第13話 太陽の翳る時

 いつものように朝の光で眼を覚ましたロードは、自分が床の上に広げたシーツの上で寝ていることに気づいた。

 体を起こすと、すぐ隣のベッドの上で静かな寝息を立てている人物が目に入る。本来はここに居るはずのない人物だったが、すぐに、前日の記憶が蘇ってくる。

 (…そうか、そういや昨日、ハルが突然やって来たんだた…)

突然現われたハルを、そのまま帰すわけにも行かず、家に泊めることにしたのだった。


 というのも、ここからマルセリョートまですぐに帰れる扉が、今は繋がれていないからなのだった。

 魔法の練習のためマルセリョートに通っていた時に使っていた扉は、西への旅に出る前にレヴィに解除してもらっていた。不在の間に、家の鍵を預けられたオリーブ絞り工場のおかみさんが、何かの間違いで扉を開いて、見知らぬ場所に放り出されたら気の毒だと思ったからだ。

 だからここから島までは、また、"泳いで"帰ってもらうしかない。だが、”西の鴉”ことリューナスが近くにいる以上、ハルは、ロードから離れるのは嫌がるだろう。

 (…レヴィに相談したほうがいいな。塔からの扉は、今ならポルテに繋がってる。後で行ってみよう)

ハルはよく眠っていて、多少のことでは眼を覚ましそうに無い。


 起こさないよう音を忍ばせて身支度を整えると、ロードは、階下の台所を覗いた。

 台所はしんと静まり返り、まだヒルデも起き出してきていないようだ。仕方が無い。机の上に出かけてくるというメモ書きを残しておいて、外に出た。


 丘をとりまくオリーブの枝ごしに射して来る気持ちのいい日差し。よく晴れた冬の朝。

 昨日の出来事は嘘のようだ。<影>が近くに来た時の、ぴりぴりするあの感覚は感じない。

 けれど、多分"西の鴉"はまだ近くにいる。――そんな予感がした。




 丘を降りて最初に向かったのは、ガトの家だ。朝もまだ早い時間で、家は静まり返っている。案の定、扉を叩いても返事は無い。

 「先生? それか、シャロットさん」

エベリアの町が焼けていらい、シャロットは、ガトの家の物置を寝室に改造して寝泊りしているはずだった。だからガトがまだ寝ていてもシャロットは反応すると思ったのだが、いっこうに返事は無い。

 (昨日、あれから戻ってないのかな…)

最後に見たのは港の軍船の前だった。


 あとで家に行く、と言っていたわりに、結局シャロットはたずねてこなかった。あのあと、何か急な用事が入ったのかもしれない。

 (どうせ、これから港に行く。ついでに探してみるか)

レヴィが塔と<扉>を繋ぐためにポルテに借りたあの宿は、ロードの馴染みの船長であるアゴスティニの親戚が経営している。部屋に泊まっているのは友達だからとでも言えば、レヴィの借りた部屋の鍵くらいは貸してくれるだろう。


 振り返って家のある丘のほうをちらりと見てから、彼は港への道を歩き出した。――少しの時間だ。ハルがいくら心配性だといっても、さすがに、追いかけてくることはないはずだった。




 「ぶっ」

それから少し後、塔を訪れたロードからハルが村に現われたことを聞いたレヴィは、思いっきりお茶を噴出した。

 ポルテの港町はよく晴れた小春日和だったというのに、"風の塔"の周囲は酷い吹雪で、窓の外は真っ暗だ。

 朝食中だったレヴィは、口元を吹きながら信じられないという顔でロードを見上げた。

 「ハルが自分で陸に上がるって、…お前それ、鯨が二足歩行するようなもんだぞ。また短期間に急激に進化したな」

 「おれもびっくりしたよ。けど、多分それだけ切羽つまってたんだと思う」

笑い事だが、笑い事ではない。

 広い食堂に、今日は二人だけだ。

 ユルヴィもリスティも、まだ姿を見せていない。レヴィは、自分でお茶を入れて朝食の準備をしたらしかった。


 太陽石の輝きが照らし出す塔の内部は、外が吹雪のせいもあって、いつもより暖かく、落ち着いて感じられる。

 「で、なんだって? 人間だったものが<影>…みたいなものに成る? 世界の法則に逆らう? そんなことが…うーん…。で、あの"鴉"、お前に、自分はリューナスだって名乗ったんだな。」

