望郷

 ヴィル・ヘムの女ことリュミエンヌは故郷の町バイユーにいた。


 住んでいるヒトは最盛期でも600人(学問所に通う修行者を含めても)を超えない規模と、そんなに大きな町ではないが、通りすがりの旅人や行商人、荷駄を扱う行商人、舶来の貴重な品を扱う交易商人らが、街道筋にあるこの町を訪れるため、町の規模に比しても昼間の往来は盛んだったが、路地を抜けると灯りもなく、人気のない新月の夜は寂しさもひとしおだった。


 ちなみに街道とは言ったが高地にあって山間を巡るそれは殆どの道幅は荷馬車一台がやっとであり、それらがすれ違うために広場や道幅のある宿場と前後の脇道があると言っても過言ではない。その交通事情もあって比較的規模の大きい隊商の通過などは、関係者ならずとも誰もが頭を悩ませる事になる。事前の打ち合わせなしなどありえないから、バイユーにも交通管制を代行する地方の斡旋業者が馬小屋付きで数人常駐している。


 その町中を通る街道の両脇には町の住人や近隣の商人相手の小商いを営む問屋や雑貨商店、雑多な野菜や肉類(猟師が狩ってくる獲物かあるいは農家で飼うニワトリやウサギなど)を持ち込んだ露天市場が通りをにぎわしていたし、行き交う旅人のための宿屋は大きくも多くもないが、客引きの女たちが宿の玄関前で愛想笑いを浮かべながら、手ぐすね引いて待ち構えている。


 そこで働く女たちの多くは下働きの女中を兼ねた”娼婦”でもあった。引き込んだ客たちの一時の夜の相手をして料理や酒をふるまう売春宿も多い。きちんとした高級娼館には金も縁もない行商人の男たちが、旅先での飯屋を兼ねた安手の女郎屋に宿屋代わりに泊まり込むという塩梅だ。


 リュミエンヌと違い薄給で時にはつらい仕事だが、呪式を唱えられない女たちはそうやって日々を稼いでいる。様々な経験を積むまではそうやって生きている。両親と家業があって、食っていけるだけの技術と職があれば一人でも稼げるが、誰もがそうとは限らない。


 リュミエンヌは両親ともに魔導士でそれぞれが代々受け継いできた血筋のものであり、町ではちょっとした名士で”お嬢様”というのもあながちウソではないが、魔導士自体が世間一般的な意味では祝祭の日には身綺麗にはしても、きれいに着飾って出歩くような”贅沢”を自慢するような人たちではないので、彼女もそのように育った。


 だから町娘なんかとは違うという訳だ。バカにしているわけではないが価値観が違うと。母親も美人なくせにそういうおしゃれが苦手なヒトだった。


 だからドレスは嫌いよとリュミエンヌ。見るのはいいけど着るのは窮屈、だけどお転婆じゃないのよと周囲には噓をつき、彼女なりの理屈で世間体を繕った。


 それでも母親の用意した服は気に入らないと最近までよく駄々をこね、よくケンカしたのだからヒトの好みは分からない。いったい何がいいのよとは口論の際の母の口癖だった。


 だから嫌なの!と言い返すリュミエンヌはセンスの問題なのよと言い張ったが、誰にもその違いが分からなかったのはナイショだ。


 リュミエンヌのように魔導士になれず、学問はないが丈夫で健康な気立ての良い娘たちの中には、そうした商売に就く者も少なからずいた。もちろん彼女の幼馴染の中にも何人かいたが、此処では仕事柄尊敬はされなくても、また卑しい商売と蔑まれることもなかったのは諸般のやむ得ない事情もあったが、それを積極的に肯定する独特の倫理観あってのことだった。


 山間にあってこれといった産業もなく、ともすれば寒冷な高地では商うほどの作物も取れない辺境の貧しい環境では、貴賤で選べるほどの贅沢な職業の選択肢はなく、あわよくば一攫千金を狙う男たちの往来が盛んな街道筋では、地道に家業を営むよりもむしろ投機的な生き方を選ぶ気風が幅を利かせるのも、リュミエンヌが生きた戦乱とは呼べぬまでも内乱や紛争をも踏まえた政情不安定な”この頃”では当然のことだったのだ。


