第6話 災いは黒き翼とともに

 それから何日もかけて、ロードは、合計十頭ほどの鹿を狩った。


 二日目からはシグマが積極的に協力して、鹿の追い込みをやってくれるようになったので楽だった。狼に変身した彼は、猟犬以上に役に立つ。

 もっとも、二頭目以降に狩りに成功したのは雄か、子供を連れていない雌ばかりだったから、シグマは意図的に小さな子鹿を連れた親を逃がすために協力したのかもしれなかった。


 ともあれ二人で協力した獲物のお陰で、仮ごしらえの村にいる全員がしばらく食べていけるだけの食料は集まった。解体した肉を使って料理をつくるのは、もっぱらフィオとヒルデの役割だ。

 「鹿肉入りのスープだよ~、はい順番ねー」

村の真ん中に鍋を置いて、フィオは今日の夕食を配っている。いい匂いが辺りに漂い、火を囲んで子供たちがお椀を傾ける。


 束の間の平和な風景、と言うべきか。

 子供たちの無邪気さとはうらはらに、大人たちは、心配そうな顔で何か話し込んでいる。そのうちの一人が、焚き火から離れたところに立っていたロードのところへ、おそるおそる近づいてきた。

 「あのう、魔法使い様」

数秒の間。

 「…え? おれ?」

ロードは、ようやく自分のことらしいと気づいて慌てて振り返った。そんな呼ばれ方をしたことは今までに一度も無い。

 「はい、あの、魔女様からちらっと伺ったんですが、東のほうからいらしたとか…」

あまりにへりくだった口調に、ロードは思わず頭をかいた。

 「まあ、家があるのはそっちだけど。どうかしたのか?」

 「安全な道は…どこか戦争に関係なく住めそうな場所、ありましたでしょうか…。」

ああ、そうか、と彼は思った。

 この人たちにとって、"魔女の森"シルヴェスタは、戦火から逃れるための一時の避難所なのだ。いずれは、定住できる安全な場所を探さなければならない。

 「ソランとここを繋ぐ街道は、それほど酷くはなかったな。おれが通った時は。…けど今は、どうなってるか分からない」

 「ソラン、…ですか」

 「少し前までは戦争にはなってなかったと思う。でもソラン自体狭い国だし、ちょっと遠すぎる。冬に移動するのは危険だ」

数十人の避難民たちの中には、子供も、赤ん坊を連れた母親も、老人もいる。街道をのろのろ進むような旅では、どっちへ向かっても安全には逃げられまい。

 (…これは、レヴィの出番かな)

レヴィの持つ力なら、何人でも、どこへでも、扉一つで自在に移動させることが出来る。

 「焦らずに、しばらくはここにいればいいと思う。フィオだって、ずっと住まれるのは困るにしても、いきなりあんたらを追い出したりはしない。少なくとも、ここにいれば冬は越せる」

多分、そのうちレヴィがまたここへやってくる。世界中を巡っている彼のほうが、どこが安全な場所かはよく知っているはずだ。

 「…そうだ。あんたたち、どこかから避難してきたんだろ? "鴉"って魔法使いの噂、聞いたことないか?」

 「えっ」

たった今まで沈んだ顔でロードと話していた男の表情が、一瞬にして強張る。

 「知ってるのか?」

 「知ってますよ…見ましたよ、…」

声が上ずっている。

 「そいつが、村を…我々の村を焼いたんです」

 「村を焼いた?」

意外な情報だった。

 てっきり、戦場にだけ出没する謎の魔法使いだと思っていた。それなのに、そんな山賊まがいのことまでするなんて

 「村に魔法使いがいたんです。婆さんでしたが、目くらましの魔法で村を隠して、小競り合いに巻き込まれないようにしてくれていた。それを、あの魔法使いが突然襲ってきて…!」

男の声がつまり、涙が浮かぶ。口元を押さえて、男はロードから顔を隠した。

 「…婆さんが殺されて、村はあっというまに火に包まれて…、我々は逃げるしかなかった…」

 「悪かった、辛い話をさせて」

 「いいや。…あいつは、恐ろしい魔法使いだ。しかも他の魔法使いが嫌いなんだ。あんたも、気をつけたほうがいい。」

それだけ言って、男は重い足を引きずりながら仲間たちのもとへ戻っていった。ロードは、たった今言われたことを頭の中で反芻した。


 魔法使いを殺した? 他の魔法使いが嫌い?

