになろうとは……」



 ぱち、ぱち、ぱちと、ゆっくり緩慢に拍手を送ると、魔王は一歩一歩、相対している存在に近付いていく。



「貴様らのように強力な存在は、50年前には存在するはずもなかった。これが世代の移り変わり……我ら魔族にはできない強さだ。なぁ? エルフの小娘よ」



 魔王は言いながら、空に手を伸ばす。

 すると虚空から蒼い炎を纏った鉾が生まれ、それは魔王の手元に握られた。



「……」



 話しかけられたナディアは何も答えられない。

 それは魔王の持つ、圧倒的なまでの威圧感に気圧されてのことだった。



「さあ、かかってくるがよい勇者。その力を我に見せるがよい」



 鉾を構え、魔王は戦闘用に魔力を練る。

 それに従って地響きが鳴り出す。

 魔王のその圧倒的な魔力に、その場にいる誰もが息を呑んだ。



「――――行くぜ魔王! 空を返してもらうぜ!!」



 その中で、アヒムが剣を構えて叫ぶ。

 飲まれていたパーティメンバーも、その姿に鼓舞されて武器を取った。







 魔王は強かった。


 右手でアヒムの剣撃を。左手でヴィルヴァルトの袈裟斬りを。

 魔術でロスヴィータの火球を。睨みでナディアの矢を。


 その体一つで、勇者一行をあしらっていた。



「ぐ……! 一筋縄ではいかねぇなぁ!」


「気を抜くな! 絶え間なく攻撃を続けろ!!」



 魔王に剣を弾かれたヴィルヴァルトに立ち替わり、アヒムは剣に魔力を乗せて剣撃を飛ばす。

 魔王は手を軽く振り、その一撃を霧散させる。

 再度、ロスヴィータは巨大な火球を生み出し、魔王に放つ。


 しかし魔王は右手に握っていた鉾を振り、その火球を打ち消す。

 いとも容易く、無造作に。



「……嘘、でしょ」


「……チッ」




 魔王は強かった。


 持てる最高火力をぶつけながらも、通用しないことが判明する。

 呆然と立ち尽くすロスヴィータに、舌打ちをするアヒム。


 立ち向かってくる五人に向けて、魔王は両手を広げて余裕を示した。



「貴様らはたしかに優秀だ。一戦士としてはこの上ない。だが我と貴様らとでは個としての格が違う。種として、王として……レベルが違うのだ」



 魔王は強かった。

 この高慢な発言にしても、余裕を醸す態度にしても……それを砕くほどの力は、勇者たちには無かった。





「――僕を見ろ! みんな!」



 その中でエミールだけが、両手杖を手に、未だ揺らめく闘志の炎をその目に宿していた。



「【ブルートガング】! 【スレイプニル】! 【セイズ・ルーン】!!」



 エミールは叫ぶ。

 その叫びに呼応して、パーティメンバーの身体が、淡く黄色い光に包まれた。



「皆! しっかりしてください!! 貴方達が勝てなかったら、誰も勝てませんよ! わかってるんですか!?」



 エミールがかけた言葉は、なんとも情けなく愚かで、聞くに堪えない弱音に近い𠮟咤激励だった。

 呆れたようにぽかんと口を開いたアヒムは、自分の体にかかった魔法を感じながら、ゆっくり笑みを浮かべた。



「……人任せなやつだ」


「他力本願が……僕の才能だから」



 開き直りでしかないその言葉を聞き……アヒムは、ヴィルヴァルトは、ロスヴィータは、ナディアは、得物を魔王に再度向けた。



「筋力増強、敏捷性向上、魔力強化の3つをかけました! 皆なら、勝てるはずでしょ!」


「言ってくれるねぇ!」



 先陣を切ったのはヴィルヴァルト。

 その身を翻して魔王の身体を横薙ぎに切りかかる。


 剣の速度は先程と比べ物にならない。赤子のはいはいと馬が駆けるのを比べるようだ。

 魔王は同じように手で剣を弾く。


 しかし、その威力も強力になっている。これまで揺らぐことのなかった魔王の右手はその攻撃にしびれをを感じる。



「……これが勇者パーティの本領――」



 魔王は感心したように笑みを浮かべる。

 そして次々飛んできた空気を裂く矢を回避する。

 背後にはアヒムの攻撃が襲い掛かり、頭上にはロスヴィータの火球が現れる。



――とった!!



