No.12 人間のいない国 著:ドーレス・山椿・三雲  作者:鈴木亜沙 さん

焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる。

―― ハインリヒ・ハイネ「アルマンゾル」


「これは、彼らの物語です。決して、私の物語ではない。故に、私は無罪を主張します」


僕たちは、人の姿をしたなにかがそう話すのを、傍聴席で聞いていた。

悪いことをしてはいけないよ。いいことだけをして大人になりなさい。そうすれば、社会はもっとよくなっていくからね。

僕たちは、そう言って大人に育てられた。第5次世界大戦を終えて、戦争なんて知らないほどに恵まれた時代に生まれた僕たちは、それを教訓として大人になっていく。

人間の弱さの表現と産物以外のなにものでもない信仰も、僕たちには必要がなかった。人間は弱さに打ち勝ち、強さを手に入れたのだから。

「聖書は尊敬すべきコレクションだが、やはり原始的な伝説にすぎない」。大昔の科学者が言った言葉だそうだけど、大昔にあった言葉が残っているだけあって正しいことを言っている気がする。この言葉は、僕たちの時代を作っていくためのスローガンのようなものだった。

過去の人々の功罪、そのすべては尊敬すべきコレクション。だけれども、やはりそれらが作った歴史は失敗してしまった。

だからこそ、この時代を生きている僕たちが失敗例を見て学んでいく必要がある。よりよい社会、よりよい時代を作るのはそういう努力だ。


「表現の自由は、第7次世界大戦以降、本国では一般国民には保証されていません。許可を得た上で再度申請をして頂かないと……」


昔は表現の自由、という言葉を、自由に使っていた人たちがいたらしい。

いたらしい……っていうのは、そのころを知っている人がもうどこにもいないから。大昔の話すぎて、教科書の1ページにも載っていない。

そもそも大憲法で表現は許可制のものだと定められているし、表現者になるためにはみんな学校に通うものっていうのが常識だ。

認定表現者になることができたら、文部科学省のえらい人が「担当」になって、国のために磨いてきた表現を使う。それで、僕たちにエンターテインメントを供給する。僕たちは、供給されるエンターテインメントを消費する。

毎日の食事と同じように、ずっと前の時代から自動化できる技術はこの国にはあった。けれど、僕たちを育てた大人たちは、「表現者」という古い枠組みを僕たちの時代にも残していた。

これが必要なのか、不要なのかを考えるのが次世代を担う僕たちの仕事だ。この課外授業も、そのために準備されたプログラムの一つ。


罪定法廷。悪いことをした人たちの、「何が悪かったのか」を決めるための舞台。僕たちの国は民主的だから、それを決めるのも民衆だ。国に選ばれた裁判員が集まって、「あなたは有罪です、あなたは人間ではありません」と告げるだけの儀式。

無罪を主張します、と彼は言ったけれど、僕たちは無罪なんて言葉は時代遅れの言葉は使わない。法廷には悪い人しかやってこないのを、僕たちも、他の法廷にやってくる悪い人たちも知っているからだ。

俎上に上げられた時点で、彼の罪は決まっている。古い言葉で言えば、「火のないところに煙は立たない」。煙が見えた時点で、誰かが煙を見た時点で「よい社会」の妨げになっている。僕たちの国は清潔で、綺麗好きな人が多いから。それを目にするだけでも嫌だ、という人は少なくないし、もちろんこの課外授業も参加と不参加はそもそも自由だ。


辛いものが好きな人と嫌いな人がいるように、「悪いこと」に耐性のある人とない人がいるのは自然なことだ。学校でもそう教わるし、みんなそんなことは知っている。だから、この国では「耐性のあること」を仕事にする。

できない人にできないことをやらせるなんて、この多様性と個性の時代ではありえない。適材適所。いい言葉。

だから、僕たち課外授業に参加した生徒と参加しなかった生徒の進路は違う。役割分担で、優劣なんてつける人はこの国には一人もいない。そもそも違う仕事だ。比較するという行為が無意味だと、誰もが子どものうちに教わる。

隣の席に座っている絵里ちゃんのお父さんは大きな銀行で責任者をしているけれど、その横に座っている僕のお父さんは職場でゴミをまとめて捨てる仕事をしている。絵里ちゃんと僕は仲がいいし、絵里ちゃんのお父さんと僕のお父さんも仲がいい。

昔は、親の仕事で仲良くする相手を決めていたみたいだけれど、僕たちからしてみれば他人の目の色を気にするくらい愚かなことだと教えてもらった。

どんな仕事だって等価値に無価値だ。あって当然のものには当然価値がない。だから、「表現者」は、人々の憧れを集める。エンターテインメントなんて、なくても誰も困らないものを作るために日々努力している人たちはすごい。だから、完璧な世界にあるたった一つの「無駄」だから、エンターテインメントを見て人々は笑うんだ。無駄だね、ってさ。