 「ああ。魔法全書の著者だ、って。嘘をついてるようには思えなかったよ。てことは、お前も知ってるのか?」

 「一応な。むかし、ジイさんの講義を受けたときに魔法史で最初に習った。ジイさん一応、元はノルデンの魔法使いだからな。そのへんの知識は多分、ユルヴィとも同じだろ。」

 「どういう人だったんだ? その…昔のことすぎてはっきりしないだろうけど」

 「んー、ま、一言で言うなら、よくいる”孤高の天才”だな」

頭の後ろで腕を組みながら、レヴィはさらりと、そんなことを言ってのける。

 「たった一人で魔法体系を組み上げ、誰にでも理解出来るよう可視化した。今ある全ての魔法はその本に由来する、と言っても過言じゃない。千年の間に新しい魔法も幾つか編み出されてはいるが、リューナスの理論付けた魔法体系から外れるものにはなってはない。最初から完璧な理論として現われた。

 …ま、その完璧さとは裏腹に、ちょいちょい書かれてる本人の自慢話とか、他人をバカにした文章とかがウザい、こいつ絶対友達いなかっただろ系のヤツだよ。」

散々な言われっぷりだが、あの痩せた神経質そうな男の姿は、レヴィの評が納得できる雰囲気を持っていた。

 「本人は、他の著作は全部処分されたとか言ってたけど、そうなのか?」

 「聞いたこと無いな。ま、よっぽど人の悪口書きまくってたか、危険思想だったってことなんだろ。その、”楽園”の話とか聞くにさ」

 「…どう思う? レヴィ。あいつは、本当に、そのリューナス本人だと信じられるか」

 「本人だと思ったほうがまだ納得できる。千年前の天才魔法使い、別の意味での”お伽噺”みたいなもんだ。ぼくら”賢者”が束になっても敵わないなら、そのくらいの相手であってもらわなきゃ逆に困る」