 ”鴉”は、魔法使いを増やそうとしていたのではなかったのか?



 「はい、どうぞ。ロードさんの分ももらってきましたよ」

明るい声が、思考を途切れさせる。振り返ると、ちょうどヒルデが、両手にスープを持ってやって来る所だった。

 「ありがとう。…ここでの仕事は馴れた? フィオにこき使われてない?」

 「全然! 大変ですけどやりがいがあるし、それに、子供たちも可愛いし」

ヒルデは満面の笑顔だ。釣られて、ロードも頬を緩める。

 「冒険してるより楽しそうだな」

 「そんなことないですよ。ドキドキすることも大事! でも、ここじゃ自分が必要とされてる感じがするんです。今までそんなことあんまり無かったから…。」

昔の自分と同じだな、とロードは思った。

 以前の自分も、誰かの役に立つことがしたくて、がむしゃらに頼まれごとを引き受けてきた。けれどそれは、空虚さを埋めるための手段でしかなかった。足掻き続けた道は無駄ではなかったけれど、半分は、ただ逃げていただけだった。


 これから進むべき道――本当に自分がしたいこと。勢いだけで家を飛び出した少女も、いつかは大人として、自分の生きる道を見つけなければならない。

 たとえそれが、別れの時になろうとも。

 「――おれは、明日ここを発つ。ヒルデはここに残ってフィオを手伝っててくれ」

 「え?!」

少女が驚いた顔で振り返る。

 「どちらへ? 一人でアステリアに戻るんですか」

 「いや。”鴉”を探してみる」

 「それって…例の、謎の魔法使い?」

 「そう。レヴィやハルも探してるっていう話だけど、簡単には見つからない気がしてる。すぐに見つかるような相手なら、今までハルが気がつかなかったはずがないし」

ハルは、この戦争の始まりは分からないと言っていた。つまり、謎の魔法使いの存在には、気が付いていなかったのだ。

 ごく普通の人間に見えるのか、遠目には目立たないか。いずれにしろ、何か理由があるに違いない。

 「今までに聞いた話じゃ、そいつは戦場に出るらしい。おれ一人のほうが小回りが利く。それに、二人で出払ってしまったらフィオを手伝いに来た意味がないし」

 「…判りました」

ヒルデは、残念そうな顔で小さく頷いた。


 落ち込んでいるのは判っていたが、ロードは、意図的にその表情から視線を背けていた。ここから先は”冒険”ではない。付いてこられても、守りきれる自身は無かった。

 結局、彼女はそれ以上なにも言わなかった。

 「後でフィオにも話しておくよ」

会話はそこで途切れてしまった。

 必要なことは伝わったはずなのに、胸の奥のもやもやは晴れない。まるで邪魔だから残れと言ってしまったような気がして、もっと言い方はなかったのだろうかと、ロードの胸の中にはもやもやとしたわだかまりが、残り続けていた。




 食事の後、ロードは、何となく気まずいままフィオを探しに出かけた。

 仮ごしらえの村には見つからないところを見ると、自分の家のほうに戻っているのかもしれない。そう思って、彼は、森と村の協会になっている柵を乗り越えて歩き出した。

 フィオの小屋の近くまで来た時、彼は、茂みの中に揺れる小さな魔石の輝きに気づいて足を止めた。

 「…シグマか?」

この森の中で、自分以外に魔石を持っている人間といったら一人しかない。


 がさっ、と落ち葉の音。シグマが立ち上がるのとともに、闇の中に輝く二つの眼が首をもたげる。例の小鹿だ。鹿は、枝を組み合わせて作った小さな檻の中で首に縄をつけて座っている。シグマは、ここで鹿を飼うことに決めたようだ。