絵里ちゃんと僕と祐二くんでご飯を食べたとき、得意げな表情で祐二くんはそう言っていた。何だか難しそうな本を読みながら、「引用だよ」って言っていたけど、文字の読めない絵里ちゃんに合わせて、祐二くんが照れ隠しにそう言ったんだよ、と後から耳打ちをした。。祐二くんは、表現者になるための学校に通っているから。


「ええ、そうですね……ですが、この国では大戦の折に犯罪者は国民と認めないことが決まったはずです。国民と認めてしまえば、彼らの人権を守らなくてはいけなくなってしまいますから。大憲法は全ての国民はこれを守る必要があったはずだ。……逆説的に、この国において唯一表現の自由を保証されているのが彼ら、ということになります。条文はこうです。日本国大憲法、第二十一条。本国民の集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由を保証しない。出版の際にはすべて公安警察出版部による検閲と許可を行い、通信は全て政府が傍受・確認することを可能とする。あなたの携帯電話だって、いつでも公安警察がアクセスできるでしょう?」

「当然、そうですね。そう決まっていますから」

「あなたが国民だからだ。……それに、あなたがたは私をこの法廷に上げてしまった。これで晴れて私は犯罪者だ」

「無駄な発言は控えるように」

「犯罪者の行動を制限する権利はあなたがた、裁判員にはない」

「被告人」

「裁判員には、犯罪者の有罪を確定させる以外の権利を大憲法は認めていない。私の発言を止める権利は、あなたたちにはない」


証言台に立たされているそれが、咳払いをしているのか、笑っているのかは僕たちにはわからなかった。

でも、自分が裁かれる状況にあるような個人の言葉の上擦り方と、話し口がどんどん軽快になっていくのを見ているのは不可思議な気分だった。もしかすると、これが祐二くんの言ったエンターテインメントなのかもしれない。僕たちは初めて社会が「不要」と判断したものの姿をじっと見続ける。

悪意に強い、と評価された僕たちは、この社会の弱さを受け止めて、それに打ち勝つために何ができるかを考えなければいけない。美由紀ちゃんや一彰くんができないことをするために、僕たちはここにいる。社会は、人と人とが支え合っているものなのだから、僕たちは僕たちのできる仕事をしなくてはならない。


「…………」

「では罪定の前に、法廷原則第17番に則って。生年月日、2021年10月16日」


一瞬だけ法廷がざわついた。そりゃあそうだ。2000年以上前の日付が、こんな公式の場に出てくるなんて、僕たち全員が誰も思っていない。絵里ちゃんは、困ったように僕の袖口を掴んでいた。祐二くんを真似て、「冗談だよ」と言っておいた。絵里ちゃんは、黙って僕に頷いた。

ざわついた法廷も、失笑がいくつか聞こえたあとにすぐに落ち着いた。代表裁判員の男の人が、「静粛に」と言えば、僕たちは静まり返る。


「リアル・エンタテイメント出版のドーレス・山椿・三雲が本件について、私なりの解釈を述べさせて頂く。ご静聴ください」


犯罪者って、弱いもので、愚かなものだって聞いていたのに……なんだか、印象がちぐはぐな気がした。

出版という行為は、全部公安警察の検閲がないとできないことは僕たち全員が知っている。だから、このリアル・エンタテイメント出版の出版物が世の中に出回ることなんてあるわけないのに、彼はそれを罪としてこの法廷に立っている。どこか間が抜けているんだ。世にも恐ろしいはずの犯罪者は、とんちの世界からやってきたようなコミカルさを伴っている。

誰もが犯罪者に視線を注ぎ、誰もが犯罪者へと興味を示し、誰もが犯罪者を恐れてはいない。そこに恐怖はなく、現実味のない冗談に見えた。

代表裁判員の男の人だって、もう「静粛に」なんて言わない。僕らよりも、目の前の犯罪者のほうがよっぽどこの国の法律を理解しているし、僕らよりも筋道立った言葉を選んでは連ねている。筋道。納得へと至るための公式。


「本件――葛折・カルロス・祐二による無許可表現物の刊行の疑いについて、私は今なお、この法廷の上にいるにも関わらず、疑問点がある。皆さんが無許可表現物だと仰っていたのは、この紙束のことですか?」


ポケットから手のひらサイズの書籍(のようなもの)が取り出されて、それを見た僕たちの中からは小さな悲鳴が上がったりする。きゃあ、やめて。はやくそれをしまえ。そのたびに、代表裁判員の男の人があのトンカチみたいなやつを木の台に叩きつける。静粛に。静粛に。静粛に、ガン。ゴン。ガンガンガンガン。ゴンゴンガギンゴガンゴンギン。


