第25話 自分の気持ち

 夏樹は、日曜日の誰も座っていない待合所の座席を横目に眺めながら、病院のロビーを歩いていた。

 夏樹は、日曜日の勤務が比較的好きだったのだ。

 通常とは違い、病院に訪れるのは、花束等お見舞いの品を手にした家族や友人の姿が多く、患者達にとって待ち遠しい時間がやって来るからだ。

 そして、昔の事を良く思い出す。家族が夏樹のためにお見舞いに来てくれた日々を。

 病院でいつも一人切りの夏樹の所には、毎日朝から母が訪れ、夕方には学校帰りの兄達が会いに来ては、夏樹の病室で勉強をしていた。

 昔を振り返る度に、自分が家族から沢山の愛情を受けていたと知るのだ。


 夏樹が、物思いにふけながら、ぼんやりと視界に入る通用口に向って歩いていると、出口近辺に見知った影が見えた。


「夏樹」

 静かな病院のロビーに少し大きめの声が木霊した。

「あれ? 佐野先輩? どうして病院に?」

「まぁ、色々とな」

「あ、良い人が入院してるとか? あまり派手な行動をしないでくださいね」

「そんな事より、夏樹この後、何かある?」

「え? 否、別に」

「だったら、ちょっと顔貸せ。上司命令」

「顔って・・」

 今日は、日曜日の日勤だったが、それほど急患も多くなかったためか、夏樹の身体はさほど疲れていなかった。

 付き合えと言われれば問題はないが、いつになく佐野が真面目なため、少し緊張した夏樹は曖昧な返事をした。そんな夏樹を他所に佐野は、彼の応答を聞くまでもなく、既に出口に向かって歩き出していたため、夏樹は慌てて佐野の後を追った。