 「へえ、ちゃんと世話してるんだな」

 「……。」

少年は、黙って俯いている。その後ろに見覚えのある大樹の幹が見えた。どうやら茂みの先は、小屋の前にある広場の端の方に繋がっているらしい。

 「あれっ、ロードじゃない。どうしたの?」

フィオだ。手に草の束を抱えてやってくる。彼女はそれをシグマに渡しながら振り返った。

 「何か、用?」

 「明日からしばらく留守にするつもりなんで、それを言いに来た。ヒルデはここに残るよ」

 「え、どこ行くの? 食料の調達だったら、もう――」

 「”鴉”を探しに行くんだよ」

 「!」

言った時、小鹿に餌をやろうとしていたシグマが、はじかれたように顔を上げた。不安そうな顔だ。

 「でも、それならハルさんに探してもらえばいいじゃない? どうしてロードまで」

 「勘…かな、何となく。多分、遠くから見てるより実際に戦場に行ってみたほうが早い。それと、あいつが何をしようとしているのかを少しでも調べられたらと思って」

 「……黒い魔法使い」

押し殺したような声で呟くと、少年は、ぎゅっと胸のあたりで拳を握り締めた。二人は驚いて、そちらを振り返る。

 「知ってるのか?」

 「魔法の使い方を教わった…。それがあれば永遠の楽園にいけるって。約束の日は近いって…」

 「えっ何それ、聞いてないよ?」

フィオが声を上げる。

 「どーして先に言わないの!」

 「ごめんなさい」

少年は、しょんぼりと俯いていた。

 「魔法の使い方を教わった? それで?… そいつは、何て?」

 「もうすぐ約束の楽園への扉が開く…魔法を使えるようになれば、その向こうの世界に行けるって。そこに行けば、死ぬことも、苦しいことも何もないって…」

いつか、街道の酒場で聞いた話と同じだ。この辺りで流布している、”鴉”の吹聴する謎めいたお伽噺。

 「魔法を使えない人間はどうなるんだ」

 「言われなかった」

 「シグマ、そいつの言うこと信じたの?」

 「……。」

表情からして、少年が一度は信じたことが伺えた。

 だが、戦闘に巻きこまれ、一度は死を覚悟して、自分の無力さを思い知ったのだろうか。今は、信じていたことを悔いているようだった。

 「ばっかばかしい。死なないで済む楽園なんてどこにも無いわよ。ていうか、世の中の大半の人が魔法なんて使えないのに、ぜんぜん楽園じゃないよ。」

フィオはばっさりと言って、手を腰に当てた。

 「ほかにどんな戯言を言ってたの?」

 「あと…これをくれた…」

言いながら、握り締めていた手を開く。そこには、首から提げられるよう鎖をつけた、特徴的な形に削り込まれた真紅の魔石がひとつ乗せられている。

 何か、どこかで見たような記憶があった。それも、良い記憶ではない。胸の辺りがざわつく。この色…この石は…。

 「嫌な感じがする石だな。フィオ、別の魔石をあげられないか? この森ならいくらでも魔石があるだろ」

 「うん。あとで取ってくるね、それは捨てちゃお」

フィオは、少年の手からひょいと石を取りあげる。シグマは抵抗しなかった。今はもう、その石に未練は感じていない様子だった。

 「もし、おれが戻る前にレヴィがここへ来たら、”鴉”を探してるって伝えておいてくれるかな」

 「いいけど…どのくらい探すの? 言ったでしょ、この辺りもあんまり安全じゃないって。」

 「判ってる、そんなに遠くに行くつもりはないよ。一週間くらいのつもりだ。それに、本人が見つからなくてもいいんだ。やろうとしていることが何なのか探る。そのために、少し聞き込みをしてみたいんだ」