 全員がそう確信した中、魔王は未だに笑みを崩さない。



「これを使うことになるとはな」



 その言葉が耳に届くと、アヒムは魔王から底冷えするような、冷たく、残酷な殺意をその身に感じる。

 それを他の人間が感じると同時に、頭上にあった火球は吹き消されるろうそくの火のように、いとも容易く消えていった。


 まるで吹雪の中に肌をさらすような、突き刺す恐怖に、アヒムたちはなにが起きているのかわからなくなる。


 その正体は、魔王の純粋な魔力の開放だった。

 戦いの中で魔王は、自らの体内に膨大な魔力を圧縮してため込んでいた。

 それを解放し、エネルギーとすることで、自らの周囲にいる敵を一掃しようと企んでおり、その被害が真っ先に、近くにいたアヒムへと及んでいたのだ。



「さらばだ、勇――――」



 魔王がアヒムを振り返り、別れを告げようとする。

 アヒムは確信する。自分は、このまま――――




「【グレイプニール】!」



 しかし、その確信を掻き消すように、魔王の懐に飛び込んだエミールが呪文を唱えた。



「――――な」



 その呪文が発動し、魔王にエミールの手から生まれた光の縄が絡みつく。

 その縄が徐々に魔王の突き刺すような魔力を掻き消していく。


 魔王は身動きが取れない。

 アヒムもまた、一瞬のことに理解が追い付かない。



「アヒム!!」



 エミールが、名前を呼んだ。

 アヒムははっとして、自分の握っている剣の柄を、さらに強く握りしめた。



「お、おおおおおおお!!」



 アヒムの袈裟斬りが、光の縄ごと魔王の身体を切り裂いた。






「……やった、の?」



 ロスヴィータは息を切らしながら、ようやくそれを口にした。

 アヒムの一撃で倒れた魔王は、動かない。

 さっきまで圧倒的な雰囲気を持っていたにもかかわらず、魔王は光の縄に捕らわれたまま立ち上がる気配はなかった。



「か……勝った……んだよな?」



 そう言ったヴィルヴァルトは剣を鞘にしまい、その拳を壁に叩きつけた。

 すると壁に亀裂が入り、壁の向こうに広がる空が目に入る。

 その空は明るく、いきなり目に飛び込んだ光に、ヴィルヴァルトは顔を強く顰めた。



「ぅおっ」


「――空が、明るくなってる……!」



 ナディアのその一言を聞き、ロスヴィータとアヒム、エミールもこの戦いが終わったことを実感した。

 魔王が世を支配してから、世界から昼という概念が奪われていた。


 天には常に厚い雲がかかり、夜はもちろん、昼も微かに明るくなるばかりで、陽光は地面に到達していない。

 植物の成長を阻み、人の心を暗くし……その雲は、世界を明確に蝕んでいた。


 それが、晴れたのだ。



「や……やった……やったよ……」



 ロスヴィータが膝から崩れ落ち、ずっと握っていた杖を落とした。



「……エミール」



 アヒムはゆっくりとエミールに近付く。

 エミールはびくりと体を震わせ、おどおどと動揺を露わにする。



「あっ……その、ごめん! 勝手な事言って……」



 さっき勢いに任せて焚きつけるようなことを言ったエミールは、それを糾弾されるのではないかと恐れていた。

 ――しかし。



「……助かった。ありがとう」


「……は」



 アヒムはエミールの予想とは異なり、手を差し出して礼を述べた。



「ヴィルヴァルトが言ったことは正しかった……お前がいなければ、勝てなかった」


「――――」



 エミールはアヒムのその態度に目と耳を疑った。

 アヒムはエミールを侮っていた。アヒム自身もそれを自覚していたし、エミールも理解していた。