 久し振りに見た佐野のTシャツにジーンズ姿に、夏樹は昔を思い出していた。

 夏樹が入院する度に、兄三人と一緒に佐野が、犬のハクを病院前か、または夏樹の体調の優れる時ならば、病院近くの公園に連れて来てくれたのだ。


 佐野は、後ろを付いて来る夏樹に歩調を合わせた。

「何、ニヤ付いてんだ。顔を貸せの意味分かっているか?」

「え? 俺、怒られるんですか? いや、先輩のジーンズ姿、久し振りだなぁって思って」

「何? 僕の美尻に見とれてた?」

「ちっ」

【佐野の尻を綺麗だと認める夏樹が居た】


「何、今、変な音が聞こえたけど」

「ハハハ、ほら、昔、俺が入院したら兄貴達とハクを連れて来てくれた事を思い出して」

「あっ~ ハク! 懐かしいな。僕の中で、名犬は未だにハクとラッシーだけだな」

「ラッシーって、今グッグッたら、絶対に飲み物しかヒットしないと思う」

 病院を出ると、既に夏を感じさせる様な生暖かい空気に包まれ、一日中クーラーで過ごした夏樹には心地良かった。


「なぁ~ ハクの二代目がアオで、その次がリョク。全部カラーだったのに、何で今は、タローとジローなわけ?」

「あぁ 今までは、俺が名付け親だったんですけど、タローとジローの代から母の犬だから」

「なるほど~ 天然の亮子さんが付けそうな名前だね」

「え? それを他人から言われると心に刺さる」

「ハハハ、ごめんごめん」

 佐野は、顔を上に傾けると愉快気に笑った。


「そう言えば、先日、拓にぃ見たんですけど。例のMSさん、五百蔵さんでしたっけ、何かしたんですか?」

「う―ん。でももう解決したから、夏樹が心配する事ないよ。それに拓三も一皮剥けて更に良い男になった」


【長かったな~ 拓三、幸せになれよ】

 佐野は、遠くに見えて来た駅前のネオンを眺めながら心で呟いた。

 そして、佐野が初めて拓三と出逢った頃が蘇る。


 桜が舞い散る高校の門前に設置された「入学式」の文字周辺に、カメラを持った家族や生徒の群れを、佐野が一人足早にすり抜けていた。

 佐野の家族は、入学式に出席しておらず、写真撮影の必要のない佐野は下校していたのだ。


「よ、俺、加瀬拓三。確か、佐野だよな。同じクラスだよ。今日から宜しくな」

 そんな佐野に同じクラスになった拓三が声を掛けたのだ。

 拓三は、中学から、この慶京学園に通っており友人は星の数も居たが、佐野は高校からの入学で知った顔は、この時はまだ居なかったのだ。

 家族も入学式に出席しておらず友達も居ない佐野を拓三は、教室で会った時から気に掛けていた。

「写真撮ろうぜ」

 拓三は、佐野に声を掛けると自身の家族を佐野に紹介する。これが二人の初めての出会いだ。

 その後も、拓三は佐野にまとわりついた。あまり人付き合いが、好きでは無かった佐野には、最初かなり邪険にされたが、拓三は根気強く声を掛け続けた。

 ある朝、拓三は弁当を二人分手にすると、佐野が座る席にやって来た。

『俺の兄貴、大学生なのにさ、未だに母さんが、間違えて兄貴の分の弁当を作っちゃうんだよ。佐野勿体ないから食べてくれよ』


 昼飯は、いつもパンか食堂で一人済ませている佐野を知っていたのだ。

 この頃から、徐々に佐野は拓三に心を許すようになって行く。

 学校では仲が良くなった拓三だが、下校後は誰とも遊ばずに真っ直ぐに帰宅する彼を不思議に感じ始めた頃、佐野は拓三の家に招かれた。そして、学校から直帰する理由が分かったのだ。家で、心臓に重い病気を抱えた小さな弟が待っているからだった。

 他の兄弟達も、ほぼ毎日大学から直帰して来るようだったが、その代わりに彼女や友人が常に加瀬家に招き入れられ、そこは誰でも受け入れてくれる居心地の良い場所だったのだ。

 このことは、家族の愛情を知らない佐野にとって新鮮だった。そして、社交的な人間に成長出来たのも、医者を目指そうと考えたのも、加瀬家の影響が強かったからだ。



「佐野先輩?」

「あ、何だっけ?」

「拓にぃに、何かあったんですか?」

「まぁね。でも、お子ちゃまには、難しいな~」

「何ですか、それ?」

「ここ、入るぞ」

 二人は、病院から出ると夏樹の家とは逆方向に歩き出しており、駅近くにある綺麗な小料理屋の前に止った。

 こぢんまりとした店内には、個室も何室かあるようだったが、佐野は常連なのだろうか、カウンターの向こうに立つ店主に挨拶をすると、カウンターの一番端に腰掛けた。

 檜素材のカウンターは、綺麗に磨かれており良い香りを放っていた。またその幅も広くゆったりとしていて、若干高級な店造りに夏樹は少し緊張した。


「いらっしゃいませ」

 二人の両脇からそれぞれに店員が、おしぼりを置き飲み物の注文を取る。

「なんか、こうやって先輩と夜ご飯食べるの久し振りですね」

「まぁな、夏樹と帰る時間全く合わないしな。それに飲み会とか、君絶対に参加しないし」

「ああいうの苦手なんですよね」

「知ってる。でも社会人だしね。そろそろ慣れて行かないと」

「はぁ~」

「うむ? って違う違う、今日はご飯食べるのが目的じゃないから」

「え?」

 佐野は、手を拭き終えたおしぼりを丁寧に折り畳み、竹製のおしぼり置きに乗せた。

 そして、厳しい目線を夏樹に向ける。

「あのさ、夏樹君。今日は反省会だからね。僕、怒ってます」

「俺、何かしました?」

「気付いてないか?」

「・・・・」

「はぁ~。夏樹ぃ最近さ、全く仕事に集中出来ていない!」

 佐野は、人差し指を夏樹の鼻に当たる距離で前後に揺らした。

「あのさ、外科ってゼロコンマ一秒で、殺人犯になる可能性がある。患者の命が、その腕に掛かっているって分かっているよな。それに、お前の外科医としての寿命も終わりだ」

 夏樹は、佐野の言っている事が正論で何も言い返せなかった。

 心臓血管外科医は、佐野の言う通り本の一瞬でも気が抜けない事を十分に理解していた。そのため、仕事に対する姿勢、特に手術は全身全霊で挑んでいると自負していたため、佐野の指摘には若干違和感を覚えた。

 だが、佐野が、こうやって時間を割いてまで、夏樹に指摘するのだ。自分に落ち度があると認めるしかない。

 反論もせずにただ黙って聞いている夏樹を、暫く温かい目で見ていた佐野は、疑惑をはらす言葉を投げかける。

「何かあった? 神木の彼女と」

 夏樹は、心臓を佐野に抉られた様な衝撃を受け、彼の周りの全てが静止した気がした。


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