 「うーん、そっか。あんまり危ないことはしないでね? ロードに何かあったら、あたしハルさんに会わせる顔がないよ」

 「気をつけるよ」

ロードは、ちょっと肩をすくめた。

 「それにしても、魔法使いだけの楽園ねー。扉とか言ってるあたり中途半端にレヴィに似てるし、気持ち悪い偶然だね。何したいんだろう、その魔法使いって」

 (分からない)

…分からないが、嫌な予感がする。頭の中で、今までに聞いた幾つかの単語が無秩序に動き回っている。それらの組み合わせが時折、意識の奥底でゆらめきながら警告を発するのを、ロードはただ、もやもやした気持ちとともに受け取っているだけだった。

 (魔法が使えたって、万能になれるわけじゃない)

それでも、全くその世界を知らない人々にとっては、まるで人知を超えた力のように思えるのか。未知の力を手に入れるとき、まるで自分が万能になったかのように感じてしまうのか。

 少なくとも、そうだからこそ、突然魔法を使えるようになった人々は、今までにない破滅的な戦いを繰り広げるようになったのだ。


 だとしたら、西の国々で起きている今の戦乱の原因はやはり、魔石と魔法の教えを吹き込んでいる”鴉”なのではないか――ロードは、漠然とそう思うようになっていた。




 それから何日か後――正確にはシルヴェスタの森を離れて僅か二日で、ロードは戦場の真っ只中にいた。


 後ろから避難民たちに追い立てられるようにして真っ直ぐに進んでいたら別の戦線にぶつかって、前後を取り囲まれてしまったのだ。

 複数の勢力が入り乱れて戦っている場所では、周囲の全ての集団が敵だ。斥候がうまく機能していないか、戦線の変化に伝令が間に合っていない。

 周囲をじめじめした沼地に囲まれた、古い石造りの塔の中に息を殺して隠れている住人たちに交じりながら、ロードは、外の様子を伺った。


 ドォン、と鈍い音とともに、塔が軋んで天井からぱらぱらと埃が落ちてくる。

 小さな悲鳴が幾つか上がったが、大半は、疲れきって声を上げることも出来ないでいるようだった。沼地の向こうにいる勢力が、こちら側にいる勢力に向かって鉛の球体を打ち込んできている。こちら側の勢力も同様だ。頭上を飛び交う球体は、当たったら致命傷になることを除けば、まるでキャッチボールのようだ。


 ロードは塔の石壁に手をやって、球が当たっても石が崩れ落ちないよう念じているので精一杯だった。へたに手を出したら、以前ヒルデと学者の家を目指したときのように、何が起きるか分からない。

 「今戦ってる連中、どこの勢力でしたっけ?!」

外の喧騒に負けないよう、怒鳴るようにして尋ねると、隣で外の様子を伺っていた強面の男が、同じように怒鳴って答える。

 「王党派と国民自由党さ! クーデターで王政を廃する予定だったんだ。そこに隣国の軍隊が乱入してきて…」

再び、鈍い音。飛び交う球のうちの一つが塔のどこかに命中したらしい。全体が大きく揺れ、石のかけらが窓の外に落ちていく。帽子を押さえながら、男は小さく舌打ちした。

 「あんな時に都合よく乱入してくるなんざ、きっと国内に隣国の密偵でもいたんだろうよ! お陰で三つ巴になって、半年ずっとこのザマさぁ。決着なんてつくわけねぇ。今年は小麦を撒く時期も逃しちまったし、来年はどうなるんだか!」

 「それでもまだ、畑が無事ならね!」

後ろから、幼い子供を抱きしめた女が叫ぶ。

 「あいつらに踏み荒らされて、おまけに鉛球やら死体やら転がってるんだよ! 元通り作物が作れるようにするのに、どれだけかかるもんかね」

 「せめて魔法使いが居なけりゃあなあ」

男は、憎憎しげに窓の外の、空を飛び交う鉛の球体を見上げた。魔力を使って飛ばしているのだ。

 ノルデンの信号弾と基本的な仕組みは同じで、筒に詰めた球を魔力で発射する、道具の補助に魔力を使っているようなもの。

 それなら、大して練習しなくても、ある程度魔力を使えるだけでも即戦力として前線に出られる。熟練の魔法使いの多いアステリアやノルデンでは使われることのない道具だが、急ごしらえの魔法使いの多いこの辺りの地方では、十分に実用範囲のようだった。

