あるゴミ屋敷の噂

 超可愛かった。マジ行って良かった、と友人のあずまが教室で自慢していたから、紅葉が丘こうようがおか高校2年5組の園田学そのだまなぶも行ってみたいと思っていた。

 現代民俗学研究部げんだいみんぞくがくけんきゅうぶ——2学期になって急に現れた文化部で、民俗学なんて言われてもどっかで聞いた柳田国男やなぎだくにおとかいう昔の偉い人の名前がぼんやり思い浮かぶくらいの園田にはどこかお堅いイメージがしていたが、東の話によると蓋を開けてみればなんということないオカルト研究部の類であるようだ。

 最近、身近なところでお化けや妖怪の噂話を聞かないか? もしそれらしい話があったら連絡してくれ。

 入学早々に事故で右足に障害を負った悲運の陸上部員としてその存在は園田も知っている一年坊が毎日のように校内を周ってそんな営業を掛けているらしい。

「この子が部室で先輩が話にきてくれるのを待ってますから」

 この際に持ち出すエサが秀逸で、一年坊は東にスマホで無茶苦茶可愛い女の子の画像を見せてきたのだという。

「この子と美味しいお茶とお菓子を楽しめるのは我が現代民俗学研究部だけです」

 その押しの強さは流石に元体育会系のクソ度胸だ。人懐っこい笑顔で一年坊にもう一押しされた東はすっかりその気になって現代民俗学研究部の部室に足を運んだ。

 最近この辺でそんな噂話って聞くか? と、園田が聞いたところ、

「そんなん、適当にネットに転がってる話でいいだろ」

 とのことらしい。東はこういう所がクソ野郎なのだと園田は思う。新しくオカ研を立ち上げたその連中は地域の怪談話を収集しているのだろうに。

 ともかく、お前も行ってみろよ。無茶苦茶可愛かったから、と東のにやけた面を見て羨ましくなった園田は自分も行こうと心に決めた。

 チャンスが訪れたのは、自慢話をしてきた東に遅れること三日目のことだった。


 放課後、部室棟の一室の前にやってきた園田は、やっつけのように『現代民俗学研究部』と書かれたA4の紙が貼られたドアをノックしてノブに手を掛けた。

 変わり者の一年が集まって緩いオカ研などやっているのだろう。そんな軽い気持ちでドアを開けた園田は入ってきた自分に注がれた計6つの爛々らんらんと光る目に竦み上がった。

 学校机を4つ合わせた大机に着いた4名のうち、優等生然とした女子、悲運、大男の3名が園田に獲物を捉えた獣の目を向けている。

「ようこそ現民へ。噂話を聞かせにきてくださったんですか?」

 一瞬のことだ。それが何かの間違いだったかのように優等生が立ち上がって園田に声を掛けてくる。

「ああ、友達からこの部でそういう話を集めてるって聞いて。一年だけで新しい部立ち上げて頑張ってるみたいだから力になれたらと思ってさ」

 現民がそれを餌にしている以上、今さら下心を隠しても意味はないのだが、園田は極力お目当ての美少女に目がいかないよう優等生に返す。

「ありがとうございます。この子、鯖戸真歩さばとまほっていうんですけど、そういう話をしてくれる人が大好きなんですよ」

 それを見透かすように優等生が美少女の紹介をするものだから、園田の意識はますますそちらに向いてしまう。

「先輩、どうぞこの席に座ってください」

 立ち上がった悲運から自分の座っていた美少女の向かいの席を勧められ園田はそれに従った。

 椅子に座りながらチラッと美少女に目を向ける。本物だとしたら存在自体が疑わしいので画像は100パーセント加工だと思っていたら、それ以上のやべー美少女が出てきたという東の証言は嘘ではなかった。

 園田学、齢17の人生にして初めて出会ったドストライクである。

 整った小顔に髪の毛と同じ白くて長い睫毛、それに縁どられた紅い瞳が精巧な人形のようにこちらを見つめている。

 150センチに満たないだろう身長と、顔つきを一際幼く見せる二つ結びの長い三つ編み。それらの印象を裏切る発育のいい少女の胸元に園田の視線は引き寄せられる。

 トントン、と優等生が人差し指で小さく机を叩いた。

 我を忘れて品性を欠いた上級生への無言の指摘かと焦って視線を上方修正した園田はとんでもないものを直視してしまう。

 美少女が自分にニッコリと極上の笑顔を向けていた。

 とろかすように脳を埋め尽くす多幸感に園田はもう死んでもいいと思った。これから先、生きていてもこれ以上の幸福に恵まれることはないだろうと本気でそう思う。

 これまでアイドルに夢中になっている友人を心の底で馬鹿にしていたことを申し訳なく感じた。自分の思いなど届かなくていい。美少女が自分に笑顔を向けてくれることのなんと尊いことであろうか。