確かに、魔法の理論を組み上げた”天才”本人だとしたら、何種類もの上位魔法を操って見せるのも、レヴィやハルのような魔法使いを手玉に取れるのも当然、ということか。

 「とりあえず、ハルのとこに行こうぜ。話はそれからだ」

 「…そうだな」

立ち上がって、レヴィは食器を取り上げた。残りのお茶を飲み込んで、それを流し台に持っていくつもりのようだ。

 「そういえば、出かけるってリスティさんに言わなくていいのか?」

 「ん、まあ。邪魔しちゃ悪いだろ」

 「…邪魔?」

 「昨夜はユルヴィと一緒だったんだよ。ま、いいだろ。そういうとこは。行こうぜ、ほら」

言いながら、彼は台所の扉を開ける。どうやら新しく扉を繋ぐことはせず、ポルテから普通に歩いていくつもりのようだった。

 次の瞬間には、ロードとレヴィは、たった今、滞在先の宿から出てきたかのように、ポルテの町の高台に佇んでいた。




 村に戻ってみると、ロードの家の前がちょっとした騒ぎになっていた。村人たちが集まって何やら盛り上がっている。

 「なんだよ、これ」

 「あ! ロード、どこに行ってたんだい」

たっぷりとした体をゆさぶりながらオリーブ絞り工場のおかみさんが、人ごみを抜けて近づいてくる。

 「あんた、お父さんが来るなんて昨日一言も言ってなかったじゃない」

 「え? おとう…」

人ごみの中に視線をやったロードは、真っ青になった。

 「…ハル! 何やってるんだよ」

 「なに、って」

何故か鍋を手にしたハルが、きょとんとした顔を上げる。

 「見てのとおり、穴のあいたお鍋を直してたところだけど」

 「いや、何でそこで鍋?」

 「うちの鍋ですよ」

振り返ると、村長の奥さんが腰を曲げて、にこにこ笑っている。

 「ものを直すのがお得意だと聞いたもんでねえ。最近の鍛治屋さんは火も起こさずに直せるなんて、すごいわねえ」

 「おばあちゃん、それ魔法っていうのよ」

サーラが苦笑している。それから、意味深な視線をロードのほうに向けた。

 「すごいじゃない、お父さんって魔法使いだったの? ってことは、ロードのナイフ投げって、やっぱりあれも魔法だったり?」

 「違う。」

ロードは、口を尖らせた。

 「的に当てるのはおれの実力。魔法なんか使ってないからな」

 「ふーんそうなんだ。でも、今までどうして黙ってたの? いつお父さんのこと知ったのよ。誰も知らなかった」

 「…最近だよ。旅の途中で、たまたま見つけて」

サーラはいつも、答えにくいこともずばずばと聞いてくる。


 けれど、今ここにいる村人全員が、同じことをロードに聞きたいはずなのだ。見知らぬよそ者に――突然現われた村人の身内に興味を持って――、でなければ、こんなに人が集まってくるわけがない。

 「ハル、ちょっと話がある。」

 「判ってる。これだけ終わらせたらね。…よし、出来た」

ハルが新品のようにぴかぴかになった鍋を差し出すと、おおーっという歓声と拍手が起こった。老婆は驚きながらも嬉しそうにそれを受け取って、お礼を言いながら、孫娘に連れられて丘を下ってゆく。




 野次馬の村人たちが去っていくのを見送りながら、ロードは、ほっと胸を撫で下ろした。

 「さて、と」

いつの間にか、レヴィが二人の間に立っている。

 「色々細かいこともあるが、そこらへんはまぁ後でいい。話したいのは――」

頷いて、ハルは視線を遠くにやった。

 「”鴉”のことだね。補足してるよ。今、エベリアにいる」

 「ほー、そりゃまた挑戦的だな。ここから近い」

 「奴は何故か、あの周辺から離れようとしないんだ」

家の中に入ると、ちょうど台所でヒルデが、朝食の片付けをしていた。

 「外の騒ぎ、収まったみたいですね」

 「ああ、なんとか。どうしてこうなったんだ?」

 「ごめんなさい…、朝の支度をしていたらサーラが来て、ハルさんのことで嘘はつけなくて…。ロードさんのお父様だって説明したら騒ぎに」

 「ヒルデのせいじゃないよ。」

ハルは飄々とした表情で言い、窓際の小さな椅子に腰を下ろした。

 「ロードがずっとお世話になってきた人たちなんだし、いつかご挨拶してみたかったんだ」

 「ま、島に引きこもってるよりはずっといいさ」

レヴィも、適当に食卓の下から椅子を引っ張り出して腰を下ろす。

 「で…」

 「うん」

僅かな、お互いの出方を伺うような間ののち、ハルのほうが口火を切った。

 「――あれからもう一度、調べなおしてみた。でも間違いない、人間は<影>とは一体化できない。世界の仕組み上、そう設定されている」

 「というと?」

 「”海の賢者”の象徴は”星”。星に関する内容は、僕の管理する分の呪文の中に書かれている。人と天の星々は一対一で結ばれていて、闇の中にあっても常に光の一部なんだ。だから人は、決して<影憑き>にならない。、と行ったほうが正しいか」

 「あいつはそれを、”この世界の”法則に過ぎない、と言った」

ロードが口を挟む。

 「実際に、起こらないはずのことが起きてる。”創世の呪文”が一つの魔法に過ぎないのなら、あいつは…リューナスは、別の魔法を編み出したってことじゃないのか?」

 「それは、この世界の存在ではなくなるということだよ」

 「<影>になった、ってんなら、その通りだよな」

ハルは、困ったように二人を見比べる。

 「僕は…受け入れられない…」

 「だとしても、現実に成し遂げた奴がいる。”どうやって?”とかいうのは後回しだ。あいつは、『世界の法則を書き換える』、もしくは『世界の法則の外側に出る』方法を見つけたんだと仮定しようぜ。