 (…まあそれでも、狙いの範囲が定まらないおれなんかよりは…)

そう思った時、壁のど真ん中に鉛球が突っ込んできた。


 壁から石の破片が飛び散って、近くにいた何人かが悲鳴を上げた。

 はっとしてロードが振り返るのと同時に、その石が小さく砕けて舞い落ちる。ロードがやったのではない。

 そのとき彼は、今まで気づいていなかった、一人の痩せた女性に気が付いた。

 「あんた…魔法が使えたのか」

きつい灰色の眼をした女性は、うっすらと口元に笑みを浮かべる。首の辺りに確かに、小さな魔石の輝きがある。

 格好からして塔の中に避難している住人たちの仲間であることは間違いなさそうなのだが、なぜか誰も、話しかけようとも、目を合わせようともしない。それどころか助けられた人々がお礼も言わず、そそくさと離れてゆく。

 (魔法使いが嫌われてるのにしても、ここまで…?)

 「あの女は、ちょいとばかり気がふれちまっててな」

ロードが不思議そうな顔をしていたからだろうか、傍らの強面の男が、そっと囁いた。

 「半年前の衝突で、旦那と息子を亡くしちまったんだ。それからだよ、何だか怪しげな教えに傾倒しちまってさあ」

 「怪しげな教え?」

 「ああ、鴉様が救ってくださるだとか、もうじき罰が下るだとか…」

 (…”鴉”?)

次第に戦闘の音が遠ざかっていく。球が尽きたのか、魔力切れか、いずれにしても今日はこれ以上の戦闘は無さそうだ。

 ほっとして肩の力を抜くと、男は、塔の中に身を寄せ合っている人々のほうを振り返った。

 「もうしばらくは動かんほうがよかろう。夜を待ってから村に戻るぞ。」

疲れ切った、だが安堵の声があちこちから漏れる。


 ロードは、それとなく、端の方でうっすらと笑みを浮かべたままの女性のほうを見やった。彼女一人だけ、恐れも、疲れも、憤りも覚えていないようだった。ただ恍惚とした表情で、どこか中空を見つめている。

 「…あんた、”鴉”に会ったんだって?」

ロードが話しかけると、女は、視線だけを動かした。

 「おれも会いに行きたい。どこに行けば会える?」

 「何、あんた」

 「魔法使いみたいなもの、かな。これしか出来ないけど…」

ロードがナイフを宙に浮かせて見せても、女はあまり興味を示さない。

 「色んなところで話を聞いたんだ。…楽園に行ける、とか何とか。あんたも、その話を聞いたんだろう?」

 「ええ。私は、鴉様から楽園に入る資格をいただいたの」

胸の辺りで拳を握り締める。そこに見えている小さな魔石の輝き――多分、シグマが持っていたものと同じだ。

 この女性も同じように石を貰い、魔法の初歩的な使い方を教わったということか。

 「その、楽園って?」

 「あらゆる苦悩から解き放たれた場所よ。死も老いも飢えもなく、死せるものたちとも自由に再会できる場所。別離の苦しみとは永遠に無縁の場所…」

 (だから、この人はそれに縋ったのか)

聞いているうちに暗い気持ちになってくる。


 


 つまり、死んでしまった夫や息子にも会えるはずだということ。

 この女性が見知らぬ魔法使いの甘言を受け入れたのは、そういうことなのだ。戦乱に巻きこまれ、家族を失った悲しみを紛らわすため、…もっと正確には逃避するために。

 (そして、そいつの言うとおりにすれば確かに魔法が使えるようになったわけだ。…だから傾倒したのか)

