部長と夜のお化け探し

 川俣健吾かわまたけんごは『5人目』が現れて以来、最も激しい緊張に襲われていた。

「これ、川俣君も一応持っておいてくれる?」

 鞍馬あんば真歩まほを追って自転車で走り去ったあと、部長から小型の催涙スプレーを渡された際に、その細い指が無骨な自分の手の平に微かに触れた時点でもう駄目だった。

 否応もなく、夜道を同級生の女の子と並んで歩いているという状況を自覚させられた川俣の体はギクシャクとぎこちなく、自転車を押してなければ右手と右足を同時に出して歩いていたかもしれない。

 そうなると、ラフながらお洒落な装いが見慣れた制服姿の部長とは別人のように思えて、ここ数日の活動で培われた気安さが一気に遠のいていく。

 そもそも非実在的美少女の隣にいるせいで錯覚しがちだが、真歩が入ってくる前、二番目に入部を果たした川俣は、部長を一目見て綺麗な子だと感じたものだ。

 部長もまた、川俣にとって仮にクラスが同じだとしても、自分などと親しく話す姿を想像も出来ない相手の一人なのである。

 ゆえに川俣は入部して以来、部長とまともに言葉を交わしたためしがなく、今さらながら鞍馬が潤滑剤となって会話を成立させていただけだという事に気付く。

 だというのに、すっかり独り立ちした気になって、女の子と二人きりになるなどと申し出た自分の迂闊さを川俣は呪った。

 かといって、この状況で女の子だけにするというのも……。

 と、頭では真歩の側にいるのが一番安全だと確信してはいるが、心のどこかで抵抗を覚える自分がいるのも事実なのだった。

「緊張してるの?」

と、隣から部長に声を掛けられて川俣は「へやぁ⁉」と自分でも意味不明な声を上げてしまう。

 その失態。我ながらあまりの不審さと気持ち悪さにみるみる赤面症気味の顔を真っ赤にして俯いてしまう。

「もしかして、川俣君も私のこと避けてる?」

 そこへ、冷や水を浴びせるような声音で部長。

「いややや! 俺が部長を? あり得ないよ。どうしてそう思うのさ?」

 弾かれるように顔を上げ、その勢いで仰け反りながら川俣はそれを全力で否定する。

「だって、二人きりになった途端、急に黙り込んじゃうから。私とは話したくないのかなって思うじゃない」

 なおも疑わしげに目を細めて追及してくる部長に川俣は弱り切って、

「ご、誤解だよ。もともと俺は部室でも部長とろくに話すことが出来ていなかったよねぇ? 鞍馬君が間に入ってくれていたからマシになっていただけで、結局俺自身は以前と何も変わっていなかったのさ」

 情けないことこの上ないことを吐露するが、自分が相手に悪感情を抱いているなどと疑われるくらいならと川俣は言い募る。

「それもそうね——」

 そう、相手が納得してくれたことに安堵の吐息を漏らす川俣に、

「じゃあ、質問を変えるけど、鞍馬君ってどこか私の事を避けてると思わない?」

 探るようにこちらを見上げて、部長がまたしても予想外の言葉を投げかけてくる。

「どうしてさ? 俺にはそんな風に見えないけれど」

 太い眉を寄せて困惑しながら返す川俣に部長は続けて、

「そういえば川俣君って最近鞍馬君と一緒にいることが多いわよね。彼、私について何か言ってなかった?」

 それは川俣が鞍馬一人に任せて部室でお茶だけ淹れているわけにもいかないと、噂話収集の営業見習いをしているからなのだが。

「部長についてかぁ。何を言ったかは特に憶えてないなぁ。毎日のように会ってるんだから、何かあれば直接部長に言うと思うけれど」

「ならいいんだけど。ところで——」

 部長がまた意味ありげに話題を変えるそぶりを見せる。なにか詰問されているようで居心地が悪くなった川俣が肩を回すように身じろぎしていると、

「川俣君はこんな事に巻き込まれたことについてどう思ってる?」

 部長の声音が言外に「本当のところを話して?」と言っているように思えた。

「どうって——それはツイてないっていうか、どうして自分がこんな事にとはやっぱり思ってしまうよ。怖がりの癖にあんな遊びをしようなんて言わなきゃ良かったって、毎日のようにあの日止めなかった自分を責めているさ」

 悔恨の念からか自転車のハンドルを握る手に力がこもる。あの日以来、怖い話を聞いた日の夜にシャワーを浴びているときの、何かが背後に立っているに違いない感覚が纏わりついて離れないのだ。

「もっと言えば、自分以外の誰かが止めてくれていればとも。これは思ったところで仕方ない事ではあるんだけれど」

 だから川俣は正直なところ——他の3人に責任を求めている部分があることを打ち明ける。それは過剰なほどに他人との衝突を避ける帰来がある川俣にとってかなり勇気のいる事だった。