「あの、お飲み物を用意しますのでこちらからお選びください」

 と、いつの間にか隣で立ち上がっていた大男がぬっと園田を見下ろしてメニュー表を差し出してくる。

 部員たちの好みだろうか。紅茶だのハーブティーの種類はやたら豊富だが、

「あ、じゃあ、コーヒーで」

 お目当ての品は一種類しかなかったので迷うことがなかった。

「ミルクと砂糖はお付けしましょうか?」

「いや、ブラックでいいよ」

「わかりました。少々お待ちください」

 巨体の割に優雅さを思わせる所作で窓際に向かう大男。その様は中世ヨーロッパの貴族に仕える執事なのだが、それよりは生え抜きの傭兵部隊に混じっていた方がしっくりきそうではある。

 トントンと、優等生が再び指先で机を叩く。

「ほな、先輩。うちにお話聞かせてくれる?」

 もちろんだ! と、園田は美少女の胸に飛び込む勢いで前のめりに話し始めた。


 俺の住んでる地域にゴミ屋敷があったんだよ。

 偏屈な爺さんが住んでてさ。粗大ごみから生活ごみまでなんでも自宅に持って帰るもんだから、家の中はもちろん庭にもゴミが溢れて終いには家の前の道路にまでゴミが転がるようになったんだ。

 そんなだからゴミ屋敷からは年中悪臭が漂っててさ。俺もたまに通り掛かることがあったけど、これがもう酷い臭いで近所の奴らに心の底から同情したよ。

 もちろん、こうなると周りの住民も黙っちゃいないよな。なんせ、腐った卵を煮詰めたような臭いが漂ってくる場所で生活しなきゃいけないんだ。

 徒党を組んで毎日のようにゴミ屋敷に抗議に訪れたんだけど、なんてったってどっか頭のおかしい偏屈な爺さんだ。最後はいつも砦みたいに積み上げたゴミ山の向こうから腐った生ゴミを投げつけられて逃げ帰ってたそうだよ。

 行政まで巻き込むようになったのは、ゴミ屋敷が問題になって1年くらい経った頃だったかな。敷地内ならともかく道路にゴミを出されては困るってのが役所の意見だったらしい。これにも爺さんは投げた生ゴミで答えたらしいけどな。

 いくら行政といったって、どれだけ近隣住民が困っててもなかなか強制力を働かせられないんだよな。出来ることといえば道路に出たゴミを回収するくらいで、ゴミ屋敷に乗り込むことは出来なかったんだ。

 結局、爺さんがゴミに埋もれて死ぬまでゴミ屋敷はずっとそのままだった。

 その爺さんには身寄りがなくてさ、驚くことにそのゴミ屋敷も爺さんの物じゃなかったっていうんだ。

 じゃあ、その持ち主は誰なんだっていうと、これがまたやべー話になるんだけど腐乱しきった状態でゴミ山の中から見付かったんだ。

 死後、一年以上は経ってたらしい。なんでも、爺さんはゴミ屋敷の持ち主だった婆さんの年金を頼りに生活してたんだって。亡くなったことがバレると年金が受け取れなくなるから、集めたゴミで臭いを誤魔化そうとしたのがゴミ屋敷の正体ってわけだ。

 二人の関係? 少なくとも結婚なんかはしてなかったみたいだけど、その辺はあんまり深く考えたくもないだろ?

 で、こっからが俺の聞いた噂話なんだけど。

 行政がゴミを撤去して以来空き家になったそのゴミ屋敷から、最近また悪臭が漂うようになったんだって。

 近所の住人の話によると夜中に家の前の道路から何かを引き摺るような音が聞こえてくることもあるらしい。

 もしかしたら、自分が死んだことに気付いてない爺さんが今もどっかからゴミを拾ってきてるのかもしれないな。


「それ! それですよ先輩!」

 園田が話し終えるとどこか作り物めいた柔和な笑みを浮かべていた優等生——部長らしい——が、椅子に座ったまま跳び上がりそうな勢いでとびきりの笑顔を向けてくる。

 食い入るように話を聞いていた悲運と大男も万感の思いを噛み締めるようにお互い向き合って頷き合っていた。

「え? この話、そんなによかったか?」

 あまりに大袈裟な反応に戸惑いながら園田が部員たちを見回すと、

「最高っす、先輩。俺ら、マジこういうの待ってたんですよ」

 悲運が泣き笑いのような顔でそんな事を言ってくる。

「なんか、凄いな。どんだけこの部活に懸けてんだよお前ら。まあ、力になれたんならよかったよ」

 隣で体ごと揺らすようにうんうんと頷く大男の威圧感に若干身を引きながら園田が感想を漏らすと、

「ほんと、助かりました……。今日は来てくれてありがとうございます」

 部長の子が胸元で両手を組んで拝むように礼を言ってくる。美少女の陰に隠れて目立たなかったけど、この子はこの子で可愛いなと園田は思う。見た目は地味で大人しい印象だが、その分砕けた反応を見せたときのギャップがいいじゃないか。

 東に会ったら自分はマホたんより部長派だと宣言ってやろうと思うのだ。

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