 「最初から魔法が使える者は、その楽園には行けないのか?」

 「さあ。鴉様が認めて下さるかどうかね。」

 「どこに行けば会える?」

 「……。」

女は、じいっとロードを見つめた。

 「知りたいんだよ。その楽園がどんなところなのか。この世界より本当にいい場所なのか」

 「…本気で言っているの?」

 「じゃなきゃ、わざわざこんなところまで来たりしない」

しばしの沈黙。

 女は、小さく溜息をついて、灰色の眼を虚空に向けた。

 「”真昼が夜になる時、新たな世界の扉は開かれる”」

 「…何だって?」

 「”千年の時を経て、あらゆる苦しみからの救済が人に訪れる。大いなる福音は、受け入れるもの全ての上に聞かれるだろう”」

結局、聞けたのはそれだけだった。

 あとはよく分からない単語の切れ端をぶつぶつと呟くだけで、女の意識は、どこか遠くへ行ってしまったようだった。


 けれどロードには、分かった内容だけでも十分に意味があった。

 彼女が”鴉”に従うのは、どんなに怪しげでおぼろげだったとしても、それが、失った家族ともう一度出会える可能性をもつ、唯一にして最後の希望だからなのだということ。

 おそらく、”鴉”に傾倒する魔法使いが増えているのは、戦争が広がって悲しい出来事に出くわす人々が増えていることと連動しているのだ。




 あちこちの戦場や紛争跡を辿って聞き込みを続けるうちに、少しずつ判ってきたことがあった。


 ”鴉”が戦争を引き起こす張本人だという推測は、間違い無さそうだということ。

 敵対しあう隣国の片方に致命的な情報を漏らす。あるいは、戦争に勝てると錯誤するだけの戦力を一時的に与える。要所にある町を破壊する。堰を破る。


 その一方で、災いに飲み込まれ絶望する人々の中から魔法の才能を持つ人間を見つけ出しては、魔石を与え、初歩的な魔法を教え込む。


 ――いや、”初歩的”というにはあまりにも実践的な…まるで、刃物の扱い方もまだ知らない子供に、いきなり剣を与えるようなやり方だ。


 当然、その剣で自らを傷つけてしまう者も、身に過ぎた使い方で命を落とす者もいる。けれど”鴉”にとって、多少の犠牲は許容範囲らしかった。魔法使いが増えたことによって戦線が拡大するのも、結局は計画の想定のうちらしい。

 より多くの絶望した人間が生まれれば、”福音”を受け入れる駆け出し魔法使いの数は、さらに増える。

 (つまり…自分の国を作りたいってことなのか?)

歩きながら、ロードは考える。

 楽園、というのが、これから作られる魔法使いだけの国だというのなら、それもありそうだった。

 だが、それだけなら、シグマのような子供にまで魔石を与えて勧誘しなくても良さそうなものだった。それに「千年の時を経て」とか「扉が開かれる」とかいう部のも謎だ。千年前というと、調査中のエベリアの遺跡のことがどうしても引っ掛かる。

 (どうして、そんな昔の話になるんだ? 誰も覚えていないような昔の話なのに…)

作り話をするならば、せいぜい数百年くらいにしておけばいいようなものなのに。

 千年も昔の話だと、聞いたことがあるのはノルデンの大昔の魔女の伝説くらいだが、まさか関係があるとも思えない。


 フィオに告げた一週間の調査期間は、あっという間に過ぎ去ろうとしていた。

 核心に迫れたような迫れていないような、消化不良な気持ちを抱いたまま、ロードは、そろそろ森のほうへ戻る時期だと考え始めていた。

 シルヴェスタからあまり遠ざかりすぎると、戻るのも容易ではなくなる。それに、これまで分かったことだけでも、十分に手がかりに成り得た。

 戦火の広がり方は異常だ。それについて、いったん戻って、仲間たちに相談もしたかった。




 人のいない街道に沿って歩いていたロードは、白い息を吐きながら足を止めた。

 行く手には、荒涼とした平原だけが広がっている。遠くの方に農家が見えるから、もとは畑か何かだったのだろう。しかし今は何の作物も植えられないまま、今はただ、荒れ果てているばかりだ。住民は皆、逃げてしまったらしい。

