第2話 キリルの過去

 ここで、キリルが故郷を追われ、旅商人となった経緯を話しておかなければならないであろう。

 彼は生まれながらに父の行方は知れず、病気がちであった母も、キリルの成長を見る事もなく死んでしまった。彼は村中で育てられたのである。

 そんな彼も成長し、やがて恋人が出来た。彼女は太陽に輝く金髪に、容姿は花がほころぶようであり、近くに寄り添うと、どこか良い薫りがした。幼い頃から共に野原を駆け回り、野の花を摘み髪飾りを編んだ。

 しかし年を重ねるごとに増す彼女の美しさは近隣の噂となり、とうとう領主の目にまで止まってしまった。領主はたくさんの宝と引き換えに、彼女に結婚を申し込んだ。それに目がくらんだ彼女の両親はまるで人買いのように彼女を差し出した。

 そうして嫁入り前の晩、彼女はキリルの家の戸を叩いたのである。

「私が好きなら、私を抱いて」

 ぼんやりとしたランプの灯りの下で、彼女は言った。恋人たちはそのまま抱き合い、ベッドへと沈んだ。

 彼女が領主の元へ嫁いで数ヶ月、風の噂でキリルは彼女の妊娠を聞いた。不安が胸をよぎったが、領主も中々彼女を寵愛しているとの話で、気にも止めないでいた。ちらと見た領主も金髪の美丈夫であり、二人は似合いだろうとすら思っていたからである。

 しかし、産まれた子供は黒髪であった。

 妻の不貞に領主は怒り狂い、彼女を責め立てた。毎晩のように続いたその仕打ちに耐えきれず、彼女の心は砕けてしまった。それを見た領主は、壊れた玩具を棄てるかのように、彼女を家に返したのである。

 それはすぐにキリルにも伝えられ、その日に彼は彼女を訪ねた。

「この恥知らずの相手はお前だろう」

 と、彼女の父親はキリルに言った。村にいる黒髪の男は彼のみであったからである。

「リーザの事は、俺が責任をもって面倒をみます」

 キリルは言った。

「あぁ、こいつを連れてとっとと出ていけ! もう村には帰って来るな!」

「……わかりました」

 そう答え、彼女とその子供を抱きしめると、共に家を出、乗って来た馬に彼女を乗せ、己も乗り込むと、森へと駆けた。

 やがて森の奥、風の妖精たちがたむろする泉の辺りまで着くと、馬を下り何百年もの樹齢を重ねた大木へと近付いた。

「シエラ先生!」

 地面を押し上げる根の隙間に造られた扉の前で声を張り上げる。

「今出まぁす」扉越しに鈴の鳴るような声がする。「あら、キリルと……リーザ?!」

 賢者であるエルフは目を見開き、彼らを見比べた。そうして更にキリルの抱いた赤ん坊へと視線を向けると、全てを悟ったように三人を家の中へ招き入れたのである。

 出された茶を飲みながら、キリルが改めて事の顛末を話すと、シエラは、

「まぁ……なんて事なの」

 と、目尻に涙を浮かべた。彼女は昔から良く森へと遊びに来るキリルたちを知っている。計算や読み書きを教えたのも、彼女である。

「それで、先生にお願いがあるんです」

 キリルが言った。

「何かしら?」

「三人で静かに暮らせる家を建てられるまで、リーザと子供を、預かっていただきたくて……もちろん、仕送りもします」

 するとシエラは、

「これはとても大変な事よ。あなたにその覚悟があって?」

「はい、あります! リーザとその子の為なら、どんな苦労も惜しみません!」

キリルは声を張り上げる。

「……わかりました。良いわ。心配せずに行ってらっしゃい」

 シエラが頬笑んだ。

「ありがとうございます!」キリルはうつむいたままのリーザを抱き寄せ、口付けを交わした。「リーザ、行ってくるよ」

 「あなたはだぁれ?」虚ろな目でリーザが唇を開く。「わたしに、なにをするの?」

「少しだけ待っていてくれ、すぐに帰るから」

 キリルは再び強く彼女を腕に抱くと、静かに引き離し背を向けた。

 と、今の話をラナに話せば怒りかねないので、キリルはいまだに話せないでいるのである。


 ラナとは、キリルが商人になると決めた時に訪れた、ドラゴンの派遣仲介業者のある谷で出逢った。気性が荒いとされる古竜はあまり人気がなく、何よりもこの性格である。売れ残っていた彼を、キリルが指名した事が始まりであった。

「私をなにに使うつもり?」

 初めて向き合った時、うんざりしたようにラナは尋ねた。

「金を稼ぐ。それにはお前が必要なんだ」

「どうやって稼ぐの?」

「商売だよ。港町から内陸部の町や村まで新鮮な魚介類を届ける。だから、力持ちの古竜が丁度良い」キリルはラナの長い首へと腕を回し囁いた。「よろしく、ラナ」

「馬鹿みたい。でもあなた素敵ね」

 と、ラナはキリルの項を舐めた。


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