 ついでに言うと、テセラがやろうとして失敗したことだって、世界の法則の変更だ。テセラは、この世界ごと書き換えようとして魔力不足で失敗したが、あいつはもっと巧くやったってことなんだろう」

 「”賢者”でもない普通の人間に、そんなことが出来たなんて考えにくいよ」

 「それなんだけどな。」

レヴィは片手で机に頬杖をつく。

 「考えてたんだが、あいつ、どうやって最初に魔法を学んだんだ? 実は”賢者”の近くにいたんじゃないのか? でなきゃ千年前の、魔法使いのほとんどいなかった時期に『魔法全書』なんて書けねぇだろ」

 「…それは、つまり…」

 「当時の”賢者”だって、後継者くらい準備しといたはずだ。で、弟子にはそれなりのことは教えとくだろ? その弟子が師匠より才能ある天才で、教わった知識を余計な方向に使ったら、どうなるかって話だよ。」

 「……。」

ハルは腕組みをして考え込んでしまった。

 「確かに…ありえる、けど」

唸るように呟いたきり、考え込んでしまう。

 「”風の賢者”の後継者は、わりと見つかりやすい。っていうか、条件自体はそんなに厳しくない。ぼくの兄弟子たちの惨状は知っての通りだ、ハズレもそれなりに紛れ込む。

 ――あいつが本物のリューナスで、『魔法全書』の著者だったとして…正体として考えうる最適解は、”かつてルーアンの弟子だった”、だ。」

 「確かめる方法が必要だけどね」

と、ハル。まだ、信じたくないというような口調だ。


 そこへロードが、再び口を挟んだ。

 「そっちは結論を出すのに時間がかかると思う。それより先に、もう一つ、ハルに急ぎで確かめたいことがある」

 「何?」

 「西の方からアステリアに向かってる避難民がいる、って話。昨日、マルセリョートに行ったのは、それを確かめてもらうつもりだったんだ。」

 「避難民…ああ」

ハルは遠くに視線をやり、数秒、どこかを見つめていた。

 「…ずいぶん人数が増えてるみたいだ」

 「そいつら、どっから来てるんだ?」

とレヴィ。

 「あちこちから…、より正確には戦火の広がったすべての地域から。」

ハルは、明瞭に答える。

 「規模は千人位かな。ほとんどが魔法使いだね。面白いな、皆、同じ波長の魔石を持ってる。」

 「…それ、まさか」

ロードとレヴィは顔を見合わせる。

 「”鴉”の福音とやらを受け取った連中…?!」

 「たぶんね。進行方向は同じ方角だ。このまま進めば…ああ、エベリアか。なるほど。」

 「あいつの信者どもが、エベリアに集合するつもりだっていうのか? 何で、また…」

 「取り合えずこれで”鴉”がエベリアから動かない理由は判ったな。」

苦々しい笑みを浮かべて、レヴィは足を組んだ。

 「――なあ、ハル。やっぱ、あの城、なんかあるんじゃねえのか?」

 「あの、それなんですが…」

黙って聞いていたヒルデが、おそるおそる口を開く。

 「ずっと気になっていたんです。あのお城について最初に聞いた時、”城の奥には別世界に通じる扉があるともいわれる”って、確かガト先生が仰っていませんでしたっけ?」

 「……。」

 「……そう…か」

おぼろげに記憶が蘇ってくる。ロードは、腕に嵌めた腕輪の青い石を見下ろした。


 ”賢者の眸”、”三賢者にまつわる宝”、”異世界への扉”。

 最初から、全てのヒントは出揃っていた。それなのに、観光地のでっち上げの言い伝えだと、あのときは聞き流していた――。


 「あいつの言う”楽園”への入り口ってのが、エベリアにあるのなら…。」

 「…おい、ハル!」

レヴィが身を乗り出す。

 「あそこには大量の<影憑き>が湧いてた。あの時は何も異常無かったよな? 今は?」

 「……。」