 (ここまで、だな)

朝からずっと、通りかかる人も馬も見かけない。この先しばらくは、人は住んでいなさそうだ。

 踵を返し、彼は、元来た道を引き返そうとした。


 と、その時だった。


 『お前か、”鴉”を探しているという異邦の魔法使いは。』


 「?!」

どこからともなく聞こえてきた声に、ロードは慌てて左右を見回した。何の心の準備もしていない。

 頭上も入れて二回見回して、…ようやく気が付いた。


 道の脇の枯れた木の枝の上に、鴉が一羽、羽根を畳んでじっとこちらを見下ろしている。漆黒の翼に、燃える様な赤い眼。鴉の姿のまま人の声が聞こえてくるのは、レヴィもよく使っている、風に声を乗せて届ける魔法を使っているからだろう。

 (そこそこ若い男の声…だな。声色を変えてるのじゃなければ)

 『随分と警戒しているな。私が本物かどうか迷っているのか?』

 「そりゃあね、…戦場にしか出ない、って聞いてたから」

用心深く言葉を選びながら、ロードは、それとなく鴉の様子を伺った。

 それなりの力を持つ魔法使いだと想像していたのに、不思議なことに、魔石の輝きはほとんど見えない。小さなぽつりとした輝きだけが、胸の辺りに見えている。

 (小さな魔石で効率よく魔力を引き出せるとか? それにしても…)

 『お前は私を探し回っていたな。”約束の地”に興味があるのか』

鴉の眼を見ていると、まるで、こちらの考えなどすべて見通されているような、落ち着かない気分になっている。

 「ああ、とても。そこはどんな世界なんだ? 本当に、死んだ人間とも再会出来ると?」

 『出来る――と言いたいところだが、お前は既にいくらか魔法を知っているようだから信じないだろう。死者を蘇らせる魔法はない、と、普通の魔法使いなら知っている。』

 「……。」

 『だがそれは、今あるこの世界での決まりごとだ』

黒い翼がばさりと広がり、一瞬、大きく広がった。

 次の瞬間、木立の下に現われていたのは、頭から足元まですっぽりと黒い一枚布のマントで体を覆った、一人の男の姿だった。

 「真の楽園は、この世のことわりを越えた先にあるものだ。」

さきほどと同じ声のまま、男は続ける。

 「偽りの世界を捨て、真の世界――人が本来導かれるべきだった永遠の楽園へ向かう。この世界を縛る法則は欠陥品だからな」

 「欠陥…?」

 「例えば、何故人は死なねばならないのかということ。寿命とは何のためにあるのか? 魔法がありながら、なぜ病を克服できないのか? 誰ひとりまともに答えられまい。無意味だ。個の自由は奪われている。」

 「楽園に入れるのは魔法使いだけなんですか」

 「魔力を受け入れる素養がなければ、楽園で生きてゆくことは出来ない。この不完全な世界は、魔力を扱えない不完全な人間のためのもの。永遠を生きることが出来るのは、完全な人間だけだ」

巧みな言い回しと、自信たっぷりな態度は、何も知らない一般人なら信じることもあったかもしれない。

 けれどロードには、それはただのお伽噺にしか聞こえなかった。

 (有り得ない)

世界の根源である”創世の呪文”と契約した管理者でさえ、寿命が延びることはあっても、不死でも不老でもない。どれほどの魔力を得ても人が永遠を生きることなど出来ないのは分かりきっている。

 なのに一体なぜ、この男はこんな突飛な考えを持つようになったのだろう。この教えを広めることで、何の得があるのだろう。


 それでも、ロードは精一杯、相手に話を合わせようとした。ようやく目指す相手を見つけられたのだ。言っていることの意味が分からないからといって直ぐにそっぽを向いてしまうわけにはいない。