 そしてこの町にはこの近辺ではまれな魔導士の学問所があった。比較的大きな規模の総合的な講堂と道場を含むそれは、初期の大学にも似た簡素な作り。いつの頃からかは記録も定かではないが、相当な昔からあったことは確かで、いつしか地域に定住する魔導士たちの存在がこの町に大きな影響を与えていたことが、その暮らしぶりにも現れている。


 バイユーの町は経済力においては、実質的に魔導士たちが得る報酬で支えているとさえ言えたし、王侯貴族からは見放されて地方領主さえ常在しないほどの辺境にもかかわらず、周辺(国)への影響力も無視できないほどの”政治力”(裏稼業も含めた)が、この一見貧相に見える小さな田舎町にはあったのだ。


(その”影響力”の一端を担っていた一人がリュミエンヌだった)


 この町の表と裏の顔が垣間見せる極端さがバイユーの光と影を際立たせる一因になっている。見かけからは判断できぬ貧富とその格差と、相反する知的で自由な気風を魔導士らが作り上げていた。


 それら魔導士の社会の理不尽にめげることもなく、その理不尽をすら糧にして無から有を生み出すが如きその生きざまが、その蓄財を重視しない経済的淡白さと知的偏重な魔導士のモラルと相まって何より「自由」を尊ぶ風潮と、個人の能力を生かせれば信仰や血筋や家柄など、その貴賤を問わず尊重されるこの町の独特のモラルを作り上げていった。


 富める者も貧しき者も力を尽くせばそれでいい。その人に応分の能力に準じる成果を得ることが重要なのだと、その清濁併せ持つ矛盾を恐れないし、その信仰や王権の正当性を隠れ蓑に、他者に対し強権且つ専制的に振舞う、ヒトの偽善と果てしない欲望はあくまでもその「個人」に由来する「自己責任」と喝破する”思想”はある意味では、魔導士の生き方そのものといえた。


 その故にこの町は領主や代官などの”権力者”の直接統治を許さず、また長くは根付かない由来となっている。


 住む自由はあっても「能力なきものは去れ」がバイユーという町のモットーなのだ。優しくて非情な世界。リュミエンヌはそんな町で体と心を育んだ魔導士の娘。


 山間の高地を吹き抜ける風は心地よく、降り注ぐ初夏の日差しが眩い。


 これがリュミエンヌの「心象風景」だった。彼女の記憶の中の故郷の町。いい思い出も。そして悪い思い出もあった、誰もが思い描くそれぞれの町。


 この町にいる。帰りたいのは私と彼女、どちらだろう。


 もう私にはわからない。でも故郷をなくしたのは私だろう。


 気が付けば大通りから小路に入り、一軒の平屋建ての家の前にいる。木造で作りはシンプルだが、複雑に木材を組み合わせ精巧な細工で組み上げられてそれは工芸品のように精緻を極めている。少なくとも二百年以上は経っているだろう色合いと、肌触りの木肌が独特の香りで匂い立つ。


 このリアルな”実感”が彼女の意識下の「虚構」だとは信じがたい。


 いや”これ”が彼女の「真実」には間違いない。ヒトにとっての現実とはそんなものだ。まして私にとってもここは我が家だ。


 生まれた家の前に立ち、私が扉に仕込んだ呪式の錠を開け玄関に一歩踏み込んだ。住んでいたのがもうずいぶん前の事のよう。


 いや実際それぐらい経っている、はずだ。


 見慣れたはずの間取りに装飾と調度品、寸分変わりない。


 私の記憶。声に出してみる、声に出せば…


「ただいま」とリュミエンヌ。


 私たちの現実は一つになった。帰ってきたの…。


「ただいま」


 そして、


「誰かいる?」

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