〈十〉



 落盤した洞の外にはいたるところに人だったものの残骸が散乱していた。おそらく麅鴞に取り込まれた過去の人々で、まるでたった今まで生きていたかのように瑞々みずみずしいものばかりだった。全てを集めることはできず、天波はとりあえず目についた頭だけを拾って回る。李酉りゆう含め探索隊五名の亡骸も発見した。


 そして、くさむらに転がったひとつに驚く。張正ちょうせいの頭だった。片耳に光る玉虫色の小石を一目見て素律は首を振った。

「これはただ燕石えんせきに色を塗ったものだ。女媧ジョカ練石ねりいしなどではない」

「そうか……」

 素律は猋に凭れたまま項垂うなだれた天波を見やる。

「……持ち帰るのか?」

 天波はしばらく考え、張正の頭を集めた遺骸の山へ置いた。

「口惜しいが、彼はここで死んだ。静かに眠らせてやりたい」

 そうか、と晴れた空を覗かせた遥か頭上の亀裂を見上げた。どこかで鳥の声がする。



 麅鴞をった地点は洞穴の入口からかなり西に移動した位置だった。戻って待機していた猋の一頭を城への伝令に走らせると、天波は素律の手当てにかかる。

 洞の湧き水までは崩落は及んでおらず、汲んできて血で汚れた体を拭う。動くのが億劫なのか素律は座り込み、黙ってされるままになっていた。ほどけた長い黒髪もついでに清めてやった。ひと房だけが銀の髪はつややかで、天波はなにか、どこか既視感をおぼえたが、思い出す前に発された言葉に気を取られた。


「白い場に囚われたか」

「ああ。――小さな子どもがいなかったか。赤い髪の」

 素律は目をみひらき凝視した。

「……そうか、会ったか」

「知っているのか?」

 しばらく無言で茫洋としていたが、ぽつりと呟いた。

「おそらくそれは核に唯一あったじつだ」

「唯一?」

「麅鴞の芯のようなもの」

 ふうん、と天波は生返事で広い背に薬草を押し当てた。患難の去った今、混乱のせいで頭の中が整理できていなかった。布を巻いていく彼女に素律は目を細める。

「お前は僥倖ぎょうこうに恵まれた。なかなかあることではない」

「どういうことだ?殺されそうになったんだが?」

 問うても彼は長い睫毛を伏せてそれ以上は何も言わず、ただ労わるように天波の頭をてのひらで叩くだけだった。



 可能なかぎり集めた遺体は火をつけた。安らかな眠りを祈り、たなびいた煙が消えないうちに猋に跨る。猋ならどれほどの断崖でも易々と登ってくれる。



 素律と生き残った群れと共に濃霧のしこる谷を後にした。途中、岩棚から見下ろした峡谷は以前と変わらずやはり不気味だったが、それでも微かに響く獣たちの鳴き声に天波は笑みを浮かべた。空が近くなった頃に今度は崖の上から呼びかけがある。伝令を聞いた人々が迎えに来たのだ。



 軽々と登って帰ってきた二人に歓声が上がった。再び顔を隠した素律の表情は窺えなかったが、彼もまた安堵しているようだった。


 大歓声で人々が何を言っているのかも分からない騒ぎのなか、仲間に囲まれて天波は喜びに顔をほころばせる。突如として分け入ってきた男に力いっぱい抱きすくめられて、ちょっと、と引き剥がした。

 滂沱の涙を流しているのは潭凱たんがい。天波にすがっておいおいと泣いた。まわりが笑って事の次第をまくし立てる。

「谷に行くって聞かなくて止めるのが大変だったんだから」

「しまいには城に乗り込んだんだ。こいつ、お前が心配でこの半月ろくに寝てないんだぞ」

 そうか、と天波は潭凱の頭を抱えた。

「すまない。心配をかけた」

「間違いなくお嬢だ……本当に、よく無事で」

 潭凱は真っ赤に泣き腫らした目を痛そうにすがめながら何度も頷いた。破れた衣や、右脚のあざを見てまた泣いた。


「ええっと、今度は本物だよな?」

「はあ?」


 泣き続ける下僕をなだめているうち、素律は素律の取り巻きとともにすでに城へと向かってしまっていた。


「正直私は全く歯が立たなかった。当主が猋を遣わしてくれて本当に助かったよ。是非にお礼を言わなければな。加勢の男もかなり腕の立つ奴で、あいつがいなければ私は死んでいた」

 肩を竦めて笑ったのに、潭凱や他の者たちはぽかんと口を開いた。

「お嬢、何を言っているのです?」

「――――え?」

「当主御自ら、猋と共に谷に降りられたのです。他の者は絶対に来るなとの厳命で、俺はそれを破ろうと画策していたのですが」

 今度は天波の開いた口が塞がらない。脳裏に豊かな長髪の記憶が巡った。


「お嬢?」


 頭を抱えた天波に周囲の者が顔を見合わせる。まさか、そんな。かなり失礼なことをいろいろ言った気がする。そもそも全身の傷の手当てまでしてもらった…………。


 雄叫びをあげて昏倒した天波は皆にねぎらわれながら馬に乗せられ、晴れて街に凱旋したのだった。








 狼家の天波は一躍時の人となった。街中にその武勇が広がり、家の前には一目美貌の戦士を見ようと人だかりができる始末、求婚者が過半を占めていることは誰にでも分かることで、数日間、潭凱らは容赦なく侵入者を叩き出すことに追われた。


 当の本人は帰ってきてからというもの溜まりに溜まった疲れを消化する為に眠り続け、外の騒ぎはとんと届いていなかった。浅深の眠りを繰り返して五日、まともに食事ができるようになるまで半月、寝床を離れられなかった。ひどく神経を摩耗させていて自分でも予想以上に弱っていたのだと気づかされた。ようやく起き上がれるようになり、唯真ゆいしんに抱かれあやされながら見舞いに来た親戚たちの姿に微笑む。こちらの名を呼びながら瞳を輝かせてしがみついてきた幼い子供たちに、やっと帰ってきたのだという実感が湧いてほっとした。父はいつも通り余裕のある口振りだったが、それでもなんのかのと身の回りに不足がないよう気を配ってくれた。騒がしい日常に戻ってきて、やっと、本当に彼らを守ることが出来たのだとひしひしと噛み締めた。


 痩せこけた身体を戻し、動けるようになって全快したころには季節はすでに寒い冬へと足を踏み入れていた。そして、それまで一度も来なかった伝令が天波の元へと届けられた。城への出仕のめいだった。








 大鼎おおざらに焚かれた香を左右に配し、吹き抜けの西壁に巨大な雪山を臨む大広房おおひろま、盛装した天波は壇下で拝礼する。同じく周囲の臣下もさざなみのごとくそれに倣った。壇上に座すは金の面の当主。玉を縫い止めた黒衣を揺らして一歩ずつ天波のもとに下りて来る。災禍の妖魔を自ら退けた、我らの君主が。


 朗々とした言祝ことほぎをもらい、儀礼通りに言葉を返した天波は最後に差し出された優美な装飾を施された懐剣かいけんを恭しく押し戴く。しかし、賜与者と一瞬交わった視線はすぐに逸らされた。



 この日、天波は一族の中で最も高位の十人将、その筆頭である左賢さけんを拝命した。これによって狼家の地位は揺るぎない磐石なものとなった。


 以後、天波の後に精鋭が続くことになる。





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