フレムドゥング・ギア -少女兵器-

@hasigo555

第1章 少女兵器脱走事件編

第1話 少女兵器

 二階に辿りつく外階段の手前でぼくは足を止めた。

 ナポレオンコートの中に隠していたショルダーホルスターから自動式拳銃ハンドガンを取り出し、マガジンキャッチを押して弾倉を取り出す。

 銃弾が装填されているのを目視し、グリップの中へと戻す。スライドを引いて、初弾を薬室へと送り込んでから、安全装置セーフティを外した。最後に銃口マズルのサプレッサーがしっかりと填まっていることを確認して、階段を上った。

 目的の二○七号室前まで辿りつくと、音が響かないようにそっとドアに触れた。材質は化粧鋼板、厚さは平均的。手持ちの銃ではまず開けられない。そんなマヌケなことをしようものなら、跳弾した弾がぼくの身体に穴を開けるだろう。

 どちらにせよ、中にいる人物に開けて貰わなければならない。さながら招かれないと家の中に入れない吸血鬼のようだと自嘲した。

 左手でインターホンを押した。カメラもマイクもなく、押すと中で音が鳴るだけの前時代的なタイプだ。

 自動式拳銃ハンドガンを握っている右手を背中の後ろに隠して中からの反応を待つ。


「出てこないな……」


 部屋の中に音が鳴ったことはぼくの耳にも届いた。

 ――それと同時に部屋の物音と人の気配が無くなったことも。


「すみませーん、俳優のフジキドさんのお部屋ですよね。私はアフタヌーンティーの記者をしている者なのですがー」


 名前を呼びながらドアを激しく叩く。


「あっれ、おかしいなあ。ここで取材って聞いたんだけどなあ……」


 わざとらしく中の人物に聞こえるように呟く。


「すみませーん、フジキドさん。ねえ、フジキドさーん」

「закрой рот――ッ」


 中から聞こえてきたのは日本語でもなく、英語でもなく、ロシア語。モスクワで諜報活動をしていたぼくには容易に意味が分かった。この場合、ロシア語を知らなくても意味は何となく分かるだろう。うっせーぞ、だ。


「あ、あれ。え、英語……。部屋間違えちゃったかなあ……」


 とはいえ、今のぼくはただのジャーナリストという設定だ。とぼけたふりをして、相手の苛立ちと怒りを更に刺激してやることにした。


「ねえ、フジキドさん、からかうのは止めてくださいよ」


 ドアをうるさいほど叩きながら、声を張り上げる。

 再び怒鳴る声が聞こえ、足音が扉の方に近づいてきた。

 距離を取って、右手の人差し指に力を込めた。足音が扉の前で止まる。覗き穴ドアスコープが暗くなるのが分かった。覗いているであろう人物に向かってぼくは微笑んだ。俳優と話すのが楽しみでならないという若手記者風に。

 帰りやがれだとか、部屋間違えてんだよだとか、そんな罵詈雑言をロシア語で吐きながら中の人物はドアを開いた。数センチ動いたところで、既にぼくの右手は真っ直ぐと伸びていた。銃口は開けた人物の額の辺りに向いている。

 中から現れたロシア人が自分に向けられた銃に気付くと声を詰まらせた。と、同時にぷしゅんと気の抜けるような音と共に男の額に小さな点が出来た。鉛玉が頭部の皮膚を破り、前頭骨をクッキーのように粉々にして中身の脳味噌をぐしゃぐしゃに掻き雑ぜたのだ。至近距離の発砲だったので9x19mmパラベラム弾が後頭骨から飛び出すかと思ったけど、いつものように脳みそのどこかでその役目を終えたようだった。

 百八十センチほどの巨体がばたんと音を立てて部屋の廊下へ向かって倒れた。

 すぐさま部屋へと入り、死体にもう一発撃ちこんだ。陸に上がった魚のようにびくんと一瞬だけ震えた。

 他にいるであろう他の生存者へと警戒を移す。死体は銃を撃ってこない。

 廊下が五メートルほど伸びており、閉まった扉が見える。右側にはキッチンと洗面台、左側には浴槽。廊下の電気は点いている。浴槽は真っ暗なのがすりガラス越しに分かった。中に隠れている可能性は低いが、無視して奥へと進むことも出来ない。慎重に折戸を開き、銃口を向けた。予想通りというべきか、中は無人だった。

 廊下をスリ足で進み、部屋へと続く扉のドアノブを捻った。

 十畳くらいの広さの部屋にはソファーとベッド、机とテレビが置かれていた。机の上には新聞とウォッカの瓶とグラスが二つ置かれている。他には物もなく、人間もいない。


「まずった……」


 事前の調査では、この部屋にロシア連邦保安庁FSBの諜報員が二名潜伏している。廊下で血を流している死体はニコライという名前だ。もう一人、ミハイルという男がいるはず。机の上にグラスが二つあることからも二人組なのは明らかだ。