じっと虚空に目を凝らしたまま、千里眼の持ち主は何かに意識を研ぎ澄ましている。

 「…最下層に妨害がある。何かの魔法。おそらく”鴉”だと思う。はっきりとは見えないけど何か異変が起きてることは間違いない」

 「ああもう。くっそ、こんな近くで…」

黒髪の魔法使いは頭を抱える。

 「”鴉”にたぶらかされてる連中の到着は? いつだ」

 「何人かはもう、国境まで辿り着いてる。軍に止められてはいるけど、後から続々と押し寄せてるからね。そのうち突破されると思う」

 「国境からエベリアまでは、街道沿いに徒歩三日ってところだ」

と、ロード。

 「エベリアに集結されるまで、あと一週間もないな。あいつのやろうとしているのが具体的にどういうことなのかは分からないけど、止めたほうがいいのは確かだ」

 「当たり前だ。<影>にしろ<影憑き>にしろ、そんなもん大量生産されちゃ困るんだ。この件、フィオにも――」

椅子から立ち上がりかけたレヴィが、ふいに自分の胸のあたりに手をやった。その動作に気づいて、ロードは視線を向けた。

 「まだ、調子悪いのか」

 「ああ。このあたりがザワザワするのがずーっと続いてる。嫌な感じだ、何かにかき回されてるみたいな。けど、ハルやフィオは何も感じてないらしいし…。」

 「世界に異常をもたらすような何かなら、”創世の呪文”の本体に異変が出る。僕らにも何か伝わってくるはずなんだけどね」

 「レヴィだけ、か…。」

理由は分からないが、少なくとも、動けないほどの何かではないらしい。原因も分からないのでは、対応のしようもない。


 その時だ。小さくうめき声わ上げて、黒髪の魔法使いがテーブルの上に突っ伏した。

 「レヴィ!」

それと同時に、部屋の中がふっと暗くなる。

 一瞬、窓の外を何かが過ぎったのかと思ったが、違っていた。窓の外には何も無い。空自体が暗いのだ。

 外に飛び出したロードの目の前で、まだ朝のはずの視界が急速に黄昏時へと変わっていく。 その原因が、太陽の輝きにあると気づいたとき、彼は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


 輝きが…影っていく。


 実際の時間は、ほんの僅かだったはずだ。

 けれど、当然あるべき光と熱の消えたその一瞬は、まるで、永遠の闇のようにも思われた。

 ゆっくりと世界に輝きが、熱が戻って来たとき、ロードは思わず大きく息を吐いた。知らず知らずの間に息を止めていたらしい。

 部屋に戻ると、ヒルデに支えられたレヴィが椅子に戻ろうとしているところだった。

 「大丈夫か」

 「ああ、けど…一体何が」

彼は、まだ胸のあたりを抑えている。

 「太陽の光が消えたんだよ、一瞬だったけど。何が起きたんだ?」

 「太陽…?」

ハルが険しい表情になった。

 「”風の賢者”の象徴は”太陽”。太陽の輝きを司る内容は…」

ロードも気が付いた。

 「…レヴィの管理してる部分の呪文の中に書かれている」

 「あの野郎、管理者であるこのぼくの権限を飛び越えて、呪文本体に干渉してきやがったっていうのか?!」

拳で机を叩いて、レヴィは唇の端を噛んだ。

 「ふざけた真似を」

 「つまりさっきのが、奴のいう”真昼が夜になる時”、ってわけだ。――レヴィが呪文の管理者権限を奪われるか、太陽の輝きに関する部分を完全に書き換えられるかするとその時が訪れる」

 「くっそー、どこまでもナメやがって、あのxxxx野郎!」

レヴィは、天井に向かって聞いたことも無いノルデン訛りの言葉を怒鳴った。あまり見ない彼の姿に、ロードも、ハルもきょとんとしている。言葉の意味が判ってしまったのか、ヒルデだけは、耳のあたりをかすかに赤く染めている。