 勇者アヒムの行動は、極めて奇特なものに見えた。



「僕こそ……一緒に戦えて――――」



 エミールは手を伸ばし、アヒムのそれを取ろうとする。


 だが、視界の端に映った、倒れていたはずの魔王が、こちらに向けて掌を向けていた。

 魔王の手は、アヒムに向けられていた。

 魔王の掌からは紫色の光線が発射され、それが二人に向かってきたのを、エミールだけが察知した。



「アヒム!!」



 エミールはアヒムの身体を強く突き飛ばした。

 アヒムはなにが起きているかわからないという表情をしながら、エミールに茫然とした表情を浮かべる。


 紫の光線はエミールの身体へぶつかる。

 ぶつかった箇所から、エミールの身体が硬直し始める。



「ぐうっ」


「何!? エミール!!」



 エミールの肌が露出している部分から灰色に変色し、変質をしていった。

 それは魔王による『石化魔法』。みるみるうちに体が動かなくなって、エミールは意識が遠くなっていく。



「くっ……勇者に当てようと思ったが……本当に、厄介な存在だ……!」


「魔王ォ!!」


「おっと……残念だが、我も……もう戦えない……さらばだ、勇者よ」



 アヒムが剣を再度抜き、魔王へと突撃するが、魔王は指を鳴らすとその場から立ち消える蜃気楼のように、スゥっと消失した。

 アヒムはあきらめずに剣を振り抜く。しかし魔王の姿形はどこにももうない。



「くそっ!! エミール!!」



 剣を投げ捨て、アヒムは固まっていくエミールへと駆け寄る。

 他の面々は起きた出来事のスピード感についていけず、ただ立ち尽くして眺める以外にできなかった。



「……アヒム」


「! エミール! しっかりしろ、解呪を……!」


「だめ、触れたら……うつる、かも」



 口が回らない。しかしエミールはそんな中で、アヒムへの気遣いを見せた。

 ゴゴゴ……という地響きがなり、それと同時に地震が起き、ヴィルヴァルトらは驚きに顔を見合わせた。



「……魔王の魔術でこの城は建ってたのね……主がいなくなった城が、依り代をなくして崩壊を始めたってところかしら」


「考えている場合かよ! 早く逃げねぇと!!」



 ヴィルヴァルトの言う通り、段々と城の天井が落ち、床が崩れ、駄目になっていく。



「ぼく、は、いいか、ら」



 エミールの声帯からはもう、掠れた声しか出ない。

 だが、意志は伝わる。


 崩落する天井の中、立ち尽くすアヒムはどんどん石化が進んでいく顔を見ながら、辛そうに目を細めた。



「――――すまない」



 そう言い残すと、パーティメンバーはヴィルヴァルトが開けていた壁の穴に飛び込んで逃げた。


 一人残されたエミールは自分の視界が暗くなる。もう、ぴくりとも指先すら動かない。

 五感を奪われ、思考も鈍る。


 死。


 石になっていく自分が、とてもそれと近くにあるように、エミールは思った。



「……こわ、い……」




 崩れていく城の中、エミールのつぶやきは誰にも届くことはなかった。





 それが、石像が持っていた物語だった。

 石像――エミールは何年もの間、ずっとそこにいた。

 意識も身じろぎもないまま、ボロボロになった玉座の間で雨風に晒され、苔が生えても――エミールは、ずっと立っていた。


 石化魔法は未だ解けない。

 なぜ、自分がこれからも佇み続けているのか。

 その疑問を持つことすら、エミールにはできるはずもなかった。

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