 と、そこでぼくの視界の隅でカーテンが揺れた。そこから雨が入り込んできている。


「あいつ、飛び降りたのか」


 窓から外を眺めると、薄暗い路地を走り去る姿が見えた。羽虫の舞う電灯の光に一瞬、そいつの横顔が写った。間違いない。ミハイルだ。

 ここで逃がすと、また尻尾を掴むのは困難だ。下は不法投棄されたゴミが散乱していた。その中にマットレスがあった。ちょうど窓の下に捨てられている。ロシアの諜報員が緊急時に飛び降りて逃げられるように置いておいたのだろう。

 ぼくも窓から飛び出して、マットレスに落下の衝撃を殺してもらった。すぐさま立ち上がり、影が走り去った方向へと踏み出す。

 マンションとマンションの間にある細い裏路地から歓楽街である表通りへと出てきた。かつて新宿にあった歌舞伎町を彷彿させるようなネオン。それらが目に痛いほど光っている。違いがあるとすれば、日本語だけでなく中国の簡体字と繁体字、韓国のハングルが入り混じっているという点。それから福岡にあった屋台が並んでいる点だろうか。

 通りは夜遊びをしにきた人々でごった返しになっている。何十人の群衆の中からロシアの諜報員を探していると、歩いてきた男に「邪魔だ」と怒鳴られ、茶髪のチャラい男から「お兄さん、うちにおっぱいの大きい子いるよ!」と客引きをされた。

 雑踏の中、人を押し分けるとかろうじで西洋人の後姿が見えた。ロシアの諜報員が東洋人だったら、人に紛れて気付かなかったかもしれない。


「逃がすか」


 目の前にいた若いアベックを押しのけた。男の方が喚きたてたが、無視だ。ロシアの諜報員が振り返りぼくの姿を見ると、人ごみを掻き分けて通りの奥へ奥へと進んだ。

 一瞬、ここで自動式拳銃ハンドガンを取り出して、情けないその背中に鉛玉でも叩き込んでやりたくなったが、こんな一般人がひしめき合っているところで発砲は出来ない。間違って怪我でもさせてしまったら、左翼系の新聞会社が政府機関が善良な市民を襲ったと騒ぎ立てるだろう。


「それが狙いか……」


 相手に追いつけはしないが、今のところ姿を見失ってはいない。この状態がいつまで続くか。何らかの拍子で追跡をまかれてもおかしくない。

 追う方と追われる方。有利なのは後者だ。追われる方は行く先を自分で決められる。いわば先手を取れる。対して追う方は対象者の動きに対して反応する形になる。後手に回るしかない。おまけに雨と夜ということもあって視界が悪く、人ごみで満足に動けない。

 ――そして、その時は唐突に訪れた。


「あいつ……どこへ……」


 前方を走っていたはずのロシアの諜報員が見つからない。追い抜いてしまったのか背後を見る。いない。店の中に逃げ込まれたのかと左右を見渡す。「胸的大的姐姐」、「肉味道好」、「女子高生倶楽部」、「深海魚」、「INSIDE HEAVEN」、「나이트클럽」と数えきれないほどのネオン看板の数々が客を引きこもうと主張していた。建物のほとんどが三階建て以上で、それぞれの階に店の看板が出ている。ざっと見渡す限りでも三十軒はぼくの周りには店があった。この中から、ロシアの諜報員を探し出すのは不可能だ。


「おやおや、お困りでありますか」


 通りの真ん中で立ち往生するぼくに声がかけられた。思わず、その相手の方を見やった。あまりにも幼すぎるあどけない声質だったからだ。ここは性欲の高まった男相手に股を開く女がいるような風俗街なのだ。

 とはいえ、戦後の混乱期ということもあり、未成年娼婦ティーン・ハロットというのも珍しくはない。噂だけは聞いたことはあったが、ぼく自身はそういう存在に今まで会ったことはなかった。


「お嬢さん、残念ながらぼくは夜遊びに来てるわけじゃ――」


 言葉に詰まった。

 確かに声を掛けてきた相手は少女だった。しなやかな髪の色は日本人らしい黒。高い位置で結っており、ポニーの尻尾のように揺れている。大きな黒い丸い目がぼくを覗きこんでいた。身長は百八十二センチあるぼくの胸の辺り。およそ百四十センチくらい。総合的に考えて、年齢は十歳くらいだ。


「初めましてであります。公安調査庁PSIA調査第三部第一課のミィル・バラノフスカヤ。ロシアの諜報員はあそこの裏路地へと入り込んだであります。自分が先行して、彼を殺害しましょう」


 その少女の身体は全身が機械のパーツで覆われていた。首から足の先まで黒い装甲で囲まれている。人間でいう関節の部分は装甲と装甲の隙間になっており、青白く管になって光っていた。身に纏っているのは黒に青い線が走ったロングケープのみ。

