第4話 義賊ローランド

 次の朝、まだ明けきらない空の下、キリルは漁港へと新鮮な魚介類を買いに出かけた。二日酔いで頭が痛かったが、それは己の責任である。昨日はルネと言う男と飲み過ぎた。葡萄酒は一瓶では話の肴に足りず、結局三本空けてしまったのである。

 漁港は商人たちであふれ、競りの声が高い天井にこだましていた。木箱の中では海老が跳ね上がり、また隣の箱の中は青魚が尾びれを上下させていた。今日これから向かう村は、一つ広い森を抜けた先にある山間に位置している。キリルは何種類かの魚と、この港町の名産である海老を買うと、ラナの胸元のカバンへと詰め込んだ。

「案外早い出発だったじゃない?」

 鞍へとまたがったキリルに、ラナは笑った。

「あれは雨が続いていたらの話」キリルは頬に風を感じながら、「あまり一つの場所に長くいる気はないよ」

「そう」

 さして気にも止めない風に、ラナがうなづいた。空には雲一つなく、他の大陸へ向かうのであろうドラゴンに乗った旅人の影が彼方に見えた。

 その後、何事もなく村まで到着し、朝市に店を出す事ができた。得に珍しい海老は人気であり、やはり数刻も経たない内に売り切れてしまった。まだ昼であったが、商売を終えたキリルは一度身体を伸ばすと、ラナに飛び乗った。商人ギルドに仲介料を払う為、再びあの港町へ戻るのでる。

 そう言えば、まだルネはあの町にいるのであろうか。

「ラナ、またあの夜の市場に行かないか?」

 キリルはラナの産毛を触りながら言った。

「あら珍しい。一つの場所にあんまりいたくないんじゃなかったの?」

「お前だって町の明かりに喜んでたじゃないか──だからだよ」

「そうね……まぁ良いわ」

 真昼の空は晴れ渡り、水平線が弧を描くように見えた。

 港町に着くと、なにやら騒がしい空気が流れていた。号外をカバンいっぱいに詰めた少年が声を張り上げ走り回っている。

「号外、号外! また義賊ローランドが出たよ!」

「義賊?」号外記事を受け取り、キリルはその文面を読んだ。「義賊ローランド、今度は大富豪ラッカム氏の本宅に潜入。金品を奪い孤児院の門前へ……」

「面白いじゃない」

 ラナが覗き込み、微笑した。

「ラッカム氏は金の亡者だったとの噂……へぇ」

 記事をカバンにしまいながら、キリルはひとりごちた。義賊ローランドなど聞きなれない名前に、どこか興味を惹かれたのである。

 そのままギルドへと向かい、ラナを外で待たせ仲介料を払う。受付の女性が売上の計算をしている最中、ギルド内を見回すと、例の義賊の指名手配書が貼られていた。

 義賊ローランド、知られているのは名字のみ、その顔、姿は一切不明。世界をまたにかけ、悪徳商人や金の亡者と化した富豪を中心に盗みを働き、孤児院や病院の前に金品を置いて行く……。

「あら、気になりまして?」

 帳簿から顔を上げた女性が首をかしげた。

「あ、あぁいいえ」キリルは手を振った。「外で号外記事が出ていたので」

「ここだけのお話ですけど、私は応援してるんです。ローランド様の事──」

「はぁ……」

 女性の話が長くなるのかと、キリルは苦笑いした。

 案の定勝手なのろけ話を聞かされ、待ちかねたラナの声を合図に話が途切れたのを見計らい、ギルドを飛び出したのである。

「なにしてたのよ」

「いや、助かったよ、ラナ。行こう」

「なんなのよ、だから」

 不思議そうな顔をしたラナに背を向け、キリルは歩き出した。町は既に黄昏時で、昨日と同じように灯火が家々の玄関に輝いていた。

 宿で宿泊の手続きをすると、部屋には入らず真っ直ぐ昨日の市場へと足を向ける。心が弾むのは、またルネに逢えるのかもしれないと言う期待からであろうか。

彼の語る話は興味深いものばかりであった。深い谷に棲むエルフの一族や、失われたとされる魔道書の収められた広大な図書館。冒険者ならではの話題は、尽きる事がなかったのである。

 ルネはやはり昨晩と同じ店で葡萄酒をかたむけていた。

「ルネ!」

 弾むような声でキリルがその名を呼ぶと、ルネは待ち人を待っていたかのように頬笑んだ。

「よう、キリル」と、彼は空いたグラスを軽く掲げ、「丁度、一緒に飲む相手を探してたんだ」

「まだこの町にいたのか」

「まぁ、一仕事あってな。でも明日にもここを発つつもりだ」

目前のグラスに注がれる葡萄酒を見ながら、ルネは言った。

「俺も次の港町に行くつもりなんだ。南の大陸まで行ってみようと思う」

「南の大陸か! あそこは人々も陽気だし、魚介類は色とりどりで面白いぜ」

「本当に?」

「あぁ、そうさ。俺が言うんだから間違いない」彼は豪快に笑い声をたてたと思うと、「また、逢えると良いな」

 寂しげに声をひそめた。

「……そうだな」

 キリルがうなづくと、ルネは再び顔を上げ、

「まぁ、運が良ければ逢う事もあるさ。──互いのこれからに、そうして別れに乾杯!」

 グラスを掲げた。


 ドラゴン専用の酒であるピニャールでほろ酔い気分のラナを連れ宿に戻ると、キリルはすぐに干し草のベッドへと寝転んだ。葡萄酒の酔いが回ったのか、心地好いめまいがする。明日は昼前には出発しなければ──そう考えている内に、眠気がこみ上げてきた。

「寝るの?」

 目覚めをうながすように、ラナが頬を舐める。

「ん……そろそろね」

 舐められた頬を拭い、キリルは目を閉じた。

「そう──じゃあ私もそうしようかしら」

「良いんじゃない? たまには」

 あまり眠らない古竜に、彼は言った。夜が明ければ、遠くまで飛ぶのである。その前に、体力を回復させなければならない。

「じゃあ、お休み」

「お休み」

 キリルはランプの火を吹き消した。

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