 「…っと。悪ぃ、毒づいたってどうにもならねぇな」

咳払いをして、黒髪の魔法使いは真面目な顔になった。

 「力づくで仕掛けても勝てそうにない、ってことだけは確かだな。」

 「”鴉”が、かつて”賢者”の弟子だった説、疑っていたけど今ので少し信じる気になったよ」

ハルが、静かな口調で言う。

 「もし元が”風の賢者”の弟子だったとしたら、レヴィの管理している呪文に干渉できる理由も察しがつく。…かつて近くにいて、内容を知り尽くしているからだ。」

 「ふん、つまり、奴もぼくの大先輩ってわけか。」

 「君だけじゃない。僕ら”賢者”そのもののね。僕だってたかだか百五十年だ。千年の経験値には、そう簡単に勝てそうにない。」

 「じゃあ、一体どうすればいいんですか」

ヒルデは両手を握り締めたまま、三人を見回した。

 「レヴィ様以外に、一体誰が…?」

 「……。」

沈黙が落ちる。

 たとえフィオを加えたところで、勝ち目があるとは言えない。




 だが、その沈黙は、突然にして破られた。

 誰かが扉を勢い良く叩いている。ヒルデが出ようとするのを手で制して、ロードが玄関に立つ。

 扉を開けると、立っていたのはシャロットだった。

 「こーんにちはー。いま家にいるって聞いたから来てみたんだけど~」

いつもと変わらない調子の声と鮮やかに揺れる頭のリボンが、今までの重苦しい空気を一気にぶち壊す。

 「今朝、ガト先生のとこに来てくれたりした? ごめんねぇー、ちょーっと急用でバタバタしちゃってて。何か用だったかなって」

 「あ、いや…昨日、聞きたいことあるって言ってたから…」

 「あーそうなんだ! ぜんぜん急ぎじゃなかったのに、悪いことしちゃったわねぇ~。」

思わず苦笑いが零れてくる。

 たった今、太陽の輝きが消えるという異常事態が起きたばかりだというのに、シャロットの調子があまりにいつもどおりで、今まで考え込んでいたのが馬鹿馬鹿しくなってきたのだ。


 そう思った瞬間、ロードの思考の中に、星が弾けた。

 「…そうか。<王立>にも魔法使いがいる」

 「え?」

 「シャロットさん、力を借りられませんか? 説明が難しいんですけど、西の方で暴れてる”鴉”を何とかしたいんです」

 「はあ?!」奥の部屋からレヴィが飛び出してくる。「おい、ロード! 何言って…」

 「おれたちだけじゃ間に合わないだろ? だったら借りられる手は全部借りる。四人でだめなら十人だ」

 「いや、数集めりゃいいってわけじゃ…」

言いかけたレヴィは、ロードの眼差しに気づいて、口をつぐんだ。

 「何か、案があるんだよね?」

部屋の中から、ハルの声が響いてくる。

 「それなら僕は、ロードに従うよ」

 「ちょ、ハルまで…」

 「え、えーっと、話がよく見えないんだけどぉ」

シャロットは、首を傾げながら面白そうな顔をしている。

 「もしかして―…今回は、仲間に入れてくれたりする?」

 「今回?」

 「前に世界が真っ暗になったときよ。あの時は、ロードくんとフィオちゃんが走り回ってるのを見てるだけだったから。」

白ローブの女性の眼が、意味深に輝く。

 「さっき、空がまた一瞬暗くなったことに関係してたるするんじゃぁい?」

 「…気づいてたんですか」

 「ふふー、そりゃーねー。」

 「…はぁ」

レヴィは大きく溜息をつきながら、視線を逸らした。

 「判ったよ。で、何すればいい?」

 「まずは――。」

確実な勝算があるわけでは無い。けれど少しでも確率を上げられるのなら、使える手段は、すべて使うしかないのだ。

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