筋肉を増強するマッスルスーツを着たことはあったが、こんなにもゴテゴテはしていなかった。これではまるで身体を機械で作り変えられたようだ。


「おとと、自己紹介が遅れたであります。自分のことはヘレンとお呼びください。これ以上のお喋りは敵諜報員を索敵範囲外に逃がしてしまうので、失礼するであります」


 それでは、と言い残しヘレンと名乗る少女は裏路地へと駆けて行った。

 あの機械少女の正体も目的も何であるかは分からないが、ぼくの目的もロシアの諜報員だ。雨に濡れて額に引っ付いた髪の毛を振り払って、少女の跡を追いかけた。



 裏路地は大人二人が通れるくらいの幅だった。ネオンで真昼間のように明るかった表通りとは対照的にまさに暗闇の中にいるかのようだ。

 年季の入った室外機がゴウンゴウンと唸り声をあげ、電源コードがパスタのようにぐるぐると絡まっている。ゴミ箱や乗り捨てられている自転車を蹴り飛ばして、前へと進む。

 いくつか分かれ道があったが、あの少女がつけたであろう電子矢印の方向に従った。

 やっと表通りに出たかと思ったら、すぐにまた別の裏路地へと入る。数分ほどそうやって街を走らされた。

 やがて、先ほどの少女が電柱の下で光に照らされているのが見えた。その手には青く光る刀が握られていた。少女の腰からケーブルが伸びて柄に繋がっている。実体があるのは柄とケーブルだけで、刀身の部分は光が固まっただけのようだ。とはいえ、誘導棒のように光るだけではない。刀身に雨が当たると蒸気をあげて消えていた。仕組みは分からないが、光が熱を持ち、それによって切れる刀。確か、電光刀と呼ばれている武器だ。


「遅かったでありますな」

「きみは……」

「これから自分の有用性をミィルに証明するであります」


 そう宣言して、機械のパーツで覆われた少女は電光刀をロシアの諜報員に向けた。少女は自分に向けられている拳銃が怖くないらしい。むしろ、ロシアの諜報員の方が少女を恐れている。呼吸の粗さは走り回ったからだけではない。未知との遭遇による恐怖心を抑え込もうとしているからだ。それでも、少女に向けた拳銃が微動だにせずに、正確に眉間を捉えているのは流石プロだ。

 ――少女が動いた。

 悪態を吐いてロシアの諜報員は引金に力を込めた。MP-443ヤリギンと呼ばれるロシア産のオートマチック式の拳銃だ。撃針が雷管を叩き、眼前の少女に決定的な死を与えるために弾丸が放たれた。

 当然ながら秒速約三百メートルの小さな塊が人間の目に捉えられるわけがない。だからこそ、相手よりも早く撃ったり、射線から隠れたり、不意を突くことが重要になってくる。

 ぼくに分かったのはロシアの諜報員が銃弾を撃ったという証拠の射撃音が聞こえたということと、ヘレンが電光刀を素早く振ったことだ。

 何事もなかったかのようにヘレンは更に距離を詰める。


「まさか、斬ったのか……」


 再度、火薬ガンパウダーが炸裂する音が雨音の中に響く。

 ヘレンは虫でも払うかのように電光刀を振った。

 やがて、ヘレンは武器の間合いに侵入する。

 ロシアの諜報員はMP-443ヤリギンを投げ捨て、素手でヘレンに襲い掛かった。一見、自棄になったかのように見える行動だが、現状況では最良の選択だ。

相手の武器の間合い。拳銃の弾は斬り落とされる。逃走するには距離が近い。少女の姿をしている相手ならば、近接戦闘で抑え込めるかもしれない。

 極めて冷静な判断にぼくは感心した。

 ――それから、同情した。

 最良の選択が望む結果を得られるとは限らない。

 顔面目掛けて振るわれた拳をヘレンは紙一重の距離で避けた。

 そこで勝負は決した。

 青白い光がロシアの諜報員の右腹部から左肩へと雷のように走る。

 ヘレンがぼくの方へと振り返ると、棒立ちになっている男の身体がずれた。滑り台のように上半身が地面へとずり落ちて、内臓と血を撒き散らしながら地面へと抱きついた。下半身は無くなった半身を探すように重力に引かれて水溜りへとダイブした。地面が赤く濡れていく。

 ――思い出した。

 四年前に終結した第三次世界大戦。世界中に広がる憎悪と死が蔓延る戦いに日本も参戦することになった。ロシアと中国に実効支配された九州を奪還するために開発された局地型決戦兵器。そこで敵兵士の首を刈り取るだけでなく、軍艦、航空機、戦車、あらゆる敵戦力を排除し、日本を勝利へと導いた。一体で一個師団並の戦力を誇るとさえ言われている。

 その姿から、戦場ではこう呼ばれていたそうだ。


 ――少女兵器と。

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