「裁判員長。これがなぜ無許可表現物に該当するかを教えていただけますか?」

「表現の自由は、第7次世界大戦以降、本国では一般国民には保証されていません。許可を得た上で再度申請をして頂……」

「これが表現物だと仰ると?」

「ええ。そりゃあ、当然……」

「では、あなたがたはこの紙束に書かれている文字列をご覧になったと? 無許可での無許可表現物の閲覧はあなたがた裁判員にも許されてはいないはずです。いかがでしたか? 許可無許可を確認するためには、本であれば後ろから3ページ目に記載された許可文書を確認する必要がある。その確認はなさったんですか?」


代表裁判員の男の人は口籠る。僕たちも、犯罪者の語る言葉に対して代表裁判員の男の人が何と返すかを興味深く眺めていた。

確かに、彼が犯罪者であることを除けば彼の言自体はそこそこ説得力がある気がする。説得力があるという言い方よりも、「それは筋が通っている」という感じ。

筋を通すっていうのも、祐二くんから教えてもらわなかったら僕と絵里ちゃんはそんな言葉も知らなかったんだろうけれど。

筋。物語に大切な筋というものがあって、何千年も前、人が哲学者をやっていたころの時代の人が語ったことなんだそうだ。哲学者の仕事は、今やスーパーコンピュータがやってくれる時代。悩むのは人じゃなくて、スーパーコンピュータの役割っていうのは第6次世界大戦のあとにはどんな後進国でも常識になった僕らからしたら、考えられない。物語の公式を、人が考えていた時代があったなんて信じられない。そんな非効率なことをやっていて、彼らは何かを手に入れたんだろうか? 絵里ちゃんは、そういう歴史に思いを馳せるのが好きだと言っていた。これも受け売りだけど、確かに僕もそれが好きな気もしている。歴史がなければ僕らがいまここにいないということにも、なんだか意味があるようだけれど、それは結果でしかないとも思っている気もする。


「確認はしていません。私にその権限は与えられていませんから」


男の人は、確かにそう言った。

そう言ったのを、僕たちは聞いた。


「それでは」


なんだかここから先は聞いちゃいけないことのような気がしたから、絵里ちゃんの耳を塞いだ。直感だなんて動物みたいなものでも、虫みたいになにかに知らされるわけでもなかったはずだ。僕はそれを選択したし、結果として僕は正しい行いをしていることには違いないはずだ。それだけは間違いないはずだ。


「あなたは、存在するかもしないかもわからないシュレーディンガーの罪を裁くというんですか?」


シュレーディンガーなんて大昔の科学実験の名前が出てきて、傍聴人の一部は笑っていた。シュレーディンガーの猫は、量子力学が不完全な学問であることを証明しようとして準備されたものだ、と昔の人は言っていたようだけれど、いまや量子力学なんて古びた学問は誰も学んでいない。図書館のバック・ログ(=旧時代史の人々が残した、データ・ログを集めたものを図書館でまとめて管理している)に名前がちらりとあるだけで、笑っていない傍聴人たちはきっとバック・ログを読んでいないからいまいちこの冗談を理解できなかったのだろう。いわゆる、ハイ・ソサエティ・ジョークというやつだ。

重なり合いの状態なんてなくて、答えは常に確定している自明のものだと知らないのかもしれない。かもしれない。かもしれない。かもしれない。かもしれない運転。


「そうです。私たちはその罪を証明することは担当の範囲外です。私たちは、公安警察より頂戴した調書を読み、それを踏まえてあなたの罪を裁定し、あなたに与えられる刑罰の値を検討することが仕事ですから」


おおお、と一同はざわついた。まるでざわつきのザワークラウトだな、と、僕の後ろの席に座っていた誰だかがそう言った。確かに、辞書に載せる例文としてぴったりなくらいに、ざわつきのザワークラウトということわざは、いま世界で最も正しい使われ方をした。僕は嬉しいと思った。先生に提出したら、きっと先生も喜んでくれるだろうくらい、本当に綺麗な使われ方だったからだ。


「では構いません。裁判を続けましょう。それで、」



4322年19月81日 (あ)第105号 無許可表現,思想汚染,国家反逆事件

4323年1月19日 大法廷判決


主文


被告人(未成年のため、氏名は公開されない)の国民権を永久剥奪とする。


理由


国民による無許可の表現は認められていないため、無許可での表現を行なった被告は非国民とみなす。


該当箇所


全文。表現行為は国民には認められていない。




以上。

国家より依頼された「表現」業務を、上記の通り終了したことを報告する。


リアル・エンタテイメント出版

国家認定表現者 ドーレス・山椿・三雲

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