第15話 話し方と、真剣な姿と

 少しの間ヴィルヘルミーナと歓談していると、少し荒く扉が叩かれた。そして直ぐ後に、アナスタシアの声が響いて来る。


「母上。流石に長くはないでしょうか」


 普段よりも少し棘のある声音だった。声音だけではなく、内容も非難染みているものだ。


「あら、アナスタシアじゃないの。入ってきていいわよ」

「失礼します」


 ヴィルヘルミーナの返事を聞いた途端に扉を開いて入って来たアナスタシアは、迷わずにウィラードの隣へと腰を下ろした。いつもよりも少し距離が近い気がする。


「あなたも嫉妬するようになったのね。少し嬉しいわ、私」

「悪いですか」

「嬉しいと言っているのよ、私は。やっと、貴女が我を出してくれた気がして」


 少し俯いて笑みを零したヴィルヘルミーナに、アナスタシアは勢いを失って表情を崩した。家族の前だと顔も緩むのか、いつもよりも穏やかな表情をしている。


 近くで待機していた使用人が、アナスタシアのために紅茶を持ってくる。彼女は使用人に頭を下げて、追加で菓子を要求していた。


「それで、明日婚約を発表すると言っていたわよね?」

「はい、そのつもりです」

「ウィラード君のご両親はどうなの?」

「面会したいとは思っていますが…………」


 言葉を途中で詰まらせたアナスタシアが、伏し目がちにこちらを伺ってくる。


「ウィラードは良いのですか」

「良い、とは?」

「私が貴方のご両親に会いに行って良いのか、ということです」

「なぜ駄目だと?」


 なぜここに来て急に遠慮し始めるのかが意味が分からなかったが。もしかしたら部屋の中での会話を少し聞いていたのかもしれない。特に彼女の悪口は言っていなかったと思うのだが。

 というより、彼女について悪く言えるところが殆ど思いつかない。心当たりがあるとすれば、『迷惑が掛かっていないと言ったら噓になる』というところだろうか。それにしても、その迷惑が嫌だとは言っていない。


「……………私はその、色々強引ですから」


 純粋に、今になって自分の行動を顧みただけなのかもしれない。アナスタシアは基本的には真面な性格だ。


「今更では。俺としてはターシャが両親と挨拶してくれようとしてくれたことの方が嬉しい」

「…………ありがとうございます」


 少し頬を綻ばせたアナスタシアが、誤魔化すように視線を逸らす。

 その様子を目で追っていたら、視界にヴィルヘルミーナの表情が写り込んだ。何とも微笑ましそうだ。


 アナスタシアは自分でも届けられた菓子を食べつつ、いくつかをこちらに手渡してくれる。ありがたく受け取って、口に含んだ。甘い香りが鼻の奥を抜けた。


「その様子だと私の心配はいらないみたいね。じゃぁ、早いところ明日の準備でもしなさいな」

「ありがとうございます、母上」


 あたかも当然の事かの様に、ヴィルヘルミーナが優し気な笑みを浮かべた。そして言う。


「いつまでかっこつけた話した方してるつもりなの」


 アナスタシアは勢いよく席を立った。





 廊下を歩きながらアナスタシアは、誤魔化すように言い訳を重ねる。


「母上が『かっこつけた話し方』と言ったのは、その、母上が勝手に思い込んでいることですから、気にしないでください。母上の記憶は私がほんの小さかった頃で止まっているのです、きっと。だからあんな言い方を───」


 動揺したアナスタシアを見るのは初めてで、驚いた。しかし驚きが落ち着いて来ると、段々と面白くなってくる。

 俺が笑っていることに気が付いたアナスタシアが、少し恥ずかしそうに顔を伏せた。


「……………敬語を、外した話し方に、慣れていないのです。家族以外に対しての」

「俺は別に敬語でなくてもいいけどな。話し方で距離が生まれるわけでもないから」

「私は、いつかは普通に話せたらなと思います」

「…………なら、それまで待つ」

「ありがとう、……………ございます」


 何となく気まずくなって、少し距離を取ったまま歩く。その様子が、王都で見ていたような初々しい男女の姿と殆ど変わらないことに思い当って、余計に恥ずかしくなってくる。

 それでも、アナスタシアは嬉しそうだった。


「婚約の公表ですが、とりあえず書面での公表の後に、後日披露宴などを行うつもりでいるのですが………」

「了解。披露宴は人を呼んでも良いのか?」

「えぇ、私としてもウィルの家族に会ってみたいですから」

「…………なら、披露宴の前に一旦二人で実家に帰ったりは出来ないか?」

「良いですね。時間を作ります」


 忙しい予定を開けて貰うほどの事でもないと止めようと思ったのだが、アナスタシアが乗り気だったので止めた。


 自分はこの後予定はないのだが、アナスタシアは仕事が待っている。部屋で適当に時間でも潰していようかと思ったのだが、彼女の提案で、魔王としての仕事を隣で見ることとなった。要するに、彼女の仕事部屋に居ればいいらしい。


 魔王の執務室に着くと、中では彼女の側近であるミレーナが働いていた。蛇の血を引いているらしく、全体的に細い印象を受ける。一度会ったことはあるが、面と向かって話したことはなかった。前回会った時は俺がアナスタシアにこの部屋に連れ込まれたときで、その時のミレーナは気を利かせていつの間にか部屋を出ていたのだ。


「ミレーナ、ウィルのために飲み物を用意してもらってもいいでしょうか?」

「ターシャ。さっきヴィルヘルミーナ様に出して頂いて飲んだから、飲まなくてもいい」

「………わかりました、ではその通りに」


 ミレーナが頭を下げて部屋を出て行こうとする。彼女としては気を遣っているのだろうが、アナスタシアがそれを引き留めた。

 アナスタシアが今日ここにいる理由は純粋に仕事をするためだ。ミレーナがいないと出来ないことも多かった。


「ウィルにはここにいてもらうだけですから。ミレーナにはいつも通り仕事の手伝いをしていただきたいです」

「分かりました」


 訝し気な様子でミレーナがこちらに視線を向けて来る。取り敢えず会釈をしたものの、彼女の表情の真意は分からなかった。


 アナスタシアが真剣に書類に向かい合い始める。

 魔王の仕事と言えばもう少し外に出ての挨拶などが多いのかと思っていたが、案外そうでもないらしい。事務的な仕事を主に扱っているように見えた。

 人族の側では王は象徴的存在だった。民の希望の拠り所であり、何かと人の前に立って話すことが多い。示威行為こそが仕事の本質であり、実務的な内容は部下に全て投げるのが一般的だった。人族と魔族の差だろう。どちらが良いとはっきりは言えないが、自分には首領として優秀な者が立っている魔族の方が好感が持てた。


 座っているだけですることはないのだが、思っていたよりも暇することはなかった。アナスタシアが真剣に考え込んでいる姿というのは見ていて気分がいい。ソファに深く腰掛けた状態で、書類を真剣に覗き込む彼女の顔を見る。時折髪を耳に掛けたり、下唇を噛んだりしながら、彼女は書類を片付けて行った。

 集中しているときは周囲が見えなくなるらしい。普段の隙の無い様子よりも、色々な姿が見れて新鮮だ。


 アナスタシアが視線に気が付いて恥ずかしそうに視線を逸らすまで、その様子を眺め続けた。

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