 「つまり、魔法を使えるなら、その楽園に行ける、と?」

 「その可能性はある。」

 「おれも…行けるってことですか」

 「扉が開かれたとき、そこにいればな。――知りたいのか?」

 「ええ」

ごくりと息を呑む。

 「どうすればいいんです? その扉、っていうのは一体――」

一歩踏み出そうとしたとき、ロードは突然、体が重くなるのを感じた。

 見ると、黒いマントの男は、口元に笑みを浮かべていた。

 「お前はどうやら、そこに入る資格はないようだ」

身動きが取れない。指を動かしてナイフに触れることすら出来ない。

 拘束の魔法、というよりは、周囲の空間そのものが固められてしまったかのような。

 「おっと」

男は少しおどけたような顔をして、背後の木を見やった。

 「危ない危ない、この木ごと私を串刺しにしようとしたな?」

 「……。」

正解だ。だが、ロードがやろうとしたことがどうして判るのだろう。

 「そう、どうして判るのかという顔だ。お前が私を疑っていることくらい、最初から分かっていた。私の正体を探るために来たのだな。誰に言われてきた? 未熟だが、ずいぶん大きな力を隠しているな。お前は一体何者だ。野良にしては――」

しめつけが一掃厳しくなり、体が鉛のように重くなる。

 目の前に、黒い人の影が近づいてくるのが判った。腕が延びてくる。


 その腕が、ロードの胸元に触れようとしたとき、別の声がそれを遮った。

 「よーーやくみつけたぞ、この偽物野郎」

 「…レヴィ!」

体をよじりながら声の主の名を呼ぶのと同時に、体を拘束していた何かが緩んだ。張り詰めていた力が行き場を失い、ロードは、地面に両手をついた。


 声の主は、その前に、”鴉”とロードの間に割り込むようにして立ちはだかった。

 「お前を泳がせといて正解だったな。こういう面倒ごとは脅威の食いつき率を見せる。最強の疑似餌だよ」

 「どういう意味だ、それ」

 「まぁ怒るな。実際、この”鴉”とかいう奴が食いついてくれただろ?」

上着のポケットに手をつっこんだまま、少年の姿をした黒髪の魔法使いは、ロードに向かってにやりと笑う。それから、真面目な顔になって目の前の魔法使いを見据えた。

 「で? てめぇは何者だ。西の連中を焚きつけてどうするつもりだ」

 「……。」

問いかけに答えようともせず、黒いマントの魔法使いは黙って視線をどこかへ巡らせた。

 「おい!」

苛立ったレヴィが何か言おうとした、その瞬間。


 何の前触れもなく、世界がぐるりと回る感覚があった。

 そして――


 「うわっ」

空中に放り出されたと思った途端、ロードは濁った水の中に頭から突っ込んでいた。服の上から染みこんでくる濁った泥水が冷たい。慌ててもがき、水面に顔を出す。

 「ぷはっ、…何だよ、これ」

ちょうど泥の中から顔を上げると、隣にレヴィが同じように浮かんでくるのが見えた。呆然とした顔をしている。

 「おいレヴィ、何が起きた?! ここは? …あの魔法使いは?」

周囲を見回しても、さっきの黒マントの姿はどこにもない。

 「……。」

 「おい、レヴィ!」

肩をつかんで揺さぶると、ぽつりと彼は言った。

 「…飛ばされた」

 「何だって?」

 「空間転移の魔法だ、ぼくと同じ。それも、ぼくに打ち消しの暇さえ与えない一瞬で」

ロードははっとして手を離した。その意味を理解するのに時間など必要ない。得意なはずの魔法で、レヴィが押し負けたということ――。


 髪の泥水を跳ね飛ばしながら、レヴィは毒づいた。

 「あの野郎、どうやらただの詐欺師じゃねぇぞ。くそっ、いったんハルんとこに戻って作戦練り直しだ! 行くぞロード」

 「え? おれも?」

 「当たり前だ!」

珍しく苛立った口調は、それだけ余裕が無いことを間接的に意味している。

 岸に這い上がるレヴィの後に、ロードは黙って従った。凍えるような水の感覚は、驚きのために今は失われている。


 空には灰色の雲が広がり、冷たい、みぞれ交じりの雨がぽつぽつと降り始めていた。

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