 悪意とも言えない、小さじ一杯分にも満たない不満。それをどう受け取られたか気が気でなく、部長の顔を横目で窺う。

「私もよ。それにこうも思っているわ。鯖戸さんが変なのにキーホルダーを渡さなければこんな事にはならなかったんじゃないかって」

 部長が示した同意に胸を撫でおろしたのも束の間、明確に名指しで部員を非難され川俣の胸はより一層ざわついた。

「それは——ミヤモリさんも言っていたけれど、渡さなければそれで済んだとは限らないよねぇ」

 苦し紛れに当たり障りない意見を吐き出す。川俣自身、そんなものを相手が求めていないことは百も承知だ。

「川俣君ってほんとライオンさんよね。もうわかってるでしょ? こうなった以上は私達の中から誰か一人が犠牲になるしかないのよ」

 まるで自分を追い詰めるような部長の発言に川俣は窒息感をおぼえて、

「そうと決まったわけじゃ……」

 喘ぐように、許しを請うような目を部長に向ける。

「いざとなったらみんな自分が大事な癖に……。他人の心配なんてしてる場合じゃないのよ」

 冷めた声で部長が述べたドライな結論は自分に向けられたのではないような気がした。その事で川俣は呪縛から解かれたように楽になった肺で空気を吸い込み、踏み込んだ質問をする一回分の勇気を溜めた。

「部長は……その、鯖戸さんが犠牲になれば良いと思っているのかい?」

 慎重に、否定の色が混ざらないよう細心の注意で声を振り絞る。川俣自身、それを聞いてどうするつもりなのかもわかっていない。

「どうかしら。もし、私がそうだと言ったらあなたはどうするの?」

 その、ちっぽけな勇気を一息で吹き消すように、部長はどこか投げやりな表情で確認してくる。

「少なくとも俺は、こんな話はもうしたくないよ」

 部長もこの状況に疲れているのだと川俣は感じた。自分と同じ——いや、それ以上に色々を抱えた部長が自暴自棄になる姿は痛々しくて見ていられなかった。

「そうね。ごめんなさい」

 この相手が自分に謝らなければならない理由がどこにあるのだろうと川俣は思う。

「俺の方こそごめんよ。部長はそうやって現実的なことを考えてくれてるのに。俺は嫌なことから目を逸らしてばかりさ」

 責められるべきは、この期に及んで自分に出来る事しかしようとせず、立派なだけの図体で部長や鞍馬に引っ張っていって貰おうとしている自分の性根だ。

「そりゃ、現実的にもなるわよ。こうなったとき、ああ終わったなって思ったのよ。当然、鯖戸さんには嫌われてるし、川俣君と鞍馬君はあの子に付くでしょ。犠牲になるのは私に決まってるじゃない」

 溜まっていたものを吐き出すように心情を吐露する部長。それに対する慰めなど期待されていないと分かっていながらも川俣はそれを否定せずにはいられなかった。

「そんなことはないさ。無理もないけど、部長は悪い方に考えすぎだよ」

 案の定、部長はそれに対してはなにも答えなかった。代わりに、

「私の父ね、親友だと思ってた相手に騙されて大変な目に遭ったのよ。幼い頃にそうやって打ちのめされた父の姿を見て私はこう思ったの。他人を信じることほど危険なことはないって」

 隣を歩く川俣でなく自分に言い聞かせるように部長は続ける。

「でも、自分がこうなってみて思うわけ。向こうにだってそれなりの事情があったんだろうなって。だからって父を苦しめたその人を許せるわけじゃもちろんないけど、今はもう以前のように責める気分でもなくなってしまったわ」

 独白を終えた部長は、特に返事を待つふうでもなく黙って前を向いて歩き続ける。川俣はそれに言い知れない危うさをおぼえて、

「上手く言えないけど……。わかるよ、部長の言ってること」

 だが、なんとかそれだけを返すしか出来なかった。人付き合いを避けてきた弊害か、こんな時に気の利いた言葉がまるで浮かんでこないのがもどかしい。

「ありがとう。軽蔑してくれていいわよ」

 自嘲を含んだ乾いた笑いを部長が浮かべる。それを見た川俣は悲しさと、なにに対してか分からない怒りが胸に湧いて、

「そんなことするもんか。俺もまた図体ばかりの勇無き獅子さ。いよいよとなれば仲間を置いて一人だけ逃げるかもしれない自分が怖いんだ。部長だってそんな気持ちと戦っているんじゃないかなぁ?」

 驚くほどはっきりと自分の言葉を口にしていた。その事に、胸にわだかまる怒りの正体は自分を偽ることへの憤りなのかもしれないと川俣は思う。

「本当、川俣君って優しいのね」

 褒めるというよりは、どこか呆れたように部長が小さく笑う。

「鞍馬君とは大違い。あの人、こんな私をどんな目で見たと思う?」

「だから、それは部長の——」

 川俣がそう言い掛けたとき、前方から激しく犬が吠える声が聞こえてきた。

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